リセット

桐条京介

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第18話 後味の悪い決着

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 恐らくは水町玲子に不安を与え、あわよくば不信感へ発展させようとしたのだろう。だが計画は、結局上手くはいかなかった。

 事前に哲郎が水町玲子へ、平谷康憲が狙っていると教えていたのが好結果に繋がった。

 情報を得ていた恋人は心配するよりムッとしたらしく、即座に「でも、ただのお友達でしょう」と切り替えした。

 平谷康憲は執拗に食い下がったみたいだが、少女はまともに取り合わなかった。

 中学校での話も詳細にしていたし、前回の中学生活よりも二人の時間をずっと増やしていた。

 おかげでコミュニケーションは充分に取れており、今回のような事態を経ても深刻な問題へは発展しない。信頼という楔が、少女の心へ深く打ち込まれていた。

 揺らがない心は平谷康憲の誤情報を跳ね返し、誘惑も振り切って哲郎へ勝利をもたらしてくれた。

 水町玲子からの説明を聞き終えた時、哲郎は心の中でガッツポーズをしていた。

 懸命に努力した結果、同じ末路を辿らずに済んだ。言わば、自身の未来を変えたのである。

 今度こそは幸せな人生を送ろう。哲郎はそんなことを考えながら、恋人の少女の手を握る。

「ありがとう」

 思わず口から出たお礼の言葉が、水町玲子の下へ届けられる。

「うん……」

 哲郎の手が強く握り返され、温もりがより鮮烈に伝わってくる。

 前回の人生では煮え湯を飲まされたが、今回は見事に雪辱を果たした。

 それだけでも大満足だったが、以降も相手は変われど、このような問題は起こる。

 一層気を引き締める必要があり、なんとしても初恋を成就させようと、哲郎は決意を新たにするのだった。

   *

 翌日に学校へ行くと、いつもどおりに席へついた哲郎の側へ巻原桜子や貝塚美智子がやってくる。

 普段なら私語に応じるところだが、今日は少し事情が違った。

 ここ最近、あまり会話をしなくなっていた平谷康憲へ哲郎から近づいた。

 目の前に立ち、相手と視線がぶつかった瞬間に口を開く。それは哲郎の勝利宣言だった。

「残念だったな」

 こちらを見守っている女性陣には、何のことかわからなくとも、当人には理解できている。

 証拠に平谷康憲は即座に哲郎から目を逸らし、悔しげに顔を俯かせた。

 リセットする前の中学生活では、どや顔で「奪われる方が悪い」と言われた。

 蓄積されていた屈辱が一気に浄化され、勝利の興奮が心の中を満たしてくれる。

「人に隠れて、こそこそやってるからだよ。挙句に振られるんだから、お前は最低だな」

 積もり積もった恨みが言葉となり、よせばいいのに次々に口から飛び出てくる。

 見るからに険悪な雰囲気に、常日頃から仲の良い友人女性たちも、なかなか哲郎と平谷康憲の側へ近寄れないでいる。

「……お前には、勿体なさすぎるんだ。自分の顔を、鏡で見てみろよ!」

 怒りに任せて、椅子から立ち上がった相手に胸倉を掴まれても、哲郎の余裕は微塵も崩れない。これも勝者であるがゆえの余裕だった。

 恥辱と屈辱に顔を歪ませながら、唾液とともに侮蔑の言葉を吐き捨てる。

 一連のシーンだけ見てれば、どちらが悪役なのかは考えるまでもない。すぐにクラスの大半が、平谷康憲を取り押さえにかかる。

「い、一体どうしたのよ。何かあったの?」

 ギスギスした空気に怯えながらも、近くへやってきた巻原桜子が哲郎へ尋ねてくる。

「平谷が、玲子へちょっかい出しただけだよ。ただし、やり方が汚いけどね。嘘をついてまで、人の恋人を呼び出すのは褒められないな」

 多数の同級生が注目しだしたこともあり、言葉に気をつけながら、哲郎は巻原桜子や貝塚美智子に事情を説明する。

