空を舞う白球

桐条京介

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第64話 あれしきでヘバってたまるかよ

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 終盤の7回裏に突入する。対戦相手の市立の商業高校は、6回裏からの作戦を継続するつもりみたいだった。

 私立群雲学園のエースピッチャーである相沢武にできる限り多くの球数を放らせ、疲労によってボールの勢いが落ちるのを待つ。消極的な作戦かもしれないが、決して間違ってるわけじゃないのは、前の試合よりもマウンド上で大きく肩を上下させている相沢武を見ればわかる。

 前の試合をひとりで投げ抜き、今日もここまでマウンドを守っている。プロ野球選手ならいざ知らず、まだ高校1年生の肉体にはだいぶ辛いはずだった。それでも勝利だけを目指して、必死に腕を振り続ける。

 エースの姿を左翼で見守りながら、どうしてもっと援護できないのかと悔やむ。どんなに淳吾が頑張ろうとしても、相手投手に難なく抑えられてしまう。

 4番でもどうしようもないという絶望感が、他の野手に諦めにも似た気持ちを抱かせる。捕手として相沢の球を受けている主将の土原玲二は、その現象が起こるのをかなり心配していた。だからこそ淳吾が弱気な発言をしようとすれば、慌てて制止してきた。

 結果が出ないのであれば、発言をしてもしなくても変わらない。大きくなる悩みが、目の前を暗くさせる。まるで、海の底をひとりで歩いてるような気分だ。足が重く、息がし辛い。どうして自分はこんな場所にいるのか。そんなことばかりを考える。

 その時、誰かに名前を呼ばれた気がした。ハっとして視線を上げると、すぐ近くに白球が迫っていた。慌ててグラブを構え、ライナー性の打球を追う。守備位置に近いところへ飛んできてるというのに、考え事をしていたせいで反応が遅れてしまった。

 打撃でも足を引っ張り、守備でも役に立たないなんてごめんだ。懸命に打球を取ろうと足を動かしてるうちに、気づけば悩み事は消えていた。全力で白球を取ろうと、ジャンプをしながらグラブを伸ばす。ほとんど偶然に近いながらも、なんとか打球がグラブの中に入ってくれた。

 淳吾にとっては大きなミスも同然だったのだが、応援席にいる人たちからはファインプレーに見えたらしい。大きな歓声と拍手が送られ、恥ずかしいような照れ臭いような気持ちになる。

 内野へボールを返球する際に、マウンドで相沢武が帽子を取って礼を言ってるのが見えた。周囲のチームメイトも「ナイスプレー」と声をかけてくれる。誰ひとりとして、ボーっとしていた淳吾を責めなかった。改めて申し訳ない気持ちになると同時に、ひとつだけ決意をする。

 せめてこの試合中だけはうじうじ悩んだりせずに、持っている力をすべて出し切ってやろう。そうでなければ、助けてくれた色々な人たちに失礼だ。さっきの守備だって、草野球チームで源さんが親身になって初心者の淳吾を鍛えてくれたおかげだ。初回のタイムリーヒットも、小笠原大吾や安田学がいなければ打ててなかったはずだ。

「よし、来いっ!」

 大きな声を出して、それまで心の中に巣くっていた不安を追い出す。不思議に足が軽くなり、視野も広がった。観客席でこちらを心配そうに見ている土原玲菜の姿も確認できた。淳吾を好きになってくれた恋人のためにも、せめて精一杯のプレイを見せてやろう。そんなふうに考えるだけで、気分もだいぶ落ち着いた。

 試合への集中力が増してくると、様々なことがわかってくる。これまで連打どころか、まともな当たりすらあまり許してなかった相沢武のボールが、相手高校の打撃陣にことごとくジャストミートされ始めている。疲労によってフォームがバラつき、球威も速度も落ちているせいだ。

 バッテリーを組んでいる捕手の土原玲二も十分に承知しているみたいだったが、生憎と私立群雲学園には相沢武に匹敵するような投手はいない。控えに伊藤和明がいるものの、こんなに緊迫した場面で初めての実戦を経験させるのは厳しすぎる。緊張のせいで実力をほとんど発揮できないまま、打ち込まれるのが目に見えているからだ。

   *

 私立群雲学園側からすれば、エースの相沢武になんとか踏ん張ってもらうしかなかった。体力を削られ、疲労が限界に達していても、投げてもらうより他に有効な選択肢がないのだ。相沢武もそれがわかっているからこそ、マウンド上で息を整えては、疲れた体をフル稼働させて渾身の1球を投げ込んでいく。

 相手打者は徹底してファールで粘る。今までは球威でなんとか抑えていたが、疲れで球の力がなくなってくると、簡単にカットをされるようになった。何度も何度もファールになる打球を見てるうちに、泣きたい気分になる。淳吾が心の中で「もうやめてくれ」といくら叫んでも、相手高校のベンチは選手に同じ作戦を指示し続けた。

 しつこいくらいのカット戦法のせいで、相沢武が汗だくになってるのはレフトの位置からでもはっきりわかった。手を抜いて投げたりすれば、それこそ相手の思うつぼなので、根負けしないのが大事になる。

 私立群雲学園の守備陣は、淳吾も含めてお世辞にも上手いとはいえない。エラーをしないようにするのがやっとの有様だ。とてもじゃないがファインプレーは期待できなかった。そんな状況でも相沢武はひたすら腕を振り、真っ向から打者に勝負を挑む。

 痛烈な打球が前に飛ぶようになっても、まだファールを打つので、群雲学園の応援席からはブーイングも出始める。

 どの高校も勝ちたいと強く願ってる試合なだけに、こうした作戦をとるのもやむをえない。裏を返せば、それだけ相手高校は相沢武の能力の高さを認めているのだ。

 相手ベンチの焦りを煽るためにも、相沢武は疲労に負けず投げ続けなければならない。彼が倒れれば、恐らく淳吾が弱気な発言をする以上の影響がチームに出てしまう。

 なんとかツーアウトまでこぎつけるも、すでに相沢武はフラフラ。綺麗だったピッチングフォームもずいぶんと歪んでしまっている。そのためにコントロールも定まらず、甘い球もいくようになる。投じたストレートがあまりにも真ん中だったため、相手打者がカットを忘れて痛打をしてきた。

 強烈な打球ではあったものの、幸いにしてサードの正面だったので、かろうじてアウトにはできた。内容はともかく、結果はゼロで抑えた。あとは8回表の攻撃をしている間に、相沢武に休んでもらおう。

 ベンチに戻ってくると、誰もが疲労困憊のエースを心配した。主将の土原玲二が、相沢武を休ませるためになるべく粘ってくれと、各打者にお願いをする。この回は7番から始まる。各打者が大きく頷いて、戦場となるバッターボックスへ向かう。ベンチに腰を下ろした相沢武を心配して、マネージャーの栗本加奈子があれこれとお世話をする。

「お前がこんなに優しいなんて、明日は雨が降るな」

「な、何よ! 相沢のくせに、あれしきでヘバってるのが悪いんでしょ!」

「……そのとおりだ。あれしきでヘバってたまるかよ」

 顔を拭いていたタオルを横へ置くと、相沢武は栗本加奈子に手を伸ばした。

「な、何? どうしたの?」

 意味がわからずに戸惑う栗本加奈子へ、相沢武は短く「お守り」と告げた。

「よこせよ。せっかくだから、勝利を安産するために力を貸してもらおうぜ」

「……うん」

 栗本加奈子が、試合前に皆から笑われたお守りをバッグから取り出すと、見ていた部員たちが俺も俺もと欲しがった。すがれるものには、何でもすがりたい。私立群雲学園のベンチにも、相手高校に負けないくらい、勝ちたいという気持ちが充満していた。

