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葉月の高校編

高校からの一報

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 昼食を終えて午後の仕事をしている最中に、春道の仕事部屋のドアがもの凄い勢いで叩かれた。いつにないほどの激しさが、ノックする人間の精神状態を教えてくれる。

 平日の今日、家の中にいるのは春道と妻の和葉だけだ。来客の気配もないので、誰が春道を呼んでるのかを確認するまでもなかった。

「は、春道さん! た、大変よ! 春道さん!」

 どうぞという前に、最近は鍵をかけていない仕事部屋へ乱入するように和葉が飛び込んで来た。ノックの乱雑さが証明していたように冷静さを失っており、軽いパニック状態に陥っている。

「落ち着けよ、どうしたって言うんだ」

 ただならぬ妻の雰囲気に春道も不安を覚えるが、二人揃って盛大に混乱していたら、目も当てられない光景になってしまう。冷静さを失わないように配慮しつつ、詳しい説明を和葉に求めた。

「葉月がスケ番になったの!」

「……はい?」

 まったく意味がわからなかったので、反射的に春道は間の抜けた声を上げてしまった。
 自分でも意味不明だったと気付いたのか、余計に和葉は慌てふためく。
 そこで春道は彼女の背に腕を回した。抱き締めて、背中を撫でる。数度行えば、和葉も安心したように全身から力を抜く。

「ありがとう。もう、大丈夫。
 それより、葉月が大変なのよ」

「スケ番がどうのと言ってたな。何があったんだ?」

「あの子が学校で暴力事件を起こしたみたいなの!」

 切羽詰まった顔を見れば、たちの悪い冗談でないのは明らかだ。そもそも和葉は常日頃からブラックジョークを連発する女性ではない。
 春道は首を傾げたくなる。楽しげに高校へ通っていた葉月が、暴力事件を起こす動機がわからなかった。

「誰に危害を加えたんだ? 実希子ちゃんや好美ちゃんか?」

「ご、ごめんなさい。そこまでは」

 聞いておけばよかったと態度で後悔するが、そんな余裕もなかったのだろう。和葉が事情を知った際の説明をしてくれる。

「学校からの電話で、娘さん――葉月が暴力事件を起こしたと言われて頭が真っ白になって、春道さんに言わなければって、それで……!」

「大体、事情はわかった。それで保護者に学校まで来てほしいという連絡だったのか?」

「はい。先方のご両親が話をしたいと憤っていると」

「なるほど。じゃあ、俺が行ってこよう。和葉は家で待っていてくれ」

 春道は椅子から立ち上がる。そうと決まれば寝室で着替える必要がある。ラフな恰好で行ったら、非常識だと余計に葉月の立場を悪くしかねない。
 一人で行くと宣言した春道に、泣きそうな顔の和葉がすがりつく。

「でも……!」

「こういう時だから感情ではなく、理性で話さないとマズい。双方が感情をぶつけ合うと、大抵がこじれるからな。俺を信じろ。和葉の夫で、葉月の父親だぞ」

 ニッと笑ってみせると、ほんの少しだけでも和葉の不安を払拭できたみたいだった。

「……わかったわ。春道さんに従う。あの子を……葉月をよろしくね」

「もちろんだ。和葉は、葉月の大好物でも作って待っててくれ。仮に誰かに暴力を振るっていたのだとしても、葉月のことだ。必ず振るうに値する事情があったはずだからな」

「はい……!」

 和葉に見送られ、身を包んだ上下のスーツと同じ紺色のネクタイを締めた春道は家を出た。

   *

 職員室へ到着するなり、案内された校長室にはすでに複数の人物がいた。中央に二人掛けのソファがテーブルを挟む形で、向かい合って設置されている。さほど広くない室内だけにかなりの存在感である。

 校長と葉月の担任だという女教師が、上座となる位置で自分たちで用意したと思われるパイプ椅子に座っている。これは双方の主張を聞きやすくするためだろう。
 さらには窓際に、五十代前半と思われる女性も立っていた。灰色のスーツで首に赤いスカーフを巻いている。恨みでもあるのか、入室したばかりの春道を親の仇でも見るように睨みつけてくる。その顔立ちは狐を連想させた。

