探偵と真夜中の太陽

桐条京介

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第13話 宝石商

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「ナイス、アイデアネ。サスガ、錦鯉のダンナヨ。尊敬スルネ」

「黙れ、この腐れ男ども。アタシのショーツは売らないって言ってるだろ!」

 青かった顔色が赤く染まる。瞳の中に炎が宿り、本気でブチ切れる寸前なのが傍目にもわかる。これ以上のからかいは、新の身にも危険を及ぼす可能性があった。この場に姉の千尋を本気で呼ばれたら、血の惨劇が起こりかねない。

「わかったよ。おい、ワン公。祐希子の小便臭い下着は諦めろ。さっさと仕事の話をするぞ」

「残念ネ。デ、ドンナ情報を知りたいネ」

「淑女の涙と呼ばれる宝石についてだ」

 聞いたばかりの淑女の涙という名称を呟き、男は小さく首を傾げる。どうやら数々の情報を扱う人間でも、知識としては持ってないらしい。ますますもって怪しくなったなと思いつつも、新は知っている情報だけを告げる。

「正式な名称は不明。色は血のような赤だそうだ。宝石商にはすでに依頼済みで、結果は惨敗。その宝石商は個人でゼイナード。これが名刺だ」

「ははあ。宝石モ、コノ男も聞いたコトナイネ。調べてミルヨ。マタ明日ニデモ、来てネ。ユキコサンいると、おまけ、つくカモヨ」

 背後から聞こえた「うげっ」という声を無視して、名刺を回収する。

「それは構わないが、下着は売ってもらえないと思うぞ」

「今、履いてるのでナクとも構わないネ。使用済みトカなら、大歓迎ヨ。高く買うネ」

「……お前、変態だったんだな」

「一目惚れってやつネ。コンナ気持ちは、初めてダヨ。ワタシの女にナッタラ、金には不自由サセナイネ」

 懸命な求愛が繰り返されるも、新の背中に隠れて服を全力で握り締めている祐希子は丁重にお断りする。

 服の裾がグイグイと引っ張られる。これ以上は関わり合いになりたくないから、早く立ち去ろうと要求しているのだろう。

 軽くため息をついた新は、情報屋に頼むぞとだけ告げてこの場を離れた。

 よほど祐希子が気に入ったのか、ねっとりとした視線だけが追いかけてくるのが新にもわかる。自分が被害者になったら、おぞましさで発狂したかもしれない。

「ま、まさか、明日も来るつもりじゃないよね!?」

 いまだかつてないほど焦る祐希子が、半泣きで問いかける。

「来るつもりだよ。金を払ってんのに、情報を受け取らないでどうすんだ。達成できるかどうかはともかく、相手がどんな狙いで依頼をしてきたのかは知っておきたいしな」

「だ、だったら携帯電話とかで話せばいいだろ!」

「ワン公は携帯を持ってない。盗聴なんかを恐れて、情報は常に手渡した。普段はパチンコ屋の景品交換も普通にやってるし、情報屋として利用するのは事情を知っている一部の人間だけだ」

「そ、そんな奴をどうして新が知ってるんだよ」

「向こうから接触してきたからだ。妖魔退治をできるような探偵だからな。懇意にしときゃ、情報を得られるだろ。それを妖魔側に売れば一儲けできる」

 新の説明に、祐希子が唖然とする。内容が衝撃的すぎたのか、情報屋の嫌悪感も一時的に忘れたみたいだった。

「それって、スパイみたいなものじゃないか。どうしてそんな奴から情報を買ったりするんだよ」

「奴が情報屋だからだ。金次第で俺の情報を妖魔側へ売るが、妖魔側の情報を俺にも売る。妖魔たちに睨まれながらも、ああやって情報屋を続けてられるのもそのおかげだ。代わりに利用価値がないと判断されれば、真っ先に消される。だからこそ、余計に情報の質や鮮度に気を遣うのさ」

