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第32話 ずいぶんと立派なピッチャーゴロだったな
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「本来なら、サードあたりをやってもらいたいとこなんだが、速い打球がいったら、未経験者には危険すぎるな」
「そうだね。これから試合もあるし」
小笠原茜の父親と源さんの会話を耳にして、淳吾は「は?」と声を上げる。なにやら不吉な単語を聞いたような気がしたので、恐る恐るその点について尋ねてみる。
「あの……試合というのは」
「練習試合のことだよ。それに参加したくて、淳吾君は今日、グラウンドに来たんだよね?」
「ええと、その……練習に参加させてもらえると聞いたので……」
源さんと淳吾が顔を見合わせたまま、お互いに言葉を失う。どうやら、決定的な勘違いが2人の間に存在しているみたいだった。
「……仕方がないね。父娘揃って、さっきみたいな感じの性格だから」
「ああ……」
ここで改めて人のよさそうな源さんに、淳吾は今日の予定を聞いた。
練習もあるけれど、基本的には試合をすることが多いらしかった。小笠原茜の父親の方針で、試合の方が練習より面白いからだという。
実践で守備練習ができるので淳吾からすれば願ったり叶ったりだが、出勤前から試合なんてして大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。
「よし、それじゃ、淳吾君にはレフトを守ってもらうか」
考え事をすると他人の言葉は耳に入らなくなるのか、それまでの源さんと淳吾の会話は聞こえてないとばかりに、小笠原大吾がひとりで用意した解決策を提示してくれる。
「確かに危険性は少ないね。それに僕がセンターだから、フォローしてあげられるしね」
源さんが言うならと周囲も納得し、9番という打順とともに淳吾の役割が決定する。
硬式野球の経験すらないのに、いきなり練習試合なんて危険極まりないので、とにかく怪我をしないことを最優先に考える。実際に源さんにも、そう忠告された。
温かな雰囲気の中、対戦相手を待てばいいだけかと思いきや、ひとりだけ見るからに不機嫌そうな男性がいた。
「こんな初心者をチームに入れたって、足手まといなだけっスよ」
源さんとは対照的に、髪の毛がふさふさな男性は明らかに淳吾へ敵意を抱いていた。初対面で嫌われる理由なんてないはずなので、怖がるより不思議に思う。
「何だ、お前。まだ、そんなこと言ってんのか」
呆れたようにその男性へ注意してくれたのは、小笠原茜の父親だった。
「茜ちゃんの頼みだから、仕方なく頷きましたけどね。俺は基本的に反対っス」
初心者に硬球は危険だから反対してるのかと思いきや、真意は別のところにあるみたいだった。
「彼は安田学君と言ってね。大吾の後輩でもあるんだ」
源さんが穏やかな口調で淳吾に教えてくれる。だから安田学という男性は、体育会系な言葉遣いで小笠原大吾と会話をしているのだ。
結構な年配者が多いチーム内において、安田学だけは40代前半くらいの若そうな風貌をしていた。少しチャラそうな感じもあるけれど、格好いい部類に入りそうな顔立ちだった。
「どうやら大吾の娘の茜ちゃんに好意を持ってるみたいでね。だから、茜ちゃんの紹介でチームに来た淳吾君に嫉妬してるんだよ」
衝撃のネタばらしを受けてる淳吾の視界では、安田学が小笠原大吾に一喝されているところだった。
「だから、俺をお父さんと呼ぶなっ! 貴様だけには、絶対に茜はやらんからな!」
「どうしてっスか! めちゃくちゃ、愛し合ってるのに!」
本当かどうか目で源さんに尋ねると、困った感じで首を左右に振った。
「茜ちゃんはまったく相手にしてないね。それを照れ隠しだと判断してるみたいだけど……」
僕の目から見れば、可能性は限りなくゼロに近いんじゃないかなと源さんが教えてくれた。他人の恋愛事情ほど面白いのはないので、今度、小笠原茜をからかってみようと淳吾は思った。
*
そうこうしてる間に対戦相手がやってきて、練習試合が開始される。さすがに皆、仕事前なので本格的な試合ではなかった。
イニングは5回までで、10点差がつけばその時点でコールドゲームになる。短い時間で、野球を楽しめる感じになっていた。
イニングの表が相手チームで、裏が淳吾が所属させてもらっている小笠原大吾のチームの攻撃になる。なので、最初は守備につかなければならない。大丈夫かなと内心で緊張しつつも、淳吾はレフトのポジションにつく。
