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第5話 正夢
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梅雨が来る前にひと踏ん張りと言いたげな太陽に照らされ、大樹は二クラス合同での体育に臨んでいた。
B組はB組で、六時間目に体調不良を起こした教諭の教科だったらしい。不幸中の幸いというべきか五時間目を次に回しても問題がなかったようで、こちらは五時間目と六時間目の科目を急遽取り替えて体育を行うことになったのだという。
体育教師の手配がつかなかった女子は自習。どうしようか話し合った末に、男子の見学でもしようという話になったらしかった。
野球部と親しい女子は奥のグラウンドへ応援に行き、そうでもない者は校舎に近い手前側でソフトボールの見学を行っている。
二本あるグラウンド横のクスノキの下で、大樹は見た夢同様に親友と一緒に涼んでいる。不気味さがあったので野球に参加しようかとも思ったが、せっかくだから夢の通りにしてみようと清春が提案したのである。
大樹は最初、反対した。外れればやっぱり単なる夢だったと笑い飛ばせるが、当たった時はどうすればいいのかわからなくなる。今朝程度の内容ならどうとも思わないが、昨日は事故死する現場を夢の中で見せられているのだ。
それでも最終的に了承したのは、親友が本気で心配してくれているのがわかったのと、大樹自身が心のどこかで結果を知りたがっていたからだった。
「ふふっ、こんなところで涼んでるなんて、いけない大樹君ね」
その台詞を聞いた瞬間、ぞわりと背筋が粟立った。
振り返った大樹を覗き込む楓の笑顔は、夢の中とまったく同じだった。
すべやかそうな頬を流れるライトブラウンの髪が、新雪を連想させる白い細指で耳へと掻き上げられる。
――さっきの台詞に、この仕草。まさか……だよな。
狼狽える大樹が探すのは、常日頃から事ある毎に絡んでくる少女。
もう一本のクスノキの下。騒ぐ数人の女性で作られた楽しそうな輪の中に彼女はいた。不意に目が合うと、遠目でもわかるくらいにフンと鼻を鳴らすように顔を逸らした。
腕組みをして、不機嫌さを露わにする愛美の頭上の葉が揺れ、小さな黒い塊としか思えなかった何かが彼女の肩に落ちる。
「け、毛虫っ!? ちょ、え、うわっ!」
突然の出来事に冷静さを失った愛美は、ジャージに包まれたふくよかそうなヒップを地面に落とした。
思わず大樹は呻く。「嘘だろ……」
双眸を見開く大樹に、心配そうな周囲の視線を振り払うように立ち上がった愛美が、勢いそのままに大股で歩み寄る。
「笑ったでしょ」
起きれば忘れるのが大半なのに、何故か今でもはっきり覚えている夢の一幕。油の切れた機械みたいに、ぎこちなく首を動かして隣に座っている親友を見る。
「……成立中のフラグは壊せない」
なかなか素直に感情を表に出さない親友が、大樹の台詞を聞いていつになくギョッとする。その目はどうして考えていることがわかったといっていた。
一方で愛美は転んだ気恥ずかしさを誤魔化すかのように、感情を爆発させる。
「ふざけてないで、質問に答えなさいよ。さては不幸が降り掛かる呪いをかけたわね!」
少しばかり台詞が変わっているような気もするが、展開はまったく同じ。夢ではここで大樹が切れそうになり、目を覚ました。
今度はそうならない。紛れもなく今は現実の時間だ。
「呪い……? まさかな」
「ちょ、本気にしてるわけ? ああ、もう。なんか調子狂うなあ」
太陽の光で天使の輪を描く短い黒髪を片手でくしゃりとさせながら、愛美は顔をしかめた。
※
「なあ、骨董品で呪われてるものとかあったりするのか?」
珍品なんかも扱う昔馴染みの骨董店に、大樹は放課後になると同時に清春を伴って訪れた。ドアを開けるなりの第一声が、先ほどのものである。