「アタシにとっては、ただのキモいおっさんだよ。ワン公って言うの? 名前」

 新が呼んでいたので、そう思ったのだろう。だが正式な名前は違う。もっとも本名かどうかは不明だが。

「奴はワン・ワンワン。カタコトの日本語を使う自称中国人だ。名前も含めて全部がでっち上げの可能性も高いがな」

 千尋に素性を調べてもらえばすぐにわかるかもしれないが、下手に近づきすぎると危険を招く恐れがある。同時に情報屋は横の繋がりが強い。自分を売るかもしれない人間とは取引をしなくなる。

 探偵という商売をやっている以上、情報源は多いにこしたことはない。なのでワンのことは姉に教えないし、逆に彼女が知っていても見ぬふりをしているのが現状だった。

「凄い名前だね。だからワン公って呼んでるんだ。犬というよりは蛙みたいだったけど。あの粘っこい視線で舐め回すようにアタシを見るんだ。うわあ、思い出すだけで鳥肌が立つ!」

「だが下着を売れば大儲けできるぞ」

「未成年者にいかがわしい真似をさせようとする大人がいるって通報してほしい?」

「やめてくれ。最終的に姉貴が来るだろうが、半分以上殺されるのは確定だ」

 下着の件でからかうのはこのあたりでやめておき、新は携帯電話で貰った名刺の宝石商に連絡を取る。

 二度のコール音のあと、宝石商と思われる男が電話に出た。

「もしもし。そちら宝石商のゼイナード様でいらっしゃいますか?」

「ええ、そうです。宝石のお求めですか」

 ついさっきまで聞いていたワンのとは違う、爽やかな好青年っぽい声がスピーカーから聞こえる。

「淑女の涙と呼ばれる宝石なんですが……心当たりはありませんか?」

 少しの沈黙後、電話向こうのゼイナードが笑い声を上げた。

「なるほど。玖珠貫様の関係者様でいらっしゃいますね」

「うわ、凄い。すぐに気づかれちゃった」

 こっそりと耳を近づけて、新とゼイナードの会話を盗み聞きしていた祐希子が感嘆の声を漏らした。

 関係者と言っただけで、依頼を受けた探偵とまでは知られていない。となれば事前に玖珠貫玲子が連絡したわけではなく、単純に推測されたということになる。

 理由は深く考えるまでもない。淑女の涙と呼ばれる宝石を探す人間を、ゼイナードは玖珠貫以外に知らないのだ。だからこそ、すぐに関係者だと理解できたのである。

 適当に身分を偽って情報を得ようかとも思ったが、虎穴に入らずんば虎子を得ずという言葉もある。方針を変えて、新は自らの正体を名乗る。

「その通りです。私は錦鯉探偵事務所の者で、実は玖珠貫様からの依頼で淑女の宝石の調査をしています。依頼主様からそちらの話を伺いましたので、連絡をさせていただきました」

「それはどうもご丁寧にありがとうございます。丁度私は今、玖珠貫様のご自宅の近くに来ているのです。可能であればどこかで会ってお話をしませんか?」

「わかりました。ではお昼に港近くにあるガーディアンという店でどうでしょう。店の前に立て看板があるのでわかると思います」

「構いませんよ。そのお店の住所を教えていただけますか?」

 スマホの地図アプリでも使用して、待ち合わせ場所へ来るつもりなのだろう。相手の意図を察した新は、ガーディアンの住所を教えて電話を切った。

 朝早くから騒いでいたが、色々とあったせいですでに時刻は昼に近づきつつある。今から向かって、早めの昼食をとっておくのも悪くはない。

「アタシも行くよ。頼りになる美少女の助手だからね」

「自分で言うな」

 ガーディアンへ直行するから、お前は事務所に戻れ。そう言う前に先手を打たれてしまった。ここまでついてきて事情を知っているのもあり、下手に尾行されるよりはマシかと考えて仕方なしに承諾する。

 貧乏で車を所持していない新の移動手段は徒歩だ。人間には二本の足が備わっているのだから、使わなければ勿体ない。事務所の会計を預かる祐希子も贅沢は言わず、二人で歩き続けて昼前にガーディアンの扉を開けた。

