空を舞う白球

桐条京介

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最終話 この大会の淳吾は、本当に素敵だった

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 試合後の整列を経て、戦い終えた選手たちがベンチへ戻る。誰もが敗北に心を痛めていたが、敗戦直後のように泣いたりする人間は誰もいなくなっていた。悲しい気持ちは残っているが、互角に戦えた充実感が各選手を慰めてくれた。凡打に終わった淳吾を誰も責めようとしない。逆に「ありがとう」とお礼を言われて、握手を求められてばかりだった。土原玲二もそのひとりで、目を赤くしながら話しかけてくる。

「惜しかったな。打球が高く上がりすぎてしまった。もう少し低ければ、スタンドインしてた可能性もあったが……野球にたらればは禁物だな」

「見逃せばボールの球だったからな。せっかくのチャンスを潰してしまって、悪かった」土原玲二に頭を下げて謝罪する。

「謝る必要はないさ。お前が待ってたストレートは、あそこ以外で投げてくれなかっただろうしな。それに、少しでもコントロールを乱していれば、仮谷の勝ちだった。相手が俺たちを上回っただけの話さ」

「そのとおりだ」

 急に話へ割り込んできたのは、力投しながらも敗戦投手になってしまった相沢武だった。

「お前は4番なんだ。我儘なバッティングをしていいんだよ。実際に、もう少しでホームランになっていた可能性だってあったんだ。負けた責任を背負わないといけないのは、初回に2点も取ってもらっておきながら、守れなかった俺だよ」

「それは違うぞ」土原玲二が言う。

「相沢にも仮谷にも、責任はない。俺たち全員で戦って、俺たち全員が負けたんだ。皆でこの敗戦を糧にして、また頑張ろうぜ」

「まあ、そうだな。けど……お前、ずいぶんとさっぱりしてるな」

 からかうように相沢武が笑う。

「悔しいに決まってるだろ。たださ、俺、こんなに試合に出たのは初めてだったからな。やりきったという満足感もある」

「その点だけは同じだな。疲れたけど……楽しかったぜ」

「ああ、楽しかった。それじゃ、応援してくれた皆に、お礼を言いに行くぞ」

 土原玲二の号令によって、私立群雲学園野球部のメンバーが観客席までダッシュする。マネージャーの栗本加奈子も一緒だ。整列した淳吾たちに、応援してくれた皆が拍手を送ってくれる。このまま和やかにお礼が終わるかと思いきや、どこからか男性の声が聞こえた。

「せっかく応援に来てやったのによ。最後も中途半端にしやがって。凄いバッターだっていうなら、きっちり打てよ」

 辛辣な野次は、明らかに淳吾へ向けられたものだった。何も言えずに黙っていると、隣に立っていた相沢武が苛立った表情で口を開こうとする。しかし、グラウンドへ響いたのは、彼の声ではなかった。

「ふざけるなよ! 中途半端なバッティング!? それが全力で戦った奴への言葉か!? だったら、テメエが打席に立ってこいよ! どうせ何もできずに三振するだろうけどな。あの状況で、あわやホームランってバッティングができるのは、とんでもなく凄いことなんだよ! わかったら、二度と口を開くな!」

 周囲をシンとさせるほどの怒声を発したのは、なんと安田学だった。事あるごとに淳吾をからかっていた男性の擁護に、不覚にも涙が溢れそうになる。自分に注目が集まってるのに気づいた安田学は淳吾の方を見ないように顔を横へ向けながら、照れ臭そうにフンと鼻を鳴らした。その様子をおかしそうに見ていた小笠原茜が「いい試合だったわよ」と言ってくれる。

「淳吾、お疲れ様」

 そう言ってくれたのは、恋人付き合いをしている土原玲菜だった。瞳に薄らと涙が滲んでいるものの、笑顔で淳吾に手を振ってくれる。

「仮谷だけかよ。俺も一応は頑張ったんだけど……」

 一緒に整列している田辺誠が口を尖らせる。

「あ、皆もお疲れ様」

「ついでかよー!」

 大げさに残念がる田辺誠を見て、部員も観客席にいる人たちも大笑いする。その中でひとり、とても恥ずかしそうにしている土原玲菜が印象的だった。

   *

 観客席への挨拶も終わり、次に試合をする高校のためにロッカーを片づけてあとにする。球場内の廊下を歩いている時に、誰かが「負けたんだな……」と呟いた。主将の土原玲二がすぐに反応する。

