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葉月の子育て編

高木家の正月

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 元旦早々の来訪者に葉月は喜び、帰省中の妹は露骨に嫌そうな顔をした。

「初詣に来たぞ!」

 背後で恐縮しきりの夫を引き攣れ、元気一杯に高木家で実希子が右手を突き上げる。ほぼ同時期に出産したのもあり、以前よりも付き合いの頻度と濃さが増していた。

 その実希子だが、どうやら昨年の妊娠中に皆で初詣に行けず、完成したばかりの高木家で菜月を代わりに拝んだのを覚えているらしい。

「冗談でも止めなさい。万が一、子供が変な習慣を覚えたらどうするのよ」

「ご利益を与えてくれ」

「私はただの人間なのだけれど……」

「奇遇だな、アタシもだ」

 見事な実希子の切り返しに、さしもの菜月も言葉に詰まるかと思いきや、すらりとした鼻梁を跳ね上げ、身長の高い実希子を強引に見下ろすようなポーズを取った。

「希ちゃんはかわいそうね。実希子ちゃんという母親のせいで、昔のことをねちねちと持ち出す器の小さな人間に育ってしまいそうだわ」

「うぐっ!」

 子供のことを持ち出されると、特に母親は弱い。
 自分のことには無頓着な実希子でも娘には愛情を注いでおり、将来に関しては何かと気にしたりもする。

「まあ、そのままでも実希子ちゃんに似たら、壮絶な性格になりそうだけれど」

「どういう意味だ!」

 いつも通りにじゃれ合う二人を、いつも通りにまあまあと宥め、せっかく来てくれた実希子たちをリビングに案内する。

「あれ、尚も来てたのか」

 ソファで娘と遊んであげていた女性に気付き、マフラーを脱ぎながら実希子が声をかける。

「ついに晋ちゃんと別れたか」

「不吉でくだらない冗句は止めてくれる? 一緒だから」

 前の家よりグッと広くなったのはダイニングも同じで、そちらに春道ら男性陣が揃っていた。

 軽く手を挙げてきた晋太と和也に小さな頷きだけを返し、当たり前のように実希子は尚の隣に座った。

「でも珍しいな」

「中古物件の下見も兼ねてね。外観を見ただけなんだけど」

「こっちに引っ越すのか?」

「かも……晋ちゃん転職するし」

「マジかよ!」

 丁度その話をしていたのか、勢いよく実希子が振り返ると、晋太が照れくさそうな顔をしていた。

「けど、確かそこそこの会社に親のコネで入ってたろ」

「コネ言うな。事実だけど」

 実希子の直接的な言動にも、怒るのではなく笑って返す。
 葉月を目の敵にしていた学生時代に比べれば、柳井晋太という男性もずいぶんと変わった。

 もっとも尚の性根を叩きなおすと当時のソフトボール部の先輩が彼女を引き入れたように、彼もまた和也に連行される形で野球部に籍を置いた。
 すぐ辞めるかとも思ったが、そこは所属させた和也が事細かに面倒を見ていた。

「若い頃は反発を抱く言葉だけど、大人になればコネ万歳よ。よく言うじゃない。コネも実力のうちって」

「確かにそうだな」

 真顔で納得する実希子を、熱い緑茶を運んできた菜月が冷笑する。

「それを言うならコネではなくて運よ。場を和ませようとわざわざボケた尚さんを悲しませてどうするの」

「菜月ちゃん、それ私にもダメージが入ってる」

 元旦からお馴染みの騒がしさを発揮しつつ、話題はすぐに晋太の転職先に移る。

「実は市役所勤めになるのよ。ザ・公務員ね」

「絶対に親のコネじゃねえか!」

 晋太はいいとこの出で、母親も精力的にPTA会長として働いたり、その顔の広さは不動産業を営んでいる柚の父親よりも上だ。

「前々から公務員志望ではあったのよ。ただなかなか空きがなくてね。本当は県中央の方を狙ってたんだけど、こっちならどうだって誘いがあって、話を聞くなりラッキーって飛びついちゃった」

 尚の説明に、晋太が笑顔で同意する。

「子育ても本格化していくし、やっぱり近くに知り合いがいるってのは大きいしな」

「ほほう。中学の頃はあんなんだったのに、野球部でずいぶん変わったよなあ」

「足腰立たなくなるまで毎日走らされられたし、何より和也がいたから虐めを嫌う風潮が強かったんだよ」

 おかげで和也が在籍していた三年間は虐めも悪質な扱きもなく、また上から押さえつけなくても下級生から侮られたりしない理想的な環境ができていたらしい。

「考えてみればソフトボール部も似たようなもんだったな。けど、途中でよく音を上げなかったな」

「何度も辞めようと思ったさ」

 正直に当時の心境を吐露したあとで、晋太はでも、と続ける。

「練習試合で代打に出してもらってさ、初めてヒットを打ったんだよ。その瞬間に頭が真っ白になるっていうか……ハマっちまったんだろうな。和也の思う壺だよ。おかげで大学でまで野球漬けだ。まあ、両親というか特に父親は野球をやって俺が立派になったって大喜びだったな」

