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第8話 間に合ってます

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 この世界へ迷い込む前と変わらない春らしい陽気。太陽も複数あるわけでなく、空を見れば日本と何ら変わらない。

 連れ立って王城から出たところで、カケルは思い出したように「あっ」と声を上げた。

「どうしたの?」

 アーシャが面倒臭そうに眉をひそめた。

「王様に挨拶してこなかったけど、良かったのか?」

 緊張の連続ですっかり忘れていたが、城の主は王様である。挨拶しなかったせいで、無礼だと後日に処刑されたらたまらない。

「紹介状がなければ陛下と謁見できないわよ。それに、最近ではあまり部屋からお出にならないらしいわ」

「具合でも悪いのか?」

「噂じゃ、王妃様が宰相閣下と共謀して軟禁してるなんて言われてるわね」

「ほとんど反乱じゃないか」

「あくまでも噂よ。信憑性があるかすら怪しいわ」

「まあ、会わないのが問題にならなければ構わないさ――ん?」

 緊張で強張っていた体をほぐそうと伸びをした瞬間、カケルは視界の端に黒い影を捉えた。

 誰だと問う前に、太陽の光を背にした何者かが、城壁の上から「とう」と飛び降りる。

「危な――って、下にクッションを敷いてやがる」

 柔らかそうな布を何十にも敷き詰めたところに降りたが、衝撃を殺しきれずにごろごろと前に何回転かして止まる。

 呆気にとられるカケルとは対照的に、大慌てなのは鎧を着こんだ門番である。兜から目を露わにし、急いで謎の男に駆け寄る。

「サグヴェンス様、ご無事ですか!」

「いい加減にこのような真似はおやめください」

 二人の門番が泣きそうに手を貸すも、サグヴェンスと呼ばれた男は悪びれもしない。

「どうしてだい? 高いところから飛ぶのは実に英雄らしいじゃないか」

「もしものことがあれば、我々がお父上に叱られてしまいます!」

 聞こえてきた会話で、どこぞのボンボンがくだらない遊びで周りに迷惑をかけているのだと知る。

 関わり合いになりたくないので足早に立ち去ろうとしたが、運の悪いことに謎の金髪男に捕まってしまう。

「待ちたまえ、そこの者。英雄たる僕が名前を聞いてあげようではないか」

 いちいち芝居がかった動作と声。くせっ毛の金髪と碧眼。貴族丸出しなデザインの白シャツに黒ズボン。薔薇を口に咥えていないのが、逆に不自然な装いである。

「間に合ってます。お疲れ様でした」

「フッ。英雄らしい振る舞いを習熟するのは僕の日課だ。労われるほどのことではない」

 目を伏せて片手を伸ばす変な男。カケルの皮肉はまったく通じていなかった。

 腰にぶら下げたレイピアをカチャカチャ鳴らし、ズボンをインさせている白ブーツで、わざわざ目の前でターンを決める。

「僕は英雄クオリア・サグヴェンスだ。覚えておいて損はないよ、マニアッテマス君」

「勝手に人を変な名前にするな」

 ツッコミを入れたカケルを、クオリアと名乗った男は本気で不思議そうに見つめる。

「個性があっていいじゃないか。僕は気に入ったよ、マニアッテマス君」

「お前……わざとやってるだろ」

 口元をヒクつかせるカケルの服を、これまで黙っていたアーシャが引っ張った。

「そういう人なのよ。それと彼の名前に聞き覚えはない?」

「いや、まったく」

「アンタねえ」

 アーシャは眉間を指で軽く押さえた。

「自分を贔屓にしてくれる貴族の家名くらい覚えておきなさいよ」

「あっ、サグヴェンスって、まさかあの貴族の――」

「――ご子息よ」

 この状況下でアーシャが嘘をつく必要はないので、事実なのだろう。

 その割には緊張していないため、クオリア・サグヴェンスは悪い人間ではない可能性が高い。

「ところで、さっきから自分で英雄と言ってるけど……」

「よく聞いてくれたね!」

 アーシャへの質問だったのだが、クオリアは両手を広げて空へ声を響かせる。

「僕は英雄になりたいのだよ!」