「……何だい、来るなり藪から棒に」
薄暗い店内でカウンターに肘をついて煙草を吸っていた、見る者に苦痛を与える扇情的な服装の中年女性が目を瞠る。
「知りたいんだ。例えば悪夢が現実になるものとか」
強い剣幕でレジカウンター前に立った大樹に、少しは落ち着けとばかりに煙草の煙が吹きかけられた。
たまらずむせる大樹を、呆れたように背の低い満子が見上げる。
「テレビにでも毒されたかい? 曰くつきの骨董品なんてそうそうあるわけないだろ。呪いたい相手がいるなら、他をあたりな」
露骨につまらなさそうにする中年の女店主に、いつになく大樹は食って掛かる。
「呪われてるのは俺なんだよ!」
「はあ? ちょっと、説明」
このままでは話にならないと判断したのか、満子が尋ねた相手は清春だった。
「悪夢が現実になるフラグ」
大仰にため息をついた満子が頭でも抱えたそうに、灰皿で煙草の火を消す。
「フラグってのがよくわからないけど、要するに予知夢みたいなもんかい?」
パッと顔を上げた大樹は、勢いよく脂肪で垂れ下がり気味な女店主の顔を指差した。
「それだっ」
「だから落ち着きなって。頭から水をぶっかけられたくなけりゃね」
満子の気の強さを幼少時から知っている大樹だ。本当にやられかねないので、意識してなんとか声のトーンを落とす。
「悪い。ちょっと焦りすぎた。でもさ、いまだに信じられないんだよ。見た夢がそのまま現実になるなんて、あり得ないだろ」
改めてここ二日の出来事を説明すると、満子は興味深そうに「ふうん」と鼻から声を出した。
「そりゃ、予知夢ってより正夢だね」
「何が違うんだ?」眉間に皺を寄せて大樹は聞き返した。
「簡単に言うと正夢は現実になる夢。予知夢は未来に対するサインのようなものと言われてる。あくまで一説で、それが正しいかどうかはわからないけどね」
正夢も予知夢も同じだと思っていた大樹は素直に感心する。
「よく知ってるな」
「本か何かで読んだのをたまたま覚えてただけさ。正夢ってのは内容の隅々まではっきり覚えてるらしいからね。アンタの話を聞いた限りじゃ、そうじゃないかと思ったんだよ」
芋虫にも似た指で、満子は新しい煙草を腫れぼったい真っ赤な唇へと持っていく。
「繰り返し同じ内容の夢を見ることもあるらしい。気をつけな……と言っても、偶然の可能性が高いと思うけどね、アタシは」
話が一段落し、中古のゲームを物色しに行くという清春の背中を見送る。
煙草の煙で作った灰色の輪を幾重にも重ねて立ち上らせる女店主に、真顔で大樹は尋ねる。
「最初の話の続きなんだけど、満子さん……俺を呪ってないよな」
「そいつは面白いね。機会があったら試させてもらうよ。そうすりゃ冷やかしだけでなく、何か買うようになるかもしれないしね」
不敵に笑う満子に、おどけた様子で肩を竦めて見せる。
「悪夢を見ないお守りがあれば、小遣いを全部はたいてでも買うよ」
そうすれば悩まなくても済むと付け加え、大樹は顔に苦笑を張りつけた。
※
渇いた大気に凄惨な破裂音が轟く。
真っ青な空と同じ顔色になった運送トラックの運転手が、必死の形相でハンドルを操作する。
しかし傾いた車体を立て直せず、慌ててブレーキを踏んだ影響で今度はタイヤがスリップした。断末魔の叫びにも似た高音が、空気を掻き分けるように天へと昇っていく。
激突した信号柱を無残に変形させながら、古びた野球場のフェンスへ向かっていく巨大な車体はまさに凶器。
突然の出来事に立ちすくみ、その光景を黙って見ていることしかできなかった。
大樹も。
――驚きと恐怖で、目の見開きを大きくしていく少女も。
黙って見ていることしかできなかった。
瑞原愛美と呼ばれていた同級生が、物言わぬ肉塊に変えられてしまう惨劇を。
血に染まるアスファルト。
言葉もなく崩れ落ちる運転手。
