空を舞う白球

桐条京介

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第33話 やっぱり、簡単にはいかないな……

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 まだ朝も早い時間なのに、グラウンドには愛好家たちが野球を楽しむ熱気で満ちている。その中に、淳吾も飛び入り同然で参加していた。

 実際にはバッティングセンターで知り合った女性――小笠原茜に草野球をやっている父親を紹介してもらったのだが、今回が初対面なのでそういう印象が強い。

 通っている高校で過大すぎる評価を受けている淳吾にとっては、隠れて実力を高める機会を得られたので、とにかく感謝の思いしかなかった。

「少しでも、硬式球の感覚とかを掴まないとな……」

 左翼の守備位置でひとり呟いていると、甲高い金属音が耳に響いてきた。投手をしている安田学が、相手チームのバッターに打たれたのだ。

「レフトっ!」

 センターのポジションから、淳吾の世話を何かと見てくれる源さんが叫ぶ。プロ野球の試合と違って、ギャラリーなんて存在はいないので、選手同士の声はよく聞こえる。

 淳吾のところに打球が飛んできてるのは源さんの声で理解したが、見上げた視界に映るのは青い空と白い雲ばかり。打ち上げられた白球なんて、どこにも見当たらない。

 それでも捕球を試みるべく周囲をうろうろしてみるが、やはり打球は見つけられない。側まで走ってきた源さんが「前、前っ!」とボールの位置を教えてくれるが、残念極まりないことに淳吾の両目はターゲットを見つけられない。

「わ、わからないですっ!」

 このままではどうにもならないと判断し、淳吾が両手を左右に広げて、源さんに打球が見えてないのをアピールする。直後に、だいぶ手前にボールが落ちた。

 落下したばかりの打球が確認できた頃には、源さんが捕球をして内野にボールを返していた。当然アウトにはならず、打者はすでに2塁まで到達済みだ。

「す、すみません……」

 申し訳なさすぎて泣きそうだったが、なんとか源さんに謝ると、気にするなとばかりに笑って許してくれる。

「打球を一旦見失うと、わからなくなるからね。経験者でも難しかったりするから、初心者も同然の淳吾君が完璧にこなすのは無理だよ」

 だからまず、少しずつでも慣れていくといいよ。そう言い残して、源さんはセンターのポジションへ戻っていく。

 内野からもどんまいと声をかけられ、淳吾を睨みつける人間はいない。ピッチャーをしている安田学を除いて。

 私立群雲学園の練習試合でも、外野手はなんとかフライを捕っていた。もちろんエラーもしていたが、それでも淳吾より守備力が上なのは間違いなかった。

 試合に参加させてもらって、外野守備の難しさを理解できただけでも、早起きした意義は十分にあった。

 ヒットなどのゴロや、ライナー性のあたりはなんとか処理できたものの、フライだけはまったく自信がない。しかし、数をこなさなければ上達できないのは明らかだ。

 打球が飛んできてほしいような、来ないでほしいような、そんな気持ちで淳吾はレフトの守備位置に立ち続けた。

 幸か不幸かレフトに打球は来ないまま、淳吾は2回目の打席を迎える。

 今度こそと、淳吾は借り物の金属バットを担いで打席に入る。相手投手との対戦は2度目になるので、どのくらいの球速なのかは理解している。

 自分自身に心の中で大丈夫だと声をかけつつ、バッティングセンターで完成させた構えで相手ピッチャーの投球を待つ。

 相手の投球フォームに合わせて自分の足を上げ、最適なタイミングでボールを迎え入れる準備をする。

 視界に映っている投手の右腕が見えた時には、すでに淳吾の足は打席内で地面についていた。あとは両腕に力を伝えて、バットをスイングするだけだ。

   *

「……と、え……?」

 スイング途中で異変に気づくも、フルパワーが込められていた両腕は動きを止められなかった。

 予測していたタイミングで、投手の右手から放たれた硬球がやってこなかったのが大きな理由だ。

 結果的に淳吾は大きな空振りをしたのだが、そんなのはどうでもいいくらいに疑問と焦りで頭の中は混乱モードだった。

 ボールが……途中で消えた? 

 信じられないが、事実を整理するとそうなる。ストレートよりも遅く、途中で向かってきたはずのボールがその姿を消した。そこから導き出される結論はひとつだけだ。要するに、相手投手は淳吾へ変化球を投げたのである。

 スライダーかカーブかはわからなかったが、文字どおり消えたのだけは間違いなかった。プロの選手なら簡単に打てるのかもしれないが、淳吾にとっては草野球チームの投手が投げた変化球ですら魔球に思えた。

 あんなのを続けて投げられたら、初心者も同然の淳吾が打てるはずもない。けれど考えようによっては、幸運かもしれなかった。

 バッティングセンターではどう足掻いても練習できなかった変化球を、実際に淳吾の目で見られる。動揺するだけでなく、現実をプラスに捉えられてこそ、己の成長につながる。

 心の中で勝手に格好よさそうな格言を完成させたあと、一旦外していた打席に淳吾は再び戻った。球種の判別もつかなかった変化球を打てる自信はなかった。けれど、ゲームはいつまでも待ってくれない。

 相手が変化球を投げてくるのであれば、これまでと同じくストレートのタイミングで待っていては駄目だ。スイング始動が早すぎて、変化球がホームベース上を通過する頃にはバットを振り終えてしまう。

