上 下
20 / 35

第20話 彼女の秘密

しおりを挟む
 奏と一緒に外へ出て、彼女の車に乗せてもらう。

「緊張しますね。女性の部屋に入るのは初めてです」

「そうか……って、ちょっと待て。君は私の部屋に上がるつもりなのか? それは駄目だ。か。片付けというものがあるし、何事も遠慮は必要だぞ!」

「で、ですよね。すみません」

 全力で拒絶されたのでもの悲しくなるも、無理強いをして嫌われたら意味がないし、何より部屋に上がるものと思い込んでいた透が悪い。

 奇妙な緊張感に包まれた車内。

 話しかけようとするタイミングで声が重なり、互いに譲りあって会話に発展せず沈黙が舞い戻る。

 夜の闇が降りた町にぽつぽつと家の明かりが浮かぶ。点在するそれらは、まるで地上の星みたいだった。

「夜にじっくり外の風景を見るなんて、久しぶりな気がします」

「まあ、夜は大抵会社にいるからな。自宅との往復では気にするところもないだろうし、当然といえば当然だ」

 ポツリと漏らした呟きにも、律儀に言葉を返す奏。運転席でハンドルを握る彼女の横顔はとても綺麗だった。

「どうした。私の顔をジッと見て」

「あ、すみません。綺麗だと思ったらつい」

「――っ!? き、君はいつも唐突すぎるんだ! 私を狼狽させるのを生きがいにでもしているのか!」

 そんなつもりはないと謝罪する透。彼女は隣でコホンと軽い咳払いをする。

「だが、嬉しくは、ある。とりあえずお礼は言っておこう」

 朱に染まった顔を隠すように横を向いた奏は、瑞沢家のリビングで待つように透へ告げた。

 畳の立花家とは違い、実に綺麗なフローリングで間取りも広い。築年数はそれなりに経過しているが、羨ましいくらいの一軒家である。

 二階建てだが奏はリビングの奥に移動した。どうやらそちらに彼女の部屋があるらしい。

 となれば二階部分には綾乃の部屋があるのだろう。気にはなるが、さすがに覗きに行く勇気はない。

 出された麦茶を飲みながら待つが、他人の家というのはどうにも落ち着かず、透はそわそわしてしまう。

 それでなくとも最近は男だけの生活を送っていたのだ。子供にはない女性の香りが漂う室内に取り残されて、リラックスしろというのが無理な話だった。

 だからといって勝手に部屋まで行けば奏の逆鱗に触れる。せっかく仲を深めつつあるのに、自ら壊すような愚行は冒せない。

「――ヒャアア!」

 大きな物音と一緒に聞こえた悲鳴。

 何かあったのかと弾かれたように立ち上がり、声が聞こえた方へ向かう。

 足音が迫るのを察した奏は「来なくていい!」と声を張り上げるが、そういうわけにもいかない。

「奏さん、大丈夫ですか!」

 リビングの先にあったドアの一つを開けると、そこは奏の部屋だった。

 冷や汗をかいている彼女が、クローゼットを背にして立っている。

「た、立花君は心配性だな。私は平気だ。さあ、もう少しだけ居間で待っていてくれ」

 強めの口調で部屋から追い出そうとするも、何故か奏は同じ体勢をキープし続ける。

 クローゼットに何かしらの理由があるのは明白だが、執拗に聞けば怒られる。

 仕方なしに透がわかりましたと身を翻そうとした瞬間だった。

「――ヒャアア!」

 先ほどと同じ悲鳴がして、クローゼットのドアが勢いよく開いた。

 力任せに押し込められていた部屋の住人たちが反発し、自由を求めて透の前に姿を現す。

「これは……」

「み、見るな。見ないでくれ!」

 透の前に散らばったもの。それは大小様々なぬいぐるみだった。

 熊から兎から見てもよくわからない動物やキャラクターのが揃っている。中には奏ほどの身長のものもあった。

「なるほど。念のために必死に片づけた結果、大惨事となったわけですね」

「こ、声に出して言わないでくれ!」

 奏は泣きそうだ。

「だから見られたくなかったんだ。うう。幻滅しただろう?」

「どうしてですか?」

 本心からそう思ったので透は聞き返した。

「いつも職場で偉そうにしておきながら、ぬいぐるみが大好きなんだぞ。あまつさえ夜は一緒に寝てるし。笑いたければ笑え! むしろその方が楽だ!」

 何故か逆切れする奏を前に、透は首を傾げる。

「別に笑ったりしませんよ。趣味は自由だし、それに可愛らしいです」

「うぐっ!? き、君は……自覚がないのがたちが悪いな」

「何の自覚ですか?」

「いや、いい。それにしても、フフっ」

 事情気味に笑う奏。

「私は君に恰好悪いところばかり見られているな。まったく……参ったよ」

「そうですかね。俺は逆に奏さんの女性らしい面が見えて印象が変わりましたよ」

「それまでは怖い女上司だったか?」

「答え辛い質問はNGです」

「ハハハ。違いないな」

 大きな声で笑い、奏は立ち上がる。

 散乱したぬいぐるみが、クローゼットではなく本来の居場所らしいベッドなどへ、彼女の手で戻されていく。

「なあ、立花君」

「何でしょう」

「職場ならともかく、その、何だ。こういう時というか、私生活で会う場合は堅苦しい口調をやめないか? 親しき仲にも礼儀ありとはいうが、気の遣いすぎは疲れると今回の奈流君のケースでも学んだだろう」

