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菜月の中学・高校編
冬休みと年末年始
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朝の爽やかさを振り払うように、騒々しくも軽やかな足取りで乗り込んだ電車。
空いている席に全員で座るなり、菜月の正面で涼子が背負っていたバッグからお菓子の箱を取り出した。昔から人気のあるチョコレートが塗された細いスティックタイプのものだ。
「電車といったらおやつだよな!」
「涼子ほどではないですが、それについてはわたしも同意します」
真っ先に貰った愛花が嬉しそうに咥え、次いで明美が頬張る。
きちんと菜月や茉優にもわけてくれる。
「茉優、女子会って初めてだから、楽しみなんだぁ」
「……これを女子会というかどうかは微妙だけれど」
「菜月は細かいな。せっかく期末テストも無事に終わって冬休みを堪能できるんだから、もっと素直に楽しめよ」
ポリポリとチョコレート菓子を齧りながら涼子が言った。
「無事と言えるのかしら。一人だけ点数を落とした人がいたわよね」
「菜月さん、過ぎ去った日々に囚われていては、勝利を手にできませんよ」
「ふわぁ。愛花ちゃん、なんだか凄いねぇ」
「当たり前です。何事も勝利を目指すことがわたしの信念ですから! 今日も菜月さんには負けません!」
「映画鑑賞で勝負って、何をするつもりなのよ」
先行きが不安ながらも、鑑賞予定の映画は菜月の好きな小説が原作なのもあり、密かに楽しみだったりする。
「それにしても、愛花ちゃんが映画好きなのは予想外だったわ」
「ずっと前から言ってますけど、わたしを何だと思ってるんですか」
複雑そうな表情で愛花がむくれる。
終業式の日に、冬休みに入ったら女子だけで映画を観に行こうと提案したのは他ならぬ愛花だった。
「流行の追及をするのも勝利には必要なんです。ただ、一人で行くのもどうかと思ったので、皆を誘ったのです」
大きな映画館は県庁所在地まで出向かねばならないため、こうして電車に乗っての遠出になったのである。
「この手の恋愛映画って親とだと楽しみ辛いし、かといって一人で行こうとすると止められちゃうしね。あたしは愛花ちゃんに誘ってもらってラッキーだったかな」
新たなお菓子を貰って明美は幸せそうだが、そんなことよりも菜月には聞き捨てならない点があった。
「ちょっと待って、明美ちゃん。恋愛映画って何のこと?」
「何って、これから観に行く極寒の高笑いのことだよ?」
お互いに状況を理解できず、数秒ほど沈黙が流れる。
ついでに菜月の頬に、冷たい汗も一筋流れた。
「私の知っている原作はサスペンスなのだけれど……」
「ウフフ。甘いですね、菜月さん。難解らしい原作を多くの人にも楽しんでもらいたいと、映画は恋愛色を強くしてあるんです」
「はあ!?」
勝ち誇ったように胸を張った愛花の肩を、菜月は全力で掴んだ。
「原作と変わる場合は多々あるけれど、ジャンルごとはやりすぎでしょう!」
「お、落ち着けよ、菜月!
