36 / 96
第36話 得た信頼と運命の日
しおりを挟む
哲朗は水町玲子の申し出を二つ返事で承諾した。当人だけとではなく、両親とも親交を深められるまたとないチャンスだった。
一応は経営が順調な工場の社長宅だけあって、哲朗の家よりも豪華さ広さはずっと上だ。小学生時代に初めて友人たちと訪れた際には、羨ましく思ったのを今も覚えている。
そんな水町家も、近い将来に破滅へと向かうスタートラインへ強制的に立たされるはめになる。それを阻止するため、哲朗は懸命になっている。
「夕食まで頂戴して、本当に申し訳ありません」
食卓を囲むなり、家主である水町玲子の父親へお礼と謝罪の言葉を述べる。
決して失礼にならないよう相手の顔を十分に立てつつ、自分自身の存在をアピールする。
あまりに中学生らしくない態度は、時に相手を警戒させる。けれど、普通と同じ対応をしていては、周囲にいる他の人間以上の印象を与えるのは難しい。
幸いにして哲朗には、十分すぎるほどの知識と経験がある。フル活用すれば、なんとかうまくやれるはずだ。
ここが一世一代の大勝負の場だと位置づけて、慎重かつ大胆に水町玲子の父親へ話しかける。
「先ほど少し見学させてもらいましたけど、工場では最新の機械も導入しているんですね」
夕食前に少しだけならという条件付きで、本日の稼動を終了した工場を水町玲子に案内してもらった。
この時代では最先端を走る技術の機械が並んでおり、設備レベルでは他の町工場を圧倒していた。
「ほう。わかるかね。梶谷君は機械とかに興味があるのかな」
「さすがに作ったりとかはできませんが」
「それはそうだろう。最先端の機械を中学生に簡単に作られたら、技術者が泣いてしまうよ」
中学生の言葉にも一応は耳を傾けてくれ、普通に返してくれるあたり、水町玲子の父親は厳しくも良い人間だと理解できる。
だからこそ水町玲子も、自身がどんなに苦境へ陥っても、常に両親のことを気にかけ想っていたのである。
哲朗にはわからない家族の絆というものなのだろう。やはり両親と玲子を引き離すのではなく、同時に救う方法を見つけるべきだ。
「でも、哲朗君なら、そのうち作れそうな気もする。凄く、頭が良いものね」
ここで水町玲子が会話へ加わる。家族にプラスして、哲朗とも一緒にテーブルを囲めてるのが嬉しいのか、いつになく上機嫌だった。
「梶谷君は、そんなに優秀なのか」
「もちろんよ。中学校でも常にトップだって、桜子が教えてくれたもの」
父親からの質問に、哲朗ではなく水町玲子が答えた。自身の成績を、恋人の少女へ詳細に語った覚えはないので、どこから聞いたのかと思っていたらすぐに納得する名前が出てきた。
アイドルに傾倒して変化を遂げつつあるけども、まだ水町玲子と巻原桜子の付き合いはそれなりにあるみたいだった。
小学校時代からの大の親友なので当然に思えるが、それでも哲朗の知る限り、二人はもうすぐ連絡を取り合わなくなる。
環境と性格の変化が大きな問題だったのだろうと勝手に判断していたが、よくよく考えてみると水町家が夜逃げするのだから疎遠になるのも当たり前だった。
ならば哲朗がうまく事件を表面化させずに防げれば、巻原桜子と水町玲子は仲が良いまま友人としてやっていけるのだろうか。まだ見ていない未来だけに詳細は不明だが、そうであればいいと思わずにはいられなかった。
「それなら、今から婿養子にきてもらうのを考えた方がいいかもしれないな」
「ちょっ――!? お、お父さんたら、何を言ってるのよ、もうっ!」
怒った様子を見せながらも、まんざらでない感じがするのは、きっと気のせいではないはずだ。誰かから想われるというのは、こんなにも幸せなのだなと哲朗は実感する。
そして幸せなこの家庭を、絶対に崩壊させてなるものかと哲朗は強く決意する。大きな分基点となる運命の日は、きっとすぐそこまで迫っているはずだ。
*
信用金庫の社員を務めていた過去の経験が役立った。町工場への融資も数多くこなしていたため、どのような運営をすれば、これから訪れる未来に受け入れられるのかも知っていた。
