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第55話 今日の淳吾はとても恰好よかったもの
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あれだけ個人練習してるのは秘密でとお願いしてたのに、実にあっさりと小笠原茜はバラしてしまった。しかも土原玲菜の目の前でだ。とはいえ、彼女を口の軽い人間だと怒るわけにもいかない。小笠原茜なりに淳吾と土原玲菜の関係がこじれないように心配して、誤解を解こうとしたがゆえの結果だからだ。
「あ、ごめん。これ、秘密だったっけ。あ、あはは……じゃ、じゃあ、私はこれで帰るから。ホームラン、おめでとう」
最後にお礼を言ってはくれたものの、あまりありがたがる気持ちにはなれなかった。小笠原茜や安田学が急ぎ足で立ち去ったあとで、淳吾は土原玲菜と2人きりにならなければいけなかったからだ。先ほどの話を聞かれるのは必然で、側にいる彼女はやはり詳しい事情を聞きたげな目をしている。こうなれば仕方ないと、淳吾は覚悟を決めて事情を説明する。
「実は、彼女は小笠原茜さんといって、俺がお世話になってる草野球チームの代表みたいな人の娘さんなんだ。ちなみに隣にいた人は、そのチームのエースピッチャーだよ」
「だから、親しげだったのね。ようやく納得ができたわ。淳吾が朝に、眠そうな顔をしてた理由も含めてね」
「……朝に練習へ参加してたのもバレてるんだ」
「毎朝、あれだけ疲れてたり、眠そうにしてれば、誰だって何かしてるなと思うわ」
言われてみればそのとおりだ。土原玲菜は、そんな淳吾に毎朝おにぎりを用意してくれた。早朝に何をしてるのか不審がるのも当然の話だった。
「それにしても、草野球チームの練習に参加してるとは思わなかったわ」
「まあね。硬式球で草野球をしているチームがあると聞いたから、無理を言って参加させてもらったんだ。本当は誰にも話すつもりはなかったんだけどね」
「……どうして?」
「あれだけ部活に参加するのを嫌がっておきながら、隠れて秘密特訓してましたなんて、恰好悪すぎるだろ」
罰が悪そうに淳吾が言うと、土原玲菜はクスリと笑った。そのあとで「私はそう思わない」と言ってくれる。
「だって、今日の淳吾はとても恰好よかったもの」
微笑む彼女の顔がとても眩しく見え、淳吾の鼓動が加速度的に激しくなる。改めて土原玲菜を好きだという気持ちが強くなり、ついさっきまで試合をしていた球場のすぐ外だというのに、やわらかそうな二の腕に手を伸ばしたくなる。このまま土原玲菜を抱きしめて、その流れで一気に輝かしい青春時代へ突入するんだ。
そんな野望を胸に行動を開始しようとした矢先、当の土原玲菜が「ごめんなさい」と謝ってきた。何の理由も思いつかない謝罪に、これまでとは違う意味でドキドキする。幸せの絶頂だと感じた直後に、振られてしまうのかなんて嫌な想像までしてしまう。あっという間に渇いた喉を唾液で潤す余裕もないまま、淳吾は恋人の次の言葉を待つ。
「あの……弟たちがこっちを覗き見てるみたいで……」
「……え? 覗き見?」
言われて驚き、慌てて周囲の様子を確認する。少し離れた位置で、さっと身を隠す複数の人影が見えた。
土原玲菜の言葉は事実だったとわかる。急速にイチャイチャしたい気持ちが萎えていく。そもそも、こんな人前で大胆にも彼女へ手を伸ばそうとした時点で間違っていた。
自分自身へ猛省を促しながら、淳吾はゆっくりと覗き見してる連中のところまで歩いていく。逃げないように「もうバレてるから」と最初に言っておくのも忘れない。
*
「は、はは……い、いや、俺はそんなつもりはなかったんだ。ほ、本当だ」
最初に釈明を始めたのは、私立群雲学園野球部の主将だった。淳吾の背後では、彼の実姉が呆れたようなため息をついている。
「誰が覗いてるのかと思ったら、部員が全員揃ってるじゃないか。何を考えてるんだよ」
