正しい契約結婚の進め方

砂原雑音

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初デートで発覚するアレコレ

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 彼が上半身を起こして、ソファの足元を覗き込む。大きな体が少し自分から離れてくれた、それだけでとてつもない開放感を得た。これまで強張っていたのが嘘のようにさっと体が動いて、膝の上のバッグをしっかりつかみソファから立ち上がる。

 高輪さんが、下を覗こうとした中途半端な態勢のまま驚いた顔で私を見た。


「あの、か、帰ります。明日もお店があるので……っ」


 平静を装ってみたけど、声が上擦っていてとても隠せていない。だけどそんなことより、今ははやくこの空間から逃げ出したかった。こんな風に迫られながらでは、まず考えがまとまらない。


「そう? じゃあ送るから」
「いえお構いなく!」


 高輪さんが立ちあがる前に、背を向けて小走りでドアに向かって部屋を横断する。


「七緒さん、でも危ないから」
「いえ、駅までそう遠くないですし、タクシーも使いますから」


 きっぱりと言って、ドアの前で振り向いた。ソファの近くで立ち上がっている高輪さんの姿を見て、慌ててお辞儀をする。


「今日はご馳走様でした。ありがとうございました。契約の件、よろしくお願いします」


 早口で言い切って、彼が近づいて来る前にと急いで部屋から逃げだした。

 どうしてこうなった……。
 廊下も止まることなくエレベーターまで走り切り、運良くすぐに乗り込むことができた。誰もいないエレベーターの中で、ほっと安堵の息を吐く。
 距離を、親密にならないために距離を取りたかったはずなのに。


「……あんなキス……無理……」


 思わず心の声が出た。腰砕けになるような、キスだった。唇が触れあっただけで気持ちよくて、深くなるほどとろけるような……。

 キスの感触を思い出し、その時またぞくりとして思わず二の腕を摩る。変な感じがして袖を捲ると、鳥肌が立っていた。

「あれ?」

 キスに感じて……というのとは少し違う気がして違和感に首を傾げる。しかし、すぐにエレベーターがロビーの階に到着し思考が寸断される。特に気にすることもなく、エントランスに止まっていたタクシーに乗り込んだ。


 次、彼はどんなふうに連絡してくるだろうか、次会う時はどんな顔をしたらいいのか。何もなかったかのように素知らぬ顔で会えばいいのか。
 悩む私の目の前に、素知らぬ顔の彼が現れたのはなんと翌日だった。


「た、高輪さんっ?」


 開店してすぐくらいの時間に、店の暖簾をくぐり爽やかな顔をして入って来た男性。商品棚を整理していた私は、その顔を二度見した。


「おはよう。帰る前に、顔を見て行こうと思って。仕事中にごめん」
「い、いえ……」


 普通だ。本当に普通だ。だったら、私も普通でいいのか……緊張していたのが急に馬鹿らしくなって、私もできるだけ自然な態度を心掛ける。
 すぐそばまで来た彼は、私の近くにあった金平糖のギフトを手に取った。


「あ、秘書さんにお土産ですか?」
「そう。無いと何気に機嫌が悪くて」


 もや、と心に立ち込める何かを無視して笑う。


「すぐお包みしますね」


 レジまで行くと、店の奥から土井さんとかずちゃんがちょっとだけ顔を出し、にっこり笑ってまた奥に戻ってしまった。気を使わないでほしい、逆に居た堪れないから!

 会計を終えて、紙袋にいれたギフトを彼に手渡す。すると、彼からも小さな紙袋を渡された。


「これ、昨日の忘れ物」
「えっ? そんなのありましたか?」


 受け取って袋の口を開けると、中を見て固まった。

 ごま塩?
 なぜこれが、と考えて、そこから一気に記憶が蘇る。病院で祖父から没収したごま塩はバッグに入れた後すっかり存在を忘れていた。それから、『あの時』にソファの足元でしたゴトンという音を思い出した。


「……昨日の夜、俺の邪魔をしてくれたやつ」


 耳元で小さく囁かれ、驚いて一歩後ずさる。耳の辺りがぞわぞわして、顔がかっと熱くなった。


「あ、あの時、の」


 キスのことまで思い出して、ますます火照ってきているのがわかる。きっと今、誰の目にも真っ赤だ。他にお客様がいなくてよかった。

 高輪さんは、そんな私を見てうれしそうに笑い、また小声で言う。


「男としてちゃんと意識されていてよかったよ」
「だ、だから。そういうのは無しの……」
「契約じゃなくて、偽装って言うべきだったね」


 私の言葉を遮って、彼の笑顔と口調が意地悪なものに変わった。私は固まって、彼の言葉が頭の中で繰り返される。


「……ぎそう」
「俺は受け入れないけどね。じゃあ、また。連絡する」


 彼の手が伸びてきて私の頬を撫で、指が耳朶に触れる。約束の証のように、きゅっと耳朶を摘まんでから彼は帰って行った。



「何度見てもかっこいいね……ドキドキしちゃった」


 ぎゅっとごま塩を握りしめた私の後ろから、かずちゃんと土井さんが声をかけてくる。
 私の心臓だって、あの人に出会った日からとても忙しく仕事している。ドキドキどころか苦しいくらいだ。
 土井さんが、私が握っているごま塩を見て、不思議そうに言った。


「なにそれ。どうしたの?」
「……ごま塩。昨日落として」
「は?」


 私の救世主……よくあの時に、助けてくれた……! おじいちゃんありがとう!
 病院にいる祖父に、いつも以上に心の底から感謝した。
 
 

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