慌ただしくやってくる救急隊員。
担架に乗せられて、運ばれていく膨らんだブルーシート。
戻らない現実感に呆然自失としていた大樹は、呼吸すら忘れてその場に立ち尽くしていた。
B組はB組で、六時間目に体調不良を起こした教諭の教科だったらしい。不幸中の幸いというべきか五時間目を次に回しても問題がなかったようで、こちらは五時間目と六時間目の科目を急遽取り替えて体育を行うことになったのだという。
体育教師の手配がつかなかった女子は自習。どうしようか話し合った末に、男子の見学でもしようという話になったらしかった。
野球部と親しい女子は奥のグラウンドへ応援に行き、そうでもない者は校舎に近い手前側でソフトボールの見学を行っている。
二本あるグラウンド横のクスノキの下で、大樹は見た夢同様に親友と一緒に涼んでいる。不気味さがあったので野球に参加しようかとも思ったが、せっかくだから夢の通りにしてみようと清春が提案したのである。
大樹は最初、反対した。外れればやっぱり単なる夢だったと笑い飛ばせるが、当たった時はどうすればいいのかわからなくなる。今朝程度の内容ならどうとも思わないが、昨日は事故死する現場を夢の中で見せられているのだ。
それでも最終的に了承したのは、親友が本気で心配してくれているのがわかったのと、大樹自身が心のどこかで結果を知りたがっていたからだった。
「ふふっ、こんなところで涼んでるなんて、いけない大樹君ね」
その台詞を聞いた瞬間、ぞわりと背筋が粟立った。
振り返った大樹を覗き込む楓の笑顔は、夢の中とまったく同じだった。
すべやかそうな頬を流れるライトブラウンの髪が、新雪を連想させる白い細指で耳へと掻き上げられる。
――さっきの台詞に、この仕草。まさか……だよな。
狼狽える大樹が探すのは、常日頃から事ある毎に絡んでくる少女。
もう一本のクスノキの下。騒ぐ数人の女性で作られた楽しそうな輪の中に彼女はいた。不意に目が合うと、遠目でもわかるくらいにフンと鼻を鳴らすように顔を逸らした。
腕組みをして、不機嫌さを露わにする愛美の頭上の葉が揺れ、小さな黒い塊としか思えなかった何かが彼女の肩に落ちる。
「け、毛虫っ!? ちょ、え、うわっ!」
突然の出来事に冷静さを失った愛美は、ジャージに包まれたふくよかそうなヒップを地面に落とした。
思わず大樹は呻く。「嘘だろ……」
双眸を見開く大樹に、心配そうな周囲の視線を振り払うように立ち上がった愛美が、勢いそのままに大股で歩み寄る。
「笑ったでしょ」
起きれば忘れるのが大半なのに、何故か今でもはっきり覚えている夢の一幕。油の切れた機械みたいに、ぎこちなく首を動かして隣に座っている親友を見る。
「……成立中のフラグは壊せない」
なかなか素直に感情を表に出さない親友が、大樹の台詞を聞いていつになくギョッとする。その目はどうして考えていることがわかったといっていた。
一方で愛美は転んだ気恥ずかしさを誤魔化すかのように、感情を爆発させる。
「ふざけてないで、質問に答えなさいよ。さては不幸が降り掛かる呪いをかけたわね!」
少しばかり台詞が変わっているような気もするが、展開はまったく同じ。夢ではここで大樹が切れそうになり、目を覚ました。
今度はそうならない。紛れもなく今は現実の時間だ。
「呪い……? まさかな」
「ちょ、本気にしてるわけ? ああ、もう。なんか調子狂うなあ」
太陽の光で天使の輪を描く短い黒髪を片手でくしゃりとさせながら、愛美は顔をしかめた。
※
「なあ、骨董品で呪われてるものとかあったりするのか?」
珍品なんかも扱う昔馴染みの骨董店に、大樹は放課後になると同時に清春を伴って訪れた。ドアを開けるなりの第一声が、先ほどのものである。
「……何だい、来るなり藪から棒に」
薄暗い店内でカウンターに肘をついて煙草を吸っていた、見る者に苦痛を与える扇情的な服装の中年女性が目を瞠る。