「そちらは本年度のPTA役員を務めておられます、柳井さんです。高木さんと同じクラスの柳井晋太君のお母さんとなります」

 田沢桂子と名乗った女教師が、常に怒ってる女性の素性を教えてくれた。
 はあと曖昧な返事をしてから、校長におかけくださいと言われた春道は葉月の隣に腰を下ろす。

 葉月はソファに一人で座っていた。上質なソファなのか、お尻どころか下半身が沈み込むようにして一体化する。見た目の高級感といい、座り心地といい、高木家のリビングにあるのとは大違いだった。
 正面にはやはり怒り心頭といった感じの女性がいる。彼女の隣には制服を着た女生徒。どうやら葉月はこの子と問題を起こしたみたいだった。

「では関係者が揃ったみたいですので、話を始めましょう」

 こげ茶のスーツを着た校長が、そう言って進行するように女教師へ促した。オールバックで眼鏡をかけており、若々しい感じもするが、話しぶりや校長という立場を考えれば定年も迫りつつある年齢なのだろうと推測できる。
 浮いている感じもするピンクで花柄のネクタイは、若干コワモテ気味な顔の印象を和らげる効果を狙っているのかもしれない。

 校長から言われた女教師の桂子が葉月と該当の女生徒――御手洗尚という少女のやりとりについて、それぞれから聞いた通りの事情を口頭で春道たちに伝える。

 直後に紫のスーツを着た御手洗尚の保護者が、顔面を真っ赤にしてソファ前の長方形のテーブルを力任せに両手で叩いた。

 わりとスタイルが整っている柳井母と違い、こちらは中肉中背。見るからにオバサンという感じがして小さい熊、もしくは狸に似た印象を受ける。首元や耳にアクセサリが光っており、香水による独特の甘いにおいが春道の鼻孔にまで漂ってくる。

 ガラス製でサイドテーブルを二回り大きくした程度のテーブルが、叩かれた衝撃で揺れる。お茶が乗っていたら、こぼれていたに違いない。

「うちの尚が虐めをしていた!? 大嘘をつくのもいい加減になさい! 尚のお友達は、貴女が虐めていたと証言しているのよ!」

 尚が桂子に話した内容は、葉月がクラスメートを虐めていたので助けに入ったら、問答無用で自分も危害を加えられたというものだ。その内容で間違いないと証言している女生徒もいるらしい。
 ただし、それらは全員が日頃から尚と仲良くしている女生徒のようだった。

「まったく! 近辺でも進学校として有名な南高校の一員とは思えません! どうしてこのような人間の入学を許したのですか!」

 PTA役員だという中年女性が校長に食ってかかる。役員だと何が偉いのか春道にはわからないが、校長はたじたじになっている。
 外見とは裏腹に性格は気弱なのかもしれない。もしくは定年間近だから問題を起こしたくないという意識でもあるのか。

 どちらにせよ、校長の一喝で問題が解決という展開にはならなさそうである。むしろ司会進行をしている女教師の桂子の方が頼りになりそうだった。
 見たままに判断せず、きちんと葉月から事情を聞いてくれているのがその証だ。適当な教師なら、見つけた時点で一方的に葉月を悪者にしていた可能性が高い。

「うちの晋太ちゃんが正義感に溢れる素敵な男の子で、問題を見過ごさずに先生方や私の報告してくれたからいいものの、そうでなければ今回の暴力事件は闇に葬られていましたわ! 責任ある立場の者として、どのようにお考えなのですか!」

 キーキーとヒステリックに叫ぶ柳井母の剣幕に、校長は泣きそうにも見える。本格的に期待できそうもなかった。

「今回の問題に対して誠意ある対応が取れなければ、きっとマスコミも騒ぎ出すでしょうね。そうしたら校長先生も辞任でしょうか」

「いや、それは、その……」

「でしたら! 無意味な話し合いなどせずに、処分を下せばよいのです。あの子がすべて悪いに決まっているのですから! 晋太ちゃんが嘘をつくはずないし、他にも目撃証言はあるのです。あの乱暴者を退学にして排除し、規律ある生活を学園内に取り戻してください!」