「ああ、負けたな。でも、考えてみろ。俺たち、1回戦は勝ってるんだぞ。出だしとしては上々だ。こなしてきた練習試合でのスコアを考えればな」

「だよね。かなり酷かったもんねー」

 あっけらかんと同調する栗本加奈子に、部員たちがそこまで言わなくても的な目を向ける。淳吾はそのうちのひと試合を観戦しただけなので、詳しい内容はわからないが、相当数のエラーをした上での惨敗続きだったのは聞いている。栗本加奈子の指摘が事実なだけに、多少の不満を覚えても、誰も言い返せないでいた。

「簡単に頂点へは辿り着けないさ。まだまだこれからだ」

 相沢武の言葉に、部員たちが頷く。春の大会はこれで終わったが、次はいよいよ甲子園の予選となる夏の大会だ。もっと練習しなければという意気込みが、各部員たちの表情から強く伝わってくる。

「夏の予選だって、簡単じゃないぞ。負けたけど、今回の大会では、俺たちはいい試合をしているからな。特にピッチャーの武と、4番の仮谷は確実に他の高校からマークされる」

「だよね。仮谷っちが駄目だと、うちのチーム、まったく点が取れないもんね」

 先ほどと同様に、マネージャーの栗本加奈子が辛辣な表現で土原玲二の言葉に同意した。実際にそのとおりだったので言い訳はできず、伊藤和明なんかは苦笑いを浮かべている。

「収穫はたくさんあった。守備でのエラーは予想よりもずっと少なかったし、伊藤も投手としての実戦を経験できたのは大きい」

 急に話の矛先を向けられた伊藤和明が「え?」と、驚いた様子を見せる。

「伊藤っち、すっごい恰好よかったよ。途中でへばってた、なんとかってピッチャーよりずっとね」

「試合前に安産祈願のお守りを渡そうとする、なんとかってマネージャーよりはマシだと思うぞ」

「あら、うふふ。なんとかさんったら、面白い冗談を言うじゃない」

「おやおや。俺は事実を言っただけですよ、なんとかさん」

 言い争いをする2人をなだめようとおろおろする伊藤和明に、土原玲二が笑いながら「放っておけ」と告げる。淳吾もそれが一番だと思った。

 相沢武と栗本加奈子のやりとりは、いがみあってるというより、じゃれあってるようにしか見えないからだ。

「いつもの夫婦喧嘩かよ。よく飽きないよな」

 田辺誠が全員の思いを代弁したような形になったが、そのせいで栗本加奈子に詰め寄られてしまう。

「夫婦じゃないって言ってんでしょ! 目立ちたがりのくせに、女性人気のない田辺君!」

 田辺っちではなく、君付けで呼んでるあたり、本気で腹を立てているのだろう。一方の相沢武は、面倒臭そうに栗本加奈子の背中を見ている。

「な……! ふざけたことを言うなよ! 最近はよく女子から話しかけられてるんだぞ!」

「前の試合は勝ったからね。でも皆、すぐに忘れちゃうわよ。で、人気が出るのは仮谷っちみたいに、活躍した人だけ。残念でした!」

「そ、そうとは限らないだろ! み、見てろよ! 球場の外に出れば、俺を待ってるファンの女の子たちが大勢いるはずだ!」

 そう言うと田辺誠は駆け足になり、先頭を歩いていた土原玲二を追い越した。歩いている他の部員に急ぐようにジェスチャーしながら、理想の展開を夢見て球場の外へ出る。

「ほらっ! 俺が言ったとおりに……」

   *

 途中で田辺誠は口を閉じざるをえなかった。彼を待っている女性は、大勢どころかひとりもいなかったからだ。予想できていたとはいえ、さすがに申し訳なく思ったのか、栗本加奈子が慰めの台詞を口にする。

