愛すべき不思議な家族

桐条京介

文字の大きさ
上 下
40 / 43

第40話 祖母と孫

しおりを挟む
「でねー。ママったらね、ずっと泣きそうな顔をしてたんだよー」

「あら、そうなの。二人はラブラブなのね」

 ホテルのフロントに尋ねてもわからない。
 ロビーを探しても見当たらない。
 そんな少女を発見したのは、春道が家族とともに参加していた披露宴会場だった。

 春道の実母の膝上に座りながら、何やら笑顔で会話している。
 もっともラブラブなんて単語が母親から出てるあたり、ろくでもない内容なのは容易に想像がつく。

 どうして会場へ戻っているかは別にして、とりあえず発見できたことにホッとする。一応探してくれているであろうフロントへ伝えるため、会場内にいるホテルの従業員へ春道は言伝をお願いした。

「……まったく、心配かけさせて……」

 変な事件に巻き込まれたわけではなかったので、隣にいる和葉も心底安堵しているみたいだった。それでも少しは注意してやろうと、わずかに厳しい表情をしつつ愛娘がいる場所へ近づいていく。
 その時だった――。

「うん、らぶらぶー。だって、パパがいないだけで、凄く落ち込んでるんだもん。あんなママ、葉月も初めて見たー」

 ――ピシッと。

 硬直した和葉がその場で足を止めた。
 その後ややしてから、ぎぎぎっと油切れの機械のごとく春道の方を向いてくる。真っ赤な顔に存在する両目は「今の台詞は聞こえてないですよね」と聞いているようだった。

 聞いていないふりをしてもよかったが、そんな強引な方法が通用するのは一回だけだ。そして上機嫌になっている葉月が、先ほどのような発言を繰り返さないはずがなかった。後々を考えれば、いっそ正直に話してやるのが和葉のためだろう。

「どうやら俺たちはラブラブらしいな」

 先行していた和葉にツカツカと近寄ったあとで、春道は相手の耳元で囁いた。その直後に赤面レベルを上昇させた和葉は、慌ててブンブンと首を左右に振った。一生懸命に否定をする姿は、普段とのギャップに満ちており、なんとも微笑ましい。

「な、な、何を言っているのですか。あ、あ、あれはあの子のう、嘘です。ほ、本気にしないでください。い、いいですね」

「……そのわりにはどもりまくってるぞ。いっそ認めた方がいいんじゃないか」

「な、な、何をですか。ま、まさか、私が……そ、その……あの……ち、違います! ……い、いえ……まったく違うわけではないのですが……あ、ああ……もう! ど、どうしてこんなことに……」

 ひとりパニくりまくって、頭を抱える和葉を見てると、少しからかってやろうかな、なんて衝動に駆られる。
 そんなふうに思えるようになるなんて、出会った当初からは考えられなかった。それこそ意味合いは違うだろうが、どうしてこんなことにという感じだった。

 だがここで問題が発生する。面白ネタを口走ったのは、葉月ひとりだけではなかったのである。

「春道も――パパもね、ひとりで帰ってきたのはいいけど、物凄く寂しそうなのよ。いきなりママの名前を叫びだしたりしないか、心配したわ」

「なっ――!?」

 そんな素振りをした覚えなんかない。
 そう反論するより早く、これまで防戦一方だった和葉が勝機到来とばかりに目を光らせた。

「なるほど。恰好をつけて去ったはいいものの、実は後悔していたのですね。春道さんも可愛らしいところがあるじゃないですか。子供みたいですよ」

 ついさっきまでどもりまくってたのが嘘のように、すらすらと和葉が言葉を並べてくる。
 逆に春道の顔面が熱くなり、額にじっとり浮かんだ汗が頬を流れる。

「ま、待て……! いいか、よく聞け。あれは親が勝手に、しかも大げさに言ってるだけだ。確かに多少は何だ……その……あれだったが、あそこまでじゃなかったはずだ」

「言い訳なんて男らしくないですし、見苦しいですよ。春道さんこそ認めたらどうですか。せっかくこういう場なのですし、罰は当たらないと思いますよ」

 完全に形勢が逆転してしまった。勝ち誇っている相手をもう一度うろたえさせるには、新たな援軍の到着が必要不可欠だった。それを期待して、春道はちらちらと葉月を見る。すると魂胆に気づいた和葉は、慌てて愛娘の側へ駆け寄ろうとする。

 だが遅かった。
 春道の母親を始め、高木家の親戚に囲まれて上機嫌の少女は、普段の数倍も口を滑らかにしていた。

「ママも素直じゃないんだよ。本当はパパのこと、好き好きなのに――もがっ」

「ひ、ひとりで勝手にいなくなったりしたら駄目でしょう。心配をかけたらいけないわ」

 にこやかな笑顔で娘に注意をしているが、その頬には冷や汗が列を作って流れている。もう少し早く葉月が口を開いていれば、面白い台詞が聞けただろうに残念だった。

「ごめんなさいね、和葉さん。私が葉月ちゃんをロビーから連れてきちゃったの」

 悪びれもせず、春道の母親が説明をする。
 葉月は知らない人間についていったりはしないが、面識のある人物なら話は別だ。初対面同然だったとしても、正体がわかっているのだから別に怖がったりする必要もない。

