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第30話 わかって、るの……です

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「ナナっ!」

 おもわず叫んだカイルは危険も顧みずに走り、自分の身を盾にするようにナナを抱きしめた。

「おとーさん!? 何をしてるのです! 危険なのです!」

「構わないさ。娘だけを戦わせて、見てる父親がどこにいる!」

「そうよ、ナナちゃん」

 サレッタも、走り出したカイルの背中をすぐに追いかけてきていた。

 その場にしゃがむと、笑顔でナナの頭を撫でる。

「私たちは家族でしょ。だから、いつも一緒よ」

 勝つどころか、ブラックドラゴンからは逃げられそうもない。それならばとカイルとサレッタが選んだのは、最後までナナと一緒にいることだった。

「おとーさん、おかーさん。ナナは二人を大好きなのです。だから、絶対に……死なせたりしないのです!」

 空に向けてナナが炎を吹き上げる。噴水のように舞い上がった炎がカーテンのように降り注ぐ。

 カイルたちにとっては身を守る盾となり、ブラックドラゴンには黒い身を焼き尽くす火の雨となる。

 昨夜に衛兵たちを倒すために使った技だった。その時よりも火の量は多く、勢いも強い。ブラックドラゴンを倒すために、全力を出しているのがわかる。

「炎しか使えぬから、色々と工夫を覚えたのか。見事……とでも言うと思ったか? 強烈な個としての能力が足りぬから、曲芸じみた真似に頼らねばならぬのだ。我からすれば児戯も同然よ」

 翼を大きく広げたブラックドラゴンが、ゆっくりと宙に舞う。降り注ぐ火の雨をものともしない。

「人間には脅威となっても、我には小雨みたいなもの。だが少々、煩わしい」

 カイルひとり分くらいの高さまで浮かんだブラックドラゴンが、漆黒の炎を吐く。狙いは、柱みたいに伸びているナナの炎だ。

 上に向かって伸びているだけに、ナナの炎は横からの力に弱かった。剣などを使った人間の攻撃や弱い魔法なら弾き返せても、ブラックドラゴンの炎はそうもいかない。

 横からぶつけられた漆黒の炎の圧力に耐えきれず、バランスを崩したナナは火を吐き続けるのが難しくなる。それでも、地面へ仰向けに倒れても、なおブラックドラゴンへの攻撃を続けようとする。

「笑止!」

 一喝するように叫んだブラックドラゴンが、大きく広げたままの翼を羽ばたかせる。石造りの建物でさえ吹き飛ばしかねない、とんでもない暴風が発生する。

 横殴りにやってくる強烈な風はナナの火を掻き消し、カイルたちもろとも後方へ吹き飛ばす。

「ぐあっ! ぐっ!」

 風に吹かれたというより、とんでもなく硬いものを投げつけられたかのような衝撃に襲われた。

 気を失いそうになりながらも、カイルは自分の体をクッションにして、地面に激突するナナとサレッタを守った。鎧を身に着けている分、ダメージが一番少なくなると判断した。

 おかげで全員無事だが、たったあれだけの攻撃で立っているのもやっとの状態にされてしまった。

「これがドラゴンの力か。反則だな」

 勝ち目がないのはわかっているが、最後まで抵抗してやろうとカイルは思った。そうでなければ、自分たちを守ろうとしてくれたナナに申し訳が立たない。

 吹き飛ばされた際に、持っていたロングソードを落としてしまった。拾うには少し距離がある。

 ブラックドラゴンの姿は遠目に見えるだけだが、敵は遠距離攻撃が可能なだけでなく、スピードもカイルより圧倒的に上だ。剣を手に取るより先に殺される。もしくはニヤニヤしながら、無駄な抵抗を続けようとするのを眺めているか。

 どちらにしろ、残された時間は少ない。それなら、おとーさんと呼んでくれるナナに少しでも父親らしい背中を見せてやろう。

 覚悟を決めたカイルは、背後にナナとサレッタを残したままで走り出す。

「うおおっ!」

 ブラックドラゴンは何もしてこない。絶対的強者の立場から、弱者であるカイルを悠然と見下ろすだけだ。

 勝ち目がないのはわかっている。けれど、油断している相手に一矢を報いてやりたい。その気持ちだけで落ちていたロングソードを拾い、勢いをつけて突進する。

「ククク。あれだけの力の差を見せられても、まだ我に向かってくるか。人間というのは、本当に愚かな生物だ。そのような者どもが、地上を汚すなど腹立たしい。我が綺麗に掃除してくれる」

 こちらを見るドラゴンの瞳が輝きを増すだけで、恐怖と重圧で身動きが取れなくなり、ひっきりなしに吐き気がこみあげてくる。

 喉元までやってきた胃液を無理やり飲み込むと、カイルは下腹に力を入れる。

 父親らしい背中を見せると決めた。怯えている場合ではない。

「人間を……舐めるなァ!」

 吠えるように叫び、再び両足を動かす。真っ直ぐ前を見て、ロングソードを上段に構える。カイルがもっとも得意とする上段からの振り下ろしに、すべての力を使うつもりだった。

