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第27話 困惑

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 期末テストも無事に終わり、あとは夏休みを待つばかり。

 毎日放課後に時間を見つけては、恋人になった楓が熱心に教えてくれたのもあって、大樹は赤点ギリギリどころか、クラスでも上から数えた方が早い優秀な点数を獲得できた。

 そのお礼も兼ねて、夏休み前の最後の日曜日に、大樹は楓を県内の遊園地へ誘った。

 生徒会の仕事も一段落していたらしく、二つ返事で了承してくれた楓は、目的地へ向かうバスに座る大樹の隣にいた。

 滅多に市外へ出ないのもあり、一緒になって窓から流れる風景を珍しげに眺める。

 人もまばらな田舎町と違い、県庁所在地へ近づくに連れて通行人の数が増え、比例するようにビルを見かける回数も多くなり、高さも一階また一階と上に伸びていく。

「着いたね」

 都会の超有名どころには規模も含めて遠く及ばないが、県内ではそれなりに有名だ。なにせ、子連れも多い遊園地といえばここくらいしか思い浮かばない。

「小学生の頃に遠足で来て以来だな」

 大樹が言うと、楓が花のような笑みをふわりと浮かべた。

「覚えているわ。大樹君、はしゃいでいたものね」

「そういう楓はジェットコースターを怖がって、友達とテニスをしていたんだっけ?」

「フフ、懐かしいわね。乗り物に飽きた大樹君たちも最後に合流したのよね」

 小学生時代の思い出を語り合い、最初は何に乗ろうかという話になった時、楓が不意に悪戯がバレた子供みたいに気まずそうな顔をした。

「実は私ね、ジェットコースターを怖がっていたわけではないの」

 怖がりだとばかり思っていたので、意外な告白だった。

 では、どうして小学生時代には乗らなかったのか。尋ねる前に教えてくれたのは、楓らしい理由だった。

「近くに知らない人が座るのが怖かったの。当時は今よりもまだ人見知りが激しかったから」

 小学校の入学式では泣きそうなのを堪えるのに精一杯で、気がついたら終わっていたなんて裏話も披露してくれた。

 その楓は、意外なことに大樹の手を引き、うふふと笑いながらジェットコースターの列に並ぶ。

 休日とはいえ夏休み前なのもあり、都会の遊園地ほどの混雑はない。どんなに人気のアトラクションでも三十分も待たずに乗れる。もっとも、待っている間は待っている間で、とりとめのない話ができるのでそれも嬉しかった。

 隣同士で乗ったジェットコースターが上昇していく最中にも、楓が手を握ってきた。交際を始めてわかったことだが、人見知りだからこそなのか、心を許した人間には甘えるような仕草をすることが多かった。

(これが愛美なら、逆に恥ずかしがって手なんか握れなさそうだよな)

 内心で苦笑した大樹は愕然とする。大好きな彼女とデート中だというのに、他の女子の事を考えるなど言語道断だ。

 だが深く懺悔する前に、落下を始めたジェットコースターの迫力によって、大樹の思考は停止してしまった。

 子供の頃は楽しんで乗っていたはずなのに、大きくなって乗ると恐怖を覚える。

 少し足取りをよろめかせる大樹の隣で、初めてジェットコースターに乗れたという楓は、この上ないほど瞳を輝かせていた。

「凄かったね。あんなにスリルがあるアトラクションだとは思わなかったわ。道理で好きな子は何度も乗りたがるはずね」

 明らかに興奮している彼女を前に、彼氏であれば決して素通りはできないだろう。ましてや小学生時代は楽しげに乗っていたという印象を持たれているのだ。

「もう一回……乗ってみる?」

「いいの? ありがとう、嬉しい」

 それは極上の微笑みだった。男子なら誰もが蕩けさせられる笑顔を独り占めにできていると思うだけで、心に巣食っていた微妙な感情を追い払うことができる。誰に聞いても、今の大樹は幸せ者だと言うだろう。

(なのに俺は……くそっ)

 約束した日から遊園地デートを楽しみにしてくれていた恋人のために、余計なことは忘れて楽しもうとしているのに、瞼を閉じれば必ずといっていいほど少し前に一度だけ見た夢の内容を思い出してしまう。

