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理想の妻像
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「……あー」
唸り声が聞こえて見上げると、彼もまた私と同じように口元を手で覆い、横を向いていた。
「高輪さん?」
「うん」
「どうかしましたか」
「……控え室じゃなくて部屋の外で待たせとけば良かったと思って」
控え室で待機、とヘアメイクの女性に言っていたのを思い出す。この話の流れで、今の言葉の意味がわからないわけはなく。
「……嫌ですよ! 今綺麗にしてもらったとこで、すぐにメイク直ししてもらうなんて!」
何してたかバレバレじゃないですか!
考えただけで汗が滲んで顔が熱くなった。どうしていちいち人を動揺させるようなことを言うのか、彼を見る目がうらみがましいものになるのも、当然だ。
「だから、汗が出そうなこと言わないでくださいって言うのに」
「いや、今のは七緒さんが悪い。かわいいことをかわいい顔で言うのが悪い」
だから、まだ、言うか!
と、そんなことを言い合っていてはいつまでも終わらず、高輪さんのこの様子では『かわいい』の大安売りになりそうなので無視をすると決めた。
「それより、もう行かないといけないのではないですか?」
会場にギリギリに着くわけにはいかないだろう。
この後のことを思うと、やはり緊張する。胸を押さえてゆっくりと息を吸い、緊張を解そうとしていると高輪さんから更にプレッシャーをかけられた。
「そうだ、七緒さんに理想の妻を演じてもらう約束だった」
「え」
「それを考えると、楽しみで夜は寝られなかったよ」
「え」
私は緊張で寝られなかったというのに、彼は楽しみで寝られなかったという。
なんだか、とてつもなく、憎たらしい。
それに、演じるというのは言葉の綾で、高輪さんの面子を潰さないようにとかそういう意味だと思っていたのに、どうやらそれも違ったらしい。
「式典では七緒さんにしてもらうことは特にないけど、ただ俺の隣にいて。式典の後やパーティになると、いろんな人が話しかけてくるけど、いつもの七緒さんで大丈夫。ただ、中にはやたら親しげに話しかけるやつもいるけど、終始敬語で受け答えしてくれたら問題ない」
首肯しつつ大人しく聞いていると、案外具体的に人への接し方を指示された。もちろん、どんなにフレンドリーな態度の人であっても、敬語で話すつもりではあるが、それをわざわざ指示するということは、なにか意味があるのだろうか。
真剣に頷いて、彼の言葉を待つ。
「で、俺には敬語は無しでいこう」
……うん?
「え、それは何か意味が?」
あるのか……?
……いやいや、いくら高輪さんでも自分の会社の大事な式典で無意味な提案をするわけないよね。一瞬失礼なことを考えてしまったわ。
だって、高輪さんの表情はにやけているわけでもなく真剣だ。
「俺と七緒さんは政略ではなく特別だと見せつけておきたいしね」
「政略でも夫婦仲が悪いと周囲に思われると都合が悪いということでしょうか?」
聞くと、彼は意味ありげな笑みを浮かべて数秒だけ考えるような素振りをする。
「……うん、まあ、そういうこと」
確かに、敬語よりも砕けた口調で話す方が、仲が良さげに周囲には伝わる。頭の中を飛び交っていた疑問符が、ちょっとだけ落ち着いた。あくまでちょっとだけ……敢えて言うような内容かと首を傾げてしまう部分があるのですべて納得したわけではないけれど。
それほど難しいことでもないし、とりあえず頷いた。
「そういうことなら、わかりました」
関西での事業で差し支えるのか。人脈ありきで成り立った事業なのだから、人間関係に左右されるのは当然だ。特に専門職などの技術者は縁や義理に篤い年齢層が多く、反感を買えば仕事がやりにくくなるのは予想できる。
いきなり敬語無しの会話を、公の場でするのはかなりの抵抗感があるけれど、ようは仲睦まじく見せればいいのだ。通常会話は敬語にして、私たちだけの会話の時に少しだけ崩して喋るのを、他の人に聞こえるようにすればいい。
理想の妻とはどんなものかと身構えていたけれど、然程難しい内容でもなかったとおかげで肩の力が少し抜けた。……安請け合いした私が後悔するのは、まあすぐ後のことになるのだけれど。
唸り声が聞こえて見上げると、彼もまた私と同じように口元を手で覆い、横を向いていた。
「高輪さん?」
「うん」
「どうかしましたか」
「……控え室じゃなくて部屋の外で待たせとけば良かったと思って」
控え室で待機、とヘアメイクの女性に言っていたのを思い出す。この話の流れで、今の言葉の意味がわからないわけはなく。
「……嫌ですよ! 今綺麗にしてもらったとこで、すぐにメイク直ししてもらうなんて!」
何してたかバレバレじゃないですか!
