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第22話 笑顔
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「透も心配性だな」
太陽が真上に居座り出した頃、透は自宅の二階で奏に苦笑されていた。
今日はたまたま奏が休みだったのもあり、彼女が里奈の世話を申し出てくれたのである。
おかげで昨日に有給休暇を取っていた透は出勤でき、昼までの仕事を無事にこなせた。
「心配だったのは確かだけど、どちらかといえば戸松に追い出された」
仕事中に事情を教えたお調子者の同僚が、昼休みに様子を見て来いと半ば強引に透を一時帰宅させたのである。
「彼もあれでいて思いやりのある一面を持っているからな。そうでなければ本物の――いや、やめておこう」
目を伏せる奏。以前に修治が言った幼女発言を冗談とわかっていても、気にかけてしまうのだろう。
「はは。多分大丈夫だとは思うけどな。ところで里奈は?」
「問題ない。風邪薬は飲ませたし、食欲もある。病院へ行くほどではなさそうだ」
それにしても、と奏は言葉を続ける。
「母にも困ったものだ。早く二人を透の扶養家族にしなければならないというのに」
必要書類が準備できていない関係上、いまだ姉妹は透の扶養家族となっていなかった。
何がどうなってるのか詳しく知っているのは綾乃だけだが、とりあえず姉妹は現在無保険の状態になっているみたいだった。
そのため病院で診察してもらえば十割負担となる。
だからといって具合が悪くなる一方なのであれば、黙って寝せておくわけにもいかない。出勤する前に透は病院代として奏に五万円ほど預けていた。
「それとも実は父親が生きていて、親権がそちらにあるのだろうか。なかなかわからないことだらけだな」
ため息をついた奏は立ち上がろうとしたが、途中で動きを止める。
何か起きたのかとよく見れば、高熱で顔を上気させている里奈が奏の服を掴んでいた。
「ママ……行かないで……私、いい子にするから……」
うわ言のように繰り返す。
母親ではないと否定するかと思いきや、奏は優しい笑顔で座り直し、汗で濡れた少女の髪の毛を優しく撫でだ。
「大丈夫だ。ここにいる」
声が聞こえたのか、満足そうに頷いた里奈は手を離した。
やがて寝息が規則正しくなってきたのを受け、静かに奏は少女のそばを立った。
「ゆっくり眠らせてやろう」
一緒に居間へ戻った透に、奏は肩をすくめてみせた。
「私が母親に見えたらしい」
「意外に似ているのかもしれないな」
奏は苦笑する。嫌がっているだけという感じではない。
食卓には透が食品売り場で買ってきた菓子パンが幾つか並んでいる。そのうちの一つを彼女に手渡す。
二人で簡単な昼食をとっていると、奏はポツリと呟くように言った。
「やはり、しっかりしているように見えても幼い少女だな」
少女というのが里奈をさしているのは明らかだった。
「大人びた態度で周りと接していながらも、いつ破れてもおかしくない膨らみきった風船のように一杯一杯だったのだろうな。母も彼女に無理をするなと言っていたみたいだが、この状況下で素直に従えるような性格ではなかったか」
「強引にでも休ませるべきだったか。手伝いをしてないと落ち着かなさそうだから、好きにさせてたんだがな」
「どの選択が正しかったかなんて誰にもわからないさ。少なくとも、私に透を責めるつもりはない。だからといって、倒れた彼女に体調管理がなってないと言う気もないが」
菓子パンを食べ終えた奏が、人心地ついたと軽く息を吐いた。
「奏さんは普段、昼に何を食べてるんだ?」
「私はお弁当だ。自分で朝に作って用意する」
「そりゃ、凄い。俺にはできない芸当だ」
心から賞賛すると、何故か奏は照れを見せた。
「そんなことはない。その気になれば誰でも作れるさ。そ、そうだ。う、羨ましいなら、その、何だ。今度、君の分も作ってやろうか?」
「え? いや、嬉しいけど、迷惑をかけるわけにはいかないので遠慮しとく」
それまで多少は期限良さそうだった奏の表情が一変する。導火線に火がつく数秒前という感じだ。
「透と里奈はやはり血が繋がっているのかもしれないな。迷惑をかけると遠慮する性格が特にだ」
「そうかな」
「そうだ。嬉しいのなら、素直に作ってほしいとお願いしたらどうだ。謙虚な性格は美徳かもしれないが、度が過ぎると礼を失するぞ!」
