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第28話 女心
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学校中の噂になりかねない出来事を引き起こしたあとだけに、恒例となった恋人との帰宅時にもどことなく気まずい空気が流れる。
会話らしい会話もなく、大樹は両手でスクールバッグを持つ楓と、とぼとぼという擬音がお似合いな感じに歩く。
「ねえ……」
呟くような声で話しかけられた大樹は、しばらく俯き加減だった恋人を見る。
「私達、少し距離を置かない?」
「……別れるってこと、だよな。まあ……仕方ないか……」
彼女がいるというのに他の女子に誤解されかねない発言を連発し、ただでさえ警察の件で目立っているのにさらなる注目を浴びてしまった。愛想を尽かされるのも当然だった。
「俺から告白したってのにな……ごめんな……」
「違うのっ。大樹君のことはまだ好きよ。簡単に嫌いになんてなれないもの」
「じゃあ、どうして……」
瞳に涙を滲ませた楓が、住宅街の真ん中で立ち止まる。
「言われたんだ、愛美ちゃんに。交際している私と大樹君の邪魔をしたくないって」
大樹は黙って、楓の次の言葉を待つ。
「大樹君との交際はドキドキして凄く楽しい。でもね、せっかくなれた親友とこのまま疎遠になるのは嫌なの。できれば祝福してほしいなんて、我儘かもしれないけれど」
「そんなことは……ないだろ」
「うん……だけど、愛美ちゃんは私が大樹君と交際していると気を遣ってしまう。それはきっと、愛美ちゃんが大樹君のことを好きだからだと思うの」
清春にもそれらしいことを言われていたが、愛美と同じ女性の楓にも言われると信憑性がグッと増す。
もしかしたらと考えたことはあった。けれど最終的には気のせいだという結論に達し、そのうちに意識しなくなっていた。
「だから私は大樹君と一度離れるの。悲しいけれど。我儘なのはわかっているわ。でも、そうしないときっと私は前に進めない……」
「そっか……わかった」
あれだけ恋い焦がれていた女性なのに、別れを切り出されても比較的冷静な自分に大樹は驚く。
好意は確かにあって、好きかと問われれば躊躇いなく頷ける。だというのに、辿り着いた結末がこれだ。誰より自分がクズすぎて嫌になる。
「ありがとう。それじゃ、今日はここでお別れしよう。またね、大樹君」
にこやかに手を振り、太陽へ向かって立ち去るような楓に謝罪の言葉一つかけられない。
ちくしょうと小さく吐き、近くにあった電柱を殴る。皮膚が裂けそうな痛みが罪の証のような気がして、今の大樹に相応しいように思えた。
そこからどこをどう歩いたのか、気がつけば馴染みの店である万峰骨董店を訪れていた。眩しい日の光を嫌う薄暗い店内が、今日に限っては好ましい。
「あら、どうしたの。彼女ができて浮かれまくってると相棒から聞いてたけどね」
夏でも冬でも大差のない、露出度の高いキャミソール姿の満子のからかいに、大樹は顔をしかめて「さっき振られたばかりだよ」と返した。
「どうせ無理矢理迫って嫌われたんだろ。発情するなら時と場合を考えな」
「勝手に人を無法者扱いしないでくれ。色々と事情があるんだよ」
「そうかい。だったら奥で相棒と一緒に、慰めてくれるゲームでも探してきな」
満子との会話が聞こえたのか、いつもの大人なゲームコーナーから清春がひょっこり顔を出した。終業式の日だというのにここへ直行していたらしい。
「あいつ……毎日来てるんじゃないか……」
「見ない日はないね。下手すると午前と午後で来る日もあるよ。いつ良作が仕入れられるかわからないからだそうだ。あの手のゲームを買い取りしてるのはウチだけらしいからね」
「フラグが立ったか」
その動きはまさに疾風。瞬きをするたびに大きくなる清春がどこまでも真面目な顔で違うと繰り返し、大樹の眼前に迫る。
清春が十八歳になって以降、連日のようにカウンター前でだべられ、一般女性にとっては不可思議な単語も徐々に理解できるようになっていた女店主は、得意げに口端を上向かせる。
