夢で死んでしまう君が、現実で死んでしまわぬように

桐条京介

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第16話 中毒

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 大樹は罪悪感に苛まれながらも楓の視線を振りきり、正門からではなく裏門からこっそり早退して、昨夜に家の近くだと愛美に教えてもらった地点まで徒歩でやってきた。

 細い路地を入った場所なので、車の往来はほとんどない。シャッターの降りた商店街以上の寂しさを感じる。

 ずいぶんとくたびれた一軒家が並び、狭い道路の右手側に、塗装などされていない外観の石造りみたいなボロアパートというか六軒長屋がある。

 壁には幾筋もの亀裂が走り、さほど大きくはないといえ、欠けている部分も一つや二つではない。

 築年数が五十を超えていそうな建物は、いつ建て替えになってもおかしくはなかった。

 表札なんてものはなく、昔懐かしい牛乳箱入れにまで郵便物を突っ込まれている部屋も幾つかある。

 その六軒長屋が四つほど奥へ向かって土の上に座している。合計で二十四部屋ある計算になるが、シンとしていて人が入っているのかどうかもわからない。

 勝手に郵便物を拝借するわけにもいかないので、このアパートが愛美の家かどうかも不明だ。やはり正確な住所を知らないというのは致命的だった。

「適当な人間についていっても、間違ってたら意味ないしな」

 近くの一軒家には基本的に表札がかけられていて、その中に瑞原という苗字はなかった。

 ますます六軒長屋に住んでいる可能性が高まったが、二十四分の一を一発で当てられる自信はない。大穴で、もっと路地を先へ進んだ場所だったなんてオチがつく危険性だってあるのだ。

 それでも物陰に隠れて張り込んでいると、一番手前の左から二番目のアパートから四十代と思われる男が出てきた。スーツ姿で手には鞄を持っている。これから出勤をするサラリーマンなのだろう。

 ずっとこの場で黙っていても仕方がないので、とりあえずこっそりと後をつけてみる。

 男が向かったのは会社――ではなく大通りの裏手側となる路地で隠れるように営業しているパチンコ屋だった。ジジジと電飾の切れるような音が鳴り、アルファベットの並ぶ看板は汚れまみれだ。

「さすがにあの人は違うか……」

 何故にビシッと決めているのかは不明だが、貧乏だという愛美の父親が真昼間からパチンコ通いしているとは思えない。

 一瞬だけここで働いているのかとも思ったが、従業員入口ではなく正面から堂々と入ったのを見てそうではないと理解した。

 仕方なしに戻って張り込みを続けるも時間はあっという間に過ぎ、空の青色が徐々に橙色へと変化し始める。衣替えの季節も近づいて、だいぶ日が長くなった。もたもたしていたら、バイトを終えた愛美が帰って来てしまうかもしれない。

「それならそれで家の場所はわかるけど、本当にストーカーみたいだよな……」

 第三者に目撃されて通報の憂き目にあったら、よくて停学だろう。自滅する前に帰るかと立ち上がる。ポケットに入れていたスマホが振動した。

「住所教える」

 ディスプレイで清春なのはわかっていたが、耳を当てるなりの言葉に驚きを隠せない。口から飛び出そうになった間抜けな声をなんとか飲み込み、平静を装って愛美のかを確かめる。

「小山内に聞いた」

 衝撃的な一言に続いて、代わると発した親友の声が劇的に変化した。

「大樹君、水臭いよ。私にも相談してほしかったな」

 拗ねた声まで可愛らしい。親友が女性化したのではなく、一緒にいるらしい楓が電話に出たのだ。おろおろしていると、もしかしなくとも愛美の住所を教えてくれた。

「アパートみたい。一〇二号室と言っていたわ」

「そ、そうか、ありがとう。清春に代わってもらっていいかな」

 再び電話に出た親友にどういうことか説明を求める。

「逃げたが追ってきた。黙秘の限界」

「それだけじゃ、さすがにわからないって」

「帰る前に目撃されたのが原因」

 大樹が早退する際に不審な態度を見せてしまったせいで、楓は理由を知りたがったのだろう。親友の清春に聞けば早いと考えたが、なかなかに口を割らない。それでも執拗に食い下がられ、すでに夢の一件を知っているのもあって観念した。

