僕と英雄

桐条京介

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18話 もう捨てたんだ

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「裕兄ちゃん、もしかして焼きもちをやいてるの!?」

 真雪の表情が、暗闇を照らす電球よりも明るく輝いた。両手を頬に当てて、全身をくねくね揺らすのが絶妙に不気味だったりする。

「キモイおっさんなんかに、ついていったらしないから大丈夫だし。んふふ」

 頬をピンクにして、真雪はなんとも気色の悪い笑みを見せる。されている変な誤解をすぐに解く必要があるのに、異性との交際経験のない裕介には何を言えばいいかわからない。

 結果として黙っているだけになり、無言を肯定と決めつけた真雪が勝手な解釈をし始める。

「実はね、真雪には全部わかってたの。よく言うじゃん。好きな子には意地悪したくなるってさ。裕兄ちゃんが真雪を無視してたのは、素直になれなかったせいだよね」

 ベッドから降りた真雪が、膝歩きで床を進む。裕介の足元までやってきては、意味ありげに笑った。

 ――ところで、ノックもなしに勢いよく部屋のドアが開いた。

「裕介! 真雪ちゃんが来てるって、おばさまから聞いて心配……に……?」

 台詞を言い終わる前に、七海の動きが緊急停止した。

 驚いたのは裕介も同じだ。恩義ある七海を大貴の仲間じゃないかと考え、ろくに相手もしないで教室へ置き去りにしてきたのだ。

 怒りを買って当然であり、殴られても文句は言えない。ほんの少しでも冷静になって考えれば、すぐにありえないとわかるほどの疑念を抱いてしまったのだから。

 そんな七海が、普段から大きな目をさらに大きくしている。じっと見つめられる時間は数秒程度でも、壮絶な恐怖を裕介に覚えさせた。

 反射的に後退りしたくなる中、立ち上がった真雪が勝者の余裕を纏わせて七海に人差し指を向けた。

「出たわね、お邪魔虫。でも、もう遅いし。裕兄ちゃんと真雪は、ついさっき愛を確かめあったの」

「ええ!?」

 裕介は椅子ごとひっくり返りそうになった。先ほどまでのやりとりをどのように解釈したら、愛を確かめあったことになるのかと、七海以上に驚愕する。

 その様子で七海はある程度の状況判断ができたらしく、驚きと不安を解消するように小さく息を吐いた。

「嘘は駄目よ、真雪ちゃん。鈍感大王の裕介が、乙女の想いに気付けるわけないでしょう。それより、どうしてこんなところにいるの?」

「認めたくないのはわかるけど、真雪は――」

「――ど・う・し・て・こ・ん・な・と・こ・ろ・に・い・る・の?」

 相手の台詞を遮り、一字一句を丁寧すぎるくらいに強調する。瞬きひとつしない目で睨まれ、さすがの真雪も観念したように苦笑いを浮かべた。

 七海は床に尻もちをついた真雪の襟首を掴み、強引にベッドへ移動させて横に座った。

 再度訪問した理由を尋ねられた真雪は、わりと素直に白状した。内容は、裕介に話したのと同じだった。

「危害を加えにきたわけじゃないみたいね。別の意味で危害を加えそうだったけど。おばさまからメールを貰って、すぐに来て正解だったわ」

「別の意味でって……え? 七海、母さんのメールアドレス知ってるの?」

「知ってるわよ、ずっと前から。子供たちのいざこざを知っても、大人が介入すると余計にこじれるかもしれないと思ったんでしょうね。私が裕介の相手してるのをすごく感謝してくれて、何かあったらすぐに連絡してほしいって、裕介が引きこもってる時に教えてもらったの」

 裕介はさもありなんと思ったが、七海の隣にいる真雪はずるいと唇を尖らせた。

「真雪は教えてもらってないし!」

「当たり前でしょう。裕介が引きこもる原因になったのは大貴じゃない。そのあとも真雪ちゃんは度々裕介の家まで来て、出てこいって外で怒鳴ってたでしょ」

「あ、あれは、裕兄ちゃんと遊ぼうと思って誘っただけだし。それに妹だから、お兄ちゃんとの橋渡しをしてあげるつもりだったの!」

「そのわりには、せっかく外へ出てゲームもするようになった裕介に、執拗に絡んでたわね。あれは虐めと言うんじゃないの?」

 色々と思うところがあるらしく、七海の言葉には鋭い棘が無数に存在していた。裕介なら単刀直入に言うのを躊躇ってしまうが、同性だけに遠慮がない。

 痛いところを突かれたといった顔の真雪が、やはり拗ねた口調で七海のせいだと言った。

「真雪が裕兄ちゃんに優しくしたくても、七海がいつも側にいたじゃん。勝つためには、七海と違う魅力をアピールしなきゃだし!」

「はあ。そこが根本から間違えてるの。勝ちたいなら、私以上に優しくしてあげればよかったでしょう。虐めてどうするの、虐めて」

「い、虐めてたわけじゃないし! あえて厳しく接して、裕兄ちゃんの闘争本能を目覚めさせようとしたの!」

「あら、意外と考えてたのね。でも、逆効果だったじゃない。裕介はそういうタイプじゃないわよ」

「くー! そうやってまた裕兄ちゃんをいい子いい子して、独り占めするつもりなんじゃん!」

 修羅場というより、仲の良い姉妹の口喧嘩みたいになってきた。そういえば昔からこうだったなと、裕介はトラウマだったはずの少年時代を久しぶりに懐かしく思った。

 例の事件が発生するまでは、悩みごとなんてひとつもない楽しい時間を過ごせていた。どうしてこうなったのだろうと考えれば、同じ結論に辿り着く。裕介が調子に乗りすぎたせいだ。

