探偵と真夜中の太陽

桐条京介

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第27話 事件

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 手を握るようにして渡されたのはお守りだった。中に何か入っているのか、少しばかり硬い感触がする。

 物が物だけに突っ返すわけにもいかない。有り難く受け取ると、玲子は再度「楽しい」と花が咲くような笑顔を作った。

 祝勝会みたいな宴は夜明け近くまで続いた。先に玲子がタクシーで帰った。マスターと里穂は閉店の準備で留まるが、新はタクシーで千尋の家へ向かうことになった。酔っぱらった挙句に寝てしまったせいだ。彼女の部屋に入れるのは、万が一のためにと合鍵を預かっている新だけなのである。

 アルコールを摂取していない祐希子も寝ているが、そのままにしておく。新が千尋を送って店に戻ってから、起こして帰るとマスターに告げていた。それまではガーディアンで預かっていてもらう。

 ぐでんぐでんに酔っぱらった千尋の姿を見るのは初めてで、どことなく新鮮な気がした。

 ――ような気分に浸っていられたのも、合鍵を使って部屋に入るまでだった。

 ベッドに寝かせたと思ったら、例のワンピース姿のままで後ろから覆い被さってきたのである。

「お、おい、何すんだ!」

 焦る新が後方にいる千尋を確認する。まだまだ酒が残っているらしく、目が据わっていた。

 背後から首でも絞められるかと思っていたら、唐突に首筋へ吸いつくようなキスをされた。

「な、何だっ!? 何をしてるんだよ、姉貴!」

「何って、キスだにゃ~ん」

「……は?」

 時が止まった。

 信じられないものを耳にした。

 激しい動悸が新の胸を苦しくさせる。

 待ってくれ。少し待ってくれ。気のせいだ。そうに決まってる。空耳なはずだ。そうだよな。絶対そうだ。

 パニクる新が自分自身を見失わないように必死で頭に言葉を並べるさなか、嘲笑うように千尋は再び口を開いた。

「お姉ちゃん、新をこんなに好き好きなのに、どうしていつも冷たいにゃん?」

 指で頬をつつかれる。同時に凄まじい寒気が背中を走り、おぞましさから冷や汗が止まらなくなる。

「お、おい……姉貴……?」

「にゃ~ん?」

 にこにこ笑顔の千尋。かつてない惨状に、新は卒倒しそうになる。

 誰か俺を助けてくれ。この地獄から救い出してくれ。泣きそうな気分を懸命に堪えていると、背中から重さが消えた。

 見ればベッドにひっくり返って、千尋は再び幸せそうな寝息を立て始めていた。

 きっと日頃の激務で疲れているのだろう。無理やりにでも納得した新は、寝ている千尋を起こさないよう慎重にマンションを後にするのだった。

     ※

「酷い目にあったぜ」

 事務所へ戻るなり、新はジャケットをソファの背もたれにかけつつ横になった。

 千尋を送り届けてすぐ逃げるようにガーディアンへ戻って、寝ている祐希子を起こして帰宅した。

 外ではすでに朝日が昇っている。千尋との騒動で、思っていた以上に時間を食ったみたいだった。

「何かあったの?」

 台所でコーヒーを淹れてくれていた祐希子が、それぞれのカップを持って戻ってくる。徹夜した新と違い、ガーディアンで幾らか睡眠をとっているので顔色は良い。

「お願いだから、あの悪夢を思い出させないでくれ」

 言いながら新はテレビをつける。話題を変えるには最適な道具だ。朝らしく報道番組がニュースを流している。

「――緊急速報です。本日未明、女性の変死体が発見された模様です」

 女性アナウンサーの言葉に、新と祐希子がテレビ画面を注目する。

「遺体は玖珠貫玲子さん三十二歳。衣服は身に着けておらず、腹部に食い破られたようなあとがあるとのことです。警察では事件の可能性が高いと――」

 反射的に祐希子がテレビを消した。

「嘘……だって、さっきまで……」

 みるみるうちに祐希子の瞳に涙が溜まっていく。

 信じられない気持ちは新も同じだった。玲子と別れてから数時間しか経過していないのだ。その間に変死体になっているなど、誰が予想できるというのか。

 脱いだジャケットのサイドポケットに入れていた携帯電話が、けたたましく鳴りだした。慌てて手に取ると、発信者は千尋となっていた。

 送り届けた際の恐怖の記憶が蘇るも、状況が状況だけに出ないわけにもいかない。震える指で受話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てる。