 もちろんそうした卑劣な過程を経た策略が、惨めに失敗した事実も教える。

 するとクラス中から失笑が起こり、いたたまれなくなった平谷康憲は、同級生たちを振り切って教室から飛び出して行った。

「ねえ……梶谷の気持ちもわかるけど、少しやりすぎじゃないかな」

「……かもしれないね。でも、自分の気持ちを抑えきれなかったんだ」

 素直に心情を白状すると、貝塚美智子もそれ以上は何も言えなくなった。

 その翌日から平谷康憲は学校へ来なくなり、しばらくして担任の教師から転校した事実が告げられた。

   *

 後味の悪さが残ったものの、そうしなければ、哲郎は最愛な女性を平谷康憲へ奪われていた。

 もっともそんな説明をしても、納得などしてもらえない。だから、周囲の友人たちへ余計な言い訳はしなかった。

 仲の良かった四人組なのに、平谷康憲がいなくなってから、急速に結束を失っていた。

 春を迎えて二年生になる頃には、貝塚美智子は部活動が忙しくなり、放課後に雑談をする機会もなくなった。

 巻原桜子や急速に発展してきたテレビへ夢中になり、すぐに帰宅してはかじりつくように見てるみたいだった。

 当初は高嶺の花的存在だったテレビも、徐々に一般家庭へ普及し始めた。

 電話などの設置も進み、住み慣れた町が近代化への階段を上っていく様子がはっきりわかるようになる。

 テレビに関しては、有害だの何だのと騒がれ、見せてもらえない子供たちもいた。

 そうした親に反発しては、寛大な友人家庭へ赴いては一緒にテレビを見る。

 哲郎の両親は何事も経験と、あまりうるさくなかったため、見たいテレビがあれば自由に見せてもらえた。

 巻原桜子の家もそうだったみたいで、二年生になって春を過ぎる頃には、女性の数人と自宅へ集まってテレビの鑑賞会を開いていた。

 一度哲郎も誘われたことがあったものの、水町玲子との関係を大事にしようと決めていただけに断った。

 それ以来あまり誘われなくなり、テレビ仲間とも呼べる女性友達と巻原桜子は行動するようになった。

 仲良しグループみたいなのは解散となり、会話友達はいても、親友と呼べる存在は哲郎の側にいなくなっていた。

 だからといって、嘆いたりはしない。何せ哲郎には、美しい少女が未だに恋人でいてくれている。

 別々の中学校へ所属して一年も経つと、小学校時代の友人とはあまり遊ばなくなる。

 一年生の時みたいに、グループ行動する機会も極端に減っていた。

「もうすぐ、夏が来るね」

 哲郎と水町玲子は、毎日それぞれの中学校の中間地点で待ち合わせをした。

 遠回りになったが、一緒に帰路へつく時間が何より楽しかった。

 水町玲子に予定がなければ、そのまま二人で一緒に勉強したり遊んだりする。

 今日は何度も過ごしている哲郎の部屋で、宿題をすることになっていた。

 この時代ではまだでも、すでに哲郎はきちんとした教育課程を修了している。

 しかも一流でなくとも、そこそこの大学を卒業した。

 記憶の糸をしっかり手繰り寄せられれば、中学校程度の授業など苦にならない。実際に教科書を見て、当時の記憶を思い出せれば、すぐに解答が浮かんでくる。

 事実、これまでの中学校生活において、哲郎の成績は常に学年トップだった。

 テストのたびに一位から五十位まで名前が廊下へ張りだされるため、同じ学年の誰もが知っている。

 それが余計に、普通の友人たちを退けている。

 声をかけたくても、かけられない雰囲気がある。いつか、誰かに言われた台詞だった。

 だが哲郎は、別に構わなかった。自分には水町玲子がいる。それだけで満足なのである。

 放課後になっても、誰も声をかけてくれない教室をあとにして、哲郎は恋人の少女との待ち合わせ場所へ向かう。足取りは実に軽かった。

   *