 昼になり、休憩スペースの丸テーブルに座る。緑地公園みたいな感じで、白と緑が彩り豊かに並んでいる。

 正午を少し過ぎてお昼にしようと誘われた大樹の前に、ハンカチで包まれた四角い箱らしきものが置かれた。

「自信はあまりないんだけど……お弁当」

「ま、まさか……手作り……?」

 照れ臭そうにコクンと頷く楓の愛らしさに、危うく魂が昇天しそうになる。よもや母親以外の女性の手料理を食べられる日が来るとは。

 感無量すぎてハンカチを解こうとする指が震える。と、そこでよせばいいのに思い出してしまう。牛乳箱にこっそりと返却されていた女児の人形を。あれも大切そうに、大樹があげたはずのハンカチで包まれていた。

 後日に確かめてみたが、他の子と二人でいると誤解されるよと言い、ろくに話も出来なかった。おかげで夢のことも告げられておらず、焦りと不安が日々積み重ねられていく有様だ。

「……大樹君、私に何か隠し事している?」

 驚いて否定するも、姿勢正しく座っている楓の目は欺けなかった。

「嘘をついてもわかります。大樹君、朝から時々、心ここにあらずみたいになっていますから」

 指摘を受けて、ヤバイと冷や汗を流す。愛美の件を何とかしようとする際も、危険だと言っているのに強引についてきたり、お淑やかな外見からは想像もつかない気の強さも持ち合わせている。

 特に言葉遣いが丁寧になった場合は、一層の取り扱いの注意を要する。

「ごめん。気を悪くさせるかもと思って言えなかったんだ」

 あくまでもシラを切ろうとすれば、余計にドツボにハマる危険性が高い。こういうケースでは素直に謝って白状するのが一番だ。

「実は……少し前にまた例の夢を見たんだ……」

 けれどこれまでとは少し事情が違ったことも含めて、ハンカチと人形の件以外は包み隠さずに説明する。

「そうだったのね。でも水臭いわ。以前の愛美ちゃんではないけれど、どんなに些細なことでもすぐに相談してほしかったな」

「そこは悪かった。俺も楽しみにしていたのもあってさ、せめて今日ぐらいは忘れて遊ぼうと思ったんだ」

 周囲への聞き込みで、事前に海へ遊びに行くような話がなかったのもある。加えて例の夢の海は、地元民の大樹でさえ知らなかった。

 となれば地元の浜ではなく県内のどこか、場合によっては県外という可能性も出てくる。

「日帰りで県外とかは難しいだろうし、事が起きるにしても夏休みじゃないかなと思った。でも、今回ばかりは自信がない」

「夢が鮮明でないと言っていたものね。なら、私から愛美ちゃんにそれとなく聞いてみる」

「見たのは一回きりだし、今度こそ単なる悪夢で終わってくれるといいんだけどな」

「それはそれで嫉妬しそう。私ではなくて、愛美ちゃんの夢ばかり見ているのだもの」

「え? あ……何ていうか……」

 しどろもどろになる大樹に、楓が軽く吹き出した。

「冗談よ。少し困らせてみたかっただけ」

 楓が悪戯っぽく、舌をチロリと出した。

 小悪魔チックな笑顔にドキリとすると同時に、またもやもやが大樹の心に戻ってきた。

 ずっと正体不明の感情だと思っていたが、ようやく理解できたような気がした。

 これはきっと罪悪感だ。

     ※

 徹底しているというべきか、愛美はあえて楓とも距離を取るようになっていた。

 悲しそうに楓が朝に教えてくれた今日は、もう一学期の終業式だった。

「どうしたもんか」

 終業式が始まる前、すでに事情を打ち明けている清春に相談する。

 例の夢を鬱陶しく思ったこともあったが、今になって考えれば繰り返し愛美の危機を知らせてくれていたのだ。おかげで大樹は、二度もクラスメートを失うかもしれない危機を乗り越えられた。