「アタシに会いたいがために通ってたのくらいお見通しさ。大人の魅力にメロメロなのは仕方がないけど、そんなに安くはないよ」
「高級豚肉」
「ぶっ殺す」
髪の毛がオーラとともに浮かび上がりそうな満子のラリアートを喰らい、清春がエロゲを両手で大事に抱えたまま床にひっくり返る。見事なまでに、体重の乗った一撃だった。
口から泡を吹いている清春の存在そのものを無視し、満子は荒い鼻息を巻き散らしながらレジカウンターへ大きな背中を預ける。軋んだような音が聞こえたのは気のせいだろう。
「アフターサービスってうるさいから、一応調べてやったよ。アンタの持ってる人形が、元は戦争で離れ離れになった男女のものだってのは前にカタログで見た通りだけど、どうやら手縫いの品みたいだね。アンタに売った理由まではわからなかったけどさ」
「……まさか、所有者の髪の毛で縫われてるとか言わないよな……」
「そんなホラーな品はさすがに先代も引き取らないだろ。とはいえ、個人の所有物を店に並べるのも珍しいけどね」
煙草に火をつけ、紫煙を宙にくゆらせる満子が目を細めた。
「相手が見つけるのを期待」
いつの間にやら復活した清春が、商品をレジに置く。
「かもしれないね。ま、本当の理由は不明さ。ただ、その人形が今はアンタの手元にあって、渡した相手の危機を知らせた。世の中には不思議なことがあるもんだよ」
ニヤリとした満子の前で、大樹はついぞ愛美に渡せなかった女児の人形を取り出す。
「そいつは例の人形だね。何でアンタが……ははあ、さては突っ返されたね。そういえばさっき振られたとかいってたね」
「……清春からどういう風に聞いてたんだ。夢に出てきた女と、別れたばかりの元彼女は別人だよ。前にここにも来てたことがあるだろ」
思い出したように、満子がああと手を叩く。
「あの綺麗な子かい。相手が悪すぎたねえ。アンタにゃ高嶺の花じゃないか」
「放っておいてくれよ、傷心中なんだからさ」
「たかだか一回振られたくらいで情けないねえ」
ハンと鼻で笑う女店主の隣で、会計を済ませた清春がさも当然とばかりに言う。
「さすが年季が違う」
「おだまりっ!」
懲りない清春を再び床に転がしたあとで、満子はカウンターに肘をついて、わざとらしく大樹に煙草の煙を吹きつけた。
「何すんだよっ」
「いつまでもしみったれた顔をしているからさ。で、別れた原因は何なんだい?」
「カウンセラーでもしてくれるのか。けど教える理由は……まあ、いいか。満子さんにも相談に乗ってもらってたしな。原因はほぼこいつだよ」
女児の人形をカウンターに乗せる。
どういうことだいと目で尋ねてくる女店主に、大樹は事のあらましを一から順に説明する。最近は楓とのデートを優先して、遊ぶ回数の減っていた清春も一緒になって聞いていた。
「ノイズの走る夢か。それはまた意味深だねえ」
「やはり人形がキーアイテム」
朝の教室でも清春には一度相談していたので、同じ回答が返ってくる。
満子がどういう反応を示すか気にしていると、予想外にも親友の意見に同意した。
「非現実的だけど常識を取っ払って考えれば、それが一番説得力があるね。恐らくはアンタが夢を見てる間に返しに来たんだろ。その子が遠ざかっていく最中だったから、夢が鮮明ではなくなった。誰かに話したら笑われるだろうねえ」
「死を回避させたのは事実」
短い清春の言葉には力が込められていた。満子は頷き、煙草の火を消して腕を組む。
「だから夢の内容は今後訪れる現実という前提で話してる。夏の間中にその子は海で溺れて死ぬことになる。アンタが何もしないとね」
射貫くような視線に、思わず身を竦ませてしまう。明確にされた死という単語に、どうしようもなく大樹の中の不安が騒ぎ出す。
「それにしたって、その子は死を呼びすぎだろ」
「本当は死ぬ運命だったのを回避したから?」
「……推測が当たってたら、生きている限り死神に付きまとわれるってことじゃないか。それじゃ、アンタ以外に面倒見きれないね」
満子と清春の会話を黙って聞きながら、大樹もまたひたすら考える。気にしすぎて楓から別れを告げられてもなお、悲しみより焦りを強く覚えている原因は一つだ。