揺さぶられすぎて、愛花が白目剥きそうになってるだろ!」
「落ち着けるわけないでしょう! あああ、嫌な予感がするわ……」
「きっと面白いから、大丈夫だよぉ」
小説といえば冒険ものしか読まない茉優が太鼓判を押す。そして菜月はますます不安になる。
「こうなったら茉優の根拠のない自信を信じるしかないわ……!」
しかしその内容は評論家がこぞって低評価をつけるほどで、映画館から出た菜月は愛花に八つ当たりをする元気もなく、しばらく立ち直れなかった。
*
「ああ……癒されるわ……」
綺麗に掃除された通路は、心地良い静けさで満たされていた。
「菜月ちゃんが喜んでくれてよかったよ」嬉しそうに真が言った。
「つい昨日、とんでもない映画を観てしまったばかりでね。ちょっとだけ心が荒んでいたのよ」
フフッと力なく笑う菜月に、さすがの真も若干引き気味である。
「なっちーの目が死んじゃってるねぇ」
「あんな内容なのに、茉優はずいぶんと楽しそうだったわね」
「きっと原作を読んでなかったからだねぇ」
「それはあるわね」
大きな大きなため息をつく菜月に、幾つかの慰めの言葉をかけたあと、真は思い出したように手を叩く。
「映画といえば、話題になってるのがあるよね。原作が人気だった極寒の――」
「――その話はしないで。私を地獄に叩き落したくないのなら」
「ア、アハハ。ショックを受けた映画って、それだったんだね……」
真の腕を掴んだ手から力を抜くと、菜月は改めて周囲を見渡す。
「だからこそ心を癒すために美術館へ来たのよ。ついでにこの街でのトラウマを払拭するためにも、今日は楽しむわ」
「愛花ちゃんたちも来られればよかったのにねぇ」
「仕方ないわ。冬休みは一週間もすれば年末になっているし、色々と家の用事もあるでしょうから」
ついでに冬休みだからと部活も毎日休みなわけではない。今日も午前中の練習を終えてから、電車に乗って三人は県まで出てきている。もっとも真の場合は美術室からの見学だったが。
「そのうちまっきーの絵も、こういうところに飾られたりするのかなぁ」
期待を込めた茉優の眼差しに、真は後頭部を掻きながら視線を泳がせる。
「ここにあるのは世界的に活躍した人の作品ばかりだからね。割って入るのはとんでもなく難しいかな」
「駄目よ、真」
弱気の少年に、菜月はピシャリと言い放つ。
「実現できるかどうかは関係なく、目指すなら一番高いところにしなさい。せっかく才能もあるのだから」
「まっきー、また賞を取ってたもんねぇ」
「あ、あれは県の小さな賞だし……」
「それでも全県の中学校から作品が集められていたのでしょう? 来年は全国規模のにも出してみろと顧問の先生にも勧められたと言っていたじゃない。真はもっと自信を持つべきね」
謙虚な性格の真は今年度の賞レースにおいても、上級生を差し置いて目立ちたくないとの理由から全国規模のではなく、知る人ぞ知る的な県の小さな品評会を選んだ。そこで準大賞を獲った彼の作品は、県の賞というのもあっていつものスーパーで展示もされたりもした。
「私たちだって弱小だけれど、全国制覇を目指しているのよ」
「新人戦も一回戦負けだったけどねぇ」
「茉優、それは言わない約束でしょ」
「でもぉ、茉優はまたなっちーにボールを投げられたから楽しかったなぁ」
三年生が抜けて部員数が不足してるのもあり、やはり同学年の他の部の人間に頼んで頭数だけ揃えて大会に参加した。
新人戦はトーナメントで敗者復活もあったが、初戦では先発した愛花が、二戦目では茉優が粘投したものの、打力に乏しかった菜月たちのチームは最終的に負けてしまった。
「私も楽しかったけれど、やはり悔しい気持ちが先にくるわね。愛花ちゃんも号泣していたし」
「だけど夏とは違って最後まで競っていたし、もう少しできっと勝てるよ」
真の励ましに菜月は柔らかな笑みを浮かべる。
「なら、お互いに頑張らないとね」
「ハハ……そうだね。僕もやれるだけやってみるよ」
壁に展示されている絵画を見上げて言う真。その横顔は初めて会った時とは違い、少しずつ凛々しさを纏い始めていた。
*
冬休みだとはしゃぐうちに年の瀬になり、新年を迎える。
中学生になったのもあり、菜月たちは近場の神社限定ではあるが、特別に子供たちだけで初詣をするのを許可された。
「なっちー、あけましておめでとうー」
「……さっき、私の部屋でも挨拶したじゃない」
菜月の家で大晦日の夜を過ごし、新年まで遊んでから初詣に訪れている。ちなみに大人たちはリビングで呑んだくれた結果、見事に泥酔中である。