 以前に清春も言っていたが、例の人形が大樹に与えていたのは呪いではなく助力だったのである。

 それが今回は得られない。一度だけ見たノイズ混じりの夢が例の正夢じみたものだとすれば、取り返しのつかない事態になる。

「人形が重要アイテム」

「だよなあ」

 隣に立って、大樹を見下ろす清春の言葉に頷く。

 夢を見なくなったのは、例の人形の片割れを返却されてからだ。不可思議としかいいようがないが、自分と愛美の手元にそれぞれがあったからこそ、相手の危機を夢という形で知れていた。

「となれば、もう一度あいつに受け取らせないとだめなわけか」

「できるのか」

「難しいかもな。楓まで愛美に避けられてるみたいだし、一体あいつは何を考えてるんだよ」

「身を引く女の美学」

 大樹は首を傾げて聞き返す。

「身を引く? 何のことだよ」

 呆れ果てたようにため息をつく清春。「あれだけわかりやすいのに」

「そう言われてもな……って、まさか……いや、まさかな……」

 まさかを二回使うほど、その想定は大樹にとってありえないものだった。

「清春は愛美が俺を……って言いたいのか? それはないだろ。だったらどうして、楓と付き合えるようにしたんだよ」

「女心は複雑」

 二次元の異性にしか興味を抱かない親友に女心を語られるのは妙な気もするが、大樹が実際に目の前でわかりやすい態度を取ってもらえない限り、相手の微妙な心情の変化に気がつけない男なのは確かだった。

「女心について勉強するより実力行使が一番だな、俺の場合」

「こっそり隠して捨てられたら打つ手なし」

「う……まいったな。悪夢を見られないのを嘆くことになるとは……」

 肩を落としたところで時間は止まったりせず、着々と流れていく。

 退屈な終業式が終わり、戻ってきた教室で教師の話が済めばいよいよ夏休みに突入だ。例の人形を愛美に手渡すのであれば、ここしかない。

 教師の締めの挨拶を合図に、はしゃいだ声が室内に渦巻く。忙しなく教室を後にする生徒達の中に愛美はいた。

 急いで追いかけ、階段へ向かう愛美の手首を掴む。

「えっ……大樹……?」驚いて振り返った愛美が、さらに顔を驚きに染める。「楓なら教室でしょ。早く行ってあげなさいよ」

「お前に用があるんだよ」

 握った手首をひっくり返し、掌に家から持ってきた女児の人形を乗せる。

「お守り代わりに持っとけ」

 それだけ言って立ち去ろうとしたが、そうはさせじとすぐに突き返される。

「いらない」

「いいから持っとけって」

「いらないってば!」

 互いに引かないせいで徐々にヒートアップしてくる。必然的に声の調子も激しくなり、廊下で楽しげに今日の予定を話し合っていた生徒達の注目が集まる。その中には楓もいた。

「家に置いとけば、たいして邪魔にならないだろ」

「しつこいっ! 大体、その人形が大樹に悪夢を見せてたっていうなら、ない方がずっといいでしょ。あたしのことなんか気にしなくて済むし!」

 意固地になっている愛美に苛つき、売り言葉に買い言葉ではないだろうが、人形を持たせておきたいのもあって、大樹はここがどこかも忘れて叫んでしまう。

「気にしてしまうから困るんだよ。お前の夢が見られないと、安眠できないだろうが!」

「なっ――!?」

 途端に廊下で吹き荒れる口笛や野次。

 目の前でコント中みたいにどこか愉快なポーズで固まっている、茹蛸のごとく顔面を真っ赤にした愛美。

 一変した周囲の雰囲気に、さすがの大樹も我に返り、自分が何を口走ったのかに気づく。

 否定するのも取り消すのも逆に変な感じなので次の言葉を告げられず、あわあわと慌てるだけになってしまう。

 どうしたものかと解決策を探す大樹の目の前で、先ほどまで吊り上がっていた愛美の目が勢いを失ったように下がった。

「もう、やめてよ……また貰ったら、大樹との繋がりを嫌でも意識しちゃうじゃない……」

 両手で交互に涙を拭い、愛美はそれだけ言うと逃げるように駆け出した。

 虚を突かれたわけではないが、何故か大樹はすぐに追いかけられず、野次と怒声が木霊する廊下にしばらく立ち続けていた。
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