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皇弟の思惑と貴族令嬢の計算

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 言ってしまった。

 しかし案外後悔をしていないのは、模範的な貴族令嬢の演技で通すよりも、この方がこの男の気を引ける可能性が残っているのではないかとも思えたからだ。計算したわけではなかったが、多少吐き出して冷静になった頭で考えると悪くない対応だ。

 背筋を伸ばし、すっと顔を上げ真っ直ぐに目を向ける。俯き気味の上目遣いは、きっとこの男には通じない。
 ジルベルトの目は相変わらず見開かれ、切れ長の形が少しだけ柔らかく見える。その目を見つめ返した。長く目を合わせるのは、上位の相手に対しても男性に対してもタブーであるが、敢えてそうした。

 しばらくの沈黙の後、ジルベルトがふっと顔を傾けて口元に笑みを浮かばせた。


「クリスティナが、貴女を心配していた。少しわかる気がするな」
「……え?」
「貴族社会に向かない娘だ、と。温かくのどかな土地で、伸びやかに育った娘だった。高位貴族の風習を教え指導したのは自分なのに、慣れない王都の社交界に置いて来てしまったのが気がかりだと言っていた」


 今度こそ、アンジェは取り繕う余裕を失ってしまった。手に握っていた扇が膝の上に落ち、するりとドレスの上を滑って足元に落ちた。そんなことにも気づかないほどに。
 ぎゅっと両手を握り合わせ、前のめりになると目を輝かせてジルベルトに言い募る。


「義姉さま……いえ、クリスティナ様に、お会いになられたのですか」
「ああ、王都に来る前に。フォンタナとの国境のすぐ近くだからな」
「お、お元気に、されていましたか。どんなご様子でした? どんな風にお暮しなのでしょう」


 矢継ぎ早に尋ねるアンジェから、ジルベルトは面白いものを見つけたように目を離さなかった。しかし、義姉の様子を聞けるかもしれないと夢中になったアンジェはそんなジルベルトの視線の意味に気付かない。


「本当に変わった姉妹だ。義理で、その上ひとりの男を取り合った過去があるにも関わらず」
「ああ、私にこんなことを聞く資格は無いのです、本当は。でも、どうか」

「元気にしていたよ。クリスティナ……今はロズウェル夫人か。辺境の豊かな土地で、趣味の乗馬を楽しむ毎日だとか。夫人主導で新事業を始めているとも言ってたな。俺も三日ほどしか滞在しなかったが」
「そうですか……」


 ロズウェルとは辺境伯家の家名だ。一時期、幼少期のクリスティナが預けられていた土地で、彼女にとってなじみ深い場所である。
 わずかばかりの情報ではあったが、実際に会ったというジルベルトからの話はアンジェを安心させた。


「よかった……ええ、クリスティナ様なら、きっとどんな場所でもご活躍なさるはずです」


 そう呟いて、握りしめていた手を緩める。浮かんだ微笑みは、淑女教育の賜物である感情を悟らせないものではなく、心の底からのものだった。
 本当なら、もっと義姉の話が聞きたい。だが、馬車はもうじき公爵邸に着く頃だろう。残念に思っていると、じっとアンジェを見つめる黒い瞳に気付いた。観察するような、見極めるような視線に正直に眉を顰める。
 すると、ジルベルトはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「……危なっかしくはある。が、社交界に向かないとは思わない」
「はい?」
「社交界でも市井でも、どこでも生きていけるだろう、お前は」


 突然ぞんざいになった言葉遣いは馬鹿にしたように聞こえ、アンジェの神経がぴりりと尖る。
 つまりアンジェが、図々しい、もしくは図太いと言いたいのだろうか。


「どういう意味でしょう?」
「なぜ怒る? 褒めてるんだが」


 まったく褒めてるようには聞こえない。
 不機嫌に沈黙するアンジェにジルベルトは肩を竦める。そして前屈みになりアンジェの足元に片手を伸ばした。その時初めて、自分が扇を落としていたことに気が付いた。


「ほら」
「……ありがとうございます」


 憮然としたまま、差し出された扇を受け取る。直後、突然だった。大きな手に手首を掴まれ、軽い力で引き寄せられた。
 
 
 
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