 趣味で敬語を使っているわけでもないので、申し出を断る理由はなかった。むしろ透からすれば、ありがたいくらいである。

「ありがとうございます……じゃなくて、ありがとうか。それなら奏さんも、俺を透と呼んでほしい。そうすれば口調を崩して話すのが自然になっていくだろうし」

「そ、そうか。わ、わかった。ええと……と、透……」

 好意を持ち始めている女性に、下の名前を呼び捨てにされると妙にドキっとする。

「そんなに顔を赤くするな。わ、私まで照れてしまうだろ。こ、こうなると姉妹への君付けもやめないとな」

 穏やかになる奏の顔を見て、自然と透の頬も緩む。

 あの姉妹が来なければ、きっとただの上司だった女性と近づくことはなかっただろう。

 そう考えると不思議だった。

「ん? 足元に何か落ちてるな」

 小さな白い布生地を拾う。

 レースのついたハンカチかと思い、何気に広げてみる。

 すると奏が正面で、かつてないほど顔を真っ赤にしてこちらを指差した。

 一体どうしたというのか。

 透は首を捻りながら、改めて両手にしている布生地を見る。

 左右に伸び、宙にぷらんと垂れる細い直線。その全体像は例えるなら英字のTだった。

「あれ? これってまさか……例のTフロント……?」

 はっとして前方の奏を見る。

 先ほどまでの良好な雰囲気が一変。照れを怒りで隠した彼女は鬼となった。

「君は何をしているんだ! この変態が!」

 バチンと頬に響く強い衝撃。

 ふらついた直後に背中を蹴られ、透はあっという間に部屋から追い出された。





 何度も謝罪はしたのだが、奏は帰りの車中でも憤っていた。

「信じられん。女性の下着を漁るとは、恥を知れ!」

 怒鳴られて小さくなる透。

 勝手に落ちていただけだと正直な反論もできない。火に油をかけるだけの結果になるのは明らかだからだ。

「黙って居間で待っていろと言ったはずだ。それを勝手に家の中をうろつき、母の下着を持ってくるとは」

「え? 綾乃さんの?」

 透は反射的に顔を上げた。

「白々しい反応はやめろ。さては私に取り入ろうとしたのも、母さんを狙いたいがためか」

「ま、待ってくれ。俺はあれが綾乃さんのだとは知らなかったし、そもそも悲鳴が聞こえるまではきちんと居間にいたんだ」

「信じられないな」

 険しい顔つきの奏にひたすら責められながらも、車は立花家に到着する。

 玄関を抜けると居間で綾乃が待っていた。

「お帰りなさい。きちんと見つけられたかしら?」

 彼女の視線は、実の娘である奏を向いている。

「見つけられた? 何を?」

「決まってるじゃない。透君を悩殺するための秘密兵器よ。こんなこともあろうかと先日、貴女の下着類の中に新品で買ったTフロントを混ぜておいたの」

 笑顔での告白を受け、見事なまでに透と奏の声が重なる。

「「あんたの仕業か」」

 透の目の前で、奏が一時的に母親への愛情も尊敬も消失させ、綾乃を引きずるように車の中へ連れて行った。

 ――数分後。

 車の走り去る音が聞こえ、奏が一人で家の中へ戻って来た。

「……あんな母で申し訳ない。彼女には先に帰ってもらったよ。これ以上、変な企みをされても困るのでな」

「綾乃さんのあのノリに助けられてる部分もあるし、俺は構わないさ。ただ、一人で家に置いておいた方が何かをやらかしそうだけどな」

 透の指摘に、奏がハッとする。

「素直に引き下がったのは、そういうことか! くっ! 家に帰ったら部屋の中を隅々までチェックしないと……!」

「……何かあったんですか?」

 憤る奏の声が聞こえたのか、里奈が階段から姿を現す。

「綾乃さんが帰っただけだ。それより、奈流は大丈夫なのか?」

