空を舞う白球

桐条京介

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第27話 どうしろって言うんだよ……

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 辿り着いたばかりのバッティングセンターで、淳吾が最初に入ったのはこれまでの時速90キロのケージではなく、時速120キロのところだった。

 90キロのボールは、かなりの高確率で打てるようになった。それなら、いつまでも同じケージで練習してないで、球速を上げるべきだと判断した。

 今日の練習試合を見た限り、結果は惨敗だったとはいえ、私立群雲学園の野球部員は誰もが淳吾より上の実力を持っている。

 同じ初心者でも、他の部員は、経験者の相沢武や土原玲二から指導を受けている。成長の度合いに差が出るのは当然だった。

 最初はバッティングへ慣れるために結構な時間を費やしたが、これからは悠長にしていられない。焦りすぎは禁物だとわかっていても、自分で自分を急かしてしまう。

「くっ……! 30キロでも、大違いだな……」

 120キロのケージで1回打ち終えたあと、そう呟きながら、淳吾は右手に持っている金属バットの先端を地面につけた。

 バッティングセンターへ来てるというのに爽快感はまるでなく、すぐにでも横になりたいくらいの疲労感が全身を包んでいた。

 たった30キロとは言えないくらい、軟式球であっても速度は大違いだった。90キロなら簡単にバットへ当てられてたのに、120キロのケージではかすりもしなかった。

 自分のスイングがアッパー気味なのを自覚してるので、ボールの上側を狙う感じでバットを振るも、見事な空振りの回数ばかりが増えるだけだった。

 ボールがホームベース付近まで到着するのを待っていると振り遅れになるため、始動を早くしてみたが結果はやはり空振り。今度はボールが来る前にスイングを開始するので、タイミングが取れないのだ。

「もしかして……これが間、とかってやつなのかな……」

 よくプロ野球のテレビ観戦をしてると、バッターの間の取り方が悪いなどと解説者に言われたりしてる。

 素人も同然なので、そうした解説を聞いても、どういうことだろうという感想しか持たなかった。しかし、いざ実践してみると、なんとなくでも解説の人が言っていたことがわかる。

 球速がアップすると、ボールが来るのを確認してからスイング動作に入っても遅いのだ。だから早めにバットを振る準備を始めるものの、そうすると今度はタイミングが合わなくなる。

「これは参った。どうすればいいんだ……野球入門書でも見ればいいのかな……」

 すべてを自己流でやるのは、土台無理があったのか。早くも淳吾の計画は頓挫しかけている。

 だからといって簡単に諦められないので、決して優秀とはいえない頭脳を使ってひたすら考える。

「……待てよ」

 周囲には誰もいないからいいものの、先ほどから連発している独り言を聞かれたりすれば、淳吾は間違いなく怪しい人物に認定される。

 それでも勝手に漏れてしまうので、どうにもならない。とにかく淳吾は、日中に見た練習試合の光景を思い出す。

 初心者の部員たちは三振をしてばかりだったが、経験者である相沢武や土原玲二は違った。

 特に土原玲二は打席で構えた雰囲気から異なっており、まるでテレビで見るプロ野球選手みたいに見えた。

 軽い感動を覚えながらも、隣で観戦中の土原玲菜に気取られないようにしていたのを鮮明に覚えている。

 記憶に残っている打席で、土原玲二は小刻みに足を反応させていた。その時は何をしてるのだろう程度にしか思ってなかったが、今にして考えればタイミングを計っていたのではないか。

 投じられるボールの球速が上がるほど、ピッチャーが腕を振ってからタイミングをとっても間に合わなくなる。たった今、120キロの直球で淳吾が実感したばかりだ。

 それならばとボールが来る前にタイミングをとったけれど、今度は逆にうまく直球に合わせてスイングできなくなってしまった。

   *

 打者が投手のボールを打つには、かなりシビアなタイミングが要求されるのは理解できた。あとはどうやって、淳吾がそれを会得するかだけだ。

 そこで考えついたのが、土原玲二と同じ方法である。淳吾はさほど大きくはないにしろ、打つ直前に足を上げてタイミングをとっている。

 上げた足を勢いよく下ろした反動で上半身に力を伝え、両手に持っている金属バットを振る。アッパー気味なのは変わってないが、しばらくはこのままでいこうと決めている。

「とりあえず、試してみるか」

 新たに100円硬貨を2枚投入し、120キロのアームを稼動させる。ゆっくりと回転するのに合わせて、土原玲二がしてたみたいに打席の中で前にしている左足を小さく反応させる。

 足を上げようとするまでを何回も繰り返し行い、ここだと思ったところで足を上げる。そこからは普段と同じで、自分の打撃動作をしながら向かってくるボールに対してバットを出すだけだ。

 誰もいないバッティングセンター内に淳吾の気合の声が響き、直後に120キロのストレートがホームベース後ろのクッションにぶつかって地面を転がる。要するに空振ったのだ。

 全滅した1回目とは違い、なんとかなりそうな感じがあった。常にタイミングを計ってるのがよかったのかはわからないが、先ほどまでよりもスムーズに打撃動作へ入れたからだ。

 振り上がったアームが勢いよく下がると同時に、掴んでいた軟式球が投げ放たれる。それがわかっているのだから、あとはスイングしやすいポイントを探せばいい。

 足の爪先だけを反応させながら、ボールを投げそうだと思った瞬間に足を上げる。その足が打席内の土を踏みしめると同時にスイング動作へ入る。

 あとは向かってくるボールを打つだけなのだが、タイミングがズレるとまともにバットへ当てるのも不可能だった。空振りすればいい方で、下手をしたらバットも振れずにボールを見送ってしまう。