 ずっと言葉を発しない裕介を心配して、七海と真雪がほぼ同時に大丈夫かと声をかけた。

「僕は大丈夫だよ。二人を見てたら、昔を思い出した。僕たちは、大貴も加えて四人で兄弟みたいに過ごしてたのにね」

 しんみりしてしまったところで、空気を変えようとばかりに真雪がゲームの提案をする。

「審判はいないけど、英雄をやろうよ。真雪、裕兄ちゃんが強くなるために協力するし」

「散々、虐めてたくせにね」

「そ、それは、その、ごめんなさい。で、でもでもっ! 裕兄ちゃんは強い方が格好いいし!」

「否定はしないけどね」

 クスッと笑う七海。真雪の口から裕介への謝罪も聞けて、だいぶ否定的な感情は薄れているみたいだった。元々、七海は優しい女性なので、誰かを強く恨んだりとかはできないタイプなのである。

 七海もスカートのポケットから英雄を取り出すが、裕介は動かなかった。不思議そうな目をする二人に、きっぱりと告げる。もう英雄だけでなく、ゲーム自体をやらないと。

「もう僕は昔と違う。誰かと顔を合わせてゲームをやるなんて、最初から無理だったんだよ。ゲームができなくても漫画やアニメ、それに小説もあるしね。きっとなんとかなるよ」

 上手く笑えたかは自信ないが、とにかく裕介は決断した。何を言われても撤回するつもりはなかった。

「で、でも……あんなに……負けても負けてもコンビニに通うくらい好きだったんじゃん!」

「そうだね。ゲームという存在に救われた一面もあるから、可能な限り触っていたかった。でも、それは僕にとって調子に乗るということだったんだよ」

「違う!」

 七海は悲鳴に近い声を上げた。

「誰だって自由に楽しめるからゲームじゃない!」

 真雪も同意見だと頷くが、今の裕介にはそう思えなかった。

「もういいんだ。それに僕の英雄は捨てちゃったからね。手元になければどうしようもないよ」

「捨て……た……」

 裕介の言葉に、誰より衝撃を受けたのは真雪だった。

「真雪のせい……だよね……や、やだ……」

「いや、真雪ちゃんのせいじゃ――」

「――ごめんなさいっ! 真雪、いくらでも謝るから! 裕兄ちゃんと一緒にいたくて調子に乗ったのは真雪なの! ああやって絡めば、ムキになって真雪を倒そうとして、毎日でもゲームしてくれるかと思ったの! もう二度としないから、また一緒にゲームやろうよ。部屋にこもるのは駄目だよ!」

 外見はすっかりギャルに変わってしまっているが、大粒の涙を流して訴える真雪の言葉遣いは過去の彼女そのままだった。

「でも、僕はもう……」

「本当にいいの?」七海は聞いた。

「うん。さっきも言ったけど、英雄はもう捨てたんだ。それに大貴とも約束したしね」

 負けたからには、二度と近所のコンビニではプレイしない。あくまで約束に従おうとする裕介の足元に、ベッドから降りた真雪がすがりつく。

「それならさ、他のコンビニでやろうよ。そうすれば知ってる人もいないし! 今度は真雪、優しく裕兄ちゃんの相手するし!」

 言葉なく、裕介は首を左右に動かした。

「そんな……じゃあ真雪も英雄辞める! 裕兄ちゃんと一緒になって、漫画とかアニメとか見る!」

「ごめんね。僕はひとりがいいんだ。凄く気楽だし」

 弱々しく笑う裕介を前に、とうとう真雪は何も言えなくなった。活動的だった裕介の性格を狂わせた元凶は彼女の兄であり、他ならぬ真雪も一役を担った。真の意味で裕介に寄り添ってあげたのは、同じ部屋にいる七海だけなのである。

 救いを求めるような真雪の視線を受けて、七海もゆっくりベッドから立ち上がる。

「あまり深刻に考えない方がいいわ。約束をしてしまったのは事実だけど、真雪ちゃんのためを思ってしたことじゃない。結果は負けたけれど、裕介も言ってたとおり勇気は残ったわ。少なくとも、私の心の中にはね。あの時の裕介は格好よかったもの」

「あはは。真雪ちゃんにも似たようなことを言われたよ。二人ともお世辞が上手いよね」

「お世辞なんかじゃないわ。私は本当に――」

「――お世辞だよ!」

 気がつけば、裕介は情けなくも声を張り上げていた。

「自分ひとりでやれると思って、いい気になって勝負を挑んで負けたんだ。僕は何もできない弱虫の弱介だよ。昔とは違うんだ! 勝手に僕をリーダー的な人間にしないでよ。勝手にシンボルリーダーにさせられる英雄みたいなゲームと現実は違うんだ! 違うんだよ……」

 ひとり喚き散らす無様がわかっていても、裕介は止められなかった。ダムが決壊したみたいに、激情が次から次に溢れてくる。

「過去の僕って何なんだよ! 今の僕には価値がないの!? もう放っておいて! 僕をひとりにしてよ!」

 怒鳴るという行為を滅多にしない裕介だけに、七海も真雪も呆気にとられたように黙っている。

 泣きやまない裕介を前に、そのうち七海が沈痛な面持ちでひと言「ごめん」と呟くように言った。

 側にいたがる真雪を連れて、七海は裕介をひとりにするために部屋を出る。

 七海と真雪が廊下へ出ると、裕介は閉じられたドアの中で嗚咽を木霊させた。
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