 途中で頑張って堪えるのに成功しても、本来の完璧な動作でスイングをするのは難しい。恐らくその状態を、バッティングフォームを崩されたというのだろう。

 こんなところでプロ野球観戦中の用語の意味を理解するとは思わなかったが、それだけ淳吾が野球というものを理解してきてると言えなくもない。とにかく、今は必死でプレイするのが先だった。

 遅くしすぎてもフォームが狂いそうなので、足を上げるのはこれまでと同じにする。変えるのは足を下げる速度と、バットを振り始めるタイミングだ。

 だがここでも予期してなかった事態が発生する。変化球で頭の中を一杯にしている淳吾へ投じられたのが、今度はストレートだったのだ。

 先ほどまではさほど速くないと思っていたのに、今度はまるでビュンと音が聞こえてくるくらいの速度に感じられた。

 向かってくる白球に全身が驚き、慌ててバットを振るも後の祭り。かするはずもなく、淳吾は高めのストレートを空振りする。

 かなり高く、ボールコースだったはずなのに見極めもできなかった。完全に相手投手に踊らされた。これが野球の駆け引きなのだろう。

 ピッチャーをリードするキャッチャーに、淳吾が変化球待ちだと読まれたのだ。それだけ、わかりやすい反応を示してしまっていたに違いない。

 これでツーナッシングとなり、あと1回空振りをするか、ストライクコースのボールを見逃せば三振となって淳吾の打席は終了する。

 ストレートを待っていれば変化球にタイミングが合わないし、変化球を待てばストレートに振り遅れる。

 よくプロの試合では変化球を頭に入れて直球を待つなんて言うが、そんなのは神技にしか思えない。両方を待つというのは、淳吾にとって難易度が高かった。

 こうなれば三振覚悟でヤマを張るしかない。変化球を捨てて、打てそうなストレートを待つ。経験の浅い淳吾が相手バッテリーと読み合いをしても勝てるはずがないのだから、そうするのが一番だと判断した。

 心の中で来いと気合を入れて、相手投手が放つ次のボールを待つ。今度はストレートか、それとも変化球か――。

   *

 ピッチャーの手から離れた硬球が、勢いよくこちらへ向かってくる。ヤマを張っていた真っ直ぐなのはすぐにわかった。

 あとはバッティングセンターでやってたみたいに、ボールを弾き返せばいいだけだった。

 幸いにして、相手投手のストレートは腰が引けるほど速くない。このくらいなら、今の淳吾でも十分に対応できる。

 ――はずだったのに、淳吾が両手で持っているバットは、ボールを前へ飛ばせなかった。当てるには当てたが、弱々しい勢いで後方へ転がっている。

 なんとも情けないファールで、ジャストミートできた感触なんてあるはずもない。こうなった原因は、バッターボックスに入っている淳吾本人が誰よりよく理解していた。

 たいして速くないと理解しているストレートを待っていたというのに、その球に対して振り遅れてしまったのだ。頭の片隅に残っていた変化球の残像が、淳吾のスイングの邪魔をした。

 完全に切り替えられてなかった自分の甘さに舌打ちしながらも、淳吾は一度打席を外す。素振りをしながら頭の中を整理しようとするも、新たな作戦は思い浮かばない。

 再び打席に入った淳吾の作戦は、先ほどとまったく同じ。ストレートにヤマを張って、それを打つ。変化球が来たらごめんなさいというものだ。

 野球経験者ならともかく、初心者も同然の淳吾ができるのはこの程度しかない。無理に背伸びをしたりせず、今ある実力を全部使って、何が足りないのかを見極めるのが大事だった。

 バットを持つ手に力が入りすぎないよう適度にリラックスをしながら、相手投手がボールを投げるのを待つ。緊張のせいで鼓動が速くなっているが、そんなのを気にしてる余裕はない。

 振り上げられた腕を見ながら、淳吾も足を上げてタイミングを合わせる。狙っている球種はもちろんストレート。変化球にヤマを張って当たったところで、きちんと打ち返せる実力がなければ仕方がない。

 ありがたいことに、ピッチャーが投じたのは今度もストレートだった。変化球でなかったのを内心で喜びながら、淳吾はボールを迎える準備を整える。

 これならなんとかなると振ったバットは、淳吾の計算どおりにはボールを捉えられずに終了する。結果は三振だ。

 どうしてバットにボールを当てられなかったのか。理由は単純明快で、淳吾が高めのボール球を振ってしまったからに他ならない。

 三振してしまった以上、バッターボックスにいても仕方ないので、すごすごと自分が所属するチームが使用しているベンチへ戻る。

 最初からストレートは全部振るつもりでいたが、考えてみればこれは実戦。バッティングセンターのアームみたいに、ストライクコースにばかり投げてくれるはずがなかった。

 俗にいう釣り球に、淳吾はものの見事に引っかかった。ボールはバットに当てるのも難しいコースを通過しており、ギャラリーがいれば、どうしてあんなコースを振るのかと憤ってもおかしくない。

 それでもストレートに意識が集中しすぎていた淳吾は、何の躊躇いもなくバットを振ってしまった。振り終えてから、ようやくボール球だったと気づいたくらいだ。

「やっぱり、簡単にはいかないな……」

 ベンチの隅にひとりで座りながら、ため息混じりに呟く。これでは迷惑をかけているだけだが、小笠原茜の父親も源さんも、とりたてて気にしてる様子はなかった。

 他のチームメイトも「どんまい」と淳吾を励ましてくれる。初心者だとわかっているからこそ、優しくしてくれてるのだろう。

 こうした心遣いに報いるためにも、今回の試合をきっかけに、少しでも実力を上達させようと淳吾は心に決めた。
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