「なるほどね。よくテレビでやってるプロ野球で、解説者が初対戦の投手の初球を振れるのはたいしたものだと言ってるけど、こういうことだったのか」

 初対戦となると、直に相手の投球フォームも見ていない。その状況下で、いきなりタイミングを合わせてバットを振るのは、淳吾のレベルでは神技に近いくらいの難度だ。

 プロ野球選手とレベルを一緒にするのは無理がありすぎるが、参考にする程度なら問題はないはずだ。何事も自分より上のレベルにいる人の動きや言動は、色々と勉強になる。

 左手だけでバットを持ちながら、右手の甲で額の汗を拭く。独り言が多くなってるような気もするが、今日は例の小笠原茜という女性も来てないので、誰かに配慮する必要はないだろう。

「とにかく、まずは120キロの真っ直ぐを打てるようにならないと、話にもならないよな」

 120キロの上には140キロのケージもある。そこを打てるようになって、初めて真っ直ぐに対するレベルが多少は上がったと判断できる。

 140キロが打てても、まだまだ課題は山積みだ。変化球の練習をしなければならないし、硬式球にも慣れる必要がある。土原玲二が心配していたとおり、打つボールの違いは大きな問題になる。

 それでも速度的に慣れておいて損はない。野球経験が皆無に等しい淳吾がいきなり硬式球を使うのも無謀だし、これでいいんだと納得してやるしかないのだ。

「……くそっ。なかなかタイミングが合わないな」

 上げた足を下ろしてからスイングを我慢し続けると、動作の中で得た勢いがなくなってしまう。そうなれば上半身だけで打ち返さなければならなくなるが、生憎と淳吾は腕力を誇れるタイプでないのを自覚している。

「まずは……タイミングの取り方に慣れないと駄目だな……」

   *

 ひとりで使える時間は多いけれど、野球部に所属している伊藤和明らより練習してるとは思えない。

 いきなり守備を練習しても使いものにならないだろうし、この際、割り切って打撃だけに使える時間をすべて注ぎ込むのがベターだと判断した。

 だからこそ今夜もこうしてバッティングセンターへやってきては、懸命に自分のお金を使ってバッティング練習をしている。

 アームの動きは一定のはずなのに、いまいちタイミングが掴めない。そのせいで90キロのボールほどにうまく打てなかった。

 それでも120キロのスピードボールに、簡単に空振ったりはしなくなった。それだけでも、かなりの進歩だと納得するしかない。

「120キロも完璧に打ててるわけじゃないけど、慣れの意味もこめて、140キロも試してみようかな」

 このバッティングセンターでもっとも速いのが、140キロのストレートだった。

 プロ野球でも140キロを超えないストレートを投げているピッチャーもいる。その点から考えれば、このケージで打てないと話にもならない。

 120キロのケージで投入したコイン分を終了すると、意を決して淳吾は140キロのボールに挑戦をする。

「90キロから120キロに上がっても、なんとかなったんだ。どうにもならないというレベルじゃないだろ」

 ここまでがわりと順調だったので、油断があったのかもしれない。楽観的な思考をしながら、淳吾は200円を専用の投入口へ入れる。

 緊張で大きく息を吐いて、やってくるであろうスピードボールを待つ。気分だけはプロ野球選手だった。

 同じタイプのアームを使ってるはずなのに、他のケージのとは動きが違って見える。病は気の持ちようとよく言われるが、こうした場面でも精神状況によって感じ方が大きく違うのかもしれない。

 アームがボールを放つまでに小さくタイミングを取り、ここだと思った瞬間に足を上げる。打席に足を下ろし、靴底で土を踏みしめる。そうして140キロのボールがやってくるのを待つ。

 ……予定だったのだが、淳吾がスイング準備を完了させる前に、アームから放たれたボールはホームベースの上を通過していた。

 クッションへぶつかる音も重く、これまでのケージで味わってきた直球とはレベルが大きく違っていた。速いというより怖いという感想を抱き、金属製のバットを出すのさえ躊躇われる。

 体にぶつかったら痛いだろうなという恐怖に襲われ、身体が硬直する。その影響で、向かってくるボールを目で追うのも難しくなる。

 2球目、3球目ともスイングできないままボールを見送るも、悔しさはまるでなかった。あるのは、こんなの打てるかという怒りにも似た気持ちだった。

 こうなったら、今回は140キロというスピードに慣れるのを最優先にしようと決める。恐怖心と戦いながら打席内で踏み込み、じっくりと向かってくる軟式球を見る。

 風を切る音が、お前にはまだ無理だよと言ってるように聞こえた。気のせいだとわかってはいるが、そのとおりだと心の中で頷かずにはいられない。

 弱気になったとしても、誰も淳吾を責められない。それくらい140キロのストレートというのは桁が違う。

 よくプロ野球では150キロや、まれに160キロなんてスピードを計測しているが、淳吾からすれば想像もできないレベルだ。

「どうしろって言うんだよ……でも、なんとかしないと駄目なんだよな……」

 高校野球の中継を見ていれば、地方の予選であっても140キロを越えるボールを投げてくるピッチャーはそれなりにいる。

 せめてそこをクリアできないと、とても私立群雲学園の野球部を救うような存在になるのは不可能だ。
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