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第15話 前に進むしかないんだよな

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 静けさを取り戻した室内に、カリカリという音が響く。

 用意された羊皮紙に、カケルとリアレーヌが並んで羽ペンを走らせていた。

「前からお主の小説は他の者のと比べて、読みやすいと思っていたのだ」

 書き終えた部分を見直し、リアレーヌが感心するように言った。

「冒頭を一文字分空けたり、括弧で台詞を表現するなど、様々な工夫のおかげだな」

 カケルには当たり前でも、小説という文化自体がまだまだ新しいこの世界では、十分に技法も発達していない。リアレーヌみたいな感想を持つのもある意味では当然だった。

「お主は将来、小説の父と呼ばれるかもしれぬな」

「ユキオさんみたいにか。実感はないし、なんだか恥ずかしいから勘弁してほしいな」

 頭を掻いたカケルを見て、王女が頬を緩めた。

「どうかしたか?」

「だいぶ普段通りに戻ってきたな」

「夢中で書いてたからかな。世界は違っても、やることは変わってないし。それこそ前に進むしかないんだよな」

「フッ、随分と男らしい顔になったではないか」

「……まさか子供にそんな台詞を言われるとは……」

 リアレーヌが「む」と不服そうに唇を尖らせる。

「お主の隣にいるのは、幼くとも王女なのだがな」

「そういやそうだった……って、俺、ずいぶん気安い口をきいてるけど、後で罰せられたりすんの?」

 恐る恐る質問すると、年下の王女はからからと笑った。

「それも一興と言ってみたいところではあるが、わらわは王家の権力を振り翳すのは好きではない。王族として生まれたからこそ、責任を果たしているだけにすぎぬ」

「その割には、越境の許可証を出す見返りに、俺に小説を書かせたけどな」

 ギクリと小さな肩が震える。

「……わらわは子供なので難しい話はわからぬ」

「うわ、便利な逃げ方したよ」

「フ。わらわの知性を甘く見てはならぬぞ」

 勝ち誇る姿がまた愛らしい。妹や娘などいないカケルだが、リアレーヌを見ていると、何故か庇護欲をそそられる。

「くだらぬ問答はさておいても、わらわに丁寧な言葉遣いをする必要はない」

「俺は大助かりだけど、後で怒ったりしないよな?」

「当たり前だ。何なら王女とも呼ばなくてよいぞ。たまには一人の少女という立場を味わってみたくもあるしな」

「じゃあ、何て呼べばいいんだ? ちびっ子か?」

「それは相手が王族でなくとも失礼であろう」

 皺の寄った眉間を人差し指でほぐしつつ、リアレーヌは小さく息を吐く。

「リアレーヌという名も多少は知られているからな。クエスファーラへ戻るまでは特別にリアと呼ぶのを許そう」

「わかったよ、リア」

「う、うむ。なにやら少し恥ずかしいな」

「照れないでくれよ。俺まで変な気持ちになる」

「へ、変とは、まさか……! お主は少女趣味だったのか!」

「ちーがーうー!」

 顔を真っ赤にして否定するカケルを、リアレーヌことリアが笑う。

 こうしてカケルは小さな王女と一緒に、日が暮れるまで小説を書き続けた。

     ※

 微かな物音にカケルは目を覚ました。だいぶ慣れつつあった硬い木のベッドから降りようとして、誰かに体重をかけられていることに気づく。

「だ、誰だ……!」

 明かりのない夜の室内は真っ暗だ。不意に暗殺という言葉が頭をよぎったが、リアならばともかく、カケルが狙われる理由がわからない。

「自分であります。騒がないでほしいであります」

 油皿に火が灯る。夜闇にぽうっと浮かび上がったのは、キャミソールにも似た夜着を身に纏ったセベカだった。

「な、何をしてるんだよ」

「……日中はずいぶんと仲良くしてたみたいでありますね」

 低い声には怒りが渦巻いている。

「もしかしてリアとのことか? あれはただ一緒に小説を……」

 ドスンと音がしたかと思ったら、カケルの顔の横にナイフが突き刺さっていた。

「誰の許可を得て殿下を愛称で呼んだのでありますか……!」

「当の本人だよ!」

「だからといって、本当にその通りにする者がいるでありますか!」

 今度は顔の左に別の短剣を突き立てられた。

 カケルに馬乗り状態のセベカの目は本気だった。

「待てって! これはリアに言われてのことじゃないよな!?」

 暗殺者じみているセベカの肩が、闇の中でもビクンと跳ねるのが見えた。

 少しずつ目も慣れてきて、しっかりとセベカの姿が認識できるようになる。夜着が少しめくれ、艶めかしい褐色の太腿が露わになっていた。

(な、生足の柔らかい感触が……)

 マウントを取られているということは、身体の一部が密着しているということだ。この歳まで清く生きてきたカケルは、悲しき男の性を反応させてしまう。

「と、とりあえず上から退けてくれ。リアに報告されたくはないだろ」

「その前に、二度と王女と親密にしないと誓うであります」

「あのな! 彼女はまだ子供だぞ。変な関係になるわけないだろ!」

 しばらく互いに無言で視線をぶつけ合う。

 先に折れたのはセベカだった。

「……信じていいのでありますか?」

「当たり前だ」

「わかりました。それなら自分は……ん? この硬いのは何でありますか?」

「やめっ……それを握ったら……おふっ」

「どうして変な声を……まさか!」

 硬い異物の正体を確認し、セベカの顔が般若のごとく変貌する。

「前言撤回であります! まったく信じられないであります!」

 涙目でセベカはスカートで手を拭う。

「誤解だ! それは、その……セベカの格好が、あの……」

「自分に欲情したのでありますか?」

 顔を近づけられ、カケルはたまらず息を呑む。

「正直に白状するであります」

「……そ、そうだよ。仕方ないだろ、俺だって男なんだ」

「そう……カケル殿は男であります。それゆえに純真な王女殿下の傍に置いておくわけにはいかないのであります」

 意を決したように、セベカは夜着へ手をかける。

「恋仲ということにもなっていますし、欲望を吐き出すなら自分にするであります」

 パサリと薄い麻生地が床に落ち、大きなふくらみが弾む。すべやかそうな肌が、淡い炎をバックに艶っぽく輝いた。

 目を見開いて硬直するカケルの手が掴まれた。

「お、おい……な、何を……」

「ほら、柔らかいでありますよ。明日、王女殿下に会うまでに、自分がカケル殿の欲望を空っぽにしてあげるであります」

 自らカケルに乳房を揉ませたセベカは、決してからかっているわけではなかった。

 初めて触れた乙女の柔乳はマシュマロのようで、指へ自然に力が入りそうになる。

(こ、こんなの、だめだっ!)

 流されそうになる心を奮い立たせ、カケルは身を捩って抵抗する。

「遠慮は無用であります。自分は王女殿下に近づいてほしくない。カケル殿は欲望を処理できる。互いの利害は一致しているであります」

「何度も言わせるなよ。リアには兄みたいな目線で接してるんだ」

「それでも! 近づいて欲しくないであります! 自分の理想を穢すなであります!」

「理想?」

 ハッとしたように、セベカはカケルから離れた。

「……今夜はこれで失礼するであります」

 素早く夜着を身に纏ったセベカの声に、先ほどまでの迫力は消えていた。

 歪んだ寂しさを安堵で隠し、カケルは侍女の背中に話しかける。

「……よくわからないけど、自分の身体をさ、取引材料に使うみたいな真似はやめろよ」

「そう……で、ありますね。これじゃ、あの人と……」

「あの人?」

 カケルの質問には答えず、それきりセベカは無言で部屋を出て行った。
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