「結末がどうなるにせよ、俺が黙っていられるわけがないんだ。最後まで足掻いてやるさ。心配をかける彼女はいなくなってしまったしな……」
「何言ってんだい、だからアンタは鈍いって言われるのさ。あの綺麗な子が距離を置きたがったのは、人形の子を助けるのに専念させてやるためだろうが」
「え?」
「間の抜けた声を出すんじゃないよ。呆れた子だね。アンタには聞こえなかったのかい。その子が心で泣きながら別れの言葉を紡いだのを。女ってのはね、本心を隠して男の前では平静を装うもんなのさ」
満子の言葉がストンと胸に落ちた。告白する時も上手く導いてもらったようなものだし、男らしく振舞うどころか常にリードされていたのかもしれない。あまりにも情けないと自分で自分を笑ってしまう。
「まいったね。まさか満子さんに女の何たるかをレクチャーされるとは思わなかったよ」
「アンタ、アタシを何だと思ってるのさ。見かけも心も乙女だよ」
「なら満子さんも心では泣いたりするのか」
「もちろんさね」
無駄にデカイ胸を張る満子の目の前で、よせばいいのに清春が余計な一言を口にする。
「豚汁」
「知ってるかい。女は鬼にもなれるんだよ」
「間違えた。豚汁は料理名。正確には肉汁」
「うおらァ!」
乙女が咆哮を上げ、掌底からのボディスラムを繰り出すものなのだろうか。
大樹の疑問はさておき、背中を強かに打ち付けた清春が苦悶の表情を浮かべてのたうち回る。
「坊やを必要以上に気落ちさせたくないのはわかるけど、アタシをだしにすんじゃないよ。しまいには本気で潰すよ」
大樹はハッとする。二人のやりとりを見ているうちに、ほんの少しだけ心が軽くなっていたからだ。
「こりゃ、いいな。ハハっ。とんだ慰め方もあったもんだ」
「フン。アンタにはお似合いだろ」満子が新しい煙草をぼってりとした唇に咥え、美味そうにふかす。「で、どうするか決めたかい?」
「ああ。楓にまで気を遣われたんだ。泣き言を言ってる場合じゃない。全力であの素直じゃない女を助けてやる!」
叫ぶように宣言した大樹を、どこか微笑ましそうに満子が見つめていた。
会話らしい会話もなく、大樹は両手でスクールバッグを持つ楓と、とぼとぼという擬音がお似合いな感じに歩く。
「ねえ……」
呟くような声で話しかけられた大樹は、しばらく俯き加減だった恋人を見る。
「私達、少し距離を置かない?」
「……別れるってこと、だよな。まあ……仕方ないか……」
彼女がいるというのに他の女子に誤解されかねない発言を連発し、ただでさえ警察の件で目立っているのにさらなる注目を浴びてしまった。愛想を尽かされるのも当然だった。
「俺から告白したってのにな……ごめんな……」
「違うのっ。大樹君のことはまだ好きよ。簡単に嫌いになんてなれないもの」
「じゃあ、どうして……」
瞳に涙を滲ませた楓が、住宅街の真ん中で立ち止まる。
「言われたんだ、愛美ちゃんに。交際している私と大樹君の邪魔をしたくないって」
大樹は黙って、楓の次の言葉を待つ。
「大樹君との交際はドキドキして凄く楽しい。でもね、せっかくなれた親友とこのまま疎遠になるのは嫌なの。できれば祝福してほしいなんて、我儘かもしれないけれど」
「そんなことは……ないだろ」
「うん……だけど、愛美ちゃんは私が大樹君と交際していると気を遣ってしまう。それはきっと、愛美ちゃんが大樹君のことを好きだからだと思うの」
清春にもそれらしいことを言われていたが、愛美と同じ女性の楓にも言われると信憑性がグッと増す。
もしかしたらと考えたことはあった。けれど最終的には気のせいだという結論に達し、そのうちに意識しなくなっていた。
「だから私は大樹君と一度離れるの。悲しいけれど。我儘なのはわかっているわ。でも、そうしないときっと私は前に進めない……」
「そっか……わかった」
あれだけ恋い焦がれていた女性なのに、別れを切り出されても比較的冷静な自分に大樹は驚く。
好意は確かにあって、好きかと問われれば躊躇いなく頷ける。だというのに、辿り着いた結末がこれだ。誰より自分がクズすぎて嫌になる。