「えへへ、そうだねぇ。でも、なんだか嬉しいよねぇ」
はしゃぐ茉優に感化されたわけではないだろうが、真も嬉しそうに頷く。
「うん。子供だけで夜に出かけるなんて特別感があるよね」
「……二人とも甘いわね」
「え? 菜月ちゃん?」
訝しがる真に、菜月は告げる。
「特に心配性なウチのママが、あんな笑顔で私たちを見送るなんてありえないわ。本来なら眠りこけているパパを背負ってでも、監視に来そうなのに」
「じゃあ、ついてきてるってこと?」
「ママじゃなくて、密命を受けた者がいるのよ」
二人に気を付けるように言ってから、菜月は慎重に神社を見渡す。
そしてすぐに発見する。
隅の方でちょろちょろと様子を窺いつつも、デート中の姉とその彼氏の姿を。
さらには――。
「あれって実希子ちゃんだよねぇ?」
「……多分、僕らをからかおうとしたんだろうね。
隣の女性に取り押さえられてるし」
茉優が指摘し、真に呆れ笑いをさせた張本人は、実業団に所属してソフトボールを続けている佐々木実希子その人だった。
事前に葉月から聞かされていた通り、好美や柚といった他の友人たちも帰省中らしく一緒にいる。
「まあ、こういうわけで完全に子供たちだけというわけではないのよ」
菜月が肩を竦めるも、茉優はどこか安心したように言う。
「心強いけど、それなら一緒にお参りすればいいのにねぇ」
「きっとパパがそろそろ子供たちに自主性をと言って、ママがまだ早いと反対した結果、妥協案として今回の事態になったのだと思うわ」
「ふわぁ。なっちーってば、相変わらずエスパーさんみたいだねぇ」
「エスパーさんって……ただの推測にすぎないわ」
こそこそしながらも楽しそうな姉一派には最後に声をかけることに決め、まずは三人でお参りをする。ここで列から外れたら、せっかく並んでいたのが無駄になるからだ。
「まっきーは何をお願いするの?」
「そ、それは、その……秘密ってことで」
「そうなの? 茉優はねぇ、来年もなっちーやまっきーと仲良くできるようにお願いするよ」
まっきーは違うのと純粋な少女に首を傾げられ、少年は露骨に狼狽える。
「きっと一人だけ邪な願い事をするつもりだったのね」
「ち、違うよ!」
「まったくだ。真がそんな男のわけないだろ。俺の弟分だぞ!」
突如乱入してきた声に驚くのではなく、菜月は案の定といった感想を覚える。
「礼儀として聞いておくけれど、どうして宏和はここにいるのかしら」
「もちろん菜月に会えるだろうと思って、見張ってたに決まってるだろ!」
胸を張って答えた宏和に、菜月は頭を抱えたくなる。
「私たちが昼から来る予定だったらどうするのつもりだったのよ」
「愚問だな」宏和がサムズアップする。「帰省中の実希子さんに教えてもらったのさ!」
要するに菜月→葉月→実希子→宏和という順番で伝わったのだろう。姉や好美なら気を遣っても、実希子であればほぼ確実に面白がって教える。宏和もそう判断したのだろう。
「……あのアホゴリラ……あとでお仕置きね」
「あ、実希子ちゃんがなんかビクってしてるよぉ」
「きっと寒気でもしたんだろうね」
「とりあえず初詣をしようぜ! 俺と菜月の幸せを願わないとな!」
「それはよかったわ」
菜月はにっこりと笑う。
「な、菜月……とうとう俺の気持ちが通じたのか! うおお、感涙!」
「お願い事は誰かに教えると叶わないと言うからね。
事前に伝えてもらって助かったわ」
「菜月いいい!」
本当に号泣し始めた従兄弟は放置し、三人で並んで手を合わせる。
「神様にお願いを叶えてもらえるように、茉優はさっきと違うのにしたよぉ」
「叶うといいわね」
自分の番になって懸命にガラガラ鳴らし、周囲から白い目で見られている宏和とは徹底的に他人のふりをする。手遅れっぽい気もするが。
「なっちー、おみくじをしにいこうー」
初詣といえば定番のおみくじ売場に行くと、そこでも見知った顔と遭遇した。
「愛花ちゃん?」
「あ、あら、菜月さん。偶然ですね」
何故だかギクリとしたような反応をする愛花。背後には今年も元気なトリマキーズこと涼子と明美も控えている。
「わざわざこっちの神社にまで初詣に来たの? しかも着物まで着て……。まさか新年早々、変な勝負を持ちかけるつもりではないわよね」
「ですから、菜月さん。あなたはわたしを何だと思ってるんですか」
いつも通りにプンスカし始めた愛花だったが、茉優がふと漏らした一言で態度が一変する。
「そういえば、あっちでひっきーとも会ったよぉ」
「――っ!