「それだけチームワークが抜群ってことじゃない。これは喜ぶべきことよ」
無理やり話題を逸らそうとしているのは、最近野球部のマネージャーになったばかりの栗本加奈子だ。彼女の場合は、意図的にそうしてるかはわからないので、対応に困ったりする場合も多い。
「覗きにチーム力を発揮してどうするんだよ。こういう場合はキャプテンが諌めるものだと思うけどね」
「ほ、本当にすまない。弟なら姉の幸せを見届けろと武にそそのかされて、つい……」
「あっ、汚えぞ。主将がひとりの部員に責任をなすりつけていいのかよっ!」
「いいに決まってんでしょ! 最初に覗こうって楽しそうに言い出したのは相沢じゃん!」
「バ、バカっ! 黙ってろよ。気の利かないマネージャーだなっ!」
3人の男女のやりとりを、他の部員たちが苦笑いしながら見守っている。その中には淳吾や土原玲菜も含まれる。決定的に恥ずかしい場面を見られたわけではないし、今回はこの程度の注意でいいだろう。さらなる責任の追及をしないことに決めた。
「もういいよ。3人が覗きの主犯格だってことがわかれば」
「ア、アタシを相沢と一緒にしないでよっ! そ、それに仮谷っちだって、アタシと玲二君が2人きりで仲良くしてたら、気になって覗いちゃうでしょ!? 覗くよね!?」
「いや、覗かない」
あっさりと断言されてしまったのがよほどショックだったのか、栗本加奈子はガックリと肩を落とし、弁明しなくなってしまった。多少、かわいそうな感じもするが、今回ばかりは仕方ない。淳吾にとって、せっかくのチャンスを潰されたも同然だからだ。
「と、とにかく初戦は勝てたんだ。次の試合も頑張ろうぜ」
なんとかこの場を切り抜けたがってる相沢武が、チームメイトへ声をかける。強引に士気を高めたところで、今度こそ本当に現地解散ということになった。初めての公式戦で疲れただろうし、早く家に帰って休むようにという指示も首相の土原玲二から出された。
「ひとりだけ疲れてそうもない、美味しいとこどりをした奴がいるけどな」
「人の恋路を覗きたがるほど、元気な奴もいるみたいだぞ」
「……仮谷。お前、意外と性格悪いな」
「覗きをする奴ほどじゃないさ」
「ほ、ほら、解散だ、解散っ! 明日は練習があるんだから、今日で疲れをきちんととっておいてくれよ!」
また事態がややこしくなったら敵わないとばかりに、土原玲二が大慌てで部員たちを帰路につかせる。本来なら学園でバスを借りて利用すればいいのだろうが、知名度も部費もない弱小野球部に、そんな芸当ができるはずもなかった。
「仮谷も、今日はお疲れ様。来てくれて、本当に助かったよ。できれば次の試合もお願いしたいんだが……」
「大丈夫よ、淳吾なら参加してくれるから。ね?」
改めて好きだと認識した女性に、笑顔で参加を促されると、とても嫌だとは言えない。普通に頷くどころか「仕方ないから、来てやるよ」と恰好をつけた台詞まで披露してしまう。調子に乗ってはいけないとわかってるのに、どうしても自分の特殊な性格を抑えきれなかった。
「期待してるぜ。姉さんと一緒に帰るのかは知らないけど、気をつけてな。それと、今度は覗かないから安心してくれ」
笑いながらそう言うと、土原玲二は片手を上げて帰ろうとする。向けた背中を、なんだか寂しそうに見送ろうとしてるので、淳吾は土原玲菜へ一緒に帰ってあげるように勧める。
「でも……」
「俺なら大丈夫だよ。ようやく弟が公式戦に出場できただけじゃなく、せっかく勝てたんだ。今日は家族揃ってお祝いをしてあげたら?」
「……そうね。ありがとう、淳吾」
まだ少し悩んでいたみたいだったが、最終的に彼女は自分の弟の背中を追いかけるために走り出した。ひとりぼっちになってしまったが、特別寂しいとは思わない。ついさっき、土原玲菜が確かな好意を淳吾に抱いてくれてるのがわかったから。ホームランを打てたのと合わせて、とても幸せな気分で自宅へ帰れそうだった。
*