「今、準備中――って、アンタら、また来たの? マジで超迷惑なんだけどぉ」

 そう言いながらも、丁寧に里穂はおしぼりをカウンターテーブルの上に用意する。

 服装は朝と変わらず、どうやら営業開始となる夕方に向けて食材の準備や清掃をしていたらしい。

「お前こそ、本番は夜なのに朝早くから出勤してるじゃないか。マスター狙いか?」

「違うし。なんかこの店って居心地いいんだよねぇ。勤務は夕方からなんだけど、暇潰しついでに用事がないとついつい来ちゃうんだ」

「お前も溜まり場みたいに使ってんじゃねえか」

「あ、ムカ。新と一緒にしないでほしいし。つーか、今度は何の用? まさか昼飯食いにきたわけ?」

「それもあるが、実は人と待ち合わせしてな」

 話し声が聞こえたのか、カウンターの奥のドアを開けてマスターが店内へ入ってくる。営業前だったので店を里穂に任せて、奥で作業していたのだろう。

 マスターがいらっしゃいませと言うより先に、密告するように里穂が先ほどの新の台詞をそのまま伝える。

「そこのツケ溜まってる客が、勝手に人との待ち合わせ場所にウチを指定したってぇ。準備中だって言ってるのに酷くない?」

 里穂の言葉遣いも雇用主に対するものではないのだが、今さらな議論になるので指摘するつもりはない。

「はは、構いませんよ。では外の札を営業中にしておきましょう。たまには早く開店するのもいいものですよ」

「マスター、新に甘すぎ。もしかして弱味握られてる系?」

 目を細めた里穂に、マスターはいつもと変わらぬ穏やかな笑みを返す。

「脅されたりはしていませんよ。せっかくの常連さんです。心地よい時間を過ごしてもらいたいのですよ」

「さすがマスターは人間ができてるよね。アタシ、ナポリタン」

 しれっと昼食のパスタを注文する祐希子にも、マスターは「かしこまりました」と笑顔で応じる。

「アンタら、マスターにもっと感謝しなよ。で、そこのヘボ探偵の注文は」

「ヘボ言うな。今回の待ち合わせだって、依頼に関したやつなんだからな。ちなみに俺もナポリタンで」

「ああ、ユッキーが朝呼びに来たやつ? 結局何だったわけ?」

 カウンター内で調理するマスターの横で、里穂が興味津々な顔をする。

 探偵には守秘義務があるとはいえ、どこから欲する情報が手に入るかはわからない。詳しい理由は伏せておき、淑女の涙と呼ばれる宝石について知らないかだけ尋ねる。

「ふうん。それを探せって依頼なわけ。里穂は聞いたことないけど、マスターは?」

「私も残念ながら存じませんね。ですが昔の知り合いに聞けば何かわかるかもしれません。聞いておきましょうか?」

 マスターは意外に顔が広い。バーを開く前は何をしているのか聞いても、サラリーマンだとはぐらかされるが、新自身はそう思っていなかった。

 何せ以前も依頼で困った時に、愚痴るように言ったら、どこからか情報を仕入れてきてくれたのだ。以来、ワンと並行してマスターからも話を聞くようにしていた。

 いかに探偵でも、隠している他人の過去を勝手に暴くつもりはない。マスターの昔についてはさておき、何かしらの情報を得たい新は素直に頭を下げる。

「是非。ついでに玖珠貫玲子という女性の素性についても調べてもらえるかな? こっちはあとで姉貴にも聞こうとは思ってるけど、情報は多い方がいい」

「それって依頼者じゃないの? 守秘義務ってやつはどーすんの」里穂が言った。

「マスターを信用してるから大丈夫だ。それより、どうも気になるんだよ」

「綺麗な未亡人だしね。新なんか、デレッデレだったんだから。情けないよね、まったく」

 今度は祐希子だ。出されたばかりのナポリタンをフォークでがっつきながら、怒りを表現している。

「何で怒るんだよ。胡散臭さがあるのは教えたろ。偽名の可能性もあるからな。犯罪の片棒を担がされるような依頼だったら、素直に従うわけにはいかねえだろ」

「わかりました。その女性についても調べておきましょう。さあ、お話はこれくらいにして、私の特製ナポリタンを召し上がってください」
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