そ、それは戸高先輩のことでしたよね。そ、そうですか。知りませんでした。そういうわけでわたしは急用に巡り合いましたので、これで失礼します!」
オホホと笑いながら、着物とは思えないほど素早く愛花が菜月の視界からフェードアウトする。トリマキーズも慌ててその後を追いかけていった。
「急用に巡り合うって……」
今夜、何度目かもわからない苦笑いを顔に張りつけた真の隣で、菜月は小さく息を吐く。
「なんというか……わかりやすいわね」
「ハハ……でも、宏和君もだけど、あれだけ真っ直ぐなのはちょっと羨ましいかも」
「……宏和に憧れるのはどうかと思うけれど、羨ましいのであれば努力してみるのもいいかもしれないわね」
勇気づけるつもりで言ったつもりが、真は何故か盛大に赤面する。
「ふわぁ。まっきー、茹蛸さんみたいだねぇ」
「こ、これは、その……うう、僕には難しいかもしれない……」
「フフ。何はともあれ、今年もよろしくね」
菜月が言うと、小学校時代からの親友二人は揃って笑顔で頷いてくれた。
空いている席に全員で座るなり、菜月の正面で涼子が背負っていたバッグからお菓子の箱を取り出した。昔から人気のあるチョコレートが塗された細いスティックタイプのものだ。
「電車といったらおやつだよな!」
「涼子ほどではないですが、それについてはわたしも同意します」
真っ先に貰った愛花が嬉しそうに咥え、次いで明美が頬張る。
きちんと菜月や茉優にもわけてくれる。
「茉優、女子会って初めてだから、楽しみなんだぁ」
「……これを女子会というかどうかは微妙だけれど」
「菜月は細かいな。せっかく期末テストも無事に終わって冬休みを堪能できるんだから、もっと素直に楽しめよ」
ポリポリとチョコレート菓子を齧りながら涼子が言った。
「無事と言えるのかしら。一人だけ点数を落とした人がいたわよね」
「菜月さん、過ぎ去った日々に囚われていては、勝利を手にできませんよ」
「ふわぁ。愛花ちゃん、なんだか凄いねぇ」
「当たり前です。何事も勝利を目指すことがわたしの信念ですから! 今日も菜月さんには負けません!」
「映画鑑賞で勝負って、何をするつもりなのよ」
先行きが不安ながらも、鑑賞予定の映画は菜月の好きな小説が原作なのもあり、密かに楽しみだったりする。
「それにしても、愛花ちゃんが映画好きなのは予想外だったわ」
「ずっと前から言ってますけど、わたしを何だと思ってるんですか」
複雑そうな表情で愛花がむくれる。
終業式の日に、冬休みに入ったら女子だけで映画を観に行こうと提案したのは他ならぬ愛花だった。
「流行の追及をするのも勝利には必要なんです。ただ、一人で行くのもどうかと思ったので、皆を誘ったのです」
大きな映画館は県庁所在地まで出向かねばならないため、こうして電車に乗っての遠出になったのである。
「この手の恋愛映画って親とだと楽しみ辛いし、かといって一人で行こうとすると止められちゃうしね。あたしは愛花ちゃんに誘ってもらってラッキーだったかな」
新たなお菓子を貰って明美は幸せそうだが、そんなことよりも菜月には聞き捨てならない点があった。
「ちょっと待って、明美ちゃん。恋愛映画って何のこと?」
「何って、これから観に行く極寒の高笑いのことだよ?」
お互いに状況を理解できず、数秒ほど沈黙が流れる。
ついでに菜月の頬に、冷たい汗も一筋流れた。
「私の知っている原作はサスペンスなのだけれど……」
「ウフフ。甘いですね、菜月さん。難解らしい原作を多くの人にも楽しんでもらいたいと、映画は恋愛色を強くしてあるんです」
「はあ!?」
勝ち誇ったように胸を張った愛花の肩を、菜月は全力で掴んだ。
「原作と変わる場合は多々あるけれど、ジャンルごとはやりすぎでしょう!」
「お、落ち着けよ、菜月!