「な、夏の大会で活躍したら、きっと田辺っちにもファンができるよ」

 田辺誠が肩を落とし続けていると、複数の女性がこちらへ駆け寄ってきた。私立群雲学園の制服を着ているので、球場から出てきたばかりの野球部員が目当てだとわかる。

「ほら。見てよ、田辺っち! ファンの女の子たちがこっちに来るよ!」

「うおお。本当じゃないか! やっぱりわかる子はわかるんだよな!」

 両手を広げて歓迎の意を示す田辺誠の隣を、女性たちがあっさりと通過していく。まるで、テレビで放映しているバラエティ番組のワンシーンを見ているみたいだった。ショックを受けているのが当人だけなのを考えても、他の面々はこうなるのを予想できていたのだろう。田辺誠に目もくれなかった女性たちが真っ直ぐに目指したのは、この試合でもナイスピッチングを披露した相沢武だった。

「試合、見てました。凄く恰好よかったです!」

「え? お、俺かよ!? 仮谷の間違いじゃないのか?」

 まさか自分目当てだと思っていなかったらしい相沢武が、何故か淳吾の名前を出した。女性たちは淳吾をちらりと見たあとで、少しだけ残念そうな顔をする。

「仮谷君も恰好いいんだけど、もう彼女がいるし……その彼女に勝つ自信がないし……」

「ああ、なるほど。仮谷の彼女は美人だもんな……って、ちょっと待て。それじゃ、仮谷が駄目だから、俺に来たみたいに聞こえるぞ」

 罰が悪そうにする女性たちと相沢武のやりとりを見て、それまで少しだけ機嫌が悪そうだった栗本加奈子が大爆笑をする。

「相沢の価値なんて、そんなものだよね」

「うるせえよ!」

 またいつもの犬も食わないやつが始まりそうになったところで、土原玲二が球場から出たばかりの全部員へ向かって話しかける。

「今日はこれで解散だ。ミーティングは明日にしよう。とにかく今日はゆっくり休んでくれ」

 敗北に悔しがるのは今日で終わりにして、明日からは夏の予選を目指そうとも付け加えられる。誰しもが力強く頷く中、土原玲二が淳吾に視線を向けてくる。

「仮谷は……どうする? 今回は強引に誘ってしまったが、お前は元々、練習や試合に参加しなくてもいい条件で野球部へ参加してくれてる立場だからな」

「……考えておくよ」

「そうか。それなら、あとは姉さんに任せるとしよう」

「え? 姉さん?」

 驚いて淳吾が後ろを振り向くと、そこには制服姿の土原玲菜がひとりで立っていた。

「一緒に帰ろうと思って、淳吾を迎えに来たの。迷惑だったかしら」

「い、いや、迷惑なんかじゃないけど……」

「よかった。それなら帰りましょう。現地解散になったのよね?」

 弟の土原玲二が頷くのを見てから、土原玲菜は淳吾の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張る。早くこの場から離れさせたがってるみたいだった。大勢の部員に見送られながら、淳吾は土原玲菜と一緒に球場をあとにするのだった。

   *

 帰り道を並んで歩いている間、会話らしい会話はほとんどなかった。敗戦したショックを引きずってるのではないかと、心配されているのかもしれない。実のところ、悔しさはあっても、号泣したいほどではなかった。ただひたすらに、自分の役目を果たせたことに安堵していた。夏についてはほとんど考えてなかったが、どうなるのかは大体予想できている。

「ねえ……淳吾は、夏の予選に出場しないの?」

 いずれされるだろうと思っていた質問だけに、別段慌てたりはしなかった。どうするかなと悩むように言うと、土原玲菜がその場で背伸びをして、淳吾の顔を覗き込んできた。

「私は……淳吾の恰好いい姿を、また見たい」

「最後、アウトになっちゃったけど?」

「それでも……恰好よかった。本当よ」

 そう言ってクスリと笑った土原玲菜は、いきなり淳吾に顔を近づけてきた。驚いている間に唇同士が重なりあい、その後すぐに離れた。

「え……? あの……」

「今のは、私をドキドキさせてくれたお礼。この大会の淳吾は、本当に素敵だった。だから、夏も……ね?」

「……はい」

 唇に残ってる余韻に促されるまま、つい顔を頷かせてしまう。そんな淳吾を見て土原玲菜は悪戯っぽく「よかった」と微笑んだ。そのまま恥ずかしそうに淳吾へ背を向けると、スカートの裾をひらひらさせながら、小走りで先に行こうとする。その背中を、淳吾は慌てて追いかけた。春よりも暑い夏は、きっとすぐにやってくる。
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