当時の工場長などの受け売りではあるものの、機械に関する知識もそれなりに持っている。おかげで、水町玲子の父親の話にも十分についていけた。
一般の中学生とはかけ離れた頭脳や礼儀は敬遠されるどころか、好意的に相手方へ受け入れられた。
学校から帰宅後に勉強するためお邪魔すれば、必ずといっていいぐらいに夕食にも招かれた。
自分の父親と哲朗の関係が良好なのが嬉しいらしく、最近では水町玲子の笑顔以外の表情をあまり見なくなっていた。
哲朗にとっても喜ばしい展開なのだが、まだまだ安心するわけにはいかない。最大の関門となる試練を、まだクリアしていないのである。
一体いつ佐野昭雄による資金の持ち逃げ事件が発生するのか。緊張した日々を送っていたとある日、水町家の中がピリピリした雰囲気に包まれてるのに気づいた。
あまりの緊張ぶりに今日ばかりは門前払いを食らうかと思っていたが、これまでに構築してきた良好な関係がここで役立ってくれた。
いつもどおりに水町玲子の部屋で、二人きりになって勉強する。その途中で休憩が入り、お茶を取りに行った玲子を待つ間、哲朗はなんとなしに窓から工場の方を見た。
すると失敗を重ねてきた人生において、大事な局面に幾度となく見かけた顔を発見した。
名前を忘れるはずもない。哲朗の視界に映っている男は田所六郎だった。
「哲朗君、どうかしたの?」
二人分のお茶を手にした水町玲子が、いつの間にやら部屋へ戻ってきていた。
ただならぬ哲朗の態度を敏感に察知したらしく、やや怯えながら尋ねてきた。
「いや、なんでもないんだ。それより、今日はやけに家の中がピリピリしてるね」
少しだけ言いにくそうにしていたが、哲朗ならばいいかといった感じで恋人の少女が理由を説明してくれた。
新しく導入した機械の支払いを明日に控え、多額の現金が事務所の金庫に保管されているのだという。
家族を含め一部の人間しか知らないものの、あまりに額が大きいので、何か問題があったりしないかと不安になってるらしかった。
なるほど。哲朗はひとり、心の中で納得した。一部の人間の中には、恐らく現在は信頼の厚い部下の佐野昭雄も含まれているはずだ。
融資先から情報を得た田所六郎が佐野昭雄へ話を持ちかけ、ここぞとばかりに資金を持ち逃げする。
金融機関から借り入れた資金がなくなれば、取引先への支払いができるはずもない。加えて懇意にしている銀行から、新たな借金も不可能になる。
田所六郎は、今度は困り果てている水町玲子の父親へ話を持ちかける。にっちもさっちもいかなくなりつつある水町玲子の父親が、渡りに船とばかりに話を承諾するのは想像に難くなかった。
これだけだと田所六郎にうまみがあまりないため、最終的に水町家を夜逃げさせた上で、権利書などを手に入れる計算なのだ。
となると、どこぞの金融機関と話がついていてもおかしくなかった。用意周到な性格をしている悪党なので、すでに方々へ手を回したあとの可能性が高い。
それでも佐野昭雄さえ、田所六郎の口車に乗らなければ計画は失敗する。だからこそ、人選は慎重すぎるくらい慎重にしたはずだった。
抜け目のない田所六郎が目をつけたのが、社長である水町玲子の父親の妻に横恋慕している佐野昭雄だった。
多額の報酬に加えて、借金で困っている水町玲子の母親を救い出して、自分のものにすればいい。詳しくは知りようもないが、このようにそそのかされた可能性が強いと哲朗は思っている。
金だけで簡単に裏切るようなら、水町玲子の父親も佐野昭雄を腹心として重用するはずもない。見る目がないといえばそれまでだが、長年培ってきた信頼関係すら霞ませるほど、時として愛情は恐ろしい凶器になる。
*
黒幕である田所六郎が現時点で姿を現したということは、今夜あたり計画が実行へ移される可能性が高い。
窓から外を見ながら、ひとり対策を悩んでいる哲朗の背後で、恋人の少女が「ふう」とため息をついた。
