空を舞う白球

桐条京介

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第21話 あー、スッキリした

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 昼休みが終わり、教室へ戻ると、淳吾の机の上にここ最近で見慣れた包みがひとつ置かれていた。中に入ってるのは、土原玲菜が作ってくれたお昼用のお弁当だ。

 お弁当を重し代わりにメモ紙もあり、そこにはお昼はきちんと食べてくださいと綺麗な字で書かれていた。一緒に昼食をとらなかった申し訳なさを覚えつつも、すぐに午後の講義が始まるので、弁当箱をバッグの中にしまう。

 結局お昼ご飯を食べておらず、お腹が空いていた淳吾は次の休み時間に大慌てで平らげた。あまりの勢いに、誰も声をかけてこなかったほどだ。

 昼休みに土原玲二と会話したのもあり、講義が終了して放課後になると、すぐに帰ったりはせずに廊下でひとり立っていた。恐らく迎えに来てくれるであろう土原玲菜を待ってるのだ。

 案の定と言うべきか、すぐに土原玲菜はやってきた。お弁当のお礼を告げてから、二人で並んで帰宅する。淳吾宅に寄って夕食も用意してくれようとしたが、それは丁重に断った。

 昼だけでもありがたかったし、そこまで甘えるわけにはいかない。それに、例のバッティングセンターへ行く姿を見られたくはなかった。

 そして夜になり、淳吾はまたジャージに着替えて昨日のバッティングセンターへランニングしながら向かう。到着する頃にはバテバテだったが、日頃の運動不足のせいだから仕方ない。

 バッティングセンター内のベンチに座って、自動販売機から購入したスポーツドリンクを飲みつつ息を整える。体力がある程度回復したのを自覚してから、淳吾は90キロのケージに入る。

 千円札を使ってジュースを購入したので、まずはそのお釣りを投入する。200円が落ちていく音が周囲へ響いた直後、昨夜も散々睨みつけていたアームが回転を開始する。

 今回も3本ある金属バットの中から、真ん中くらいの重さと長さのを選んで両手に持つ。肩に乗せてひと呼吸置いたあと、アームの動きに合わせて顔の近くに立てる。

 アームから放たれた軟式球が、時速90キロで淳吾のすぐ側にあるホームベースを通過しようと飛んでくる。野球部に所属している小学生でも楽に投げられそうな球速だけに、視界ではきっちり縫い目まで捉えられている。

 にもかかわらず、全力でスイングすると、やはりボールにかすりもしない。昨夜はバントの構えや、バットを寝かせたり工夫して、きちんとミートできるようにしたつもりだったが甘かった。

「くそっ。どうして当たらないんだ……」

 向かってくる軟球はしっかり見えている。バットの軌道も、そこに合わせている。なのに2球目も前へ飛ばずに、後ろのクッションに命中して地面に落ちる。

 ボールの転がる音が聞こえるたびに、焦りが募る。嫌な汗が頬を流れ、リラックスしなければと思ってるのに、余計な力ばかりが全身に入る。

「バットの軌道を中心に見ればいいのか」

 3球目が来たのを確認するとすぐに目を離し、左打席の方に視線を向ける。これでボールとバットを衝突させるのは容易になるはずだ。

 本気でそう考えていたのだから、自分の愚かさ加減に頭を抱えたくなる。ボールから目を切ったら、どのコースに来るかわからなくなる。その状態で、バットに当てるのなど不可能だった。

「俺は何を考えてんだ……」

 4球目は昨夜と同じく、バットを寝かせた構えで対応する。プッシュパントをするようなスイングで、来た球へぶつけにいくと、耳に心地よいカキィンという金属音が発生した。

 さほど強い打球ではないにしろ、ライナー性の当たりが前方へ飛んでいく。このことから見ても、淳吾の目がおかしいわけでないのがわかる。

 バットを寝かせた構えからのスイングはきちんとボールを捉えられて、自分本来のフォームへ戻した途端に空振りを連発する。

 5球目も狙い通りに前へ飛ばせたのを見届けた直後、淳吾はひとつの仮説に辿り着く。

   *

 自分では水平にスイングしてるつもりになっているが、実際には想定してるのと違う軌道を描いてるのではないか。この推測が正しければ、何回バットを振ってもボールに当たるわけがない。

