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第17話 亀の甲より年の功
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しばらく無言が続いたあと、ポツリと里奈が言葉を落とした。
「奈流との件ですよね」
気まずさが強くなる中、透は頷く。
「そんなに頑張るな」
驚いたように上げた顔を、里奈は左右に振る。
「そういうわけにいきません。お世話してもらってる身ですから。せめて家事とかで役に立ちたいんです」
握り締められた膝の上の拳には、強い決意が込められている。
どうしたものかと透は再度悩む。初対面時から里奈は妙にマセているというか、しっかりしすぎている面があった。
「言葉遣いや態度もそうだが、どうして里奈はそんなに大人びているんだ?」
言葉については、以前本を読んだからと教えてもらった。わからない単語は母親や透の父親でもある武春に聞くなりして覚えたのだと。
「……奈流のためにも、私がしっかりしないと駄目なんです。あの子を守るためにも……!」
唇を噛み、顔を伏せた里奈の両目から涙がこぼれる。
ここでようやく透は理解する。彼女は失った母親の代わりになろうとしているのだ。だからこそ口調や態度を大人に近づけた。
しかしそれは子供らしさを消し、本来はしなくともいい無理をすることに繋がる。現に今がそうだ。
「里奈の気持ちはわかった。それじゃ、奈流の気持ちはどうだ」
パジャマの袖で涙を拭いた里奈が、意味がわからないといった表情を浮かべる。
「奈流はお前に守ってほしいと思ってるのか? 守られたいじゃなくて、一緒に楽しく過ごしたいだけなんじゃないか?」
可能な限り優しく言ったつもりだったが、カッと里奈の顔が怒りの色に染まる。
「貴方に何がわかるんですか! 私と里奈は二人だけの姉妹なんです! 余計な口を挟まないでください!」
憤然として立ち上がったあとで、自分が何を口走ったのか理解した里奈は今度は青ざめて透に謝罪した。
「ご、ごめんなさい。私、とんでもないことを……。ゆ、許してください。お願いです。ここを追い出さないでください。何でもしますから」
奈流にもしたように、透は里奈の頭に軽く手を置いた。怒ってないと意思表示するためだ。
「お前たちを家に置くと決めたのは俺だ。簡単に撤回するくらいなら、最初から受け入れていない。それに喧嘩がいいとは言わないが、家族ならするものだろう。それこそ里奈と奈流みたいにな」
「あ、ありがとうございます」
追い出される心配はないと理解しても、まだ里奈は心から安堵するに至らない。
この分では、今日は何を話しても無駄だろう。
改めてこの家にいていいんだと告げてから、とりあえず飯を食うぞと透は言った。
里奈は素直に従う姿勢を見せ、二人で一階に降りる。
里奈と奈流はまだ素直になれず、どちらから謝ることもなく気まずい空気だけが流れる。
夕食の最中も後片付け時も姉妹の会話はなく、明るいのは部屋の電気だけという有様だった。
外が暗くなり、銭湯での入浴も終えて眠る時間が近づいてくると里奈だけが二階へ移動した。
一階に残った奈流は膝を抱えながら、透に今夜はここで寝ていいかと聞いた。
別に構わないと答えるべきか透が悩んでいると、来客がドアを優しく叩いた。
この感じは綾乃だろうと救いの神を求めて透は迎え入れた。
「あら、何か困ったような顔をしているわね」
亀の甲より年の功。
言い当てられた瞬間に真っ先に浮かんだが、女性の年齢に関する話題は時として失礼になるので本人には言わない。
「まあ、色々と」
綾乃に上がってもらうと、彼女に懐いている奈流が早速はしゃぎ出す。だが普段の切れというか、元気さが若干足りなかった。
透だけでなく綾乃も気づいたみたいで、奈流を膝の上に乗せると頬をぷにぷにと触りながら何があったのかと尋ねた。
