上 下
18 / 35

第18話 発熱と叱責

しおりを挟む
「え、ええと……?」

「こっちを見るな。思うところはあるが、奈流君を見捨てるわけにもいくまい。彼女の目が覚めるまでは一緒に眠っておくとしよう」

「わかりました。では、俺は仏間で寝ます」

 綾乃はああ言っていたが、妙齢の女性と同じ布団に入るのは無理だ。

 透個人的には朗報であっても、相手側の心情を考えればとても図々しくはなれない。

「……母は布団が一つしかないと言っていたが?」

「座布団を並べて寝ます。あとはバスタオルを腹にかけておけば大丈夫でしょう」

「そ、そうか。いや、ちょっと待て」

 納得したかと思いきや、何故か透は奏に引き止められた。

「母の言葉ではないが、風邪をひかれたら困る。ふ、布団で眠ればいいだろう」

 最初、透は何を言われているのか理解できなかった。

 まさかと思ったのは、照れと恥ずかしさにくるまれた奏の顔を見てからだった。

 全身から何とも言えない汗がどっと噴き出す。

 これはまさかあれか。一緒に寝ろと言われているのか。

 いやいや、よく考えろ。ではどういう意味だ。

 心の中で羅列される混乱の数々が、意味不明な言動となって賑やかす。

「い、いや、それは、その、結婚前の男女であるからして、何といいますか。俺はその初めてで、あの」

「どうして挙動不審になる。い、一緒に寝るだけだ。起きた時に君がそばにいなければ、奈流君が心細いかもしれないだろ。他意はない。それに変な真似をしたら、容赦なく蹴り飛ばすからな!」