 スイング幅を短くして、事前にバットを寝かせた状態で振れば簡単に当てられる。それこそ、自らが思い描く軌道とスイングが一致してる証拠だった。

 力を入れれば、途端にバットへ当たらなくなる。となれば、もしかして淳吾のスイングはアッパー気味になってるのではないだろうか。

 上から叩くようなイメージは持ってないし、何よりバッティングセンターへやってきた当初から、淳吾はとにかくボールを遠くへ飛ばそうと考えていた。

 無意識に想定以上の力が両手に入り、下から振り上げるようにバットを出していた可能性が高い。直線で向かってくるボールに、アッパー気味のスイングをぶつけようとしてるのに、水平な軌道を描いてるイメージしかないのだから失敗するのも当然だった。

 ではそんな淳吾が何故、体育の授業とはいえ、豪快なホームランを打てたのか。それは投手を務めていた生徒の放ったボールが、時速90キロも出ていなかったからだろうと推測できる。

 地球には重力というものがあるので、放たれたボールの速度が遅いほどに地面へ引っ張られる。そのため相手のストレートはお辞儀をするような形になり、下から向かってきた淳吾のバットと見事に正面衝突したのだろう。つまりは、完璧なまでのまぐれだった。

 淳吾も実力で打ったのではないと理解していたのでショックは受けなかったが、バッターボックス内で苦笑せずにはいられなかった。

 だが、何をどうすればいいかの目星は大体ついた。淳吾の想定が正しいのであれば、振った金属バットは向かってくる軟式球の下を通過して空振りしているはずだ。

 解決する方法は単純明快。どうしても下を振ってしまうのであれば、最初からそうなるのを覚悟すればいい。要するに、向かってくる直球の少し上に狙いを定めてスイングするのである。

 淳吾の感覚では来た球を打つというより、空振りをしにくようなものだから、多少の戸惑いはあった。しかし思いついたからには、チャレンジしておきたかった。

「――ふっ!」

 アームが動くのを見ながら深呼吸し、ボールが放たれたのを確認した直後に息を止める。全身に力をみなぎらせ、ホームベース上を通過しようとする軟式球の少し上を狙って金属バットを振る。

 直後に響いたのは、このバッティングセンターでは聞いた覚えがないくらい豪快な金属音だった。両手に残った感触が、きちんとボールを捉えられたのを教えてくれる。

 感動を覚えながら見つめる視線の先には、バッティングセンターの天井に張られているネット目掛けて突き進んでいく打球があった。本当に打ったんだなと実感するほどに、奇妙な興奮を覚える。

 いつまでも余韻に浸ってる暇はない。200円を投入されている機械は、自らの役目を果たすべく、30球に到達するまで、どんどんとボールを投げ込んでくる。

 今の感覚を忘れないように、淳吾は繰り返しバットを振る。もちろん狙うのは、向かってくるボールの少し上だ。すべてを強い勢いで飛ばせるわけではないが、空振りをするケースは極端に減少した。

