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理想の妻像
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しおりを挟む「信頼できる人だから、心配しなくていいよ」
「そうですか」
例の、金平糖好きの、美人秘書だ。
美人で色っぽい(ここは妄想)、そして秘書だというのだからきっと聡明でしっかりしていて、且つ、高輪さんの信任厚い人。
たったそれだけの情報でもやもやする私は、もう重症だ。人間不信もここまでくると鬱陶しいので、絶対顔に出ないよう気を付けなければ。
ちょっと笑顔が固くなったかもしれない。が、気付かれることなく彼がスマホの画面を見てすぐ、残りのコーヒーを飲み干した。
「じゃあ、結婚までには契約の準備はしておくから。そろそろ行くよ。明日は面倒なことに付き合わせるけど」
「あ、はいっ。大丈夫です、こちらこそ迷惑かけないようにします」
「迷惑って」
くすりと苦笑いをすると、立ってスーツの襟を整えドアの方へと歩いて行く。私もすぐに立ち上がって、見送るために彼の後を追った。すると、彼はドアを開ける前にくるりと振り返る。
「七緒さんはそのままで十分。気負わなくていいよ」
その言葉が、さっきの会話の続きなのだと気付くのに、数秒かかった。目を見開いて彼を見上げると、優しい微笑みで見つめられていて途端に心臓が正常ではいられなくなる。
「あの、でも、大事な場ですしそんなわけには……振る舞いには気を付けますが、えっと」
何を言いたかったのか、自分でもわからない。しどろもどろと言葉にして、動揺しているのが丸わかりの自分に余計に恥ずかしくなった。
彼は、口元を押さえつつ肩を震わせている。よく見れば、頬もぴくぴく痙攣していた。
「わ……笑わないでください……真剣なのに」
「いや、笑ってるんじゃなくて、これは」
笑ってるんじゃないというなら、なんだというのか。そんなに笑うなら、人を惑わすような言動は控えて欲しい。
気恥ずかしさに顔が逆上せてきたとき、やっと笑うのを止めた高輪さんが助け船を出してくれた。
「じゃあ、頑張って明日は理想の妻を演じてもらおうかな」
その言葉にほっとする。何もしなくていいと言われるより、ずっと気持ちが楽だ。
「はい、もちろん!」
「じゃあ、ちょっと充電させて」
「えっ?」
何が、じゃあなのか。
充電って、スマホの?でも私のと機種が違うから差し込みが合わないかも。っていうか、もう行かないといけないはずでは?
疑問が口から出る前に、伸びてきた両腕に緩い力で抱きしめられた。
高輪さんのネクタイが目の前にある。香水だろうか、ふわりとウッド系の香りが鼻をくすぐる。私は彼の腕の中で、身じろぎひとつできないで固まっていた。息もとまっていたかもしれない。
「さっきも言ったけど、あまり気負わなくていい」
背中を大きな手にゆっくりと撫でられて、低いけど優しい声がなぜか身体中にじんと染みわたる。
「七緒さんはやけに気にしてるみたいだけど、なにか失敗しても迷惑なんてことはない。助け合うのが夫婦だ」
「で、でも」
「七緒さんは、俺が何か失敗したら迷惑だと思う?」
そんなことはない。彼が失敗することなんてなさそうだし、私に助けられるかわからないけど、なにかしたいと思う。
そう思ったから咄嗟に顔を横に振る。すると、背中を撫でていた手が止まって抱きしめる腕に少しだけ力が込められた。
「よかった。俺もそういう夫婦になりたい。貴女が望むように、短い間になったとしても」
ぽんぽん、と軽く背中を叩かれる。それから両肩に手を置き、少しだけ身体を離し私の顔を覗き込む。目を合わせてから、軽く触れ合わせるだけのキスをした。
「じゃあ、おやすみ」
頭に手を置き髪を撫でると、くるりと背中を向けて部屋を出て行く。彼の背がドアの向こうに消えるまで、私は身動ぎもできず声も出せなかった。
とてもゆっくりとして穏やかで、すべてが私を気遣う温かい仕草だった。ほっと詰めていた息を吐いたとき、ほろりと涙が一筋零れる。
「あれ……?」
指先で軽く拭う。その涙の意味が、自分でもよくわからなかった。
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