「は、はいっ! お弁当を作ってほしいです!」
反射的に透は直立不動の姿勢をとってしまう。
「よろしい」
透の様子を面白そうに眺めていた奏が言った。どうやら機嫌を直してくれたみたいである。
怒られずに済むと安堵が油断を招いたのか、透はうっかりと心情をこぼしてしまう。
「やれやれ。この分だと、尻に敷かれることになりそうだな」
「――っ!? そ、その言葉のい、意味は……ま、まさか……いや、しかし、異性の気持ちの理解力が欠けている鈍感男だ。何の意図も持たずに発した可能性もあるな」
一人でぼそぼそと呟きつつも、見る見るうちに奏の表情が鼻歌を歌いそうなものに変化する。
なんとはなしに発しただけの透は戸惑うも、そのまま伝えるとまた怒りを買う結果になりかねない。
黙っていると、どこか浮ついた声で奏は休憩時間が終わりそうだと教えてくれた。
「さあ、午後も頑張ってきてくれ。透は主任補佐なのだからな」
■
空の主役が月と星に交代すると、立花家も賑やかさを増していた。
二階で就寝中の里奈はよく眠ったのもあり、熱はだいぶ下がったみたいだった。
彼女も妹同様に風邪というより、疲れで発熱しただけのようだ。
様子を見に来てくれた綾乃が奈流を銭湯に連れて行ってくれたらしく、二階で姉妹一緒に大人しくしているという話だった。
しばらく面倒を綾乃が見てくれるとのことで、透と奏は一緒になって銭湯へ行った。
帰り道で、湯上りの腕を真上に伸ばして奏は言う。
「透の家にお邪魔するようになって銭湯通いが増えたせいか、足を伸ばして浴槽へ浸かる気持ちよさに魅了されつつあるな」
「ハハハ。俺はとっくの昔からだよ。何だったら、奏さんも銭湯通いを習慣にするといい」
「――っ!? だ、だが、わ、わわ私には自宅があるからな。こ、困ったな」
どうしてどもってるのだろうと首を傾げつつ、透はそうだなと返した。
「せっかく風呂のある家に住んでいるんだから、活用しないとな」
「……それは、その通り、なのだが。くう。ここで自分の家が空いているとか気のきいた台詞は言えないのか、この男は。私も交際を含めて異性との交流経験は絶対的に不足しているが、だからといってあそこまでではないぞ」
小声でよく聞こえなかったのもあり、透は首を傾ける角度をさらに下げる。
「何か言った?」
「いや。自分の中にある期待と現実の狭間で揺れ動いていただけだ」
透は「そうか」としか言えなかった。
さすがに今夜は泊まらずに、深夜を過ぎる前に綾乃と奏の母娘は帰宅することになった。
冷蔵庫には作り置きしてもらったおかゆがあるので、それを翌朝に姉妹へ食べさせるように言われる。
「里奈ちゃんや奈流ちゃんの体調に変化があるようなら、深夜でも構わないからすぐに連絡して頂戴」
綾乃がウインクする。
頭を下げて透がお礼を言っていると、暗がりの二階から足音がした。
全員がそちらを向くと、里奈が明かりのついた階段を下りてくる。
「あ、あの。私、トイレに……」
話を聞くつもりでなかったのは誰もがわかっている。そもそも立花家は玄関の真横がトイレなのだ。
誰かを見送っている際に催せば、こうして対面するケースもあるだろう。
里奈はトイレへ入る前に、特に奏へ深々とお礼をした。
「面倒を見て下さってありがとうございました」
「気にするな。前に言ったかもしれないが、困っている時はお互い様だ。しかし、だからといって私は透と君たちの同居へ全面的に賛成しているわけではない。むしろ反対だ」
「ちょっと、奏。何もこんな時に言わなくてもいいでしょう」
綾乃が嗜めるも、あえて言わせてもらうと奏は突っ撥ねた。
「私や母がこうして面倒を見られるならば、まだいい。だが手助けできなかった場合はどうなる。透も含めて、そのあたりをもう一度きちんと考えてみてほしい」
「はあ……正論だけど、どうしてこう頭が固いのかしらね。私の娘は」
「母さんが柔らかすぎるんだ」
家でも普段はこうなのだろう。徐々に奏は透たちの前でも、変に母親へ丁寧な言葉を使ったりなどの気を遣わなくなっていた。
「はいはい。それじゃ、私たちは帰るわね。透君、里奈ちゃんたちを無理させちゃ駄目よ」
二人が帰ると、どうにも寂しさを覚える。
なんとなくズボンのポケットに両手を突っ込み、首を軽く左右に動かしたりしてみる。
「あの、ご迷惑をおかけしてごめんなさい」
「いいさ」