「ありがとう。それじゃ、今日はここでお別れしよう。またね、大樹君」
にこやかに手を振り、太陽へ向かって立ち去るような楓に謝罪の言葉一つかけられない。
ちくしょうと小さく吐き、近くにあった電柱を殴る。皮膚が裂けそうな痛みが罪の証のような気がして、今の大樹に相応しいように思えた。
そこからどこをどう歩いたのか、気がつけば馴染みの店である万峰骨董店を訪れていた。眩しい日の光を嫌う薄暗い店内が、今日に限っては好ましい。
「あら、どうしたの。彼女ができて浮かれまくってると相棒から聞いてたけどね」
夏でも冬でも大差のない、露出度の高いキャミソール姿の満子のからかいに、大樹は顔をしかめて「さっき振られたばかりだよ」と返した。
「どうせ無理矢理迫って嫌われたんだろ。発情するなら時と場合を考えな」
「勝手に人を無法者扱いしないでくれ。色々と事情があるんだよ」
「そうかい。だったら奥で相棒と一緒に、慰めてくれるゲームでも探してきな」
満子との会話が聞こえたのか、いつもの大人なゲームコーナーから清春がひょっこり顔を出した。終業式の日だというのにここへ直行していたらしい。
「あいつ……毎日来てるんじゃないか……」
「見ない日はないね。下手すると午前と午後で来る日もあるよ。いつ良作が仕入れられるかわからないからだそうだ。あの手のゲームを買い取りしてるのはウチだけらしいからね」
「フラグが立ったか」
その動きはまさに疾風。瞬きをするたびに大きくなる清春がどこまでも真面目な顔で違うと繰り返し、大樹の眼前に迫る。
清春が十八歳になって以降、連日のようにカウンター前でだべられ、一般女性にとっては不可思議な単語も徐々に理解できるようになっていた女店主は、得意げに口端を上向かせる。
「アタシに会いたいがために通ってたのくらいお見通しさ。大人の魅力にメロメロなのは仕方がないけど、そんなに安くはないよ」
「高級豚肉」
「ぶっ殺す」
髪の毛がオーラとともに浮かび上がりそうな満子のラリアートを喰らい、清春がエロゲを両手で大事に抱えたまま床にひっくり返る。見事なまでに、体重の乗った一撃だった。
口から泡を吹いている清春の存在そのものを無視し、満子は荒い鼻息を巻き散らしながらレジカウンターへ大きな背中を預ける。軋んだような音が聞こえたのは気のせいだろう。
「アフターサービスってうるさいから、一応調べてやったよ。アンタの持ってる人形が、元は戦争で離れ離れになった男女のものだってのは前にカタログで見た通りだけど、どうやら手縫いの品みたいだね。アンタに売った理由まではわからなかったけどさ」
「……まさか、所有者の髪の毛で縫われてるとか言わないよな……」
「そんなホラーな品はさすがに先代も引き取らないだろ。とはいえ、個人の所有物を店に並べるのも珍しいけどね」
煙草に火をつけ、紫煙を宙にくゆらせる満子が目を細めた。
「相手が見つけるのを期待」
いつの間にやら復活した清春が、商品をレジに置く。
「かもしれないね。ま、本当の理由は不明さ。ただ、その人形が今はアンタの手元にあって、渡した相手の危機を知らせた。世の中には不思議なことがあるもんだよ」
ニヤリとした満子の前で、大樹はついぞ愛美に渡せなかった女児の人形を取り出す。
「そいつは例の人形だね。何でアンタが……ははあ、さては突っ返されたね。そういえばさっき振られたとかいってたね」
「……清春からどういう風に聞いてたんだ。夢に出てきた女と、別れたばかりの元彼女は別人だよ。前にここにも来てたことがあるだろ」
思い出したように、満子がああと手を叩く。
「あの綺麗な子かい。相手が悪すぎたねえ。アンタにゃ高嶺の花じゃないか」
「放っておいてくれよ、傷心中なんだからさ」
「たかだか一回振られたくらいで情けないねえ」
ハンと鼻で笑う女店主の隣で、会計を済ませた清春がさも当然とばかりに言う。
「さすが年季が違う」
「おだまりっ!」
懲りない清春を再び床に転がしたあとで、満子はカウンターに肘をついて、わざとらしく大樹に煙草の煙を吹きつけた。