翌朝になると、淳吾は恒例となりつつある小笠原大吾の草野球チームの練習へ参加していた。前日の大会では代打出場だけだったので、他の部員よりは心身ともに疲労度は少ないだろうと判断した。それでも筋肉痛みたいな症状がそこかしこにある。鈍い痛みが発生するたびに、練習と実践では緊張も疲労も桁違いに違うのだと教えられる。
昨日の試合で勝利した事実が、一時的にではあっても疲れを忘れさせてくれる。勝つのと負けるのでは大違いだと聞くが、そのとおりだと痛感する。代打で出場しただけの淳吾でこれなのだから、他の部員たちはもっと疲れてるはずだ。
「それにしても、勝ててよかったよね」
にこにこ笑顔で不自然に明るく振舞ってるのは、昨日、球場でおおいに問題発言をしてくれた小笠原茜だ。いつもなら父親のチームであっても、早朝練習を見学に来るなんてそうそうない。にもかかわらず、今日はきちんとメイクもして淳吾を待っていたあたり、色々と責任を感じているのだろう。
「すまないな、淳吾君。うちの娘が問題を起こしてしまったそうで」
「ちょっ――! 父さんは黙っててよ! それに、誰から聞いたの!?」
小笠原大吾の視線が、マウンドでピッチング練習をしている安田学に向けられる。当の本人は違うという意思表明をするために慌てて首を左右に振るも、ジト目の小笠原茜はまったく信じてない様子で「私、おしゃべりな人は大嫌い」と辛辣な言葉を浴びせる。
「お喋りな人といえば、確か……」
淳吾がそう言い出すと、今度は小笠原茜が大慌てで首を左右に振る。もしかしたら、安田学といいコンビなんじゃないかと思えるくらいのリアクションだった。
「ち、違うんだってば! あ、あれはなんていうか……」
「もう、いいですよ。別に怒ってないですから。そもそも、こうやってチームの練習に参加させてもらえるようになったのも、茜さんのおかげだしね」
「そ、そう言ってもらえると助かるわ。昨日は淳吾君のサヨナラホームランを見て、ついテンションが高くなりすぎちゃって……ごめんね?」
「本当に大丈夫ですってば」
小笠原茜の謝罪を受け入れる。源さんたちからも、サヨナラホームランを褒められる。これで一件落着と思いきや、何故か他の面々が必要以上にニヤついている。
「淳吾君、彼女がいたんだな。しかも、凄い美人だって話じゃないか」
普段はそれほど話をしない人までもが、独特のいやらしい笑みを浮かべて近づいてくる。皆、サヨナラホームランよりも、こちらの話を聞きたくて仕方なかったというような感じだ。
淳吾に恋人がいるなんて情報は、私立群雲学園の関係者でなければ一部の人しか知らない。例えば、昨日球場に来ていたお喋りな年上の女性とかだ。
もう一度お喋りな人は嫌いだと言うべきか考えながら、淳吾は細めた目を小笠原茜に向ける。すると彼女は自分じゃないと手を左右に振ってから、マウンドにいるひとりの男を指差した。
「練習前から淳吾君の彼女についてあれこれ言ってたのは、あの人ひとりだけよ。私は何回もやめなさいよって注意したんだから」
「うん。その点については間違いないね」
源さんが同意したので、小笠原茜の釈明に嘘はないと判断する。悪者にされかけている安田学は抗議の声を上げるが、巻き添えを恐れてるのか誰も擁護したりはしなかった。
「まあ、それも仕方ないと諦めます」
「それでいいんだよ。やっと俺の偉大さに気づいたか」
マウンド上で何故か胸を張る安田学に、淳吾はこれまで胸の中で温めてきたとっておきの台詞をぶつける。
「はい。恋人のいない安田さんが、俺を羨んで嫉妬するのは当然ですしね」
「そうそ――何ィ!? し、嫉妬なんかするわけないだろ。俺には茜ちゃんっていう――」
「私と安田さんは赤の他人同士です。いい加減に好意の欠片も抱かれてないことを、理解してもらえませんか?」
わざと丁寧な口調で言ってるところに、小笠原茜の意地悪さというかウンザリ具合が表れている。普通ならこれでノックアウト間違いなしなのだが、めげない安田学は「そんなに照れないでよ」なんて、前向きというか勘違い100%な台詞を言ったりする。