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。ミスをしても構わないしね。むしろ、その方が早く色々なことを覚えるかもしれないよ」
センターの守備につく源さんが、実に優しい台詞で淳吾を励ましてくれる。ありがたく思いながら、淳吾は借りもののグローブをポンと叩く。
練習試合なのできちんとしたユニフォームは不要だが、生憎と淳吾はグローブもバットもスパイクも所持していなかった。そこで優しい源さんが、野球道具一式を淳吾に貸してくれたのである。
いつの間にか源さんが淳吾の世話役みたいになっており、あれこれとアドバイスもしてくれる。本来ならそうした状況で守備練習をしたかったのだが、生憎とすぐに試合が始まってしまう。
とにかく無茶だけはしないようにと自分に言い聞かせながら、淳吾はレフトのポジションからピッチャーを務める安田学の投球を見つめる。
とっくにゲームは開始され、安田学はポンポンとストレートをキャッチャーミットめがけて投げ込んでいた。守備位置から見てても結構なスピードがあるのがわかり、40歳を超えているのに凄いなと感心する。
だが、いつまでも傍観者みたいな立場でいられるはずもなかった。実に爽快な金属音がグラウンドへ木霊し、もの凄い勢いで白球が淳吾のもとへ向かってくる。
「わ、わわっ!」
体育の授業で守った経験しかない淳吾は戸惑いながら、打球が向かってくる位置へ移動する。といっても、ほぼ真正面に飛んできてくれてるので、さほど足を動かさなくてもよかった。
テレビで放映されるプロ野球の試合では、いとも簡単に外野手の人が打球を処理しているが、見るのとやるのは大違いだとこの時点でようやく理解できた。
一直線に向かってくるライナーと対峙する恐怖心といったらなく、悲鳴を上げてこの場から逃げたいくらいだ。それでも左手にはめているグローブを構え、淳吾を倒さんばかりにやってくる打球を迎える。
「う、うわっ!」
またしても淳吾は、悲鳴みたいな声を発してしまった。しかし、それも無理はなかった。
真っ直ぐに飛んできた硬式球を捕球できたまではよかったが、その勢いに負けてグローブごと手が吹っ飛ばされそうになったのだ。
まさかここまで凄いとは思ってなかったため、そのまま背中から地面へ倒れこみそうになってしまった。
軟式球でキャッチボールをした経験しかない淳吾にはかなりの衝撃で、無事にキャッチできたものの、恐怖感は当初よりも大きくなった。
「ナイスキャッチ」
いつの間にか近くに来ていた源さんに声をかけられる。とりあえず小さく頷いてから、捕ったボールを手渡した。
本来なら淳吾が内野へ返すべきだったのだろうが、足が震えてそれどころではなかった。幸いにして回復する気配を見せてくれてはいるが、最初からこれでは先が思いやられる。
「最初からライナーを捕れたのなら上出来だよ。その調子で慣れていけばいいよ」
やはり優しい源さんの言葉に励まされ、淳吾はレフトのポジションで守備を継続する。
その後は打球が飛んでこないまま、淳吾が打席へ入る番になった。
*
草野球チームの練習試合ではあるものの、バッターボックスへ左足を踏み入れた瞬間、全身がこれまで経験のないくらい強い緊張に包まれた。
緊張を解放するために「ふう」と一度だけ息を吐き、肩を軽く上下させる。これで少しはリラックスできればいいと思いながら、淳吾は借り物の黒い金属バットを構える。
バッティングセンターで打撃練習をしている最中に見つけた、しっくりくるバッティングフォームはかなりのオープンスタンスだった。
最初から足を開いて構え、足を上げる時に初めてスクエアな感じになる。誰かにアドバイスされたわけでなく、これがもっとも違和感の少ないフォームだから採用した。
相手の投手も50代から60代くらいの男性で、現役の高校球児のような力強いボールを投げるわけではなかった。これまでベンチから投球を見ていたが、なんとかなりそうな球速ではある。恐らくは110キロから120キロ程度ではないだろうか。
無言のまま時間だけが過ぎ、マウンドに立っている投手が足を上げる。それに合わせて淳吾もタイミングをとる。ここまでは、先日の体育の授業時と一緒だった。
相手投手が足を下ろすのに合わせて、淳吾が足を上げる。あまり大きく上げないようにして、いつでもタイミングをとれるようにする。毎日のバッティングセンター通いで、会得したフォームがどこまで通じるか試すチャンスだ。
対峙しているピッチャーも癖のない投球フォームをしているので、比較的タイミングは合わせやすそうだった。