 日中の気まずさがどこかへ吹き飛んでいく。

 もしかしたら悩んでいたのは自分だけかもしれない。少しだけ透は気が楽になった。

 ジャケットを脱いだ奏が布団に入り、すぐ後ろで透も横になる。

 大きなサイズの布団ではないので、落ちないためには必然的に体が密着する。

 不意に太腿の表と裏が触れる。衣服越しとはいえ、口から飛び出るんじゃないかというくらいに透の心臓がドキドキする。

「く、くっつきすぎじゃないのか?」

「す、すいません」

 慌てて離れた透の体が床に落ちる。その様子を横目で見ている奏。

「そ、そこまで離れなくてもいい」

「は、はい。でも……」

「でも、何だ?」

「主任は――奏さんはやっぱりいいにおいがします」

「――っ!? き、きき君は何を言っている。だ、だだ駄目だ。こ、こここの布団には奈流君もいるんだ」

 一瞬にして今度は奏が挙動不審になる。微笑ましく思っている間に、気がつけば透も眠りの世界に落ちていた。





 鼻の上を漂う香ばしいにおいが、素敵な目覚まし時計となる。

 瞼を開け、上半身を起こした透の視界にスタイルの良い後姿が映った。

 こちらの気配に気づいた後姿が振り返る。台所で料理をしているのは奏だった。

「ようやく起きたか。もう七時に近い。奈流君を起こしてくれ。今日は学校があるのだろう?」

 わかりましたと返事をして、奈流を揺する。

 寝起きが良いかどうかはわからないので、ぐずるような反応を見せても特に変とは思わなかった。

 だが奈流はなかなか起きない。それどころか苦しそうにも見える。額が汗ばんでいて顔も赤い。明らかに変だ。

「か、奏さんっ」

 慌てた透は、反射的に奏の名前を呼んでいた。

 ただならぬ様子を感じたのか、すぐに彼女は来てくれた。

「あの、これっ」

「少し落ち着け。まったく。職場では冷静だというのに、家ではこうも簡単に取り乱すとはな。保護者らしくどっしりとしていろ」

 などと言いながら、手のひらで奏は奈流の様子を調べていき、透はその間に頼まれて体温計を探す。

 脇の下に入れ、奈流の体温を測ると三十八度もあった。夜のうちに熱が上がったらしい。

「奈流君、寒いか?」

「ううん、あつい……」

 よくよく聞けば奈流の声は眠そうではなく、具合が悪そうだった。

「寒気はないか。どうやら風邪というより、慣れない環境下での生活における疲労が原因で熱が出たみたいだな」

「奏さん、医者みたいですね」

「素人の原因分析にすぎんよ。風邪薬はあるのか?」

「はい。一応は常備してあるので」

 薬を飲ませるためにも奏がおかゆを作っていると、二階から登校の準備を終えた里奈が下りてきた。

「おはようございます。奏さんがいらしてたんですね。今朝は騒がしいみたいですけど、何かあったんですか?」

 居間を覗いた里奈は、布団で寝たままの奈流を見るなり首を傾げた。

「普段は私より早く起きて遊びたがるのに。まさか奈流に好きなだけ夜更かしさせたんですか?」

「違う。奈流が熱を出したんだ」

 説明を聞いた瞬間、里奈の目つきが睨むようなものに変わった。

 布団のそばで座っている透へ、噛みつかんばかりの勢いで詰め寄る。

「どうしてですか! まさか奈流に変なことをしたんですか! 私への嫌がらせですか!」

「お、おい、落ち着け」

「ふざけないでください! だったら奈流が熱を上げた理由は何ですか!」

 耳元でひたすら喚かれ、相手が子供だと思ってこれまで大人の態度を心がけていた透も徐々に苛々を膨らませる。

 奈流の発熱が想定外だったのは透も同じ。

 ただでさえパニック状態に近かったのに、そこへ里奈の追い打ちだ。

 駄目だと自分に言い聞かせる声が次第に弱まり出した時、唐突に怒声が家中に響いた。

「いい加減にしないか! 悪いことが起きれば全部彼のせいか!? 君たちの母親が亡くなったのも彼のせいか!? 彼の父親が亡くなっていたのも彼のせいか!? この家で生活をすることになったのも彼のせいか!?」

 予期せぬところからの反撃に、里奈がビクリと全身を震わせる。

 作り終えたおかゆを食卓の上へやや強めに置き、なおも奏は憤る。

 そんな彼女を制したのは透だった。

「二人とも落ち着いて」

 先ほどまでの苛々は嘘みたいに消えていた。恐らく代わりに奏が怒ってくれたおかげだろう。

 心の中で彼女に感謝しつつ、視線を里奈に向ける。

「自分のせいかもしれないと怖くなって混乱したんだろうけど、誰かに責任をなすりつけようとしたら駄目だろ。俺の言ってることがわかるな?」

 奏に叱られて多少は冷静になれたのか、畳に膝をついた里奈は小さく顔を上下させた。

「昨夜、眠る前まで奈流は確かに問題なかった。熱が上がり出したのは今朝方だろう。とりあえず薬を飲ませて様子を見るが、さらに熱が上がるようなら俺が病院へ連れて行く」

「そ、それなら私が看病します」

「駄目だ」

 透は里奈の申し出を即座に却下した。

「心身に問題がない状態で学校を休むのは許可できない。お前たちが学校へ通えるようにするため、綾乃さんがだいぶ努力してくれたはずだ。その好意に応えるためにも、学校にはきちんと通え」

「わかってますけど、奈流が心配で……」

「だから俺が看病すると言った。会社には迷惑をかけるが、頼れる上司がいるんで大丈夫だろ」

 急に会話に登場させられた奏だったが、肩を竦めながらも仕方ないなと急な欠勤を了承した。

「有休が手付かずで残っているからな。それを使えばいい」

「ありがとうございます。わかったら里奈は朝食をとって学校へ行け」

「で、でも……」

 これまでの里奈の態度から明らかだが、よほど妹が大切で心配しているのだろう。執拗に自分が看病すると食い下がる。

 だが透も認めるわけにはいかなかった。

「なあ、里奈。俺も含めてだけどさ、多くの助けがあって今の生活ができてるんだ。逆に言うと助けがなければ生活は壊れる。お前もそれがわかっているから、俺の親父を頼ってきたんだろ? だったらさ、今さら一人で抱え込もうとするな。どんなにしっかりしていてもお前は子供だ。もっと大人を頼れ。見てくれは頼りないかもしれないが、実は俺だってなかなかなんだぜ」