考え事に没頭するあまり、放置してしまったのを怒ってるのだろうか。だとしたら、なだめる必要性が出てくる。
慌てて哲朗は振り返るが、水町玲子のため息の理由は怒っているからではなかった。
「お父さんは、よほどのことがない限り、取引を現金でしたがるの。方針には逆らえないけど、お母さんも不安だって言っていたわ」
当たり前の話だった。これから高度成長期へ突入するのであり、現時点ではまだまだ生活の苦しい人間が山ほどいる。水町玲子はもとより、哲朗も家庭的には十分に恵まれていた。
人にはこだわりというのがあって当然だが、水町玲子の父親のケースはそれが災いする。取引先の関係者あたりから、田所六郎へその話が伝わった可能性がおおいにあった。
いつの時代にも人の良い人間を騙そうとする輩はいるもので、世の中は弱肉強食とばかりに骨までしゃぶられる。
信用金庫に務めていた哲朗は、そうした連中の仕業で破滅を迎えた中小企業のトップを何人も知っていた。
悲しい思いもたくさんしてきたが、哲朗ひとりでそのような人々をすべて救えるはずもない。そこまで自分を過大評価していなかった。
申し訳なさを覚えるものの、何度も人生をやり直して、ようやく身近な人物を救えるかどうかのところまでやってきたのだ。
困ってる人を全員救おうとしたら、気が遠くなるくらいに例のリセットスイッチを押しまくるはめになる。
「保管体勢は万全なのかな」
「それは大丈夫。信用してる人にしか教えてないし、金庫の操作をできる人も限られているからね」
そのあとで水町玲子は「哲朗君も信用してるから、この話を教えたんだよ」と嬉しい台詞を言ってくれた。
ありがとうとお礼の言葉を言ってから、せっかく持ってきてくれたお茶を頂く。いよいよこの日がやってきた。
哲朗が前回の人生で、佐野昭雄から得た情報によれば、一連のプランが決行されるのは夜になるはずだった。
今から気合を入れすぎて、本番になって空回りしてはどうしようもない。大きく深呼吸をしたあとで、夜までは普通の生活をしていようと決める。
ピリピリした雰囲気の中でも、いつもどおりに夕食へ誘われる。水町家との友好レベルがここまで上昇しているのであれば、なんとかなりそうな気がしてくる。
食事を早めに切り上げた哲朗は、相談があると言って、水町玲子の父親を家の外へ連れ出した。
工場の稼動も終了し、売上金が金庫へ保管された。つまり支払い用の借入金と売上金が、揃って水町家に存在しているのだ。
金庫の中身を奪われれば運営資金は瞬く間に底を尽き、とても平常どおりの営業などできなくなる。
けれど今回の事態を回避できれば、水町家の面々が夜逃げをする理由はなくなり、これまでと変わらない平穏な日々を送れる。
「相談とは何かな」
男二人だけで話がしたいと、哲朗は失礼ながらも玲子の父親をある場所へ誘導していた。
普通なら大人を連れまわすなど、どんな中学生だと叱責される。なのに水町玲子の父親は嫌な顔ひとつせずについてきてくれている。
そして敷地の隅の大きな木がある場所へ近づく。佐野昭雄が哲朗の以前の人生で話していたのが事実なら、今、二人の男性がそこで会っているはずだった。
「どこまで行くのかね」
背後から声をかけてくる玲子の父親を振り返り、哲朗は静かにしてほしいの意を込めて唇に人差し指を当てた。
怪訝そうな顔をする相手男性を手招きして、近くへ寄るように要求する。内心でビンゴと叫ぶ哲朗の耳には、男たちの卑劣な会話が届いていた。
一応は経営が順調な工場の社長宅だけあって、哲朗の家よりも豪華さ広さはずっと上だ。小学生時代に初めて友人たちと訪れた際には、羨ましく思ったのを今も覚えている。
そんな水町家も、近い将来に破滅へと向かうスタートラインへ強制的に立たされるはめになる。それを阻止するため、哲朗は懸命になっている。
「夕食まで頂戴して、本当に申し訳ありません」
食卓を囲むなり、家主である水町玲子の父親へお礼と謝罪の言葉を述べる。
決して失礼にならないよう相手の顔を十分に立てつつ、自分自身の存在をアピールする。