「……そんな感じか?」

「さすが」

 好きなこと以外は基本的に要点しか話さない清春との友人付合いを経て、いつの間にやら洞察力の鋭い人間になっていた。

 ため息をついていると、またしても楓の声が聞こえた。

「今度は私にもきちんと相談してね。女性だからこそ力になれることだってあるんだから。大樹君の助けになりたいの。この前、私がそうしてもらったように」

 淀みなくすらすらと言った楓は「これからそっちへ向かうね」と通告し、大樹が何かを言うより先に電話を切ってしまった。もしかしなくとも、巻き添えで清春も合流するだろう。

 愛美の正確な住所がわかったまではいいが、頭を抱えたくなる問題もある。

 そうであってほしくないという思いから除外したが、例のパチンコ屋へ行った中年男性が出てきた部屋こそ一〇二号室ではないのか。

 恐る恐るアパートに近づいて、ドア上の番号を確認する。間違いなく数字で一〇二と書かれている。一番手前の左から二番目。牛乳箱もドアの郵便受けも綺麗で、使用された形跡がほとんどない。

 もやもやした感情を吐息に混ぜて宙に放ち、足音を立てないようにこの場を離れる。数時間の滞在で慣れだした物陰でスマホゲームでもしようと考えたが、飛び込んできた悲鳴に意識を引っ張られる。

「喧嘩か?」

 声の感じからして比較的近い。電信柱に隠れるようにして、少しずつ近づく。

 駐車場すらないパチンコ屋のすぐ前で、スーツ姿の中年男性が見るからにガラの悪い男たちに絡まれていた。昔の映画でよくありそうなシチュエーションだが、迫力の凄さに今は令和の世だよと笑ったりもできない。

 サングラスをかけて、夏前なのに半袖アロハのいかつい男が、筋肉のついた腕で襟首を掴んだ男を引き寄せる。間近で睨み、金を返せと怒鳴りつける。

 もう少し待ってほしいと涙声のサラリーマン風の男を見て、大樹はゾッとする。

 悲鳴を聞いた直後からもしかしてとは思っていたが、本当に愛美の父親と思われる男が、被害者というか恐らくは借金取りに凄まれていたのである。

「き、きちんと返しますから」

「ふざけんな! そう言って夜逃げしやがったろうが! こっちはずいぶんと探させられたんだ。長年の利息もまとめて払ってもらうからな!」

「わ、わかりましたから、か、勘弁してください」

「勘弁したらまた逃げるだろうが! もうてめえにゃ期待してねえ。娘を働かせろ。店ならこっちが用意してやる」

 口角を吊り上げた借金取りの言葉に、男は蒼かった顔を白くさせる。見開いた目に涙を浮かべ、それだけはできないと繰り返す。

 ほんの少しだが大樹は安堵した。平然と娘を借金取りに引き渡すような父親だったなら、どうしようと思っていたところだ。

「嫁も多少は見栄えがいいし、母娘で働かせりゃ借金なんぞすぐに返せるだろうが。それとも、てめえが男見せてマグロ船に乗るか? あァ!?」

 両手で頭を抱えて「ひいっ」と小さくなる男。ひたすら謝罪をする姿は傍目にも惨めで、ああはなりたくないと心から思ってしまう。

「まあ、いい。とりあえず今日の利息だけでも払えや。てめえの嫁の職場に行ったが、足りねえんだわ」

「なっ!? あ、あんたら妻のとこにまで……」

「金返さねえで、嫁や娘の稼いだ金を博打に注ぎ込むクズが偉そうに抗議か。あァ!?」

 頭突き一発で男は何も言えなくなり、地面に蹲る。借金取りは容赦なくスーツの懐やズボンのポケットをまさぐり、財布とは別に数枚の札を奪い取る。

「景気よく勝ったみたいじゃねえか。これなら数日分の利息にはなるな。だが、元金の返済には全然足りねえんだ。返せねえなら娘に話つけとけや。あれは金になる」

 本当に現代かという光景に、大樹は唖然とする。借金取りは隠れているところとは逆方向に歩き去り、残された男はズボンについた砂を払ってのろのろと立ち上がった。

「せっかく勝ったのに……もう一回増やさないと……」

 愛美の父親と思われる男が、脱いだ靴から取り出したのは一枚のお札だった。こういう事態を見越し、隠しておいたらしいお金を握り締めて、躊躇いなくパチンコ屋へ戻ろうとする。