 ひっひっと肩を揺らして里奈が涙ぐむ。

 透は伸ばした手で、彼女の髪の毛をくしゃくしゃにする。

「ごめ、んな、さい……私、もっと、しっかりしないと……追い出されるって、そればっかりで……うえ、うええ……!」

「ほらほら、泣くな。せっかくの美人が台無しだぞ」

 透がティッシュを手渡していると、横になっている奈流が里奈の服の裾を摘んだ。

「お姉ちゃん……。奈流はだいじょうぶだから、がっこう、いって。かえってきたら、いっしょに、お兄ちゃんの……おてつだいしようね……」

「何を言ってるのよ。奈流はおとなしく寝てなきゃ駄目。学校が終わったら、私が看病してあげるから」

「……うん」

 ようやく登校に納得した里奈は、取り乱した際の非礼を透と奏に詫びた。

「本当にすみませんでした」

「気にするなと言いたいところだが、私の基本的な考えは以前と変わらない。君たちは余裕のある親戚や施設、世話になるべき所で暮らすのがいいと思っている」

 里奈は押し黙る。

 返答がない事実に、奏が軽く息を吐く。

「だが立花君は君たちを受け入れた。それならば互いに協力し、より住みやすい環境を作るべきだ。必要以上に気遣いしたままでは疲弊していくだけだぞ」

「はい……」

「わかっているなら、それでいい。早く学校へ行け。小学生は小学生の本分を果たせ」

 相手が子供なのに大人のように接する奏も奏だが、難なくついていける里奈も凄い。やはり知識量は小学生離れしている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

【完結】雨上がり、後悔を抱く

私雨
ライト文芸
 夏休みの最終週、海外から日本へ帰国した田仲雄己(たなか ゆうき)。彼は雨之島(あまのじま)という離島に住んでいる。  雄己を真っ先に出迎えてくれたのは彼の幼馴染、山口夏海(やまぐち なつみ)だった。彼女が確実におかしくなっていることに、誰も気づいていない。  雨之島では、とある迷信が昔から吹聴されている。それは、雨に濡れたら狂ってしまうということ。  『信じる』彼と『信じない』彼女――  果たして、誰が正しいのだろうか……?  これは、『しなかったこと』を後悔する人たちの切ない物語。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

【完結】新人機動隊員と弁当屋のお姉さん。あるいは失われた五年間の話

古都まとい
ライト文芸
【第6回ライト文芸大賞 奨励賞受賞作】  食べることは生きること。食べるために生きているといっても過言ではない新人機動隊員、加藤将太巡査は寮の共用キッチンを使えないことから夕食難民となる。  コンビニ弁当やスーパーの惣菜で飢えをしのいでいたある日、空きビルの一階に弁当屋がオープンしているのを発見する。そこは若い女店主が一人で切り盛りする、こぢんまりとした温かな店だった。  将太は弁当屋へ通いつめるうちに女店主へ惹かれはじめ、女店主も将太を常連以上の存在として意識しはじめる。  しかし暑い夏の盛り、警察本部長の妻子が殺害されたことから日常は一変する。彼女にはなにか、秘密があるようで――。 ※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

地上の楽園 ~この道のつづく先に~

奥野森路
ライト文芸
実はすごく充実した人生だったんだ…最期の最期にそう思えるよ、きっと。 主人公ワクは、十七歳のある日、大好きな父親と別れ、生まれ育った家から、期待に胸をふくらませて旅立ちます。その目的地は、遥かかなたにかすかに頭を覗かせている「山」の、その向こうにあると言われている楽園です。 山を目指して旅をするという生涯を通して、様々な人との出会いや交流、別れを経験する主人公。彼は果たして、山の向こうの楽園に無事たどり着くことができるのでしょうか。 旅は出会いと別れの繰り返し。それは人生そのものです。 ノスタルジックな世界観、童話風のほのぼのとしたストーリー展開の中に、人の温かさ、寂しさ、切なさを散りばめ、生きる意味とは何かを考えてみました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...