あまりに中学生らしくない態度は、時に相手を警戒させる。けれど、普通と同じ対応をしていては、周囲にいる他の人間以上の印象を与えるのは難しい。
幸いにして哲朗には、十分すぎるほどの知識と経験がある。フル活用すれば、なんとかうまくやれるはずだ。
ここが一世一代の大勝負の場だと位置づけて、慎重かつ大胆に水町玲子の父親へ話しかける。
「先ほど少し見学させてもらいましたけど、工場では最新の機械も導入しているんですね」
夕食前に少しだけならという条件付きで、本日の稼動を終了した工場を水町玲子に案内してもらった。
この時代では最先端を走る技術の機械が並んでおり、設備レベルでは他の町工場を圧倒していた。
「ほう。わかるかね。梶谷君は機械とかに興味があるのかな」
「さすがに作ったりとかはできませんが」
「それはそうだろう。最先端の機械を中学生に簡単に作られたら、技術者が泣いてしまうよ」
中学生の言葉にも一応は耳を傾けてくれ、普通に返してくれるあたり、水町玲子の父親は厳しくも良い人間だと理解できる。
だからこそ水町玲子も、自身がどんなに苦境へ陥っても、常に両親のことを気にかけ想っていたのである。
哲朗にはわからない家族の絆というものなのだろう。やはり両親と玲子を引き離すのではなく、同時に救う方法を見つけるべきだ。
「でも、哲朗君なら、そのうち作れそうな気もする。凄く、頭が良いものね」
ここで水町玲子が会話へ加わる。家族にプラスして、哲朗とも一緒にテーブルを囲めてるのが嬉しいのか、いつになく上機嫌だった。
「梶谷君は、そんなに優秀なのか」
「もちろんよ。中学校でも常にトップだって、桜子が教えてくれたもの」
父親からの質問に、哲朗ではなく水町玲子が答えた。自身の成績を、恋人の少女へ詳細に語った覚えはないので、どこから聞いたのかと思っていたらすぐに納得する名前が出てきた。
アイドルに傾倒して変化を遂げつつあるけども、まだ水町玲子と巻原桜子の付き合いはそれなりにあるみたいだった。
小学校時代からの大の親友なので当然に思えるが、それでも哲朗の知る限り、二人はもうすぐ連絡を取り合わなくなる。
環境と性格の変化が大きな問題だったのだろうと勝手に判断していたが、よくよく考えてみると水町家が夜逃げするのだから疎遠になるのも当たり前だった。
ならば哲朗がうまく事件を表面化させずに防げれば、巻原桜子と水町玲子は仲が良いまま友人としてやっていけるのだろうか。まだ見ていない未来だけに詳細は不明だが、そうであればいいと思わずにはいられなかった。
「それなら、今から婿養子にきてもらうのを考えた方がいいかもしれないな」
「ちょっ――!? お、お父さんたら、何を言ってるのよ、もうっ!」
怒った様子を見せながらも、まんざらでない感じがするのは、きっと気のせいではないはずだ。誰かから想われるというのは、こんなにも幸せなのだなと哲朗は実感する。
そして幸せなこの家庭を、絶対に崩壊させてなるものかと哲朗は強く決意する。大きな分基点となる運命の日は、きっとすぐそこまで迫っているはずだ。
*
信用金庫の社員を務めていた過去の経験が役立った。町工場への融資も数多くこなしていたため、どのような運営をすれば、これから訪れる未来に受け入れられるのかも知っていた。
当時の工場長などの受け売りではあるものの、機械に関する知識もそれなりに持っている。おかげで、水町玲子の父親の話にも十分についていけた。
一般の中学生とはかけ離れた頭脳や礼儀は敬遠されるどころか、好意的に相手方へ受け入れられた。
学校から帰宅後に勉強するためお邪魔すれば、必ずといっていいぐらいに夕食にも招かれた。
自分の父親と哲朗の関係が良好なのが嬉しいらしく、最近では水町玲子の笑顔以外の表情をあまり見なくなっていた。
哲朗にとっても喜ばしい展開なのだが、まだまだ安心するわけにはいかない。最大の関門となる試練を、まだクリアしていないのである。