淳吾が9番打者ということで、様子見がてらにさほど速くない直球が投じられる。これはチャンスだと判断して、すぐに淳吾はバットを振る。
というより、最初から初球はストレートが来るだろうと勝手に判断し、おもいきりスイングしようと決めていた。恐らく、こういうのを決め打ちというのだろう。
「――ふっ!」
スイング動作をしながら息を静かに吸い込み、バットを振る直前に呼吸を止める。そうして両腕に力を集中させて、向かってくるボール目掛けてバットを出していく。
スイングがアッパー気味なのは淳吾もよく知っているので、そこらも含めたイメージでバットを振った。
すべてが淳吾の想像どおりに進行してくれるのであれば、打球は今頃左翼スタンドに突き刺さってるはずだった。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
体育の授業時と同じく、きちんと捉えたつもりだったのに、スカっとするような打球は淳吾のバットから生まれなかった。対戦投手は違っても、投じられた直球の速度は大差なく感じられたのにである。
とぼとぼとベンチに戻った淳吾へ、この試合で投手をしている安田学がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「ずいぶんと立派なピッチャーゴロだったな」
からかわれてるとわかってはいたが、いちいち怒っていたらきりがないので、嫌味に気づいてないふりをして普通に会話をする。
「そうですね。自分では捉えたと思ったんですけど」
眉をしかめたりもしない淳吾にこれ以上の追求はできなかったようで、安田学はつまらなさそうにベンチ内の他の場所へ移動する。
代わりに淳吾の側へやってきたのは、世話役も同然になっている源さん――ではなく、小笠原茜の父親こと小笠原大吾だった。
「軟式と硬式は全然違うからな。捉えたつもりが、そうじゃなかったってのは、よくある話だ」
「そうなんですか」
「まあ、そう落ち込むなよ。淳吾君は硬式野球は初心者も同然だ。これから覚えればいい」
ニヤリとしながら、小笠原大吾は淳吾に軟式球と硬式球の違いを、大雑把にではあるけれど説明してくれた。
軟式になれていると打撃でも守備でも、かなり戸惑ってしまうそうなのだが、軟式野球の経験すらほとんどない淳吾はそこまでの違和感を覚えてなかった。
次の打席こそは、なんとかもっといい打球を飛ばしたい。そんな決意を抱きながら、淳吾は初めての硬式球での試合に臨み続ける。
「そうだね。これから試合もあるし」
小笠原茜の父親と源さんの会話を耳にして、淳吾は「は?」と声を上げる。なにやら不吉な単語を聞いたような気がしたので、恐る恐るその点について尋ねてみる。
「あの……試合というのは」
「練習試合のことだよ。それに参加したくて、淳吾君は今日、グラウンドに来たんだよね?」
「ええと、その……練習に参加させてもらえると聞いたので……」
源さんと淳吾が顔を見合わせたまま、お互いに言葉を失う。どうやら、決定的な勘違いが2人の間に存在しているみたいだった。
「……仕方がないね。父娘揃って、さっきみたいな感じの性格だから」
「ああ……」
ここで改めて人のよさそうな源さんに、淳吾は今日の予定を聞いた。
練習もあるけれど、基本的には試合をすることが多いらしかった。小笠原茜の父親の方針で、試合の方が練習より面白いからだという。
実践で守備練習ができるので淳吾からすれば願ったり叶ったりだが、出勤前から試合なんてして大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。
「よし、それじゃ、淳吾君にはレフトを守ってもらうか」
考え事をすると他人の言葉は耳に入らなくなるのか、それまでの源さんと淳吾の会話は聞こえてないとばかりに、小笠原大吾がひとりで用意した解決策を提示してくれる。
「確かに危険性は少ないね。それに僕がセンターだから、フォローしてあげられるしね」
源さんが言うならと周囲も納得し、9番という打順とともに淳吾の役割が決定する。
硬式野球の経験すらないのに、いきなり練習試合なんて危険極まりないので、とにかく怪我をしないことを最優先に考える。実際に源さんにも、そう忠告された。
温かな雰囲気の中、対戦相手を待てばいいだけかと思いきや、ひとりだけ見るからに不機嫌そうな男性がいた。
「こんな初心者をチームに入れたって、足手まといなだけっスよ」
源さんとは対照的に、髪の毛がふさふさな男性は明らかに淳吾へ敵意を抱いていた。初対面で嫌われる理由なんてないはずなので、怖がるより不思議に思う。
「何だ、お前。まだ、そんなこと言ってんのか」
呆れたようにその男性へ注意してくれたのは、小笠原茜の父親だった。
「茜ちゃんの頼みだから、仕方なく頷きましたけどね。俺は基本的に反対っス」
初心者に硬球は危険だから反対してるのかと思いきや、真意は別のところにあるみたいだった。
「彼は安田学君と言ってね。大吾の後輩でもあるんだ」
源さんが穏やかな口調で淳吾に教えてくれる。だから安田学という男性は、体育会系な言葉遣いで小笠原大吾と会話をしているのだ。
結構な年配者が多いチーム内において、安田学だけは40代前半くらいの若そうな風貌をしていた。少しチャラそうな感じもあるけれど、格好いい部類に入りそうな顔立ちだった。
「どうやら大吾の娘の茜ちゃんに好意を持ってるみたいでね。だから、茜ちゃんの紹介でチームに来た淳吾君に嫉妬してるんだよ」
衝撃のネタばらしを受けてる淳吾の視界では、安田学が小笠原大吾に一喝されているところだった。
「だから、俺をお父さんと呼ぶなっ! 貴様だけには、絶対に茜はやらんからな!」
「どうしてっスか! めちゃくちゃ、愛し合ってるのに!」
本当かどうか目で源さんに尋ねると、困った感じで首を左右に振った。
「茜ちゃんはまったく相手にしてないね。それを照れ隠しだと判断してるみたいだけど……」
僕の目から見れば、可能性は限りなくゼロに近いんじゃないかなと源さんが教えてくれた。他人の恋愛事情ほど面白いのはないので、今度、小笠原茜をからかってみようと淳吾は思った。
*
そうこうしてる間に対戦相手がやってきて、練習試合が開始される。さすがに皆、仕事前なので本格的な試合ではなかった。
イニングは5回までで、10点差がつけばその時点でコールドゲームになる。短い時間で、野球を楽しめる感じになっていた。
イニングの表が相手チームで、裏が淳吾が所属させてもらっている小笠原大吾のチームの攻撃になる。なので、最初は守備につかなければならない。大丈夫かなと内心で緊張しつつも、淳吾はレフトのポジションにつく。
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。ミスをしても構わないしね。むしろ、その方が早く色々なことを覚えるかもしれないよ」
センターの守備につく源さんが、実に優しい台詞で淳吾を励ましてくれる。ありがたく思いながら、淳吾は借りもののグローブをポンと叩く。
練習試合なのできちんとしたユニフォームは不要だが、生憎と淳吾はグローブもバットもスパイクも所持していなかった。そこで優しい源さんが、野球道具一式を淳吾に貸してくれたのである。
いつの間にか源さんが淳吾の世話役みたいになっており、あれこれとアドバイスもしてくれる。本来ならそうした状況で守備練習をしたかったのだが、生憎とすぐに試合が始まってしまう。
とにかく無茶だけはしないようにと自分に言い聞かせながら、淳吾はレフトのポジションからピッチャーを務める安田学の投球を見つめる。
とっくにゲームは開始され、安田学はポンポンとストレートをキャッチャーミットめがけて投げ込んでいた。守備位置から見てても結構なスピードがあるのがわかり、40歳を超えているのに凄いなと感心する。
だが、いつまでも傍観者みたいな立場でいられるはずもなかった。実に爽快な金属音がグラウンドへ木霊し、もの凄い勢いで白球が淳吾のもとへ向かってくる。
「わ、わわっ!」
体育の授業で守った経験しかない淳吾は戸惑いながら、打球が向かってくる位置へ移動する。といっても、ほぼ真正面に飛んできてくれてるので、さほど足を動かさなくてもよかった。
テレビで放映されるプロ野球の試合では、いとも簡単に外野手の人が打球を処理しているが、見るのとやるのは大違いだとこの時点でようやく理解できた。
一直線に向かってくるライナーと対峙する恐怖心といったらなく、悲鳴を上げてこの場から逃げたいくらいだ。それでも左手にはめているグローブを構え、淳吾を倒さんばかりにやってくる打球を迎える。
「う、うわっ!」
またしても淳吾は、悲鳴みたいな声を発してしまった。しかし、それも無理はなかった。
真っ直ぐに飛んできた硬式球を捕球できたまではよかったが、その勢いに負けてグローブごと手が吹っ飛ばされそうになったのだ。
まさかここまで凄いとは思ってなかったため、そのまま背中から地面へ倒れこみそうになってしまった。
軟式球でキャッチボールをした経験しかない淳吾にはかなりの衝撃で、無事にキャッチできたものの、恐怖感は当初よりも大きくなった。