 野球がきっかけで父親との会話がグッと増え、家庭環境も良くなったらしかった。初めて知る友人の夫の裏話に、可愛かろうと育児疲れがある葉月は目を輝かせる。

「でもそうやって真面目になったから、良い転職の話も来たんだよ」

「高木にそう言ってもらえると救われるな」

 許したあとでも、何度も何度も当時のことを葉月に謝罪した晋太が柔らかく微笑んだ。しっかりした父親の顔だった。

「けどコネで役所に入れるんなら、真面目に試験してる連中が気の毒だな」

「昔から田舎なんてそんなもんでしょ。対外的には口利きなんてないことになってるし、表にも出ないけど」

「世知辛い世の中だな」

「そうは言っても筆記試験に受かったのは晋ちゃんの実力だし、面接官がたまたま晋ちゃんのお父さんが以前にお世話したことある人で、その縁で他の人より好印象を抱きやすかったってだけの話だからね。
 実希子ちゃん、賄賂とか想像してるでしょ」

「違うのか? 饅頭ですって渡して、ほほう山吹色の饅頭とな、とかやってんだろ」

「いつの時代の話よ! SNSが発達したこのご時世でそんな真似したら、どこからか話が漏れて贈った方も貰った方も大惨事よ!」

 加えて晋太の元いた会社は割と有名で勤務成績も真面目で優秀。年齢も三十歳で丁度社会人として脂も乗っている。
 普通の面接官であっても、魅力的に感じる部分は多いと尚は力説する。

「昔なら色々とあったかもしれないけど、今は田舎の地方公務員でもコネのみじゃさすがに受からないわよ」

「けど、面接の最後の一押し程度にはなるわけだ」

「だからその分だけ他の受験者より有利になるのは確かね」

 尚はそれをコネだと言ったのである。

「ふわぁ、大人の世界は色々と大変だねぇ」

「茉優だってもう大人でしょ、社会人なんだから」

 菜月が帰省すると聞けば、真っ先に遊びにやってくる茉優はその言葉通りにもうムーンリーフの主戦力である。

 菜月は菜月で訪ねて来た友人たちと、リビングの片隅でワイワイ話している。
 話題は成人式やその後に皆で計画しているスキー旅行についてなどだ。

 葉月はお客さんたちに和葉と一緒にお茶や料理を振舞いながら、ところどころで会話にも参加する。耳を澄ませば、尚が実希子に、智之も公務員を目指せばいいんじゃないかと囁いている。

 産休が終われば実希子も仕事に復帰するが、夫には安定した収入を望むというのは妻であれば比較的誰でも考える。
 葉月の場合は一緒に店をやっていこうと考えているし、駄目なら駄目で二人で頑張って働こうと決め、実際に話し合ってもいたが。

 悩み始めた実希子の隣で智之も話を聞き始め、そこに晋太も加わって、半ば就職説明会じみた様相を呈しつつある。

 そこに好美や柚もやってきて、実希子や葉月の娘を抱いて「可愛い」と連呼する。言葉が十分にわかっているのか、朱華が少し拗ねたようにするのが微笑ましい。

 初詣の話も出たが、元旦はまだ神社も混んでおり、そこに乳児を連れていくのはという結論になり、今年もまた空いている日のお昼に各々で済ませることになった。

 そうと決まればと実希子が久しぶりの酒だと日本酒を涙目で呑み始める。
 どうやら今日に限っては母乳ではなく、娘にミルクを与えるつもりらしく、きちんと哺乳瓶も持参していた。

 夫の智之は娘を片手で抱きながら、和葉から貰ったメモ用紙に晋太から聞いた公務員試験の内容を書き込んでいる。

 それぞれがそれぞれに楽しむ様子を眺め、無意識に葉月は「フフッ」と口元を歪める。

「どうかしたの?」

 気付いた好美に問われ、笑顔で答える。

「お家が広くなったのもあって、皆で集まれて嬉しいなって」

 これまでもこういう機会はあったが、人が集まりすぎると菜月が気を利かせて友人たちを自室に連れていくことが多かった。

 しかし今は友人たちとリビングで楽しそうにお喋りしている。
 同じ空間にいるおかげで、朱華とも遊んであげたりもする。

「葉月ちゃんの見たかった光景ね」

「うん……全部、好美ちゃんのおかげだよ。私にきっかけをくれたから」

「お礼なんて……私だって葉月ちゃんがいたから今があるもの」

「そうそう。ガキの頃から、葉月が中心なんだ。いつまでも皆の世話ばっかしてないで、こっちに来いよ」

 すっかり出来上がりつつある実希子に腕を引かれ、強引に真ん中に座らせられる。

「家主が来たぞー」

 実希子が叫び、歓声が上がる。
 両親まで一緒になっているものだから、妙にむず痒い。

「何か一言、挨拶を頼むぜ。もう騒ぎ始めちまってるけどな」

「無茶ぶりだよ、実希子ちゃん」

 抗議するも取り合ってもらえず、仕方なしに渡されたコップを持ち上げる。

「え、ええと……今年も幸せな一年になりますよう――ううん、皆で幸せな一年にしましょう!」

 声を張り上げた葉月に続き、乾杯の号令があちこちで沸き起こる。
 和葉の腕の中で穂月もなんとなく幸せそうにしているように見えて、葉月は笑顔でオレンジジュースを飲み干した。
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