一体いつ佐野昭雄による資金の持ち逃げ事件が発生するのか。緊張した日々を送っていたとある日、水町家の中がピリピリした雰囲気に包まれてるのに気づいた。
あまりの緊張ぶりに今日ばかりは門前払いを食らうかと思っていたが、これまでに構築してきた良好な関係がここで役立ってくれた。
いつもどおりに水町玲子の部屋で、二人きりになって勉強する。その途中で休憩が入り、お茶を取りに行った玲子を待つ間、哲朗はなんとなしに窓から工場の方を見た。
すると失敗を重ねてきた人生において、大事な局面に幾度となく見かけた顔を発見した。
名前を忘れるはずもない。哲朗の視界に映っている男は田所六郎だった。
「哲朗君、どうかしたの?」
二人分のお茶を手にした水町玲子が、いつの間にやら部屋へ戻ってきていた。
ただならぬ哲朗の態度を敏感に察知したらしく、やや怯えながら尋ねてきた。
「いや、なんでもないんだ。それより、今日はやけに家の中がピリピリしてるね」
少しだけ言いにくそうにしていたが、哲朗ならばいいかといった感じで恋人の少女が理由を説明してくれた。
新しく導入した機械の支払いを明日に控え、多額の現金が事務所の金庫に保管されているのだという。
家族を含め一部の人間しか知らないものの、あまりに額が大きいので、何か問題があったりしないかと不安になってるらしかった。
なるほど。哲朗はひとり、心の中で納得した。一部の人間の中には、恐らく現在は信頼の厚い部下の佐野昭雄も含まれているはずだ。
融資先から情報を得た田所六郎が佐野昭雄へ話を持ちかけ、ここぞとばかりに資金を持ち逃げする。
金融機関から借り入れた資金がなくなれば、取引先への支払いができるはずもない。加えて懇意にしている銀行から、新たな借金も不可能になる。
田所六郎は、今度は困り果てている水町玲子の父親へ話を持ちかける。にっちもさっちもいかなくなりつつある水町玲子の父親が、渡りに船とばかりに話を承諾するのは想像に難くなかった。
これだけだと田所六郎にうまみがあまりないため、最終的に水町家を夜逃げさせた上で、権利書などを手に入れる計算なのだ。
となると、どこぞの金融機関と話がついていてもおかしくなかった。用意周到な性格をしている悪党なので、すでに方々へ手を回したあとの可能性が高い。
それでも佐野昭雄さえ、田所六郎の口車に乗らなければ計画は失敗する。だからこそ、人選は慎重すぎるくらい慎重にしたはずだった。
抜け目のない田所六郎が目をつけたのが、社長である水町玲子の父親の妻に横恋慕している佐野昭雄だった。
多額の報酬に加えて、借金で困っている水町玲子の母親を救い出して、自分のものにすればいい。詳しくは知りようもないが、このようにそそのかされた可能性が強いと哲朗は思っている。
金だけで簡単に裏切るようなら、水町玲子の父親も佐野昭雄を腹心として重用するはずもない。見る目がないといえばそれまでだが、長年培ってきた信頼関係すら霞ませるほど、時として愛情は恐ろしい凶器になる。
*
黒幕である田所六郎が現時点で姿を現したということは、今夜あたり計画が実行へ移される可能性が高い。
窓から外を見ながら、ひとり対策を悩んでいる哲朗の背後で、恋人の少女が「ふう」とため息をついた。
考え事に没頭するあまり、放置してしまったのを怒ってるのだろうか。だとしたら、なだめる必要性が出てくる。
慌てて哲朗は振り返るが、水町玲子のため息の理由は怒っているからではなかった。
「お父さんは、よほどのことがない限り、取引を現金でしたがるの。方針には逆らえないけど、お母さんも不安だって言っていたわ」
当たり前の話だった。これから高度成長期へ突入するのであり、現時点ではまだまだ生活の苦しい人間が山ほどいる。水町玲子はもとより、哲朗も家庭的には十分に恵まれていた。
人にはこだわりというのがあって当然だが、水町玲子の父親のケースはそれが災いする。取引先の関係者あたりから、田所六郎へその話が伝わった可能性がおおいにあった。