小笠原茜と安田学がいれば、いつも行われるやりとりで、淳吾も何度となく目にしてきた。けれど何故か今日は、これまででもっとも面白く感じられた。それだけ、知らないうちにテンションが上がっていたのかもしれない。
「あ、ごめん。これ、秘密だったっけ。あ、あはは……じゃ、じゃあ、私はこれで帰るから。ホームラン、おめでとう」
最後にお礼を言ってはくれたものの、あまりありがたがる気持ちにはなれなかった。小笠原茜や安田学が急ぎ足で立ち去ったあとで、淳吾は土原玲菜と2人きりにならなければいけなかったからだ。先ほどの話を聞かれるのは必然で、側にいる彼女はやはり詳しい事情を聞きたげな目をしている。こうなれば仕方ないと、淳吾は覚悟を決めて事情を説明する。
「実は、彼女は小笠原茜さんといって、俺がお世話になってる草野球チームの代表みたいな人の娘さんなんだ。ちなみに隣にいた人は、そのチームのエースピッチャーだよ」
「だから、親しげだったのね。ようやく納得ができたわ。淳吾が朝に、眠そうな顔をしてた理由も含めてね」
「……朝に練習へ参加してたのもバレてるんだ」
「毎朝、あれだけ疲れてたり、眠そうにしてれば、誰だって何かしてるなと思うわ」
言われてみればそのとおりだ。土原玲菜は、そんな淳吾に毎朝おにぎりを用意してくれた。早朝に何をしてるのか不審がるのも当然の話だった。
「それにしても、草野球チームの練習に参加してるとは思わなかったわ」
「まあね。硬式球で草野球をしているチームがあると聞いたから、無理を言って参加させてもらったんだ。本当は誰にも話すつもりはなかったんだけどね」
「……どうして?」
「あれだけ部活に参加するのを嫌がっておきながら、隠れて秘密特訓してましたなんて、恰好悪すぎるだろ」
罰が悪そうに淳吾が言うと、土原玲菜はクスリと笑った。そのあとで「私はそう思わない」と言ってくれる。
「だって、今日の淳吾はとても恰好よかったもの」
微笑む彼女の顔がとても眩しく見え、淳吾の鼓動が加速度的に激しくなる。改めて土原玲菜を好きだという気持ちが強くなり、ついさっきまで試合をしていた球場のすぐ外だというのに、やわらかそうな二の腕に手を伸ばしたくなる。このまま土原玲菜を抱きしめて、その流れで一気に輝かしい青春時代へ突入するんだ。
そんな野望を胸に行動を開始しようとした矢先、当の土原玲菜が「ごめんなさい」と謝ってきた。何の理由も思いつかない謝罪に、これまでとは違う意味でドキドキする。幸せの絶頂だと感じた直後に、振られてしまうのかなんて嫌な想像までしてしまう。あっという間に渇いた喉を唾液で潤す余裕もないまま、淳吾は恋人の次の言葉を待つ。
「あの……弟たちがこっちを覗き見てるみたいで……」
「……え? 覗き見?」
言われて驚き、慌てて周囲の様子を確認する。少し離れた位置で、さっと身を隠す複数の人影が見えた。
土原玲菜の言葉は事実だったとわかる。急速にイチャイチャしたい気持ちが萎えていく。そもそも、こんな人前で大胆にも彼女へ手を伸ばそうとした時点で間違っていた。
自分自身へ猛省を促しながら、淳吾はゆっくりと覗き見してる連中のところまで歩いていく。逃げないように「もうバレてるから」と最初に言っておくのも忘れない。
*
「は、はは……い、いや、俺はそんなつもりはなかったんだ。ほ、本当だ」
最初に釈明を始めたのは、私立群雲学園野球部の主将だった。淳吾の背後では、彼の実姉が呆れたようなため息をついている。
「誰が覗いてるのかと思ったら、部員が全員揃ってるじゃないか。何を考えてるんだよ」
「それだけチームワークが抜群ってことじゃない。これは喜ぶべきことよ」
無理やり話題を逸らそうとしているのは、最近野球部のマネージャーになったばかりの栗本加奈子だ。彼女の場合は、意図的にそうしてるかはわからないので、対応に困ったりする場合も多い。
「覗きにチーム力を発揮してどうするんだよ。こういう場合はキャプテンが諌めるものだと思うけどね」