「ナイスキャッチ」
いつの間にか近くに来ていた源さんに声をかけられる。とりあえず小さく頷いてから、捕ったボールを手渡した。
本来なら淳吾が内野へ返すべきだったのだろうが、足が震えてそれどころではなかった。幸いにして回復する気配を見せてくれてはいるが、最初からこれでは先が思いやられる。
「最初からライナーを捕れたのなら上出来だよ。その調子で慣れていけばいいよ」
やはり優しい源さんの言葉に励まされ、淳吾はレフトのポジションで守備を継続する。
その後は打球が飛んでこないまま、淳吾が打席へ入る番になった。
*
草野球チームの練習試合ではあるものの、バッターボックスへ左足を踏み入れた瞬間、全身がこれまで経験のないくらい強い緊張に包まれた。
緊張を解放するために「ふう」と一度だけ息を吐き、肩を軽く上下させる。これで少しはリラックスできればいいと思いながら、淳吾は借り物の黒い金属バットを構える。
バッティングセンターで打撃練習をしている最中に見つけた、しっくりくるバッティングフォームはかなりのオープンスタンスだった。
最初から足を開いて構え、足を上げる時に初めてスクエアな感じになる。誰かにアドバイスされたわけでなく、これがもっとも違和感の少ないフォームだから採用した。
相手の投手も50代から60代くらいの男性で、現役の高校球児のような力強いボールを投げるわけではなかった。これまでベンチから投球を見ていたが、なんとかなりそうな球速ではある。恐らくは110キロから120キロ程度ではないだろうか。
無言のまま時間だけが過ぎ、マウンドに立っている投手が足を上げる。それに合わせて淳吾もタイミングをとる。ここまでは、先日の体育の授業時と一緒だった。
相手投手が足を下ろすのに合わせて、淳吾が足を上げる。あまり大きく上げないようにして、いつでもタイミングをとれるようにする。毎日のバッティングセンター通いで、会得したフォームがどこまで通じるか試すチャンスだ。
対峙しているピッチャーも癖のない投球フォームをしているので、比較的タイミングは合わせやすそうだった。
淳吾が9番打者ということで、様子見がてらにさほど速くない直球が投じられる。これはチャンスだと判断して、すぐに淳吾はバットを振る。
というより、最初から初球はストレートが来るだろうと勝手に判断し、おもいきりスイングしようと決めていた。恐らく、こういうのを決め打ちというのだろう。
「――ふっ!」
スイング動作をしながら息を静かに吸い込み、バットを振る直前に呼吸を止める。そうして両腕に力を集中させて、向かってくるボール目掛けてバットを出していく。
スイングがアッパー気味なのは淳吾もよく知っているので、そこらも含めたイメージでバットを振った。
すべてが淳吾の想像どおりに進行してくれるのであれば、打球は今頃左翼スタンドに突き刺さってるはずだった。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
体育の授業時と同じく、きちんと捉えたつもりだったのに、スカっとするような打球は淳吾のバットから生まれなかった。対戦投手は違っても、投じられた直球の速度は大差なく感じられたのにである。
とぼとぼとベンチに戻った淳吾へ、この試合で投手をしている安田学がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「ずいぶんと立派なピッチャーゴロだったな」
からかわれてるとわかってはいたが、いちいち怒っていたらきりがないので、嫌味に気づいてないふりをして普通に会話をする。
「そうですね。自分では捉えたと思ったんですけど」
眉をしかめたりもしない淳吾にこれ以上の追求はできなかったようで、安田学はつまらなさそうにベンチ内の他の場所へ移動する。
代わりに淳吾の側へやってきたのは、世話役も同然になっている源さん――ではなく、小笠原茜の父親こと小笠原大吾だった。
「軟式と硬式は全然違うからな。捉えたつもりが、そうじゃなかったってのは、よくある話だ」
「そうなんですか」
「まあ、そう落ち込むなよ。淳吾君は硬式野球は初心者も同然だ。これから覚えればいい」
ニヤリとしながら、小笠原大吾は淳吾に軟式球と硬式球の違いを、大雑把にではあるけれど説明してくれた。
軟式になれていると打撃でも守備でも、かなり戸惑ってしまうそうなのだが、軟式野球の経験すらほとんどない淳吾はそこまでの違和感を覚えてなかった。
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