「はあ」

「だが生憎と今は自慢の剣技を披露する機会もない。そこで僕は好機を待ちつつ、まずは名声を高めている最中なのさ!」

 クオリアは得意げだが、カケルには何のことやらさっぱりである。

 本音では先ほどと変わらずに関わりたくもないのだが、支援者の息子と知ってしまえばそうもいかない。

「それで名声は高まったんですか?」

「もちろんだとも! 僕を主役とした英雄譚はすでに二冊も売れている」

「あれ? さっきは機会がないとか言ってたような……」

「その通りさ! だから自分で作ったんだ!」

 ナルシストよろしく、クオリアは自分の演説に酔っているが、何のことはない。

「英雄譚ってただの捏造じゃねえか!」

「どうしてそうなるんだい? 未来の雄姿を先取りしているだけじゃないか」

(ヤバイ。コイツ、危ない奴だ)

 いわゆる中二病患者臭がする。感化される前に逃げたいのだが、目の前に立ち塞がっているクオリアは、退けようとしてくれない。

「父も僕の活動を応援してくれていてね。様々な小説も買い与えてくれる。そして少し前に僕は出会った。生涯のライバルとなるであろう作家にね!」

「嫌な予感がするので帰っていいですか」

「諦めなさい」

 アーシャが憐憫の視線と共に、カケルの肩へ手を置いた。

「騎馬隊を鉄砲なる武器で撃退したのは痛快だった。あの戦略の指揮官は君だったのだろう!? マニアッテマス君!」

「違います。あとそれは仮の名前で、実はカケルって言います。ついでにあまり関わり合いにならないでくれると嬉しいです」

「ちょっと! 気持ちはわかるけど堪えなさい! サグヴェンス家の支援がなくなったら、王都で本を扱ってもらえなくなるかもしれないわよ」

 そんなに影響力があるのかよとゲンナリするカケルとは対照的に、仮の名前というのが気に入ったのか、クオリアは満足そうな頷きを繰り返している。

「やはり君にも英雄の輝きを感じるよ」

「気のせいです」

「だが悲しいかな。真の英雄は一人だけなのだ!」

「話を聞いてください、お願いです」

「だからこそ僕は、君に勝負を申し込まなければならない!」

「まいりました」

 躊躇なく両手を上げたカケルを、横にいるアーシャが小突く。

「真面目に話を聞いてあげなさいよ!」

「じゃあお前が変わってくれよ」

「無理。ご指名はアンタだし」

 ふいっと、アーシャが顔を背けた。

「武器は何が良いかな。言ってくれれば何でも用意しよう」

「あのな!」

 苛々してきたせいで、相手が貴族なのも忘れてカケルは声を荒げる。

「自慢じゃないが俺は弱い。そっちが素手でも負けるって。だから英雄にはなれないし、勝負するまでもなく負けでいいから」

「それでは僕が納得できない!」

「アーシャ、頼むから何とかしてくれ!」

「……仕方ないわね」

 先ほどまで交代を嫌がっていたはずの女商人が、頼もしくも前に出てくれた。

「クオリア様。申し訳ありませんが、カケルは王女殿下と本を書く約束があります」

「お、おい、そんなこと言っていいのかよ」

「彼の父親はアタシたちの事情を知ってるもの。遠からず知るでしょ」

 カケルの方を見ずにさらりと言い、アーシャは改めてクオリアに告げる。

「ですのでクオリア様と剣技での勝負は出来かねます。他の方法であれば、あるいは可能かもしれませんが……」

 変な話になってきたぞと不安になるのはカケルばかり。対峙する貴族と女商人は、わかり合ったような笑みを浮かべる。

「では小説で勝負といこうじゃないか! 僕の本も君と同じ日に王女殿下へ献上しよう」

「王都での売り上げも競ってみたらどうでしょうか?」

「素晴らしい提案だよ! ええと……」

「アルメイシャです。お気軽にアーシャとお呼びください」

「そうか。ではアーシャ。君の申し出を喜んで受け入れよう!」

「あ、あの……俺の意向は……」

 カケルは恐る恐る口を挟んでみるが、考慮などされるはずもなかった。
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