「何すんだよっ」
「いつまでもしみったれた顔をしているからさ。で、別れた原因は何なんだい?」
「カウンセラーでもしてくれるのか。けど教える理由は……まあ、いいか。満子さんにも相談に乗ってもらってたしな。原因はほぼこいつだよ」
女児の人形をカウンターに乗せる。
どういうことだいと目で尋ねてくる女店主に、大樹は事のあらましを一から順に説明する。最近は楓とのデートを優先して、遊ぶ回数の減っていた清春も一緒になって聞いていた。
「ノイズの走る夢か。それはまた意味深だねえ」
「やはり人形がキーアイテム」
朝の教室でも清春には一度相談していたので、同じ回答が返ってくる。
満子がどういう反応を示すか気にしていると、予想外にも親友の意見に同意した。
「非現実的だけど常識を取っ払って考えれば、それが一番説得力があるね。恐らくはアンタが夢を見てる間に返しに来たんだろ。その子が遠ざかっていく最中だったから、夢が鮮明ではなくなった。誰かに話したら笑われるだろうねえ」
「死を回避させたのは事実」
短い清春の言葉には力が込められていた。満子は頷き、煙草の火を消して腕を組む。
「だから夢の内容は今後訪れる現実という前提で話してる。夏の間中にその子は海で溺れて死ぬことになる。アンタが何もしないとね」
射貫くような視線に、思わず身を竦ませてしまう。明確にされた死という単語に、どうしようもなく大樹の中の不安が騒ぎ出す。
「それにしたって、その子は死を呼びすぎだろ」
「本当は死ぬ運命だったのを回避したから?」
「……推測が当たってたら、生きている限り死神に付きまとわれるってことじゃないか。それじゃ、アンタ以外に面倒見きれないね」
満子と清春の会話を黙って聞きながら、大樹もまたひたすら考える。気にしすぎて楓から別れを告げられてもなお、悲しみより焦りを強く覚えている原因は一つだ。
「結末がどうなるにせよ、俺が黙っていられるわけがないんだ。最後まで足掻いてやるさ。心配をかける彼女はいなくなってしまったしな……」
「何言ってんだい、だからアンタは鈍いって言われるのさ。あの綺麗な子が距離を置きたがったのは、人形の子を助けるのに専念させてやるためだろうが」
「え?」
「間の抜けた声を出すんじゃないよ。呆れた子だね。アンタには聞こえなかったのかい。その子が心で泣きながら別れの言葉を紡いだのを。女ってのはね、本心を隠して男の前では平静を装うもんなのさ」
満子の言葉がストンと胸に落ちた。告白する時も上手く導いてもらったようなものだし、男らしく振舞うどころか常にリードされていたのかもしれない。あまりにも情けないと自分で自分を笑ってしまう。
「まいったね。まさか満子さんに女の何たるかをレクチャーされるとは思わなかったよ」
「アンタ、アタシを何だと思ってるのさ。見かけも心も乙女だよ」
「なら満子さんも心では泣いたりするのか」
「もちろんさね」
無駄にデカイ胸を張る満子の目の前で、よせばいいのに清春が余計な一言を口にする。
「豚汁」
「知ってるかい。女は鬼にもなれるんだよ」
「間違えた。豚汁は料理名。正確には肉汁」
「うおらァ!」
乙女が咆哮を上げ、掌底からのボディスラムを繰り出すものなのだろうか。
大樹の疑問はさておき、背中を強かに打ち付けた清春が苦悶の表情を浮かべてのたうち回る。
「坊やを必要以上に気落ちさせたくないのはわかるけど、アタシをだしにすんじゃないよ。しまいには本気で潰すよ」
大樹はハッとする。二人のやりとりを見ているうちに、ほんの少しだけ心が軽くなっていたからだ。
「こりゃ、いいな。ハハっ。とんだ慰め方もあったもんだ」
「フン。アンタにはお似合いだろ」満子が新しい煙草をぼってりとした唇に咥え、美味そうにふかす。「で、どうするか決めたかい?」
「ああ。楓にまで気を遣われたんだ。泣き言を言ってる場合じゃない。全力であの素直じゃない女を助けてやる!」
叫ぶように宣言した大樹を、どこか微笑ましそうに満子が見つめていた。
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