「ここが、わからないの」

 質問してきた水町玲子へ、哲郎は丁寧に教えていく。今日は町の図書館で、二人一緒に勉強していた。

 もともと頭の悪い方ではなかったものの、哲郎と勉強するようになって、水町玲子の成績は格段にアップした。

 おかげで少女の両親の覚えもよく、哲郎は水町玲子との交際を反対されるどころか、VIP的な扱いで大歓迎された。

 未だに哲郎の母親だけは微妙な表情を浮べたりするが、基本的に憂いはほとんどない状態で付き合いを続けている。

「でも、哲郎君って、本当に頭が良いよね」

 感心したように言われるのが、なんともくすぐったい。君より人生経験が多いからね、などとは言えず、笑みを浮かべて無難に切り抜ける。

「成績優秀なのは皆知ってるのに、鼻にかけたりしないところも素敵だな」

「ど、どうしたの、急に」

 大人への階段を上っている最中ゆえか、少女は日に日に大人っぽくなっていた。

 まだまだ幼さが残っているものの、時折ドキリとさせられる。

 だが一度大人になってる経験があるせいか、破廉恥な行為をするのには抵抗があった。

 相手もまだ知らないか、望んでいないため、哲郎からアクションを起こしたりしない。こうして、中学生らしい交際ができるだけで満足だった。

 何せ最初の人生ではこんな機会など、まったくといっていいぐらいなかったのである。

 幸運にも過去をやり直せるスイッチを手に入れ、現在進行形で恩恵に与っている。

 前回は水町玲子との付き合い方を間違い、中学生活において友人と信じていた平谷康憲へ奪われた。

 悲しみに暮れて、ひとり涙を流した。しかし、それもわずかな時間だけだった。

 過去へ戻って、友人より恋人を選んだら未来が変わった。その代わりに失ったものもあるが、仕方のない犠牲だと割り切れている。

 最初から別の中学に通っている恋人と、同じ学校に通っている友人を共に大事にしようという考えに無理があったのだ。気づいてからは、水町玲子へ比重を置いた。

「平谷君のことがあったからかな……余計に、哲郎君のことが好きになったみたい」

 感極まる台詞と一緒に少女が見せてくれたのは、まさに天使の微笑みだった。

 胸がハートマークの矢で射抜かれたみたいに、哲郎は目の前の恋人から目が離せなくなる。

「お、俺だって……お、同じ……だよ……」

 この頃になれば、周囲の友人たちも自分のことを「僕」ではなく「俺」と呼び始めていた。

 哲郎が慣れているのは「私」という呼び方だったが、現在の姿はあくまで中学生。周囲から、大人ぶってると勘違いされても文句は言えない。優秀な成績も相まって、わざと演じてると嫌われる可能性もある。

 社会に出てから、必要性に応じて丁寧な言葉遣いを覚えたが、学生時代は他の人間と変わらずに自分を「俺」と呼んでいた。

 この頃はそうした不良っぽいのが流行し始めていた。もっとも、本格的なブームを迎えるのはもう少し先の話になる。

 最近になってテレビ番組もプロレスや野球だけでなくなり、ドラマなども放映されるようになった。

 アイドルと呼べる存在はまだいなかったが、それなりに人気のある歌手なんかも現れだしている。

 時代の変革期とも呼べる分岐点で、哲郎が大学生の頃に、昔を振り返るドキュメンタリーでよく出てくる安保闘争が勃発する。

 もっとも当時の哲郎は血気盛んな人間ではなかったため、学生側へ組することもなく、普通に勉学へ励んでいた。

 安保闘争の結末を知ってるだけに、今回の人生でも好んで関与するつもりはなかった。

 図書館で互いの宿題を終えたあと、いつもみたいに哲郎の家で少しおしゃべりをしようかという話になる。

 外へ出て、哲郎の自宅へ一緒に向かっていると、途中で思わぬ人物に遭遇した。
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