 透の問いに里奈が頷く。

 熱も下がったままで、逆にテレビを見たがったりなど、元気さが手に負えなくなりつつあるとため息をついた。

「そうか。なら、今のうちに銭湯へ行ってこいよ。奈流の体は綾乃さんが拭いてくれたんだろ?」

 里奈と奏を銭湯へ送り出し、透は二階へ上がる。

 布団から這い出し、こっそりテレビを見ようとしていた奈流を目撃する。

「お兄ちゃん、おはよー」

「奈流。おはようじゃなくて、おやすみだ」

 晴れやかな笑顔を見せる妹に、負けないくらいの笑みを返して布団の中へ連れ戻す。

 唇を尖らせるも、奈流はどこか楽しげだった。

 里奈がいない間にテレビを見ようとする程度には、奈流の健康状態も良くなっているみたいである。

「なんだか嬉しそうだな」

「うん。ねつがあがってるときはつらかったけど、お姉ちゃんのこえがきこえてたんだ。えへへ。なかなおり、できるよね?」

「姉妹なんだから、当たり前だ」

 透の言葉に、枕の上で奈流が頭を上下に動かした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

ストロベリー・スモーキー

おふとん
ライト文芸
 大学二年生の川嶋竜也はやや自堕落で、充足感の無い大学生活を送っていた。優一をはじめとした友人達と関わっていく中で、少しずつ日々の生活が彩りはじめる。

【完結】のぞみと申します。願い事、聞かせてください

私雨
ライト文芸
 ある日、中野美於(なかの みお)というOLが仕事をクビになった。  時間を持て余していて、彼女は高校の頃の友達を探しにいこうと決意した。  彼がメイド喫茶が好きだったということを思い出して、美於(みお)は秋葉原に行く。そこにたどり着くと、一つの店名が彼女の興味を引く。    「ゆめゐ喫茶に来てみませんか? うちのキチャを飲めば、あなたの願いを一つ叶えていただけます! どなたでも大歓迎です!」  そう促されて、美於(みお)はゆめゐ喫茶に行ってみる。しかし、希(のぞみ)というメイドに案内されると、突拍子もないことが起こった。    ーー希は車に轢き殺されたんだ。     その後、ゆめゐ喫茶の店長が希の死体に気づいた。泣きながら、美於(みお)にこう訴える。 「希の跡継ぎになってください」  恩返しに、美於(みお)の願いを叶えてくれるらしい……。  美於は名前を捨てて、希(のぞみ)と名乗る。  失恋した女子高生。    歌い続けたいけどチケットが売れなくなったアイドル。  そして、美於(みお)に会いたいサラリーマン。  その三人の願いが叶う物語。  それに、美於(みお)には大きな願い事があるーー

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
「かっこいい……あのボディ。かわいい……そのお尻」ため息を漏らすその視線の先に何がある? たまたま居合わせたイベント会場で空を仰ぐと、白い煙がお花を描いた。見上げた全員が歓声をあげる。それが自衛隊のイベントとは知らず、気づくとサイン会に巻き込まれて並んでいた。  ひょんな事がきっかけで、カメラにはまる女の子がファインダー越しに見つけた世界。なぜかいつもそこに貴方がいた。恋愛に鈍感でも被写体には敏感です。恋愛よりもカメラが大事! そんか彼女を気長に粘り強く自分のテリトリーに引き込みたい陸上自衛隊員との恋のお話? ※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。 ※もちろん、フィクションです。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

処理中です...