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番外編

黒木貴仁の独白3

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◇◆◇

「……なんでお前がいる」

 帰国して空港のロビーを歩いていると、真正面で手を振っている能天気な顔の男がいた。佳純には迎えには来なくていいと言ってあるから、今頃マンションで俺の帰りを待っているはずだ。

「なんでって、貴兄が今日帰ってくるって聞いたからだろーついでに迎えに来た」
「どういうついでだ」

 空港に寄るついでなんかあるわけないだろう。しかしながら、俺がいない間の話も出来るので、そのまま征一郎の車に同乗する。

 婚約をしてから半年。あともう少しで結婚して、佳純を連れて本格的に渡米する。今日は二カ月ぶりに日本に帰国した。つまり、佳純に会うのも二か月ぶりだった。

「お疲れ様だよねー。あっちとこっち行き来するなんて」

 訳知り顔でにやけられて、いらっとする。

「別に苦痛でもない」
「どうせ秘書がいるだろ? 佳純ちゃんは? 一緒に連れてって準備期間にしこんじゃえばいいじゃん」

 などと、征一郎が軽い頭と口調で言うが、俺は間髪入れずに答えた。

「佳純は秘書にはしない」
「なんで? 英会話は日常会話くらいなら一応できるって聞いたし、これから訓練すればいけそうだけどな」

 考えなかったわけではないのだ。
 彼女を何としても向こうに連れていくと決めた直後、真っ先に考えたことはそれだった。

 佳純は、仕事は真面目だし頭の回転は速い。ビジネス英語も今から教えれば問題ない。そして、誰よりも信頼できるパートナーになる。そう考えると、秘書として近くに置きたい気も確かにあった。

 しかし、俺が起こすのは投資会社で、この先人脈は更に増やしていかなければならないし、腹の探り合いのようなものは日常茶飯事になってしまう。

 その中でも佳純の本質は変わらないだろうし、やれるだろうとは思う。それでもきっと、秘書として必要なスキルや心積もりを備えるうちに、失われるものがある。人の言葉を良くも悪くもストレートに受け取ってしまうあの素直さを、曇らせたくはなく。

 以前、信じる相手を間違えるな、と教えた。それだけでいい。彼女は彼女のままでいられるよう風にもあてず、真綿で包んでしまおうと決めた。

 彼女の可能性を狭めていると人は言うのだろうが、俺は秘書として彼女が欲しいわけではない。だから、そう決めている。

「秘書は今すぐ必要というほどでもないしな。そのうち雇う」
「ふぅん」

 質問ははぐらかして、スマホに視線を向ける。

《ビーフシチュー作りました。もうすぐ帰りますか?》

 送られてきたメールを見て、征一郎には気付かれぬように口元を手で覆った。


 マンションに着き、玄関ドアを開ける。
 靴を脱いでいると、後ろでドアの閉まる音が聞こえず振り向いた。

「おい。お前の家は隣だ」
「わかってるけど俺だって貴兄と話したいしまだまだ相談したいこともあるんだよー」
「知らん。いいかげん甘えるな」

 玄関の三和土で言い合っていると、パタパタとスリッパの音が急ぎ足で近づいてくる。
 久々に見た佳純は、頬を上気させて俺を見て口を開きかけ、それから俺の後ろにいる征一郎に気が付いた。

「あ、あれ? 社長も一緒ですか?」
「一緒じゃない。すぐに追い出す」
「えー。せっかく金平糖お土産に買ってきたのに」
「あ、京都に行かれてたんですか。お疲れ様です。ありがとうございます」

 佳純は征一郎から金平糖の袋を受け取って、一応笑ってはいるもののどこかそわそわとしていた。征一郎が上がっていくのかどうかで迷っているのだろう。

「大丈夫だ。こいつはすぐ帰る」
「あ、それは良かっ……あ」
「貴兄も佳純ちゃんもひどいなあ」
「すみません、ビーフシチューふたり分しかなくて」

 征一郎の性格に大分慣れてきた佳純は、遠慮なくものを言って笑う。それからふと視線が動いて、目が合った。

 二か月ぶりだ。征一郎が邪魔だ。佳純が、どこか照れたような表情で微笑む。

「おかえりなさい……、た……」

 た?
 言いかけて、躊躇って口ごもる。数秒、そうして迷った様子を見せたあと、結局、彼女の口から出たのはいつもどおりだった。

「……黒木さん。ビーフシチュー温めますね」

 言いかけて失敗するから尚更恥ずかしいんだろうに。真っ赤になった次には背を向け、またパタパタとキッチンへと戻っていく。

「何あれ、かーわい……」
「お前、早く出てけ」
「下の名前で呼ぼうとして失敗しちゃったんだなー、もうすぐ結婚して自分も黒木さんだもんなー。何て呼べとか言ってあるの? 何て呼ばせる?」
「別に何も言ってない」
「呼べって言ってあげた方が、呼びやすいんじゃない?」

 玄関ドアを開けて、征一郎を外へ追いやる。そうされながらも気にした様子もなく喋り続ける征一郎に、にやりと笑った。

「……ああやって悩んでるのが可愛いんだろう」

 笑顔のまま固まる征一郎をそのままに、ばたんとドアを閉めた。本当に、あいつはわかっていない。
 

 リビングに入る扉を開けると、ビーフシチューの良い匂いが漂っていた。ジャケットを脱いでソファの背にかけると、ダイニングを過ぎてキッチンに近づく。気づいた佳純が、銀色の鍋をかき混ぜながらこっちを見た。

「社長は?」
「帰った。……これがふたり分か?」

 佳純の背後に回って、鍋の中身を覗き込む。シチューは佳純も俺も好物だ。ふたり分しかないなんてことはないと思っていた。もちろん、たとえ何人分だろうと征一郎には食わせないが。

「……ふたり分です。黒木さんも私もおかわりしますから」

 そう言った佳純の耳がほんのりと赤く染まっている。背後から抱きしめて、その耳に軽くキスをするとぴくんと肩が跳ねた。

「一度消せ」
「え? でも、お腹空いてませんか」

 IHの電源をオフにして、佳純の顎に手を添える。上向くように促すと、唇を一度、軽く重ねた。

 征一郎がいたことで気がそがれたが、二カ月ぶりなのだ。よく顔が見たくて頬を撫でていると、彼女が恥ずかしそうに笑って腕の中で向かい合う。

「向こうでのお仕事、お疲れ様でした」
「ああ。こっちは変わりないか」
「はい。あ、英会話はちゃんとネット講習受けてます。発音がもうちょっと綺麗に出来たらと思ってて……」
「別に完璧な発音じゃなくても伝わればそれでいい」
「それはそうなんですけど……んっ……」

 話も聞きたいし、キスもしたい。肌にも触れたい。征一郎はさっさと追い出して正解だった。数度キスした後、親指で彼女の唇に触れる。そのまま撫でていると、ほうと隙間から熱のこもった吐息が零れて親指にかかった。佳純の瞳が潤んでくる。

 この口から、いつ『黒木さん』以外で呼ばれるだろう。
 きっとその時はさっき以上に真っ赤になっているのだろう。

 できれば、結婚式までに聞きたいものだと思う。



END
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