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第16話 それは仲裁と言わないだろ

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「はあ!? 何を考えてんのよ!」

 女性に夜這いされるという衝撃的な展開から一夜明け、ろくに眠れなかったカケルは、一晩かけて考えたことを女商人に相談した。その返しが、先ほどの怒声である。

「ロスレミリアでも木版技術が広まれば、小説の人気がさらに高まるかもしれないだろ」

「アタシが問題にしてるのは、アンタがそれを無料でやろうとしてることよ!」

 宿屋の食堂の正面に座るアーシャが、木製のテーブルを両手で強く叩いた。

 朝食中なのもあり、顔を揃えている他の面々の食器がガチャリと揺れた。

「実績が乏しいのに利用料を設定したら、試してみようと考える人も少なくなるだろ」

「それでも誰かしらは試してみるわ。便利さに気づき、噂が広まれば、値上げをしても十分に販売が見込める。アンタの木版技術にはそれだけの価値があるの!」

「十分に広まらなければ宝の持ち腐れだろ」

「だから、その宝を大事に切り売りしなさいって言ってんのよ!」

 椅子から立ち上がったアーシャが、より怒りを募らせる。

「アンタの思想がどんなに立派でも、周りは違うのよ! 無償の奉仕が世のためになるなんて考えてるなら、勘違いも甚だしいわ! むしろ毒でしかないわ!」

「毒って、そこまで言う必要ないだろ!」

 さすがにカチンときたカケルも立ち上がると、これまで黙って聞いていたリアがスープを飲んでいたスプーンをテーブルに置いた。

「他に客がいないとはいえ、騒々しくしすぎだ」

「まったくであります」

 主に同意する侍女のセベカを横目で見て、昨夜の出来事を思い出したカケルは、反射的に言葉を失ってしまう。

 だが、怒りを漲らせたままのアーシャには関係なかった。

「夜中に男の部屋で騒々しくする女に言われたくないわよ!」

 勢いよくセベカを指差したアーシャの言葉に、カケルは口に含んでいた水を吹き出した。

(気づいてたのかよ!)

 リアの刺さるような視線を感じ、動揺を露わにするカケルとは対照的に、昨夜の美しき襲撃者は一切動じない。

「扉の陰でこそこそしていたのはアーシャ殿でありましたか。あのような夜更けに、恋仲の自分以外に、誰がカケル殿の動向を窺っていたのか不思議に思っていたのであります」

「た、体調不良になられたら困るから、少しばかり心配してあげただけよ!」

 必要以上に顔面を真っ赤にされれば、もしかしてと淡い期待を抱いてしまう。誰より金に執着する女商人だけに、言葉通りの可能性が高いのだが。

「フッ、ここは英雄たる僕が仲裁してあげようじゃないか」

 剣呑とした雰囲気をものともしないクオリアが、口元を布で拭きながら立ち上がる。

「せっかく勝負をすることが決まっているのだ。君たちもそこで決着をつけるといい」

「それは仲裁と言わないだろ」

 リカ・セダというペンネームを持っているセベカとは違い、アーシャは小説を書いたことすらない。現代日本より一冊のページ数が少ないとはいえ、初心者にはまず無理だ。

「お金が大切と言いながら、自分では何も生み出せない女とは勝負にならないであります。アーシャ殿もそう思うでありますよね?」

 恐らくわざとだろう挑発を、頭に血を上らせているアーシャはスルーできなかった。

「上等だわ! やってやるわよ! 目にもの見せてやるから覚悟してなさい!」

     ※

 誰より先に食堂から出て行ったアーシャを、カケルはすぐに追いかけた。

 最初は部屋に入れたがらなかったが、執拗にドアを叩き続けた結果、何とか面と向かって会話をする機会を得られた。

「愚かな真似をしたなと笑いにきたわけ?」

「アーシャに協力したくてきたんだ。事の発端は俺だしな」

 周囲の目があるところで相談さえしなければ、二人の喧嘩で終わっていた。

「生憎だけど、アタシは一人で書くわ。アンタの力を借りたら、あの女の言い分を認めるようなものじゃない」

「アーシャ一人で何十ページの文章を書けるのかよ」

「当たり前よ。アタシにかかれば――」

「――簡単に言うな!」

 アーシャがビクッと肩を揺らした。

「前に商売を舐めるなと言われたが、それと同じだ。簡単そうに見えてるのかもしれないけど、経験のない人間が一冊丸ごと書ききれるほど甘くないんだよ」

「だったら、どうすればいいって言うのよ!」

 アーシャが半ばキレ気味に叫んだ。

「もっとも簡単なのは、勝負から降りることだ」

「無理ね」

 即答だった。

「商人としてじゃなく、女の意地よ。惨敗するとしても、逃げるのは嫌」

「なら絵本を書けばいい」

「絵本?」

 きょとんとしたアーシャからは、一時的に怒りの感情が消えていた。

「読んで字の如く絵の本さ。絵を基本軸にして、それを補足する文章を書くんだ。見開きの左側に絵、右側に文章にすれば書く量は減る。さらに文字が読めなくても、ある程度は内容が理解できるから、子供たちが喜ぶ可能性がある」