 30球を消化する頃には心地よい汗がかけており、昨日にはなかった充実感も得られた。まだまだ実力は足りないものの、最初の一歩目を無事に踏み出せた。

 一旦休憩しようか、それとも続けて行うべきか。呼吸を整えながら悩んでいると、ケージの外から唐突に誰かの拍手が聞こえてきた。

   *

「やるね、少年。ナイスバッティング」

 ケージの外でベンチから立ち上がり、我が事のように大喜びしているのは、昨夜に出会ったばかりの女性こと小笠原茜だった。

 常連みたいなことを自分で言っていたし、今夜もまた会社でのストレスを発散しにきたのだろう。やはり動きやすそうなジーンズ姿で、淳吾を見ている。

 順番待ちをしていたのかと思い、バットを置いて淳吾はケージから出る。古さを感じさせるキイっという音を立て、金網で作られた扉が開閉する。

 淳吾の側を通り抜けてすぐにケージへ向かったりはせず、小笠原茜はどことなく申し訳なさそうな感じを漂わせる。

「もしかして、気を遣わせちゃったかな」

「いえ……別に」

「それなら、いいんだけどね。でも、お姉さんは驚いちゃったよ。たったひと晩で、随分と上達してるじゃない」

 やたらとハイテンションな相手女性に、淳吾は「はあ……」としか返せなかった。

「少年にバッティングを教えたお姉さんも、鼻が高いよ」

「はあ!?」

 同じ言葉を2回続ける形になってしまったが、1回目とは意味合いが大きく違っている。

「照れなくていいじゃない。昨日、私のバッティングフォームを真似してたくせに」

「あ、あれは……ま、真似したわけじゃなくて、参考にしただけですよ」

 素直に真似ましたというのがなんだか恥ずかしくて、そんな言い訳をしながら顔を逸らす。これで追求が止まってくれればよかったが、小笠原茜は淳吾の反応を見て、余計に楽しそうな様子を見せる。

「自分に、正直になりなさいよ、少年」

「どこで流行ってるのかは知りませんが、その少年というのも止めて下さい。俺の名前は昨日、教えたじゃないですか」

「だったら、他人行儀な言葉遣いも止めてよ、ね?」

「そう言われても、昨日知り合ったばかりで、基本的には他人ですし」

「可愛くないわね。本当は私みたいなお姉さんと仲良くできてラッキーって、心の底から思ってるくせに」

 勝手な決めつけを連発するあたりは、ひょっとして同じクラスの栗本加奈子よりたちが悪いかもしれない。

 相手が求めてるのであれば、普段どおりの口調で接するのも問題はない。むしろ気を遣わなくていいだけ、楽だったりもする。

「わかったよ、これでいいんだろ。で、小笠原さんは打たないの?」

「もちろん打つわよ、淳吾君」

 文章にしたら、語尾にハートマークでも付きそうな言い方だった。からかわれてるのがわかっていても、こうした展開に慣れてない淳吾はドギマギしてしまう。

 心臓が大きく鳴ってるのを悟られないように平静を装いながら、ケージの前から移動して小笠原茜に場所を譲る。

「さて、今夜もおもいきりかっ飛ばそうかな」

 意気込んでケージへ突撃する小笠原茜ではあったが、やはり当てるのを優先するバッティングに終始する。それでも結構な勢いでボールを前へ飛ばせるのだから、意外に腕力が強いのかもしれない。

 昨夜と同様に係長への文句を叫びながら、一心不乱にバットを振る。ここまで凄まじい迫力を見せられると、係長に一体どれほどの恨みを抱いているのかが気になってくる。

 200円分をしっかり堪能したあと、晴れやかな表情で小笠原茜がケージから出てきた。何も聞かなくとも、溜まった鬱憤を吐き出せたのがわかる。

「あー、スッキリした。やっぱり、仕事帰りはバッティングセンターよね」

 仕事終わりに飲酒というのはよく聞くが、バッティングセンターというのはあまり聞かない。もっともまだ学生で、飲酒などできない立場の淳吾だけに、単純に知らなかっただけの可能性もある。

「じゃあ、私は帰るけど、淳吾君はまだやっていくんでしょ?」

「あ、はい」

 にこにこ笑顔で90キロのケージを譲ってくれた小笠原茜は、そのまま軽やかな足取りでバッティングセンターをあとにする。

 ひとり残された淳吾は寂しいなどと思うはずもなく、再び時速90キロのケージに入って、先ほどの感覚を忘れないように打ち込みを再開した。
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