 慌てて大樹は男の前に出る。「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」

「ん……? その制服は愛美と同じ……」

「そ、そうです。同級生です。あの……先ほどの人は……」

「あ、ああ……恥ずかしいところを見られてしまったね」愛美の父親が渇いた笑い声を響かせる。「昔の知り合いでね。今日は機嫌が悪かったらしい」

 見た目の印象は悪くなく、嘘のつきかたも壊滅的に下手くそだ。およそ悪事を働けるような人間ではなさそうなのに、どうして悪夢のような展開になるのか。

「そ、そうですか……い、いえ、そうじゃないです」

 黙っていようとも思ったが、事なかれ主義では問題を解決できない。殴られる結果になったとしても、誰かが死んだり不幸になるのを見せられるよりはマシだと考えた。

「あ、あのっ。失礼ですけど、借金ありますよね?」

「なっ……ほ、本当に失礼だね」

「すみません。でも、その聞こえてしまったんです。娘――愛美さんをその……」

 男の顔を染めかけていた怒りが急速に萎えていく。納得したように、呻くように「ああ……」と言って自身の前髪を掻き乱す。

「はは……格好悪いところを見せてしまったね。そうか……愛美を心配してくれたんだね。あの子は学校で楽しくやっているかな……」

「はい。友達も多いですし」

「そうか……」

 瞼を閉じ、小さくそう言うと、男は大樹に背中を向けた。大きいはずなのに、とても小さく見える背中を。

「もう帰りなさい。君が心配することではないよ。私たちの家庭の問題だからね。それに今でもアルバイトをして頑張ってくれている愛美に、これ以上何かをさせるつもりはないよ」

 言っていることは正論で多少なりとも好感を持てるが、信用はできない。何せ会話の最中も、大樹より途切れ途切れに看板を光らせるパチンコ屋を気にしているのだから。

「家に……帰るんですよね」

「君に何か関係あるのかな?」

「借金があるのならパチンコをするより、仕事をした方がいいですよ」

「学生に何がわかるっ!」

 それまでの穏やかな態度が一変し、胸倉を掴まれて近くの民家の門壁に背中を叩きつけられる。鋭い痛みに咳がこぼれ、背中から突き抜けるような胸の痛みに苦悶する。

「必死で働いても上手くいかないことだってある! 現実逃避をして何が悪いっ! 親から養われるしか能のない子供が偉そうに言うな!」

 何度も背中を痛打させられ、脳が揺さぶられて吐き気を催す。

「私はもっとできるんだ。こんなところで終わらない。今は時期が悪いだけなんだ!」

 呼吸が荒くなるまで暴れて少しは落ち着いたのか、ぐったりしている大樹を見て、男は我に返ったように慌てた。

「こ、これに懲りたら、今後は大人に生意気な口をきかないことだ!」

 半身で指を差し、吐き捨てるように言うと前方にあるパチンコ屋へと走っていく。完全に中毒者だ。大樹は息を吐き、ずるずるとその場に崩れ落ちる。

「大樹君!?」

 男がいなくなって数分後、大樹を探していたらしい楓と清春がやってきた。疲れ果てたように座り込んでいる姿を見て、心配そうな表情を浮かべる。

「大丈夫か」

「ああ……ちょっとひと悶着あってな。今回は苦労しそうだよ……」

 親友の肩を借りて起き上がる。直接殴られたわけではないが、石門に打ち付けられた背中がまだズキズキと痛む。不幸中の幸いか、骨が折れてはいないみたいだった。

「何があったの? 誰かに襲われたりしたの?」

 不安から今にも泣きそうな楓へなんとか微笑んで見せ、先ほどの出来事を説明する。

「パチンコ中毒。本当に厄介」

「注意されて辞められるくらいなら、そこまで夢中にならないだろうしな」

 以前の会話で、ちらっと愛美は祖母の手助けを受けていると漏らした。こういう状況であれば、恐らくは金銭面の援助だろう。どう言えばいいのかと、楓も心苦しそうに俯いている。

「今日は帰るか。暗くなってきたし、利息分の返済はとりあえずできたみたいだしな」

 今夜中に愛美が不埒な店で働かされる確率は低いだろう。そう説明して大通りの方へ歩く。

 道中、見た夢の説明を改めてする大樹の言葉を、親友も楓も黙って聞いていた。
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