女手一つで娘を育て上げただけあって、話の聞き出し方は透よりもずっと上手かった。
最初は何でもないと隠そうとしていた奈流が、気がつけば事情をすべて綾乃に教えていた。
「そっか。奈流ちゃんくらいの年だと、お友達と遊びたくて当然よ」
「うん。まえのがっこうじゃなかったから、あそぼうって言われたのがうれしくて、おてつだいをわすれちゃったの」
「それはいけないわね。まずはお姉ちゃんにきちんと謝ってから、何時まで遊んでいいかも含めてお話するといいわ。あとはお兄ちゃんにも相談するのよ」
「うんっ」
奈流に本来のにこにこ顔が戻り、あとは楽しく綾乃とお喋りをする。
透が敷いた布団の上で奈流が幸せそうな寝息を立て始めても、里奈は二階から降りてこなかった。
「里奈ちゃんは意固地になってるっぽいわね。透君が話したみたいだし、少し時間を置く方がいいかもしれないわ。あの子は賢いからいずれ自分にも折り合いをつけるでしょうけど、相変わらず小学生の女の子らしくはないわよね」
透も同意する。必要以上に干渉しようとしても拒絶されるだけだろう。
「里奈が求めているのは家族じゃなく、養ってくれる人ですからね。なかなか難しいです」
言った透の鼻頭が、綾乃の人差し指で強めに弾かれる。
反射的に悲鳴に近い声が漏れた。
何ですかと抗議する前に、今度は鼻をつねられる。
「思っていても、そういうことを言っては駄目よ。そもそも小さな女の子に、お兄さんとはいえ今まで面識のなかった大人の男性へいきなり甘えろというのは酷だわ。最初は他人じみていて当然なの。そこから家族になっていくのよ。そしてこの子たちを導くべき立場にいるのが透君でしょう? 突き放すような発言は控えなさい」
口調こそ穏やかでも綾乃の怒りは本物で、また言っていることも確かだった。
「すみません。綾乃さんの言う通りですね」
綾乃はにこりと微笑む。
「わかればよろしい。難しそうな問題が発生したら、私を頼りなさい。可能な範囲で力になるから」
「はい。それなら早速ですが、泊まっていってもらえますか?」
「まあ、大胆ね。私には娘がいるのよ」
「いえ、そうではなくて」
間髪入れずに断られた綾乃は苦笑する。
「わかってるわよ。奈流ちゃんと一緒に寝てほしいんでしょ? でも少しくらいは照れなさい。可愛くないわよ」
今度は鼻をツンと押される。
彼女が纏う雰囲気のせいなのか、綾乃の前では子供に戻ったみたいに錯覚する。
微妙な笑みを作った頬を掻きつつ、透はもう一つ悩ましい問題があったのを思い出した。
「そういえば――」
布団を購入できたお礼とともに、その際に奏の様子が変だったのも伝えた。
「俺、何か悪いことしたんですかね」
真顔で聞く透に、綾乃はあからさまなため息をつくと、手提げバッグから携帯電話を取り出してメールを送った。
すると十分もしないうちに奏が訪ねてきた。
会社終わりのようで、日中と同じスーツを身に纏っている。
「今度は何の用ですか」
奏は透ではなく、呼び出した張本人の綾乃に聞いた。
手短に事情を説明した綾乃は「奈流ちゃんと一緒に寝てあげて」と奏に要望した。
「いきなり何を言ってるんですか。そもそも私は寝間着すら用意してないのですよ」
「それなら心配ないわ。下着で寝ればいいのよ。スーツなんだから、そのまま出社してもいいでしょうし」
「……は? 正気か、母さん。一体何を考えているんだ!」
母親相手には比較的丁寧な口調で接していた奏だが、衝撃的な発言を受けて素が出始める。
「大きな声を出さないの。奈流ちゃんが起きてしまうでしょ」
「それはそうかもしれないが、元はといえばおかしな発言をした貴女が――」
「――あっと、いけない。大切な用事があるのを思い出したわ。私はこれで帰るけど、泣き疲れて眠った幼い少女を見捨てたりはしないわよね? そうそう。布団は一つしかないみたいだから、三人で仲良くね。透君が風邪をひいたら大変でしょ」