里奈の謝罪に対し、透は言葉を続ける。
「迷惑をかけて、かけられるのが家族だ。そうだろ?」
里奈がほんの微かに笑った。そこには、作り物ではない優しさがあった。
太陽が真上に居座り出した頃、透は自宅の二階で奏に苦笑されていた。
今日はたまたま奏が休みだったのもあり、彼女が里奈の世話を申し出てくれたのである。
おかげで昨日に有給休暇を取っていた透は出勤でき、昼までの仕事を無事にこなせた。
「心配だったのは確かだけど、どちらかといえば戸松に追い出された」
仕事中に事情を教えたお調子者の同僚が、昼休みに様子を見て来いと半ば強引に透を一時帰宅させたのである。
「彼もあれでいて思いやりのある一面を持っているからな。そうでなければ本物の――いや、やめておこう」
目を伏せる奏。以前に修治が言った幼女発言を冗談とわかっていても、気にかけてしまうのだろう。
「はは。多分大丈夫だとは思うけどな。ところで里奈は?」
「問題ない。風邪薬は飲ませたし、食欲もある。病院へ行くほどではなさそうだ」
それにしても、と奏は言葉を続ける。
「母にも困ったものだ。早く二人を透の扶養家族にしなければならないというのに」
必要書類が準備できていない関係上、いまだ姉妹は透の扶養家族となっていなかった。
何がどうなってるのか詳しく知っているのは綾乃だけだが、とりあえず姉妹は現在無保険の状態になっているみたいだった。
そのため病院で診察してもらえば十割負担となる。
だからといって具合が悪くなる一方なのであれば、黙って寝せておくわけにもいかない。出勤する前に透は病院代として奏に五万円ほど預けていた。
「それとも実は父親が生きていて、親権がそちらにあるのだろうか。なかなかわからないことだらけだな」
ため息をついた奏は立ち上がろうとしたが、途中で動きを止める。
何か起きたのかとよく見れば、高熱で顔を上気させている里奈が奏の服を掴んでいた。
「ママ……行かないで……私、いい子にするから……」
うわ言のように繰り返す。
母親ではないと否定するかと思いきや、奏は優しい笑顔で座り直し、汗で濡れた少女の髪の毛を優しく撫でだ。
「大丈夫だ。ここにいる」
声が聞こえたのか、満足そうに頷いた里奈は手を離した。
やがて寝息が規則正しくなってきたのを受け、静かに奏は少女のそばを立った。
「ゆっくり眠らせてやろう」
一緒に居間へ戻った透に、奏は肩をすくめてみせた。
「私が母親に見えたらしい」
「意外に似ているのかもしれないな」
奏は苦笑する。嫌がっているだけという感じではない。
食卓には透が食品売り場で買ってきた菓子パンが幾つか並んでいる。そのうちの一つを彼女に手渡す。
二人で簡単な昼食をとっていると、奏はポツリと呟くように言った。
「やはり、しっかりしているように見えても幼い少女だな」
少女というのが里奈をさしているのは明らかだった。
「大人びた態度で周りと接していながらも、いつ破れてもおかしくない膨らみきった風船のように一杯一杯だったのだろうな。母も彼女に無理をするなと言っていたみたいだが、この状況下で素直に従えるような性格ではなかったか」
「強引にでも休ませるべきだったか。手伝いをしてないと落ち着かなさそうだから、好きにさせてたんだがな」
「どの選択が正しかったかなんて誰にもわからないさ。少なくとも、私に透を責めるつもりはない。だからといって、倒れた彼女に体調管理がなってないと言う気もないが」
菓子パンを食べ終えた奏が、人心地ついたと軽く息を吐いた。
「奏さんは普段、昼に何を食べてるんだ?」
「私はお弁当だ。自分で朝に作って用意する」
「そりゃ、凄い。俺にはできない芸当だ」
心から賞賛すると、何故か奏は照れを見せた。
「そんなことはない。その気になれば誰でも作れるさ。そ、そうだ。う、羨ましいなら、その、何だ。今度、君の分も作ってやろうか?」
「え? いや、嬉しいけど、迷惑をかけるわけにはいかないので遠慮しとく」
それまで多少は期限良さそうだった奏の表情が一変する。導火線に火がつく数秒前という感じだ。
「透と里奈はやはり血が繋がっているのかもしれないな。迷惑をかけると遠慮する性格が特にだ」
「そうかな」
「そうだ。嬉しいのなら、素直に作ってほしいとお願いしたらどうだ。謙虚な性格は美徳かもしれないが、度が過ぎると礼を失するぞ!」
「は、はいっ! お弁当を作ってほしいです!」