 特に少女は、標準的な家族というものに強い憧れを抱いている。祖母となる女性に声をかけられ、食事をご馳走されれば機嫌もよくなって当然である。
 しかしこの分では、かなりの内情を春道の母親に話していると考えて間違いなさそうだった。

「そうだったのですか。いえ、事情がわかればそれでいいのです。どうもお騒がせをしました」

 ぺこりと頭を下げる和葉に、母親は「こちらこそ、ご迷惑をかけてしまって」と応じる。その直後に、息子である春道にジト目を向けてきた。ひとりだけ離れている場所で突っ立っているわけにもいかず、自分の席があるテーブルへ歩いていく。

「アンタ、どういうつもりなの。子供がいるなんて、ひと言も話してなかったじゃない」

 隣に座った春道のジャケットを引っ張り、怒るというより呆れ気味な顔で話しかけてきた。めでたい席のため、おおっぴらに叱責できないのかもしれない。
 そこらへんの理由はともかく、これは好都合だった。ある程度冷静な会話が可能だからだ。

「なるほどね……これなら、なかなか家に帰ってこれないわけよね。お嫁さんどころか、すでにこんな大きな子供までいるんだから」

 春道が何か言う前に、うんうんと頷きながらひとりで勝手に納得し始める。これにはさすがの和葉も、どうしたらいいのかわからないらしく、葉月の口に手を当てたまま成り行きを見守っている。

「和葉さんとはずっと前に出会ってたそうじゃない。その時にデキちゃったのね。それなのにアンタは知らないふりして別れ、和葉さんはひとりで立派に子育てをした。ウチの愚息が本当にご迷惑をおかけいたしました」

 深々と頭を下げる春道の母親に、やはり対応方法に悩んでいる和葉は「い、いえ……」としか答えられなかった。
 もちろん当人である春道にも、口を挟む余地などない。

 そのせいで、どんどんおかしな流れになってるのがわかっても、ここまできたら成り行きに任せるのがベターだと判断したのだ。下手に弁解なんかしたら、逆にややこしい事態へ発展しそうだった。

 予期していなかった現状に気が緩んだのか、和葉は娘の口を押さえている手から力を抜いていた。それを知った葉月が顔を動かし、母親の戒めを自力で振りほどく。

「パパをいじめたら駄目だよ。だって、ちゃんと葉月を迎えに来てくれたもん。ママだってパパを信じてたんだよー」

 着々と、葉月が望む家族関係が構築されつつある。この流れを計算して作り出しているのだとしたら、少女は類まれなる策士の才能を有してることになる。

「まあまあ、葉月ちゃんは本当にいい子ね。とても春道の子供とは思えないわ」

 そう言うと母親は、可愛くて仕方ないとばかりに葉月へ頬ずりをした。少女も満更ではなさそうで、されるがままになっているものの、その顔には満開の笑みが咲いている。

 葉月が、春道の母親へどんな説明をしたかは不明だが、とりあえず血が繋がっていないという事実は伏せておくべきだろう。
 そう判断して、無言のまま自分の席へ座る。

 春道の結婚を親戚中が知っていたので、同じテーブルに和葉の席は用意されていた。しかし、娘がいる事実は誰一人として知らなかった。そんな理由だから、もちろん葉月が座る椅子はこの場にない。もっとも当人はそれほど困っていないみたいだった。

「葉月ちゃん、これ食べる?」

「うんっ」

 春道の母親の膝の上で、先ほどから甘やかされっぱなしなのだ。
 さすがに迷惑をかけていると思ったのか、和葉が娘に自分の席へ座るように促した。

「あら、気にしなくていいのよ。ずっと孫の顔が見たいと思ってたから、とても嬉しいの。迷惑でなければ、もう少しお世話をさせておいてくれないかしら」

 一応は義母となる人間にそう言われれば、和葉も断りきれない。何より、葉月もそうしたいと言ってるのだから、頷くより他になかったのである。

「葉月もね、ずっとお祖母さんと会いたかったんだよー」

「あら、そうなの。うふふ。お祖母さんですって。嬉しいような悲しいような、なんだか複雑な気分ね」

 春道の子供だと疑っていない母親に、ますます真実を説明できなくなる。
 とはいえ、無理に教える必要はないのかもしれない。血が繋がっていようがいまいが、どちらにしろ春道の娘であることには変わりないのだ。

 葉月と楽しそうに会話をしながら、時折チクリチクリと、春道に毒づいてくるのも忘れない。孫の存在を隠されていた事実に、腹を立てている証拠だった。今さら謝るよりも、このまま少女に任せている方が機嫌をずっと回復させてくれるのは間違いない。

 そんな母親が、ふと和葉を真正面から見る。
 あまり遠慮というものを知らない人間だけに、聞きにくい質問でも平然とする。嫌な予感を覚えたが、春道に制止する暇などまったくなかった。