反論させないというより、聞かずに綾乃は立ち去る。
後に残された透は呆然とするしかなかった。
「奈流との件ですよね」
気まずさが強くなる中、透は頷く。
「そんなに頑張るな」
驚いたように上げた顔を、里奈は左右に振る。
「そういうわけにいきません。お世話してもらってる身ですから。せめて家事とかで役に立ちたいんです」
握り締められた膝の上の拳には、強い決意が込められている。
どうしたものかと透は再度悩む。初対面時から里奈は妙にマセているというか、しっかりしすぎている面があった。
「言葉遣いや態度もそうだが、どうして里奈はそんなに大人びているんだ?」
言葉については、以前本を読んだからと教えてもらった。わからない単語は母親や透の父親でもある武春に聞くなりして覚えたのだと。
「……奈流のためにも、私がしっかりしないと駄目なんです。あの子を守るためにも……!」
唇を噛み、顔を伏せた里奈の両目から涙がこぼれる。
ここでようやく透は理解する。彼女は失った母親の代わりになろうとしているのだ。だからこそ口調や態度を大人に近づけた。
しかしそれは子供らしさを消し、本来はしなくともいい無理をすることに繋がる。現に今がそうだ。
「里奈の気持ちはわかった。それじゃ、奈流の気持ちはどうだ」
パジャマの袖で涙を拭いた里奈が、意味がわからないといった表情を浮かべる。
「奈流はお前に守ってほしいと思ってるのか? 守られたいじゃなくて、一緒に楽しく過ごしたいだけなんじゃないか?」
可能な限り優しく言ったつもりだったが、カッと里奈の顔が怒りの色に染まる。
「貴方に何がわかるんですか! 私と里奈は二人だけの姉妹なんです! 余計な口を挟まないでください!」
憤然として立ち上がったあとで、自分が何を口走ったのか理解した里奈は今度は青ざめて透に謝罪した。
「ご、ごめんなさい。私、とんでもないことを……。ゆ、許してください。お願いです。ここを追い出さないでください。何でもしますから」
奈流にもしたように、透は里奈の頭に軽く手を置いた。怒ってないと意思表示するためだ。
「お前たちを家に置くと決めたのは俺だ。簡単に撤回するくらいなら、最初から受け入れていない。それに喧嘩がいいとは言わないが、家族ならするものだろう。それこそ里奈と奈流みたいにな」
「あ、ありがとうございます」
追い出される心配はないと理解しても、まだ里奈は心から安堵するに至らない。
この分では、今日は何を話しても無駄だろう。
改めてこの家にいていいんだと告げてから、とりあえず飯を食うぞと透は言った。
里奈は素直に従う姿勢を見せ、二人で一階に降りる。
里奈と奈流はまだ素直になれず、どちらから謝ることもなく気まずい空気だけが流れる。
夕食の最中も後片付け時も姉妹の会話はなく、明るいのは部屋の電気だけという有様だった。
外が暗くなり、銭湯での入浴も終えて眠る時間が近づいてくると里奈だけが二階へ移動した。
一階に残った奈流は膝を抱えながら、透に今夜はここで寝ていいかと聞いた。
別に構わないと答えるべきか透が悩んでいると、来客がドアを優しく叩いた。
この感じは綾乃だろうと救いの神を求めて透は迎え入れた。
「あら、何か困ったような顔をしているわね」
亀の甲より年の功。
言い当てられた瞬間に真っ先に浮かんだが、女性の年齢に関する話題は時として失礼になるので本人には言わない。
「まあ、色々と」
綾乃に上がってもらうと、彼女に懐いている奈流が早速はしゃぎ出す。だが普段の切れというか、元気さが若干足りなかった。
透だけでなく綾乃も気づいたみたいで、奈流を膝の上に乗せると頬をぷにぷにと触りながら何があったのかと尋ねた。
女手一つで娘を育て上げただけあって、話の聞き出し方は透よりもずっと上手かった。
最初は何でもないと隠そうとしていた奈流が、気がつけば事情をすべて綾乃に教えていた。