「ほ、本当にすまない。弟なら姉の幸せを見届けろと武にそそのかされて、つい……」
「あっ、汚えぞ。主将がひとりの部員に責任をなすりつけていいのかよっ!」
「いいに決まってんでしょ! 最初に覗こうって楽しそうに言い出したのは相沢じゃん!」
「バ、バカっ! 黙ってろよ。気の利かないマネージャーだなっ!」
3人の男女のやりとりを、他の部員たちが苦笑いしながら見守っている。その中には淳吾や土原玲菜も含まれる。決定的に恥ずかしい場面を見られたわけではないし、今回はこの程度の注意でいいだろう。さらなる責任の追及をしないことに決めた。
「もういいよ。3人が覗きの主犯格だってことがわかれば」
「ア、アタシを相沢と一緒にしないでよっ! そ、それに仮谷っちだって、アタシと玲二君が2人きりで仲良くしてたら、気になって覗いちゃうでしょ!? 覗くよね!?」
「いや、覗かない」
あっさりと断言されてしまったのがよほどショックだったのか、栗本加奈子はガックリと肩を落とし、弁明しなくなってしまった。多少、かわいそうな感じもするが、今回ばかりは仕方ない。淳吾にとって、せっかくのチャンスを潰されたも同然だからだ。
「と、とにかく初戦は勝てたんだ。次の試合も頑張ろうぜ」
なんとかこの場を切り抜けたがってる相沢武が、チームメイトへ声をかける。強引に士気を高めたところで、今度こそ本当に現地解散ということになった。初めての公式戦で疲れただろうし、早く家に帰って休むようにという指示も首相の土原玲二から出された。
「ひとりだけ疲れてそうもない、美味しいとこどりをした奴がいるけどな」
「人の恋路を覗きたがるほど、元気な奴もいるみたいだぞ」
「……仮谷。お前、意外と性格悪いな」
「覗きをする奴ほどじゃないさ」
「ほ、ほら、解散だ、解散っ! 明日は練習があるんだから、今日で疲れをきちんととっておいてくれよ!」
また事態がややこしくなったら敵わないとばかりに、土原玲二が大慌てで部員たちを帰路につかせる。本来なら学園でバスを借りて利用すればいいのだろうが、知名度も部費もない弱小野球部に、そんな芸当ができるはずもなかった。
「仮谷も、今日はお疲れ様。来てくれて、本当に助かったよ。できれば次の試合もお願いしたいんだが……」
「大丈夫よ、淳吾なら参加してくれるから。ね?」
改めて好きだと認識した女性に、笑顔で参加を促されると、とても嫌だとは言えない。普通に頷くどころか「仕方ないから、来てやるよ」と恰好をつけた台詞まで披露してしまう。調子に乗ってはいけないとわかってるのに、どうしても自分の特殊な性格を抑えきれなかった。
「期待してるぜ。姉さんと一緒に帰るのかは知らないけど、気をつけてな。それと、今度は覗かないから安心してくれ」
笑いながらそう言うと、土原玲二は片手を上げて帰ろうとする。向けた背中を、なんだか寂しそうに見送ろうとしてるので、淳吾は土原玲菜へ一緒に帰ってあげるように勧める。
「でも……」
「俺なら大丈夫だよ。ようやく弟が公式戦に出場できただけじゃなく、せっかく勝てたんだ。今日は家族揃ってお祝いをしてあげたら?」
「……そうね。ありがとう、淳吾」
まだ少し悩んでいたみたいだったが、最終的に彼女は自分の弟の背中を追いかけるために走り出した。ひとりぼっちになってしまったが、特別寂しいとは思わない。ついさっき、土原玲菜が確かな好意を淳吾に抱いてくれてるのがわかったから。ホームランを打てたのと合わせて、とても幸せな気分で自宅へ帰れそうだった。
*
翌朝になると、淳吾は恒例となりつつある小笠原大吾の草野球チームの練習へ参加していた。前日の大会では代打出場だけだったので、他の部員よりは心身ともに疲労度は少ないだろうと判断した。それでも筋肉痛みたいな症状がそこかしこにある。鈍い痛みが発生するたびに、練習と実践では緊張も疲労も桁違いに違うのだと教えられる。