「は、はあ……」

「校長先生。まだ事情を聞き終っていません。退学の処分を下すにしても、高木さんの主張もしっかりと聞くべきです」

「必要ありません!」

 助け舟を出してくれた桂子の進言を、校長ではなく柳井母が却下する。
 一体お前に何の権限があるんだと、さすがの春道も腹が立ってくる。同時に心の底から、和葉をこの場に連れてこなくてよかったと安堵する。彼女が同行していたら、今頃は校長室内で盛大な取っ組み合いに発展していたはずだ。

 興奮しきっているのは春道の前方に座っている御手洗母も同じだ。こちらの主張を聞こうともせず、執拗に葉月を怒鳴りつける。

「恥ずかしいとは思わないの! 人様に乱暴するなんてどういうつもりなの!」

「だ、だって、柚ちゃんを虐めていたから、それで……」

「嘘はやめなさい! 尚が出鱈目を言ってるはずないでしょう! 不愉快です! ねえ、尚」

「もちろんよ、ママ。でもね、私は許してあげてもいいと思うの」

 渡りに船とばかりに校長が眼鏡の奥の目を輝かせる。

「高木さんがここで私に土下座してくれたら、特別にね。学校を辞めさせられるよりはいいでしょ? お父さんに迷惑もかけたくないでしょうし」

 ニヤニヤする尚の態度は実に陰湿だった。権力者の陰に隠れて好き勝手する小悪党という感じがする。
 葉月は痛いところをつかれたとばかりに動揺し、様子を窺うように横目で春道を見た。怒っているのではないかと不安なのだろう。

「……葉月。お前は本当に彼女に暴力行為をしたのか?」

「……うん」

「ほら見なさい! だから早く――」

「――少し黙っていてもらえますか? 私が娘に事情を聞いているんです」

 今度は春道にひと睨みされた御手洗母が、うっと言葉を失う番だった。中年女性相手に大人気ないかもしれないが、いちいち邪魔されては敵わない。

「彼女が柚ちゃんを虐めてたの。頬に平手打ちをしたから、私はその手をおもいきり掴んで謝ってと言った。そこを柳井君が連れてきた先生に見られたの」

「柳井という生徒は?」

「中学からの同級生で、よく私とパパが血の繋がってないことをからかってた」

 今度は柳井母が叫んだ。我が子の潔白を証明するかと思いきや、養子だから出来が悪いと罵ったのである。

 椅子から立ち上がって殴りかかりたくなる衝動を懸命に堪える。
 彼女をボコボコにしても問題は解決しないどころか、余計に悪化するだけだ。代わりに桂子が嗜めてくれて、柳井母は口を閉じた。

「そうか。お前は嘘を言ってないんだな?」

「うん」

「だったら頭を下げる必要はない。堂々としてなさい」

「うんっ!」

 春道が味方と知って勇気百倍となったのか、先ほどまでの不安さが一気に葉月からなくなった。

「何言ってんのよ。柚を叩いたのはアンタでしょ!」

「そうよ! 尚が正しいわ! その子が嘘をついていたら、どう責任を取るつもりなの!」

 問われた春道は当たり前の回答をする。

「どんな責任でも取りますよ。親の仕事は子を信じること。そして悪いことをしていたら、きちんと叱ること。子の不始末は親の責任ですからね。それは貴女方も同じです」

「何ですって!?」

 ヒステリックな声を校長室に響かせたのは柳井母だ。

「どうして室戸柚さんをこの場に呼んで話を聞かないのです? クラスメート全員に匿名での聞き取りを行わないのです? 教室で虐めが起きていたなら、目撃者が御手洗さんの友人数人だけというのはありえないでしょう」

 春道の言葉にもっともだと頷くのは女教師の桂子。続いて校長もそうすべきと判断したみたいだが、尚とその母親が反対する。

「虐められてたんだから、怖がって高木のいいように話すに決まってるじゃん!」

「そうよ! 勇気ある者たちの行動を圧力で潰そうとするなんて横暴だわ。まさにこの親にしてこの子ありね!」

 春道は内心でため息をつく。その言葉をそっくりそのまま返したい気分だった。
 これでは埒が明かない。そう思った時に、校長室のドアがノックされた。

「失礼します。一年F組の室戸柚です」
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