「貴方たちは夫婦別姓にしてるのよね。最近の若い人では、そういうケースって多いのかしら」

 心配していたほど、とんでもない質問ではなかった。冷静かつ頭脳明晰な和葉であれば、適切な回答をしてくれる。
 安心しきった春道は、渇いていた喉を潤すため、テーブルの上にある水が入ったグラスを手に取る。

「そうですね。仕事の関係で別姓にはしてましたけど、それも落ち着いてきたので、葉月ともども今後は高木姓を名乗りたいと考えています」

「――ブフッ! ゴホッ!」

 危うく口に含んだばかりの水を、盛大にそこらじゅうへばら撒くところだった。むせてはしまったものの、間一髪で食道を通って胃袋へと到着している。

「そうだったの。うん、それがいいと思うわ。
 ……ところで、アンタは何でむせてるの」

「……放っておいてくれ」

 まったく予期していなかった台詞だったので、驚きのあまり口から水を噴射しそうになりました。

 とてもそんな説明をする気にはなれない。いきなり何を言い出してくれるんだと、横目で和葉を見るが、相手はしれっとした顔をしている。

「そう言えば、結婚式もしてなかったのよね。どう? こういった席に参加すると、自分もしてみたいとか思ったりしないかしら」

 またもやとんでも発言が母親から飛び出す。質問された和葉は、一瞬だけ春道を見たあとでさらりと答える。

「私も女性ですから、やっぱり羨ましかったりもしますね」

 春道が知っている女性と、とても同一人物に思えない受け答えが続く。
 何がどうなっているのか戸惑う春道へ、もう一度和葉が顔を向けてきた。

「……なんだかな」

 肩をすくめて苦笑する春道の視界には、穏やかに微笑む女性が座っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

キャバ嬢とホスト

廣瀬純一
ライト文芸
キャバ嬢とホストがお互いの仕事を交換する話

【完結】のぞみと申します。願い事、聞かせてください

私雨
ライト文芸
 ある日、中野美於(なかの みお)というOLが仕事をクビになった。  時間を持て余していて、彼女は高校の頃の友達を探しにいこうと決意した。  彼がメイド喫茶が好きだったということを思い出して、美於(みお)は秋葉原に行く。そこにたどり着くと、一つの店名が彼女の興味を引く。    「ゆめゐ喫茶に来てみませんか? うちのキチャを飲めば、あなたの願いを一つ叶えていただけます! どなたでも大歓迎です!」  そう促されて、美於(みお)はゆめゐ喫茶に行ってみる。しかし、希(のぞみ)というメイドに案内されると、突拍子もないことが起こった。    ーー希は車に轢き殺されたんだ。     その後、ゆめゐ喫茶の店長が希の死体に気づいた。泣きながら、美於(みお)にこう訴える。 「希の跡継ぎになってください」  恩返しに、美於(みお)の願いを叶えてくれるらしい……。  美於は名前を捨てて、希(のぞみ)と名乗る。  失恋した女子高生。    歌い続けたいけどチケットが売れなくなったアイドル。  そして、美於(みお)に会いたいサラリーマン。  その三人の願いが叶う物語。  それに、美於(みお)には大きな願い事があるーー

鬼の閻火とおんぼろ喫茶

碧野葉菜
キャラ文芸
ほっこりじんわり大賞にて奨励賞を受賞しました!ありがとうございます♪ 高校を卒業してすぐ、急逝した祖母の喫茶店を継いだ萌香(もか)。 気合いだけは十分だったが現実はそう甘くない。 奮闘すれど客足は遠のくばかりで毎日が空回り。 そんなある日突然現れた閻魔大王の閻火(えんび)に結婚を迫られる。 嘘をつけない鬼のさだめを利用し、萌香はある提案を持ちかける。 「おいしいと言わせることができたらこの話はなかったことに」 激辛採点の閻火に揉まれ、幼なじみの藍之介(あいのすけ)に癒され、周囲を巻き込みつつおばあちゃんが言い残した「大切なこと」を探す。 果たして萌香は約束の期限までに閻火に「おいしい」と言わせ喫茶店を守ることができるのだろうか? ヒューマンドラマ要素強めのほっこりファンタジー風味なラブコメグルメ奮闘記。

動物帝国

板倉恭司
ライト文芸
 動物が登場する一話完結の短編集です。ゆるいものが大半ですが、たまにホラー風味強めな話もありますので、御注意ください。

猫の罪深い料理店~迷子さんの拠り所~

碧野葉菜
キャラ文芸
アラサー真っ只中の隅田川千鶴は仕事に生きるキャリアウーマン。課長に昇進しできない男たちを顎で使う日々を送っていた。そんなある日、仕事帰りに奇妙な光に気づいた千鶴は誘われるように料理店に入る。 しかしそこは、普通の店ではなかった――。 麗しの店主、はぐれものの猫宮と、それを取り囲む十二支たち。 彼らを通して触れる、人と人の繋がり。 母親との確執を経て、千鶴が選ぶ道は――。

処理中です...