昨日の試合で勝利した事実が、一時的にではあっても疲れを忘れさせてくれる。勝つのと負けるのでは大違いだと聞くが、そのとおりだと痛感する。代打で出場しただけの淳吾でこれなのだから、他の部員たちはもっと疲れてるはずだ。
「それにしても、勝ててよかったよね」
にこにこ笑顔で不自然に明るく振舞ってるのは、昨日、球場でおおいに問題発言をしてくれた小笠原茜だ。いつもなら父親のチームであっても、早朝練習を見学に来るなんてそうそうない。にもかかわらず、今日はきちんとメイクもして淳吾を待っていたあたり、色々と責任を感じているのだろう。
「すまないな、淳吾君。うちの娘が問題を起こしてしまったそうで」
「ちょっ――! 父さんは黙っててよ! それに、誰から聞いたの!?」
小笠原大吾の視線が、マウンドでピッチング練習をしている安田学に向けられる。当の本人は違うという意思表明をするために慌てて首を左右に振るも、ジト目の小笠原茜はまったく信じてない様子で「私、おしゃべりな人は大嫌い」と辛辣な言葉を浴びせる。
「お喋りな人といえば、確か……」
淳吾がそう言い出すと、今度は小笠原茜が大慌てで首を左右に振る。もしかしたら、安田学といいコンビなんじゃないかと思えるくらいのリアクションだった。
「ち、違うんだってば! あ、あれはなんていうか……」
「もう、いいですよ。別に怒ってないですから。そもそも、こうやってチームの練習に参加させてもらえるようになったのも、茜さんのおかげだしね」
「そ、そう言ってもらえると助かるわ。昨日は淳吾君のサヨナラホームランを見て、ついテンションが高くなりすぎちゃって……ごめんね?」
「本当に大丈夫ですってば」
小笠原茜の謝罪を受け入れる。源さんたちからも、サヨナラホームランを褒められる。これで一件落着と思いきや、何故か他の面々が必要以上にニヤついている。
「淳吾君、彼女がいたんだな。しかも、凄い美人だって話じゃないか」
普段はそれほど話をしない人までもが、独特のいやらしい笑みを浮かべて近づいてくる。皆、サヨナラホームランよりも、こちらの話を聞きたくて仕方なかったというような感じだ。
淳吾に恋人がいるなんて情報は、私立群雲学園の関係者でなければ一部の人しか知らない。例えば、昨日球場に来ていたお喋りな年上の女性とかだ。
もう一度お喋りな人は嫌いだと言うべきか考えながら、淳吾は細めた目を小笠原茜に向ける。すると彼女は自分じゃないと手を左右に振ってから、マウンドにいるひとりの男を指差した。
「練習前から淳吾君の彼女についてあれこれ言ってたのは、あの人ひとりだけよ。私は何回もやめなさいよって注意したんだから」
「うん。その点については間違いないね」
源さんが同意したので、小笠原茜の釈明に嘘はないと判断する。悪者にされかけている安田学は抗議の声を上げるが、巻き添えを恐れてるのか誰も擁護したりはしなかった。
「まあ、それも仕方ないと諦めます」
「それでいいんだよ。やっと俺の偉大さに気づいたか」
マウンド上で何故か胸を張る安田学に、淳吾はこれまで胸の中で温めてきたとっておきの台詞をぶつける。
「はい。恋人のいない安田さんが、俺を羨んで嫉妬するのは当然ですしね」
「そうそ――何ィ!? し、嫉妬なんかするわけないだろ。俺には茜ちゃんっていう――」
「私と安田さんは赤の他人同士です。いい加減に好意の欠片も抱かれてないことを、理解してもらえませんか?」
わざと丁寧な口調で言ってるところに、小笠原茜の意地悪さというかウンザリ具合が表れている。普通ならこれでノックアウト間違いなしなのだが、めげない安田学は「そんなに照れないでよ」なんて、前向きというか勘違い100%な台詞を言ったりする。
小笠原茜と安田学がいれば、いつも行われるやりとりで、淳吾も何度となく目にしてきた。けれど何故か今日は、これまででもっとも面白く感じられた。それだけ、知らないうちにテンションが上がっていたのかもしれない。
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