揺さぶられすぎて、愛花が白目剥きそうになってるだろ!」
「落ち着けるわけないでしょう! あああ、嫌な予感がするわ……」
「きっと面白いから、大丈夫だよぉ」
小説といえば冒険ものしか読まない茉優が太鼓判を押す。そして菜月はますます不安になる。
「こうなったら茉優の根拠のない自信を信じるしかないわ……!」
しかしその内容は評論家がこぞって低評価をつけるほどで、映画館から出た菜月は愛花に八つ当たりをする元気もなく、しばらく立ち直れなかった。
*
「ああ……癒されるわ……」
綺麗に掃除された通路は、心地良い静けさで満たされていた。
「菜月ちゃんが喜んでくれてよかったよ」嬉しそうに真が言った。
「つい昨日、とんでもない映画を観てしまったばかりでね。ちょっとだけ心が荒んでいたのよ」
フフッと力なく笑う菜月に、さすがの真も若干引き気味である。
「なっちーの目が死んじゃってるねぇ」
「あんな内容なのに、茉優はずいぶんと楽しそうだったわね」
「きっと原作を読んでなかったからだねぇ」
「それはあるわね」
大きな大きなため息をつく菜月に、幾つかの慰めの言葉をかけたあと、真は思い出したように手を叩く。
「映画といえば、話題になってるのがあるよね。原作が人気だった極寒の――」
「――その話はしないで。私を地獄に叩き落したくないのなら」
「ア、アハハ。ショックを受けた映画って、それだったんだね……」
真の腕を掴んだ手から力を抜くと、菜月は改めて周囲を見渡す。
「だからこそ心を癒すために美術館へ来たのよ。ついでにこの街でのトラウマを払拭するためにも、今日は楽しむわ」
「愛花ちゃんたちも来られればよかったのにねぇ」
「仕方ないわ。冬休みは一週間もすれば年末になっているし、色々と家の用事もあるでしょうから」
ついでに冬休みだからと部活も毎日休みなわけではない。今日も午前中の練習を終えてから、電車に乗って三人は県まで出てきている。もっとも真の場合は美術室からの見学だったが。
「そのうちまっきーの絵も、こういうところに飾られたりするのかなぁ」
期待を込めた茉優の眼差しに、真は後頭部を掻きながら視線を泳がせる。
「ここにあるのは世界的に活躍した人の作品ばかりだからね。割って入るのはとんでもなく難しいかな」
「駄目よ、真」
弱気の少年に、菜月はピシャリと言い放つ。
「実現できるかどうかは関係なく、目指すなら一番高いところにしなさい。せっかく才能もあるのだから」
「まっきー、また賞を取ってたもんねぇ」
「あ、あれは県の小さな賞だし……」
「それでも全県の中学校から作品が集められていたのでしょう? 来年は全国規模のにも出してみろと顧問の先生にも勧められたと言っていたじゃない。真はもっと自信を持つべきね」
謙虚な性格の真は今年度の賞レースにおいても、上級生を差し置いて目立ちたくないとの理由から全国規模のではなく、知る人ぞ知る的な県の小さな品評会を選んだ。そこで準大賞を獲った彼の作品は、県の賞というのもあっていつものスーパーで展示もされたりもした。
「私たちだって弱小だけれど、全国制覇を目指しているのよ」
「新人戦も一回戦負けだったけどねぇ」
「茉優、それは言わない約束でしょ」
「でもぉ、茉優はまたなっちーにボールを投げられたから楽しかったなぁ」
三年生が抜けて部員数が不足してるのもあり、やはり同学年の他の部の人間に頼んで頭数だけ揃えて大会に参加した。
新人戦はトーナメントで敗者復活もあったが、初戦では先発した愛花が、二戦目では茉優が粘投したものの、打力に乏しかった菜月たちのチームは最終的に負けてしまった。
「私も楽しかったけれど、やはり悔しい気持ちが先にくるわね。愛花ちゃんも号泣していたし」
「だけど夏とは違って最後まで競っていたし、もう少しできっと勝てるよ」
真の励ましに菜月は柔らかな笑みを浮かべる。
「なら、お互いに頑張らないとね」
「ハハ……そうだね。僕もやれるだけやってみるよ」
壁に展示されている絵画を見上げて言う真。その横顔は初めて会った時とは違い、少しずつ凛々しさを纏い始めていた。
*
冬休みだとはしゃぐうちに年の瀬になり、新年を迎える。
中学生になったのもあり、菜月たちは近場の神社限定ではあるが、特別に子供たちだけで初詣をするのを許可された。
「なっちー、あけましておめでとうー」
「……さっき、私の部屋でも挨拶したじゃない」
菜月の家で大晦日の夜を過ごし、新年まで遊んでから初詣に訪れている。ちなみに大人たちはリビングで呑んだくれた結果、見事に泥酔中である。
「えへへ、そうだねぇ。でも、なんだか嬉しいよねぇ」
はしゃぐ茉優に感化されたわけではないだろうが、真も嬉しそうに頷く。
「うん。子供だけで夜に出かけるなんて特別感があるよね」
「……二人とも甘いわね」
「え? 菜月ちゃん?」
訝しがる真に、菜月は告げる。
「特に心配性なウチのママが、あんな笑顔で私たちを見送るなんてありえないわ。本来なら眠りこけているパパを背負ってでも、監視に来そうなのに」
「じゃあ、ついてきてるってこと?」
「ママじゃなくて、密命を受けた者がいるのよ」
二人に気を付けるように言ってから、菜月は慎重に神社を見渡す。
そしてすぐに発見する。
隅の方でちょろちょろと様子を窺いつつも、デート中の姉とその彼氏の姿を。
さらには――。
「あれって実希子ちゃんだよねぇ?」
「……多分、僕らをからかおうとしたんだろうね。
隣の女性に取り押さえられてるし」
茉優が指摘し、真に呆れ笑いをさせた張本人は、実業団に所属してソフトボールを続けている佐々木実希子その人だった。
事前に葉月から聞かされていた通り、好美や柚といった他の友人たちも帰省中らしく一緒にいる。
「まあ、こういうわけで完全に子供たちだけというわけではないのよ」
菜月が肩を竦めるも、茉優はどこか安心したように言う。
「心強いけど、それなら一緒にお参りすればいいのにねぇ」
「きっとパパがそろそろ子供たちに自主性をと言って、ママがまだ早いと反対した結果、妥協案として今回の事態になったのだと思うわ」
「ふわぁ。なっちーってば、相変わらずエスパーさんみたいだねぇ」
「エスパーさんって……ただの推測にすぎないわ」
こそこそしながらも楽しそうな姉一派には最後に声をかけることに決め、まずは三人でお参りをする。ここで列から外れたら、せっかく並んでいたのが無駄になるからだ。
「まっきーは何をお願いするの?」
「そ、それは、その……秘密ってことで」
「そうなの? 茉優はねぇ、来年もなっちーやまっきーと仲良くできるようにお願いするよ」
まっきーは違うのと純粋な少女に首を傾げられ、少年は露骨に狼狽える。
「きっと一人だけ邪な願い事をするつもりだったのね」
「ち、違うよ!」
「まったくだ。真がそんな男のわけないだろ。俺の弟分だぞ!」
突如乱入してきた声に驚くのではなく、菜月は案の定といった感想を覚える。
「礼儀として聞いておくけれど、どうして宏和はここにいるのかしら」
「もちろん菜月に会えるだろうと思って、見張ってたに決まってるだろ!」
胸を張って答えた宏和に、菜月は頭を抱えたくなる。
「私たちが昼から来る予定だったらどうするのつもりだったのよ」
「愚問だな」宏和がサムズアップする。「帰省中の実希子さんに教えてもらったのさ!」
要するに菜月→葉月→実希子→宏和という順番で伝わったのだろう。姉や好美なら気を遣っても、実希子であればほぼ確実に面白がって教える。宏和もそう判断したのだろう。
「……あのアホゴリラ……あとでお仕置きね」
「あ、実希子ちゃんがなんかビクってしてるよぉ」
「きっと寒気でもしたんだろうね」
「とりあえず初詣をしようぜ! 俺と菜月の幸せを願わないとな!」
「それはよかったわ」
菜月はにっこりと笑う。
「な、菜月……とうとう俺の気持ちが通じたのか! うおお、感涙!」
「お願い事は誰かに教えると叶わないと言うからね。
事前に伝えてもらって助かったわ」
「菜月いいい!」
本当に号泣し始めた従兄弟は放置し、三人で並んで手を合わせる。
「神様にお願いを叶えてもらえるように、茉優はさっきと違うのにしたよぉ」
「叶うといいわね」
自分の番になって懸命にガラガラ鳴らし、周囲から白い目で見られている宏和とは徹底的に他人のふりをする。手遅れっぽい気もするが。
「なっちー、おみくじをしにいこうー」
初詣といえば定番のおみくじ売場に行くと、そこでも見知った顔と遭遇した。
「愛花ちゃん?」
「あ、あら、菜月さん。偶然ですね」
何故だかギクリとしたような反応をする愛花。背後には今年も元気なトリマキーズこと涼子と明美も控えている。
「わざわざこっちの神社にまで初詣に来たの? しかも着物まで着て……。まさか新年早々、変な勝負を持ちかけるつもりではないわよね」
「ですから、菜月さん。あなたはわたしを何だと思ってるんですか」
いつも通りにプンスカし始めた愛花だったが、茉優がふと漏らした一言で態度が一変する。
「そういえば、あっちでひっきーとも会ったよぉ」
「――っ!
そ、それは戸高先輩のことでしたよね。そ、そうですか。知りませんでした。そういうわけでわたしは急用に巡り合いましたので、これで失礼します!」
オホホと笑いながら、着物とは思えないほど素早く愛花が菜月の視界からフェードアウトする。トリマキーズも慌ててその後を追いかけていった。
「急用に巡り合うって……」
今夜、何度目かもわからない苦笑いを顔に張りつけた真の隣で、菜月は小さく息を吐く。
「なんというか……わかりやすいわね」
「ハハ……でも、宏和君もだけど、あれだけ真っ直ぐなのはちょっと羨ましいかも」
「……宏和に憧れるのはどうかと思うけれど、羨ましいのであれば努力してみるのもいいかもしれないわね」
勇気づけるつもりで言ったつもりが、真は何故か盛大に赤面する。
「ふわぁ。まっきー、茹蛸さんみたいだねぇ」
「こ、これは、その……うう、僕には難しいかもしれない……」
「フフ。何はともあれ、今年もよろしくね」
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