「知りたいんだ。例えば悪夢が現実になるものとか」
強い剣幕でレジカウンター前に立った大樹に、少しは落ち着けとばかりに煙草の煙が吹きかけられた。
たまらずむせる大樹を、呆れたように背の低い満子が見上げる。
「テレビにでも毒されたかい? 曰くつきの骨董品なんてそうそうあるわけないだろ。呪いたい相手がいるなら、他をあたりな」
露骨につまらなさそうにする中年の女店主に、いつになく大樹は食って掛かる。
「呪われてるのは俺なんだよ!」
「はあ? ちょっと、説明」
このままでは話にならないと判断したのか、満子が尋ねた相手は清春だった。
「悪夢が現実になるフラグ」
大仰にため息をついた満子が頭でも抱えたそうに、灰皿で煙草の火を消す。
「フラグってのがよくわからないけど、要するに予知夢みたいなもんかい?」
パッと顔を上げた大樹は、勢いよく脂肪で垂れ下がり気味な女店主の顔を指差した。
「それだっ」
「だから落ち着きなって。頭から水をぶっかけられたくなけりゃね」
満子の気の強さを幼少時から知っている大樹だ。本当にやられかねないので、意識してなんとか声のトーンを落とす。
「悪い。ちょっと焦りすぎた。でもさ、いまだに信じられないんだよ。見た夢がそのまま現実になるなんて、あり得ないだろ」
改めてここ二日の出来事を説明すると、満子は興味深そうに「ふうん」と鼻から声を出した。
「そりゃ、予知夢ってより正夢だね」
「何が違うんだ?」眉間に皺を寄せて大樹は聞き返した。
「簡単に言うと正夢は現実になる夢。予知夢は未来に対するサインのようなものと言われてる。あくまで一説で、それが正しいかどうかはわからないけどね」
正夢も予知夢も同じだと思っていた大樹は素直に感心する。
「よく知ってるな」
「本か何かで読んだのをたまたま覚えてただけさ。正夢ってのは内容の隅々まではっきり覚えてるらしいからね。アンタの話を聞いた限りじゃ、そうじゃないかと思ったんだよ」
芋虫にも似た指で、満子は新しい煙草を腫れぼったい真っ赤な唇へと持っていく。
「繰り返し同じ内容の夢を見ることもあるらしい。気をつけな……と言っても、偶然の可能性が高いと思うけどね、アタシは」
話が一段落し、中古のゲームを物色しに行くという清春の背中を見送る。
煙草の煙で作った灰色の輪を幾重にも重ねて立ち上らせる女店主に、真顔で大樹は尋ねる。
「最初の話の続きなんだけど、満子さん……俺を呪ってないよな」
「そいつは面白いね。機会があったら試させてもらうよ。そうすりゃ冷やかしだけでなく、何か買うようになるかもしれないしね」
不敵に笑う満子に、おどけた様子で肩を竦めて見せる。
「悪夢を見ないお守りがあれば、小遣いを全部はたいてでも買うよ」
そうすれば悩まなくても済むと付け加え、大樹は顔に苦笑を張りつけた。
※
渇いた大気に凄惨な破裂音が轟く。
真っ青な空と同じ顔色になった運送トラックの運転手が、必死の形相でハンドルを操作する。
しかし傾いた車体を立て直せず、慌ててブレーキを踏んだ影響で今度はタイヤがスリップした。断末魔の叫びにも似た高音が、空気を掻き分けるように天へと昇っていく。
激突した信号柱を無残に変形させながら、古びた野球場のフェンスへ向かっていく巨大な車体はまさに凶器。
突然の出来事に立ちすくみ、その光景を黙って見ていることしかできなかった。
大樹も。
――驚きと恐怖で、目の見開きを大きくしていく少女も。
黙って見ていることしかできなかった。
瑞原愛美と呼ばれていた同級生が、物言わぬ肉塊に変えられてしまう惨劇を。
血に染まるアスファルト。
言葉もなく崩れ落ちる運転手。
慌ただしくやってくる救急隊員。
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