   *

 気持ちだけではどうにもならず、この回も追加点を奪えずに3人で攻撃が終了する。土原玲二の指示に従ってなんとか粘ろうと努力する姿勢は見えたが、相手高校ほど上手くはこなせなかった。結果的にこれまでとたいした差はなく、相沢武も十分に休めたとは言い難かった。それでも彼はエースとして、ベンチからマウンドへ向かおうとする。

「相沢、負けないでよ」

 背後から声をかけられた相沢武が、栗本加奈子に「当たり前だ」と返す。ユニフォームのポケットには、安産祈願のお守りが入っている。なんともアンバランスな組み合わせだが、笑ったりする部員は誰もいなかった。控えの伊藤和明までもが、同じようにお守りをユニフォームへ忍ばせていた。

 淳吾だけは土原玲菜に貰ったのがあるので受け取っていない。栗本加奈子から「仮谷っちはいらないよね」と言われて、それで終わってしまった。

 残りの2イニングをなんとか乗り切ろうと全員が気合いを入れる中、相手高校がとった作戦はあくまでも粘って、相沢武の体力を削ろうとするものだった。そこまでやるかという徹底ぶりに、執念を感じさせられる。これに打ち勝たなければ、私立群雲学園の勝利はない。そんな感じがした。

 最初の打者こそ順調に打ち取れたが、次はそうもいかずに徹底してカットをされた。最終的に我慢しきれなくなった相沢武がコントロールを見出し、フォアボールを与えてしまった。

 ワンナウト、ランナー1塁となり、次のバッターにもファールで粘られる。ベンチで休んだ分の体力はすでに尽き、7回裏よりも疲弊してるのがわかった。何度も土原玲二や内野手たちが「頑張れ」と声援を送る。応えるように相沢武は腕を振るも、2者連続でフォアボールを与えてしまう。

 ワンナウトでランナーを1塁と2塁に背負った状態で、次の打者を迎える。頼みのエースはほとんど限界。主将である土原玲二が、タイムを取ってマウンドへ向かう。何事かを話し合ったあと、元の位置まで戻る。

 試合が再開されると同時に、相沢武がポケットの中に手を入れた。そこには、栗本加奈子から貰ったお守りがあるはずだった。まるで祈りを捧げてるかのような数秒間のあと、ポケットから手を出して相沢武が振りかぶった。

 自分の力を振り絞るように右手をしならせ、投げ込んだのは自慢のストレートだった。

 直後に淳吾の耳へ届いてきたのは、強烈なまでの金属音だった。ファール狙いからヒッティングに切り替えた相手高校の野手は、真ん中付近に来た相沢武のストレートを、待ってましたとばかりにスイングした。

 芯で捉えた打球は驚くほどの勢いで突っ走り、瞬く間に淳吾の頭上を越えていった。振り返った時には、もうボールはフェンスの向こう側へ消えていた。

「くっそおォォォ!」

 マウンドから叫び声が聞こえた。ガックリと肩を落とし、項垂れるエースの姿が視界に映る。対照的に相手高校のベンチは歓喜に包まれる。誰もが笑顔で、ホームランを打ったバッターが戻ってくるのを待ちわびる。結果が出たことにより、相手チームの作戦は正しかったのだと証明された。

 これで試合は2対3。私立群雲学園が、1点のリードを許す展開になった。点差は少ないかもしれないが、初回以外にまともな攻撃ができていないだけに、絶望的な空気が私立群雲学園側に漂う。払拭しようと相沢武は頑張って投げるが、疲れ果てた肉体で本来の投球をするのは不可能だった。

 アウトをひとつも取れないままに、2者続けてクリーンヒットを打たれ、失意と疲労にまみれて相沢武がマウンドに膝をつく。

 限界だと判断した土原玲二は、自軍のベンチへ視線を送る。8回表の攻撃中に、もしもの場合に備えて、伊藤和明に投球練習をして準備するように指示をしていた。
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