「……にゃーん?」

「にゃ? こんな時に何を言っている! 寝ぼけているのなら、さっさと起きろ!」

 怒鳴り声が耳どころか脳にまで響き渡る。どうやらいつもの千尋に戻っているらしい。怒られたのは好ましくないが、安堵せずにはいられなかった。

「ああ、すまない。ニュースの件か?」

「そうだ。今朝、電話で起こされてな。今、現場にいる。本人に間違いない。お前、何かあったか知らないか?」

「知っていたら、事務所でのんびりしてねえよ。現場はどこだ」

 場所の詳細な説明を聞き、脱いだばかりのジャケットを着る。シャワーすら浴びていないが、それどころではない。

「アタシも行く!」

「やめとけ。気持ちいいもんじゃねえからな。それに危険だ」

「新のいない事務所に一人でいるのと、どっちが危険?」

 新が解答に困る質問だった。祐希子も狙われていると想定したら、一緒に連れていくべきかもしれない。

「なら、さっさと準備しろ。それと、出先では俺の言うことを聞けよ」

「もちろんだよ。アタシは新の助手だからね」

 着替える暇もないので、祐希子も昨日と同じ服装のままだろう。こういう時に潔癖症でない人間は助かる。彼女も新と同じで最悪二、三日は同じ服でも大丈夫なタイプなのである。もちろん時間があるなら、きちんと毎日着替えはするが。

 僅かとはいえ待っている時間を有効に活用すべく、インターネットでニュースでも検索しようとする。

 そこで新は初めて気づく。いつの間にやらノートPCの電源が入っていたのである。スクリーンセーバーの起動後に画面が真っ暗になってしまっていたが、操作することにより回復する。誰かが触ったのか、メモ帳が開かれていた。

「おいおい、何だよ、これは」

 メモ帳に書かれていたのはたった一文。この件から手を引けというものだった。しかも作成の日付は十年後になっている。どうやらPCの日付を変更後にメモ帳を作成し、その後に戻したようだ。

 初歩的なくだらないトリックである。新がPCに触っていないのはここ数日のみ。要するに、その間に事務所に入り込んだ人間が犯人になる。

 錦鯉探偵事務所のセキュリティは高級マンションに比べれば激甘であり、加えて入り込んだのも人間とは限らない。その気になれば生存していた頃のゼードやワンも簡単に侵入できたはずだ。

「準備できたよ。何やって……えっ!? 何これ」

 祐希子の驚きようはとても演技に見えない。彼女の犯人説はこれで消える。そもそもこの手の悪戯をする性格ではないので、最初から除外はしていたが。

「優しい誰かの忠告さ。素直に従うことはできねえけどな」

 玲子が何者かに殺害された以上、あとは知りませんとのほほんとしていることは不可能。彼女の無念を晴らすためなのはもちろんだが、事件の真相を調べておかないと新や祐希子も狙われているのかどうかの判断ができなかった。

 ある程度の情報は千尋が提供してくれるだろうが、変死体という時点で単純な暴行目的とは考えにくい。犯人が人間なのかどうかを確認する意味も含めて、現場を新自身の目で見ておきたかった。

「……行くぞ」

 PCの電源を落とし、後ろで固まっていた祐希子に声をかける。玲子の遺体があった現場まで行くために。

     ※

 玲子が無残な姿となっていたのは、ニュースで報じられた通りの山中だった。それほど深くはなく、周囲も開けている。日の光も十分に届いており、視界は明るい。木の生え方もまばらで、道路に面している部分なのでさほど山中という感覚はない。

 タクシーで近くまで到着した新たちを出迎えたのは、特務課として現場に派遣されていた千尋だった。鋭利な刃物で切られたというより、鋭い牙で食い散らかされたような感じらしく、人間の仕業ではない可能性が考慮されたみたいだった。そこらへんはさすがにモデルケースとはいえ、特務課を新設した県警である。

 祐希子を他の警官に任せ、新は千尋と一緒に青いビニールシートがかぶされていた玲子の遺体を見た。まるで眠っているようだが血の気は失われ、顔は青白い。身に纏っていた衣服は周囲に散乱していたらしかった。

「乱暴された痕跡もあったそうだ」横で千尋が言った。

「妖魔か?」

「恐らく」

「敵討ちのつもりか? それとも他に目的があったのか」

「そこらは不明だが、かなり乱暴に扱われていたようだ。最初から殺害するつもりで嬲ったのだろうな」

 周辺の獣に襲われたのであれば、暴行されたりはしない。死体を相手に何者かがという可能性も低いそうだ。玲子の中から確認された体液が、人間のとは多少違っていたらしいのが理由である。

「とにかくお前たちも気をつけろ。私はもう少し現場検証をしてから戻る……祐希子を一人にするんじゃないぞ」

「わかってる。姉貴も気をつけろよ」

 もちろんだと返した千尋をその場に残し、新一人だけで待っている祐希子の元へ戻る。

 震える声で「どうだった」と聞いてきた祐希子に、新は妖魔の仕業だと素直に答える。傷つけないように嘘をついて油断されるよりは、十分に警戒してもらった方が彼女自身の危険度も下がるからだ。

「俺たちは事務所に戻るぞ。確認した以上、ここにいても役には立たないからな」

 役に立つ情報屋のワンはすでにこの世にいない。マスターに頼もうにも、そのせいで事件に巻き込んでしまっては申し訳ない。玲子殺害の全容がわかるまでは、警戒しつつ状況を見守るしかなさそうだった。

 だが安直で悠長な考えは、すぐに打ち砕かれる。
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