考えただけで汗が滲んで顔が熱くなった。どうしていちいち人を動揺させるようなことを言うのか、彼を見る目がうらみがましいものになるのも、当然だ。
「だから、汗が出そうなこと言わないでくださいって言うのに」
「いや、今のは七緒さんが悪い。かわいいことをかわいい顔で言うのが悪い」
だから、まだ、言うか!
と、そんなことを言い合っていてはいつまでも終わらず、高輪さんのこの様子では『かわいい』の大安売りになりそうなので無視をすると決めた。
「それより、もう行かないといけないのではないですか?」
会場にギリギリに着くわけにはいかないだろう。
この後のことを思うと、やはり緊張する。胸を押さえてゆっくりと息を吸い、緊張を解そうとしていると高輪さんから更にプレッシャーをかけられた。
「そうだ、七緒さんに理想の妻を演じてもらう約束だった」
「え」
「それを考えると、楽しみで夜は寝られなかったよ」
「え」
私は緊張で寝られなかったというのに、彼は楽しみで寝られなかったという。
なんだか、とてつもなく、憎たらしい。
それに、演じるというのは言葉の綾で、高輪さんの面子を潰さないようにとかそういう意味だと思っていたのに、どうやらそれも違ったらしい。
「式典では七緒さんにしてもらうことは特にないけど、ただ俺の隣にいて。式典の後やパーティになると、いろんな人が話しかけてくるけど、いつもの七緒さんで大丈夫。ただ、中にはやたら親しげに話しかけるやつもいるけど、終始敬語で受け答えしてくれたら問題ない」
首肯しつつ大人しく聞いていると、案外具体的に人への接し方を指示された。もちろん、どんなにフレンドリーな態度の人であっても、敬語で話すつもりではあるが、それをわざわざ指示するということは、なにか意味があるのだろうか。
真剣に頷いて、彼の言葉を待つ。
「で、俺には敬語は無しでいこう」
……うん?
「え、それは何か意味が?」
あるのか……?
……いやいや、いくら高輪さんでも自分の会社の大事な式典で無意味な提案をするわけないよね。一瞬失礼なことを考えてしまったわ。
だって、高輪さんの表情はにやけているわけでもなく真剣だ。
「俺と七緒さんは政略ではなく特別だと見せつけておきたいしね」
「政略でも夫婦仲が悪いと周囲に思われると都合が悪いということでしょうか?」
聞くと、彼は意味ありげな笑みを浮かべて数秒だけ考えるような素振りをする。
「……うん、まあ、そういうこと」
確かに、敬語よりも砕けた口調で話す方が、仲が良さげに周囲には伝わる。頭の中を飛び交っていた疑問符が、ちょっとだけ落ち着いた。あくまでちょっとだけ……敢えて言うような内容かと首を傾げてしまう部分があるのですべて納得したわけではないけれど。
それほど難しいことでもないし、とりあえず頷いた。
「そういうことなら、わかりました」
関西での事業で差し支えるのか。人脈ありきで成り立った事業なのだから、人間関係に左右されるのは当然だ。特に専門職などの技術者は縁や義理に篤い年齢層が多く、反感を買えば仕事がやりにくくなるのは予想できる。
いきなり敬語無しの会話を、公の場でするのはかなりの抵抗感があるけれど、ようは仲睦まじく見せればいいのだ。通常会話は敬語にして、私たちだけの会話の時に少しだけ崩して喋るのを、他の人に聞こえるようにすればいい。
理想の妻とはどんなものかと身構えていたけれど、然程難しい内容でもなかったとおかげで肩の力が少し抜けた。……安請け合いした私が後悔するのは、まあすぐ後のことになるのだけれど。
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