いつの時代にも人の良い人間を騙そうとする輩はいるもので、世の中は弱肉強食とばかりに骨までしゃぶられる。
信用金庫に務めていた哲朗は、そうした連中の仕業で破滅を迎えた中小企業のトップを何人も知っていた。
悲しい思いもたくさんしてきたが、哲朗ひとりでそのような人々をすべて救えるはずもない。そこまで自分を過大評価していなかった。
申し訳なさを覚えるものの、何度も人生をやり直して、ようやく身近な人物を救えるかどうかのところまでやってきたのだ。
困ってる人を全員救おうとしたら、気が遠くなるくらいに例のリセットスイッチを押しまくるはめになる。
「保管体勢は万全なのかな」
「それは大丈夫。信用してる人にしか教えてないし、金庫の操作をできる人も限られているからね」
そのあとで水町玲子は「哲朗君も信用してるから、この話を教えたんだよ」と嬉しい台詞を言ってくれた。
ありがとうとお礼の言葉を言ってから、せっかく持ってきてくれたお茶を頂く。いよいよこの日がやってきた。
哲朗が前回の人生で、佐野昭雄から得た情報によれば、一連のプランが決行されるのは夜になるはずだった。
今から気合を入れすぎて、本番になって空回りしてはどうしようもない。大きく深呼吸をしたあとで、夜までは普通の生活をしていようと決める。
ピリピリした雰囲気の中でも、いつもどおりに夕食へ誘われる。水町家との友好レベルがここまで上昇しているのであれば、なんとかなりそうな気がしてくる。
食事を早めに切り上げた哲朗は、相談があると言って、水町玲子の父親を家の外へ連れ出した。
工場の稼動も終了し、売上金が金庫へ保管された。つまり支払い用の借入金と売上金が、揃って水町家に存在しているのだ。
金庫の中身を奪われれば運営資金は瞬く間に底を尽き、とても平常どおりの営業などできなくなる。
けれど今回の事態を回避できれば、水町家の面々が夜逃げをする理由はなくなり、これまでと変わらない平穏な日々を送れる。
「相談とは何かな」
男二人だけで話がしたいと、哲朗は失礼ながらも玲子の父親をある場所へ誘導していた。
普通なら大人を連れまわすなど、どんな中学生だと叱責される。なのに水町玲子の父親は嫌な顔ひとつせずについてきてくれている。
そして敷地の隅の大きな木がある場所へ近づく。佐野昭雄が哲朗の以前の人生で話していたのが事実なら、今、二人の男性がそこで会っているはずだった。
「どこまで行くのかね」
背後から声をかけてくる玲子の父親を振り返り、哲朗は静かにしてほしいの意を込めて唇に人差し指を当てた。
怪訝そうな顔をする相手男性を手招きして、近くへ寄るように要求する。内心でビンゴと叫ぶ哲朗の耳には、男たちの卑劣な会話が届いていた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
坊主頭の絆:学校を変えた一歩【シリーズ】
S.H.L
青春
高校生のあかりとユイは、学校を襲う謎の病に立ち向かうため、伝説に基づく古い儀式に従い、坊主頭になる決断をします。この一見小さな行動は、学校全体に大きな影響を与え、生徒や教職員の間で新しい絆と理解を生み出します。
物語は、あかりとユイが学校の秘密を解き明かし、新しい伝統を築く過程を追いながら、彼女たちの内面の成長と変革の旅を描きます。彼女たちの行動は、生徒たちにインスピレーションを与え、更には教師にも影響を及ぼし、伝統的な教育コミュニティに新たな風を吹き込みます。
夏の決意
S.H.L
青春
主人公の遥(はるか)は高校3年生の女子バスケットボール部のキャプテン。部員たちとともに全国大会出場を目指して練習に励んでいたが、ある日、突然のアクシデントによりチームは崩壊の危機に瀕する。そんな中、遥は自らの決意を示すため、坊主頭になることを決意する。この決意はチームを再び一つにまとめるきっかけとなり、仲間たちとの絆を深め、成長していく青春ストーリー。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる