空を舞う白球

桐条京介

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第30話 あの……その……お尻……なんだけど……

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 死球を食らったとはいっても軟式球で、ぶつかったのはお尻だ。痛みはさほどでもないので、栗本加奈子らにブーイングを浴びてるピッチャーが少しだけかわいそうになる。

 淳吾からすれば下手に凡打して、真の実力が露見せずに済んだのだから、デットボールは大歓迎だったのだ。

 続く打者が二塁打を打った際には、一塁から一気に本塁を奪った。死球の影響はなく、普段どおりに全力で走れたので安堵する。

 その際に気づいたのは、ほとんど内野を一周したにもかかわらず、最後までスピードが落ちずに走りきれる体力が身についていた事実だった。

 毎日のランニングは無駄になってないと、ほんの少しだけ嬉しくなる。とはいえ、バッティングセンター通いも始めたばかりなので、きちんとした効果が現れるのはまだまだ先だろう。

 それでも一応の結果がでると、今後も頑張ろうという気になれる。体育の授業を気持ちよく終えた淳吾は、楽しげな気分のままで体育館での着替えを終えて教室へ戻る。

   *

 最近は昼食を用意してもらえるので、途中でコンビニへ寄って購入したりなどはしてきていない。教室に戻ってから数分が経過すると、恋人付き合いをしている女性が廊下へ姿を現した。

 気づいた栗本加奈子がすぐに淳吾を呼びに来て、男性陣の殺気たっぷりの視線を引き連れて廊下へ出る。友達らしい友達ができないとは思っていたが、まさか土原玲菜との交際が原因だとは想像もしていなかった。

 友人がほしいのはほしいが、そのせいで交際をやめるつもりは毛頭ない。それに、やっかみを買う経験がこれまでなかったので、新鮮に感じられてどことなく嬉しく思ってたりもする。

 辛らつな虐めに発展したりすれば話は変わるが、そんな真似をしたら同じクラスの栗本加奈子あたりに大ブーイングを食らいそうだ。もしかして淳吾が睨まれるだけで済んでるのは、彼女のおかげなのかもしれない。

 心の中で多少の感謝をしつつ、淳吾は土原玲菜と一緒に恒例の中庭へ向かう。幸いにして今日まで雨が降ってないので、代わりの場所に困ることはなかった。

 嫉妬心渦巻く淳吾の教室で、仲良く一緒にお弁当を――しかも手作りのを食べていたら、天から降り注ぐ雨の色が赤く染まる可能性も否定できない。先々への心配はあるが、とにかくお腹が減っているのであまり考えないようにする。

「ついさっき、加奈子ちゃんから、今日の体育の授業でデッドボールを受けたと聞いたのだけど……」

 いつの間に仲良くなっていたのか、気がつけば土原玲菜は栗本加奈子をちゃん付けで呼ぶようになっていた。まずは姉と親密になってから、標的の土原玲二を狙う作戦なのだろうか。

 とにもかくにも、栗本加奈子は着実に土原玲二との距離を詰めてるような気がする。これもひとつの青春だな。老人みたいな感想を持ちながらお弁当を食べていると、土原玲菜が間近で淳吾の顔を覗きこんできた。

 慌てた淳吾が「どうしたの?」と聞くと、体育の授業でのデッドボールについて再び尋ねられた。

「大丈夫だよ。軟式球だったし、たいしたことないから」

「たいしたことあるかもしれないわ。油断するよりは、慎重な方がいいに決まってる」

 淳吾を心配してくれてるのはわかるのだが、ボールをぶつけられた場所が場所だけに、じゃあ確認してなんて間違っても言えない。

 なんとか話題を逸らそうとするも、そうした態度が逆に不信感を抱かせてしまったのか、土原玲菜はますます淳吾を心配げに見つめてきた。

「とにかく状態を確認して、腫れがあるようなら対処するべきだわ。自分で見られない場所なら、代わりに私が見るから」

「いや、でも……」

「遠慮しないで。多少の手当ての心得くらいならあるから。それで、どこをぶつけたの?」

「あの……その……お尻……なんだけど……」

「……え?」

 普段は冷静さ抜群の土原玲菜も、さすがにこの時ばかりは顔を真っ赤にして俯いてしまった。

   *

 体育の授業後の昼食では、若干気恥ずかしい思いをしてしまったが、それなりに収穫のあった日だった。素人とはいえ、男性高校生が全力で投げるボールを見られた。

 ホームランにはならなかったものの、きちんとセンター前へヒットを打てた。速球に空振りをしなかっただけでも、かなりの進歩を感じられる。

 バッティングセンターで打つよりも、対人の方がタイミングをとりやすかった。投手の一連の動作が見えるからなのかはわからないが、自然に反応できたのを覚えている。

 デッドボールには驚いたが、軟式球だったので痛くはなかった。帰宅直後に鏡で確認したら痣にもなってなかったので、特別な治療はまったくしていない。

 さすがに淳吾のお尻を見たいとはならず、土原玲菜は治療をするのを諦めた。その代わり、自分できちんと処置をするように何度も言われた。

 だからこそ淳吾は、帰宅後にぶつけられたところをチェックしたのだ。結果は良好で、問題視するほどではなかった。

 現在は夕方で、淳吾は自宅でひとり夜のなるのを待っている。土原玲菜も帰宅しているはずで、ここにはいない。

「それにしても……デッドボールを避けるのって、難しいんだな」

 周囲には誰もいないので、完全なる独り言だ。呟きながら体育の授業時を思い出す。

 ボールが自分へ向かってくるのがきちんと見えていたのに、金縛りにでもあったみたいに足が動かなかった。結果的にお尻を向けて、比較的痛くない場所でボールを受けられたのは幸いだった。

 よくプロ野球をテレビ観戦してる際に、死球を食らう選手を見て、今のは避けられたんじゃないかと野次ったりしていた。しかし、そんな容易じゃないのを今日、思い知った。

 打撃動作に入ってしまえば、途中で解除するのは難しい。バットを放り投げて、瞬時にバッターボックスから飛んで逃げられるとしたら、ボールを見ようとしていた場合に限られるのではないか。

 淳吾とプロ野球選手では経験も肉体の強さも違うため、単純に比較をするのは無理がある。それでも、プロの凄さを少しばかり知った気がした。

「今日の実戦でわかったけど、オープンスタンス気味のバッティングフォームは、やっぱり俺に合ってるみたいだな」

 バッティングセンターでは何度も試しているが、実際の投手を相手にしたのは今日が初めてだった。最初にホームランを打った時は、フォームなんてよく考えてなかったのもあって、今とは違うものだったからだ。

「とにかくバッティングフォームをしっかりさせて、真っ直ぐなら140キロでもきっちり対応できるようにならないとな」

 体育の授業を思い出しながら、これからの課題について考えてるうちに、いつしか外は暗くなっていた。

 そろそろ大丈夫だろうと自宅を出発し、ランニングをしながら目的地であるバッティングセンターを目指す。

 バッティングセンターで使う費用はそれなりにかかっているが、土原玲菜が朝食と昼食を作ってくれているのでなんとかなっている。

 走りながら心の中で土原玲菜に感謝しつつ、今夜も淳吾は例のバッティングセンターへ到着する。ランニングに慣れてきたからか、時間はいつもより少し早めだった。

 それでも利用客は淳吾ひとりで、いつものごとくバッティングセンターは閑散としている。どうやって運営してるのか気になるところだが、とりあえずは営業が継続されている。

「最初から、140キロでいってみるか」

 適度な速度のケージから始めて徐々にではなく、いきなり140キロ用のに入る。試合でも投手が段階的に球速を上げてくるわけではないので、これがよりベターだと判断した。

   *

 体育の授業で華麗にヒットを打ったようにはいかず、何球も空振りをしてしまう。さすがに球速がこれだけあると、ボールの少し上を狙って打つなんて芸当は不可能に近かった。

 それでもアッパー気味のスイングを活かすために、なるべくなら向かってくる軟式球の上側を狙う。全部が全部上手くはいかないが、段々とバットに当てられる回数は増えてきた。

 自分でセンスがあるとは思ってないが、これだけ短期間で140キロのストレートをバットに当てられるようになると多少は自惚れもでてくる。それが仮谷淳吾という人間だから仕方ないでは済ませず、なんとかコントロールする必要がある。

 だからといって、性格すべてを変えたりはしない。先の見えない長い人生において、何が幸いするかは誰にもわからないからだ。もしかしたら、淳吾の調子の良さがどこかで好結果を与えてくれる可能性もある。

 自分自身への考察はそれまでにして、せっかくバッティングセンターに来ているのだから打撃練習に集中する。次々に投じられる140キロの速球は、やはりバットに当てるだけでひと苦労だった。

 もっとタイミングが簡単にとれれば打ちやすいのだろうけど、試行錯誤してもなかなかハマらない。その影響でバットに当てられても、勢いのない打球しか飛んでくれなかった。

「課題はタイミングのとりかたなのかな……」

 バッティングセンターに設置されているマシンが淳吾に合ってないのか、人間に投げてもらう場合よりもタイミングがとりにくかった。

「くそっ。もう1回分が終わったのか……」

 続けてもう1回やろうかと考えていたら、ケージの外からパチパチと手を叩く音が聞こえてきた。

 何だろうと思って淳吾が音のした方を見ると、そこにはジャージ姿の小笠原茜が立っていた。

「凄いね。いつの間に、140キロなんて打てるようになったの?」

「え……あ、ああ、ついこの間かな」

 以前にもこのバッティングセンターで会ったことがある程度で、別に友人というわけでもない。なのに自然とタメ口で話してしまう。

 相手からすれば年下の淳吾に敬語を使われないのは腹が立ちそうなものなのに、会話をしていて怒られた経験は一度もなかった。

「今日も仕事の帰りなの?」

「お休みだったのよ。家でゆっくりしてたんだけど、うるさいのがいたからストレス発散にきたの」

 平日に休みというのも不思議な職場だが、まだ学生という身分の淳吾があれこれ尋ねるのも失礼だろう。適当な相槌を打ちつつ、小笠原茜に140キロのケージを利用するか聞いてみる。

「私には無理よ。バットに当たりそうにないし。逆にストレスが溜まっちゃうわ」

 打撃の実力を上昇させたがってる淳吾とは違い、小笠原茜は単純にストレスを発散させにきただけなのだ。そのためには90キロのケージが最適なのだろう。

「しかし、淳吾君は頑張り屋さんだね。そこまで上達したら、もう十分なんじゃないの?」

「十分どころか、まだまだで……」

「またまたぁ。謙遜してるんでしょ」

「違いますって。実戦経験が不足してるから、不安だらけですよ。このバッティングセンターじゃ、軟球しか打てないし」

 しばらくは淳吾の言葉を「ふぅん」と聞いていた小笠原茜だったが、唐突に瞳を輝かせて両手を叩いた。

「それなら、私のお父さんがやってる草野球チームに混ざってみる?」

「え? 草野球?」

「そうよ。お父さん、この辺じゃ珍しい硬式球の草野球チームを作ってるの。2チームしかないから、いつも同じ対戦相手で飽きたって愚痴ってるけどね」
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