「舐めたりするわけがなかろう。貴様ら人間には、その程度の価値すらない」

 笑いながらブラックドラゴンが漆黒の火の玉を口から放つ。

 もの凄いスピードで、足を止めて避けようとしても間に合わない。カイルは即座に速度を緩めず、駆け抜けて回避するのを選んだ。

 だが迫りくる漆黒の火の玉は、カイルの走行速度を圧倒的に上回る。避けられないと悟り、カイルは目を閉じる。

 せめて一太刀浴びせて、ナナが負った何十分の一でもいいからダメージを与えてやりたかった。悔しさで下唇を噛みながら、最後の瞬間を待つ。

 全身を焼き焦がす地獄の使者がすぐ近くまでやってくる気配を感じた時、耳のすぐ側で轟音が発生した。何かがぶつかりあった衝撃により発生した爆風に、カイルは吹き飛ばされそうになる。

「何だ。何が起こった!」

 目を開けて状況を確認する。ブラックドラゴンから放たれたはずの黒い火の玉が、いつの間にか消えていた。

「おとーさん! 無事なのです?」

 声のした方を見れば、心配そうなナナが口を開けたままこちらへ走ってきていた。側にはサレッタもいる。

 ようやく何が起きたのかを理解する。ナナが火の玉を吐いて、ブラックドラゴンの攻撃を相殺する形でカイルを守ってくれたのだ。

 ナナのおかげでもう一度チャンスを手に入れられた。娘に守られなければ何もできない弱い父親だが、せめてもの意地を見せたかった。

 再度前進を開始したカイルが目指すのは、空を舞い続けるブラックドラゴン。おもいきり飛んで腕を伸ばせば、なんとか剣先を届かせられる。

「食らえっ!」

「無駄だと言っている」

 攻撃可能な距離まで迫ったカイルが飛ぶより先に、繰り出された尾が胴に命中した。身に纏っていた鎧が無残に砕け散り、胴体と下半身が真っ二つにされたような激痛で目の前が暗くなる。

 右手からロングソードが離れ、カイルが倒れる少し前に地面でカチャリと鳴った。反則としか言いようのない一撃だった。

「おとーさんっ! 許さないのです!」

「許さないからどうした。火を吐ける程度で、我に向かってくる貴様も同じ運命を辿るのだぞ」

 地面に降り立ったブラックドラゴンが、片翼でナナの炎を防ぎながら前進する。ナナは懸命に火力を上げるが、効果的なダメージは与えられなかった。

「ナナちゃん、危ないっ!」

 身を盾にしたサレッタごと、ナナがブラックドラゴンの尻尾で吹き飛ばされる。

 一メートル以上吹き飛ばされたナナとサレッタが地面を転がり、倒れたまま動けなくなった。

 最悪の事態が頭をよぎるが、二人ともかすかに手が動いている。まだ生きているみたいだった。

 しかしカイルを含めた三人ともが、まともに動ける状態ではなくなっていた。這いずるようにして、ナナたちの側へ近寄ろうとするのがやっとだ。

 確実に殺される。避けられない現実だと認識しているからこそ、二人のすぐ側で一緒に息絶えたかった。

「所詮は無駄な抵抗でしかなかったな。では我がとどめを刺してやろう。逃げずに向かってきた褒美として、一撃で仕留めてやるぞ」

 笑うブラックドラゴンが、再び翼を広げて空に舞う。見下ろされるカイルたちになすすべはない。

 開かれた口に漆黒の火種が生まれる。放出される前に、ほんの数秒でもいいから、ナナとサレッタを抱きしめたかった。

 だがそれよりも前に、漆黒の炎がブラックドラゴンの口から無慈悲に放たれる。
 諦めと絶望に支配され、力なくカイルは空を見る。

 視界が真っ黒い影で覆われたのは、その数瞬後だった。

「じーじ!」

 同じく空を見ていたナナが叫んだ。

 カイルたちを守ろうと、ブラックドラゴンの炎を全身で防いでくれたのは巨大な真紅のドラゴンだった。

 ナナのおかげで、正体はすぐに判明した。じーじが真の姿となって、助けに来てくれたのである。

「ナナ! すまない。私は、本当はお前とともに生きていきたかった。しかし、私は……」

「だい、じょうぶ……わかって、るの……です。それに、ナナには、大好きな……おとーさんと、おかーさんが……できた、のです……」

「……そうか。よかったな」

 そう言ったレッドドラゴンの瞳は潤んでいるようにも見えた。

 しかし、感動的な再会は長く続かない。レッドドラゴンの前にはブラックドラゴンがいるからだ。

「ほう。レッドドラゴンか。貴様がわざわざ人間を守るとはな。フフン。ようやくそこの人間が火を吐ける理由を知ったぞ。ククク! よもやドラゴンとの混血であったとはな!」

「勝手に愚かと笑っていろ。私に殺されるまでな」

「面白い。人間よりは楽しませてくれよ」

 空中でブラックドラゴンとレッドドラゴンが戦闘を開始する。まずはやや距離を取って、互いに得意とする炎で相手の力量を探る。

 漆黒の炎と真紅の炎が正面から激突し、生じた爆風によってカイルたちは転がるように飛ばされる。手荒な方法ではあるが、安全圏まで避難できるようにじーじが考えてくれたのかもしれない。
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