「そっか。奈流ちゃんくらいの年だと、お友達と遊びたくて当然よ」
「うん。まえのがっこうじゃなかったから、あそぼうって言われたのがうれしくて、おてつだいをわすれちゃったの」
「それはいけないわね。まずはお姉ちゃんにきちんと謝ってから、何時まで遊んでいいかも含めてお話するといいわ。あとはお兄ちゃんにも相談するのよ」
「うんっ」
奈流に本来のにこにこ顔が戻り、あとは楽しく綾乃とお喋りをする。
透が敷いた布団の上で奈流が幸せそうな寝息を立て始めても、里奈は二階から降りてこなかった。
「里奈ちゃんは意固地になってるっぽいわね。透君が話したみたいだし、少し時間を置く方がいいかもしれないわ。あの子は賢いからいずれ自分にも折り合いをつけるでしょうけど、相変わらず小学生の女の子らしくはないわよね」
透も同意する。必要以上に干渉しようとしても拒絶されるだけだろう。
「里奈が求めているのは家族じゃなく、養ってくれる人ですからね。なかなか難しいです」
言った透の鼻頭が、綾乃の人差し指で強めに弾かれる。
反射的に悲鳴に近い声が漏れた。
何ですかと抗議する前に、今度は鼻をつねられる。
「思っていても、そういうことを言っては駄目よ。そもそも小さな女の子に、お兄さんとはいえ今まで面識のなかった大人の男性へいきなり甘えろというのは酷だわ。最初は他人じみていて当然なの。そこから家族になっていくのよ。そしてこの子たちを導くべき立場にいるのが透君でしょう? 突き放すような発言は控えなさい」
口調こそ穏やかでも綾乃の怒りは本物で、また言っていることも確かだった。
「すみません。綾乃さんの言う通りですね」
綾乃はにこりと微笑む。
「わかればよろしい。難しそうな問題が発生したら、私を頼りなさい。可能な範囲で力になるから」
「はい。それなら早速ですが、泊まっていってもらえますか?」
「まあ、大胆ね。私には娘がいるのよ」
「いえ、そうではなくて」
間髪入れずに断られた綾乃は苦笑する。
「わかってるわよ。奈流ちゃんと一緒に寝てほしいんでしょ? でも少しくらいは照れなさい。可愛くないわよ」
今度は鼻をツンと押される。
彼女が纏う雰囲気のせいなのか、綾乃の前では子供に戻ったみたいに錯覚する。
微妙な笑みを作った頬を掻きつつ、透はもう一つ悩ましい問題があったのを思い出した。
「そういえば――」
布団を購入できたお礼とともに、その際に奏の様子が変だったのも伝えた。
「俺、何か悪いことしたんですかね」
真顔で聞く透に、綾乃はあからさまなため息をつくと、手提げバッグから携帯電話を取り出してメールを送った。
すると十分もしないうちに奏が訪ねてきた。
会社終わりのようで、日中と同じスーツを身に纏っている。
「今度は何の用ですか」
奏は透ではなく、呼び出した張本人の綾乃に聞いた。
手短に事情を説明した綾乃は「奈流ちゃんと一緒に寝てあげて」と奏に要望した。
「いきなり何を言ってるんですか。そもそも私は寝間着すら用意してないのですよ」
「それなら心配ないわ。下着で寝ればいいのよ。スーツなんだから、そのまま出社してもいいでしょうし」
「……は? 正気か、母さん。一体何を考えているんだ!」
母親相手には比較的丁寧な口調で接していた奏だが、衝撃的な発言を受けて素が出始める。
「大きな声を出さないの。奈流ちゃんが起きてしまうでしょ」
「それはそうかもしれないが、元はといえばおかしな発言をした貴女が――」
「――あっと、いけない。大切な用事があるのを思い出したわ。私はこれで帰るけど、泣き疲れて眠った幼い少女を見捨てたりはしないわよね? そうそう。布団は一つしかないみたいだから、三人で仲良くね。透君が風邪をひいたら大変でしょ」
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