反射的に透は直立不動の姿勢をとってしまう。
「よろしい」
透の様子を面白そうに眺めていた奏が言った。どうやら機嫌を直してくれたみたいである。
怒られずに済むと安堵が油断を招いたのか、透はうっかりと心情をこぼしてしまう。
「やれやれ。この分だと、尻に敷かれることになりそうだな」
「――っ!? そ、その言葉のい、意味は……ま、まさか……いや、しかし、異性の気持ちの理解力が欠けている鈍感男だ。何の意図も持たずに発した可能性もあるな」
一人でぼそぼそと呟きつつも、見る見るうちに奏の表情が鼻歌を歌いそうなものに変化する。
なんとはなしに発しただけの透は戸惑うも、そのまま伝えるとまた怒りを買う結果になりかねない。
黙っていると、どこか浮ついた声で奏は休憩時間が終わりそうだと教えてくれた。
「さあ、午後も頑張ってきてくれ。透は主任補佐なのだからな」
■
空の主役が月と星に交代すると、立花家も賑やかさを増していた。
二階で就寝中の里奈はよく眠ったのもあり、熱はだいぶ下がったみたいだった。
彼女も妹同様に風邪というより、疲れで発熱しただけのようだ。
様子を見に来てくれた綾乃が奈流を銭湯に連れて行ってくれたらしく、二階で姉妹一緒に大人しくしているという話だった。
しばらく面倒を綾乃が見てくれるとのことで、透と奏は一緒になって銭湯へ行った。
帰り道で、湯上りの腕を真上に伸ばして奏は言う。
「透の家にお邪魔するようになって銭湯通いが増えたせいか、足を伸ばして浴槽へ浸かる気持ちよさに魅了されつつあるな」
「ハハハ。俺はとっくの昔からだよ。何だったら、奏さんも銭湯通いを習慣にするといい」
「――っ!? だ、だが、わ、わわ私には自宅があるからな。こ、困ったな」
どうしてどもってるのだろうと首を傾げつつ、透はそうだなと返した。
「せっかく風呂のある家に住んでいるんだから、活用しないとな」
「……それは、その通り、なのだが。くう。ここで自分の家が空いているとか気のきいた台詞は言えないのか、この男は。私も交際を含めて異性との交流経験は絶対的に不足しているが、だからといってあそこまでではないぞ」
小声でよく聞こえなかったのもあり、透は首を傾ける角度をさらに下げる。
「何か言った?」
「いや。自分の中にある期待と現実の狭間で揺れ動いていただけだ」
透は「そうか」としか言えなかった。
さすがに今夜は泊まらずに、深夜を過ぎる前に綾乃と奏の母娘は帰宅することになった。
冷蔵庫には作り置きしてもらったおかゆがあるので、それを翌朝に姉妹へ食べさせるように言われる。
「里奈ちゃんや奈流ちゃんの体調に変化があるようなら、深夜でも構わないからすぐに連絡して頂戴」
綾乃がウインクする。
頭を下げて透がお礼を言っていると、暗がりの二階から足音がした。
全員がそちらを向くと、里奈が明かりのついた階段を下りてくる。
「あ、あの。私、トイレに……」
話を聞くつもりでなかったのは誰もがわかっている。そもそも立花家は玄関の真横がトイレなのだ。
誰かを見送っている際に催せば、こうして対面するケースもあるだろう。
里奈はトイレへ入る前に、特に奏へ深々とお礼をした。
「面倒を見て下さってありがとうございました」
「気にするな。前に言ったかもしれないが、困っている時はお互い様だ。しかし、だからといって私は透と君たちの同居へ全面的に賛成しているわけではない。むしろ反対だ」
「ちょっと、奏。何もこんな時に言わなくてもいいでしょう」
綾乃が嗜めるも、あえて言わせてもらうと奏は突っ撥ねた。
「私や母がこうして面倒を見られるならば、まだいい。だが手助けできなかった場合はどうなる。透も含めて、そのあたりをもう一度きちんと考えてみてほしい」
「はあ……正論だけど、どうしてこう頭が固いのかしらね。私の娘は」
「母さんが柔らかすぎるんだ」
家でも普段はこうなのだろう。徐々に奏は透たちの前でも、変に母親へ丁寧な言葉を使ったりなどの気を遣わなくなっていた。
「はいはい。それじゃ、私たちは帰るわね。透君、里奈ちゃんたちを無理させちゃ駄目よ」
二人が帰ると、どうにも寂しさを覚える。
なんとなくズボンのポケットに両手を突っ込み、首を軽く左右に動かしたりしてみる。
「あの、ご迷惑をおかけしてごめんなさい」
「いいさ」
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