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菜月の中学・高校編

中学生になって初めてのテスト

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 姉の葉月から聞いてはいたが、中学校のテスト事情は小学校とは大違いだった。
 中間テストは一日をかけて五教科をこなさなければならず、期末の場合はさらに科目が増えるという。

「大変とはいえ、問題が出題されるのは授業でやった内容。日々、きちんと予習と復習をしておけば問題はないわ」

 泣きそうな顔で放課後の教室にやってきた親友の茉優に、菜月は事も無げにそう言った。クラスは違えども部活は一緒なので、毎日迎えに来てくれるのである。

「え、えへへ……そ、そうなんだぁ……」

 普段通りの笑顔を作ろうとして、明らかに失敗している少女の顔には砂粒ほどの自信も存在しない。

「その分だと大変な事態になりそうね。真はどうなのかしら」

「自信はないけど、頑張るつもりではいるよ」

 一緒に菜月のクラスまで来た少年を、茉優が半眼で睨む。

「まっきーは嘘つきだよねぇ。小テストだと、いつも良い点なんだよ」

 同じクラスだけによく知っているのだろう。
 しかし、それは逆もまた然りとなる。

「真。そういう茉優の小テストの結果はどうなの?」

「あ、あはは。その……何ていうか……」

「まっきー! あ、あとでプリンを奢ってあげるよ」

 言い淀む真に、あからさまな買収工作に出る茉優。二人の反応を見れば、答えを聞くまでもなかった。

「散々な有様みたいね」

「え、えへへ。それで、そのぉ」

「わかっているわよ。テスト勉強するのは、私の家でいいかしら」

「なっちー、大好き」

 抱き着いてくる茉優の頭をはいはいと撫でていると、呼んでもいないのに二人の取り巻きを連れた愛花が現れた。

「学級委員長であれば成績はもちろん大切です。副委員長に負けるなどありえません。そんな結果になったら、委員長と副委員長を交換すべきだと思いませんか」

 胸を張る愛花の左右で、涼子と明美の二人がここぞとばかりに褒め称える。
 菜月からすれば交換どころか、タダで譲りたいくらいである。問題は途中で放棄すれば、内申書に響くかもしれない点だ。

「先生がいいと言ったらね」

「ウフフ。これでわたしはテスト明けから委員長です」

 菜月とのやりとりを聞いていた茉優が「ふわぁ」と驚きの声を上げる。

「凄い自信だねぇ。愛花ちゃんは頭がいいんだねぇ」

「……もちろんです。佐奈原茉優さんに勉強を教えてあげてもいいですよ」

「あ、愛花ちゃん」

「明美、しっ! 黙ってろって」

 トリマキーズこと涼子と明美の困ったような反応で、菜月はおおよその見当をつける。どうやら愛花は態度ほどに、勉学が得意ではないみたいである。

「ごめんねぇ。茉優はなっちーとお勉強するねぇ」

「わかりました。後悔しないでくださいね。では、高木菜月さん。結果が出る日を楽しみにしてます」

 機敏な動作で愛花が身を翻す。一見すれば良家のお嬢様だが、その運動神経はなかなかのものだ。ソフトボール部でも徐々に真価を発揮しつつある。

 もっとも取り巻きの一人、清水涼子の方が身体能力は上だったりする。それこそ意外にも運動が得意な茉優に勝るとも劣らないほどだ。

 その部活も今日はない。学校側の取り決めで、テスト前日は例外なく休みになるからだ。

 だからといって勉強せずに遊んだりして三十点以下のいわゆる赤点を取れば追試となり、合格するまでは部活動に励んではいけないという嬉しくない特典までつく。

「私たちも帰りましょうか。今日は夜まで勉強ね」

「茉優も頑張るよぉ」

 気合を入れる茉優の額を、菜月は人差し指で軽く押す。

「テスト前だけでなく、日頃から頑張りなさい」

   *

 一つのテーブルを三人で囲む。菜月の部屋でのこうした勉強風景は、小学生の頃から変わらない。

 夏へ近づくにつれ、日が伸びた放課後は午後六時を過ぎてもまだまだ明るい。窓から差し込む光に照らされたノートには、文字がびっしりと書き込まれていた。

 菜月と真のノートを茉優がせっせと書き写し、そこから出題が予想される問題を抜き出して、赤ペンなどで彩を加えていく。

「ふわぁ。なっちーもまっきーも、やっぱり凄いねぇ」

 一段落したところで、茉優がテーブルに突っ伏した。麦茶の入ったグラスが、笑うように振動する。

「真面目に授業を受けているだけよ」

 予習復習も一日の終わりにこなす菜月からすれば、テスト前だからといって過度な勉強は必要ないのである。ノートを見返し、範囲内の確認と問題を予測するだけで十分に事足りる。

 真も昔から成績は優秀なので、三人で勉強するというよりも、二人がかりで茉優に教えているといった方が正しかった。

「茉優もやればできる子なんだから、せめて授業は真面目に受けなさい。そうしないと実希子ちゃんみたいになってしまうわよ」

「うん。今度からあまり寝ないで頑張るよぉ」

「……寝ていたのね」

「ふわぁ! まっきー!?」

「え!? 僕、何も言ってないよね!?」

 わいわいと騒いでいると、ノックもなしにドアが開け放たれる。

「たっだいまー! 皆で勉強してるんだって? 学生は大変だねー」

 勝手に乱入してきた挙句、他人事のようにそう言ったのは葉月である。
 早朝からスーパーの店内で営業するパン屋に出勤していたが、仕事を終えて帰ってきたのだ。

「おかえり、はづ姉。それより、いきなりドアを開けるのは行儀が悪いわよ」

「私となっちーの仲なんだから気にしない、気にしない」

「親しき仲にも礼儀ありというでしょう」

 わざとらしく大袈裟にため息をついてから、先ほどまで会話をしていた茉優に向き直る。

「いい? あんな風に実希子菌に侵されて頭が狂う前に、茉優は真人間に戻らないといけないのよ」

 茉優が返事をする前に、葉月は「フフン」と笑って右手に持っていた紙袋を突き出した。

「私にそんなことを言っていいのかな。せっかく差し入れを持ってきてあげたのに」

 差し入れの言葉に、真っ先に反応したのは茉優だった。

「パン!? きっと美味しいよねぇ」

 黙っていれば可愛らしい顔を、涎を垂らさんばかりに歪めた茉優の前で、紙袋の中身が披露される。

 一つ一つ小さな透明袋に小分けされていたのは、葉月が働くパン屋で売っている商品だった。

「はづ姉、盗難は犯罪よ。付き添ってあげるから、警察へ行きましょう」

「残念。これは練習として私が焼かせてもらったの。家族の人と食べなさいって、店長が持たせてくれたのよ」

「なるほど。商品として並べられないから、責任をもって引き取れと言われたのね」

「なっちー、可愛くない。そんな妹にはこうだ」

「プロレス技はやめて! 実希子ちゃんっぽいし、隣には真がいるのよ!」

 部屋の中で忙しなく追いかけっこをする高木姉妹を後目に、茉優は目を付けたと思われるソーセージパンを凝視する。

 バターやマヨネーズに彩られた定番ともいえる一品で、葉月のパン屋でも人気が高い。小学生時代からたまに皆で買ったりしていたので、その味は茉優もよくわかっている。

「素直な反応をしてくれる茉優ちゃんは可愛いね。好きなの食べていいよ」

「はづ姉ちゃん、ありがとー」

「アハハ。どういたしまして」

 葉月にお礼を言った口を大きく開き、茉優がパンを咀嚼する。

「美味しいねぇ。何個でも食べられるよ」

「真君もほら。お腹が空いてたら、勉強も捗らないよ」

「ありがとうございます」

 真が手を伸ばしたのは、好物のメロンパンだった。付き合いも長くなってきているので、誰がどのようなパンを好むかはわかっている。

 菜月の前にちょこんと置かれたのは、あんドーナツだ。砂糖を塗した揚げパンはサクっとふわふわで、中にぎっしり詰め込まれた濃厚なあんこがたまらない。

「他にも生クリームコロネとかもあるよ。
 確か、こっちもなっちー好きだったよね」

「く……食べ物で関心を引くなんて最低だわ」

「じゃあ、いらないんだね」

「ま、待って。早合点はよくないわ」

 そっぽを向きながらも、しっかりと菜月は姉に掌を差し出す。
 すぐにでもパンを乗せてくれると思いきや、葉月は邪悪極まりない笑みを浮かべる。

「さっき意地悪されたからなー」

「お、大人なんだから根に持つのはやめてよ」

「アハハ。じゃあ、お姉ちゃん大好きって言ってくれたら許してあげるよ」

「パンは食べなくて結構よ」

 突き放すように言った菜月の足元に、ジーンズ姿の姉が駄目女のごとくすがりつく。

「いいじゃない。言ってよー。たまにはなっちーからの素直な愛が欲しいのよお」

「じゃあ、茉優にもー。まっきーはどうする?」

「え!? あ、あの、その、僕はその、なんというか……」

「ああ、もう、わかったわよ。皆まとめて大好きよ!」

 半ばヤケクソになって見上げた天井に言葉をぶつけると、菜月は姉の手から奪い取ったあんドーナツにかぶりついた。

   *

 無事に終わったテストが、点数をつけて戻された日の放課後。
 廊下でホームルームが終わるのを待っていた茉優が、大はしゃぎで菜月の席へやってきた。すぐ後ろには真の姿もある。

「やったよー! なっちーとまっきーのおかげで余裕だったよぉ」

 五枚の答案用紙を見せてもらった菜月は、予想以上の点数に目を細めた。
 平均は七十点近くで、とても赤点を心配していた生徒の成績とは思えなかった。

「でも、まっきーはもっと凄いんだよ。合計で四百三十八点だって!」

 興奮する茉優の隣で、真が照れ臭そうにする。

「たまたまヤマが当たっただけだよ。ところで菜月ちゃんは?」

「合計で四百九十二点ね。数学で単純なミスをしたのが響いたわ」

 ふうと小さく息を吐いた直後、すぐ後ろでガタンと椅子の鳴る音がした。
 振り返った先にいたのは、顔面を蒼白にした愛花だった。

「そういえば委員長がどうのと言っていたわね。嶺岸さんはどうだったの?」

「……テストの結果だけで、資質をどうこういうのは感心しません」

「全教科赤点だったのね」

「違います! 合計で丁度三百点で――あ」

 しまったとばかりに硬直する愛花。
 迂闊というか、どこまでも憎めない人物である。

「……普通ね。成績良さそうな外見で、勉強がまったくできないというギャップを少しだけ期待していたのだけれど」

「ため息をつかないでください! 普通とか言うのもです! いいでしょう、高木菜月さん。この借りは今日の部活で返してあげます! ほら、行きますよ!」

「もちろん行くけれど……ところで、トリマキーズの点数はどうだったの?」

 菜月に視線を向けられた涼子が、顔を真っ赤にして拳を握る。

「だから、トリマキーズとか言うな! どうしてもって言うなら、そうだな……親衛隊とかどうだ!」

「涼子ちゃん、それ恰好いい。あたし、賛成」

 明美が嬉しそうに飛び跳ねる中、菜月は肩を竦めて一刀両断する。

「ネーミングセンスが皆無ね」

「高木に言われたくない!」

「で……点数は?」

「高木に言われたくない!」

 返ってきた同じ回答で菜月は察する。

「嶺岸さんより良い点数を取ってしまって、気軽に言い出せないのね」

 菜月の指摘に顔色を変えたのは、涼子よりも愛花の方だった。

「涼子、確かわたしより点数が下だって……」

「ち、違うんだ、愛花」

「そうだよ、愛花ちゃん。涼子ちゃんはいつも三人の中で一番点数が良かったけど、おバカなふりしてただけなんだよ」

「フォローになってない! っていうか明美は誰の味方だよ!」

「……先に一人で行くわ」

「ま、待ってくれ、愛花。
 ちくしょう! 覚えてろよ、高木!」

 凄まじい勢いで三人組がいなくなるのを見届けたあと、菜月は今一度大きく肩を竦めた。

「私、何もしてないのだけれど」

「あ、あはは……そう……かな……」

 どことなく微妙そうな笑顔の真は無視しつつ、菜月はスクールバッグを左肩に担ぐ。

「ま、部活をやる気になっているのはいいことね。
 私たちもグラウンドへ行きましょうか」

 赤点を免れ、今日も元気に部活へ参加できる茉優が嬉しそうに首を縦に動かした。

「うんっ」

「僕も美術部があるから、途中まで一緒に行くよ」

「こちらを見過ぎて、顧問の先生に怒られないようにね」

「えっ!? いや、その……そんなには……って、待ってよ、菜月ちゃん」

 なんやかんやで進んでいく中学校生活。小学生時代とは色々と違ってはいるが、それでも今のところは楽しさが勝っていた。

「夏の大会まであと少し。私たちも試合に出られるでしょうし、練習あるのみよ」

「えへへ。なっちーと一緒に試合だねぇ。楽しみだねぇ」

 夏へ向けて強くなっていく日差しに負けないよう、菜月は元気にグラウンドを目指すのだった。
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