「……確かにそうね」

「狙いを子供に絞るなら、助けた犬に恩返しされるとか、わかりやすい話がいいと思う」

「アンタの言いたいことは理解したわ。それならアタシに勝ち目が出てくるのもね」

 でも、とアーシャは目を細める。

「アタシを支援したところでアンタに得はないでしょ」

「この世界は損得だけじゃないだろ」

 心からの言葉だったが、やはりアーシャの顔つきが険しくなる。

「損得がすべてよ。アタシは無償の援助なんて認めない。お優しいアンタが困ってる人間を助けたところで、そいつらは逆の立場になったらアンタをあっさり見捨てるわ」

「だろうな」

 カケルが頷くと、別の答えを期待していたのか、アーシャがポカンとした。

「契約してるわけじゃないし、見返りを期待してるわけでもないしな」

「――ッ! アンタはそれでよくても、家族がいたらどうすんのよ! 辛い目にあわせて平気なの!? バカじゃないの!」

 矢継ぎ早の怒声に怯むも、目は逸らさない。なんとなくだが、ここで逃げたらアーシャとは二度と心を通い合わせられないような気がした。

「平気じゃないな。だから事前に話をすると思う。一緒に苦労したくないと言われれば、その時に持ってる財産を渡して……ううん、難しい問題だな」

 腕を組んで天井を見上げる。好き合って家族になった相手と離れたくはないが、希望も貫きたいとなれば、どうしても辛い決断を迫られることになる。

「何も難しくなんてないわ。そういう状況を作らなければいいだけよ。だからアタシはお金を優先する! 人間と違って裏切らないもの。一緒にいてくれるもの!」

 アーシャの奥歯がギリッと鳴った。

「どんなに崇高な志も、自分に返ってこなければ意味がないわ! 搾取されて終わりよ!」

「そうかもしれない。けど俺は、金よりアーシャが大切だから助けたい」

「は?」

 またしてもアーシャは唖然とし、

「アンタ、何人も恋人を作りたいタイプ?」

 その後、ドン引きした。

「誰もそんなこと言ってないだろ! 身包み剥がされたりはしたけど、色々とアーシャの世話になってるからだよ!」

「そ、それは取引だからよ。商人として当然の心掛けだわ」

「あの時の俺が生きてくには、ある程度の金が必要だ。なのに売れそうなのは珍しい服だけで、本人に危機感もない。解決するために力業に出たはいいが、申し訳なさもあって少なからず面倒を見ることにした。想像通りなら、アーシャも十分、お人好しじゃないか」

 見る見るうちに赤面する女商人が、照れを隠すように鼻を鳴らす。

「アンタの気のせいよ!」

「後でクオリアの親父さんに聞いたけど、あの服を買い取った金額はアーシャの申告よりも少なかったぞ。それに俺にもできる仕事を与えてほしいと村人に頭を下げてたみたいだし。普通、初対面の一文無しにそこまで世話を焼かないだろ」

「……フンだ。アンタって性格悪いわよね」

「きっと性悪守銭奴と一緒にいるからだな」

 むーっと頬を膨らませるも、アーシャは耐え兼ねたように吹き出した。

「だったらもっとお金に執着してもいいのにさ」

 緊迫した空気が霧散していく。説得が成功したのを受け、カケルは心から安堵した。

「ねえ、ここまでがアンタの小説だとしたら、勝負の結果はどうなるの?」

 少し悩んで、カケルは満面の笑みを作る。

「子供の人気を得ようとしたはずなのに、どこかの女商人が金にまみれた物語を書いて、ドン引きされて最下位になるな」

「だったら、是非とも違う結末にしてあげるわ」

 ウインクするアーシャの声も表情も、ロスレミリアに着いてから一番明るかった。

「そのためにも、まずは木版技術をロスレミリアの商人に教えてこないとね。こうなったら、アタシの絵本でその分の損失を丸まる補ってやるわ」
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