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第13話 チョコレート
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一週間が経過した。日々に追われるという感覚を、生前の父親を看病していた時ぶりに思い出す。
仕事はこれまでと変わらないが、家に帰ればまだ他人な感じのする妹たちとの生活が待っている。
「だいぶ疲れているみたいだな。倒れたりしないでくれよ」
夕方過ぎの売り場で、展示品のテレビ画面を拭く透に奏が声をかけた。
「姉妹と同居をしてから初めての遅番になるが、そのあたりは大丈夫なのか?」
「構いませんよ。普通のパートさんより長時間働かせて貰えて、時給もいいですからね。遅番をするのも当然です」
遅番は午後一時から十時十五分までとなる。
終わりが半端な時間なのは、レジ締めのあと業務報告を店に残っている店長か総務課長にする必要があるからだ。
シフトを十時までにしても、丁度に帰るのは不可能だった。
遅番専門のバイトやパートもいるが、大抵は主任の奏か補佐役の透が閉店間近まで残る。売り場で何か問題が発生した場合に備えてだ。
とはいえ午後九時を過ぎると客の姿はほとんど見えなくなるので、最近ではレジ締めの担当になった時以外は閉店までというシフトは組まれなくなった。
今日は遅番のアルバイト男性が休みなので、透がレジ締めを担当する。
「それに、夜には綾乃さんが家に行ってくれるみたいです。迷惑をかけて申し訳ないです」
「まったくだと言いたいところだが、母はあれで楽しんでいるところもあるからな。気にする必要はないだろう。ただ少し意外ではあるな」
「何がですか?」
「母ではなく立花君さ。あれだけ頑固に姉妹を養うのを決めたのだから、意固地になって誰の力も借りようとしないのではないかと思っていたんだ」
そういう心配をされても仕方ないと、透は苦笑する。そもそも収入の少ないパート社員が、突然現れた姉妹を引き取るのが無謀な話なのだ。
「自分の財力は把握していますよ。意地になっても結局はどこかで破綻をきたすだけ。そうなる前に助けを求めるのは必要なことです。大切なのは俺のプライドより、姉妹の健康な成長ですから。けど好意に甘えるだけでなく、いつか必ず恩返しをするつもりです」
「そうか。立派な心掛けだと言っておこう。困ったことがあれば母に相談するといい」
「はい。それにしても、主任もなんやかんやであの姉妹が心配なんですね」
「フフ。私だって血も涙もある人間だ。君が姉妹を引き取ると決めた以上は、上手くいってほしいと願うさ」
立ち話をしている最中、奏が「おや?」と何かに気づいた。
透も彼女の視線を追いかける。すると見慣れた姉妹がこちら側へ歩いてきている最中だった。
透を見つけるなり、奈流は満面の笑みで手を振る。里奈はその場で立ち止まってぺこりと頭を下げた。
「そういえば今日は買物をすると言っていたな」
独り言のように透は呟く。
綾乃が姉妹の面倒を見てくれるのも夜になってから。その前に食材を購入しておこうということである。いわゆる姉妹版の初めてのおつかいみたいなものだ。
仕事の邪魔をしないように軽めの挨拶だけすると、里奈は手を握る奈流を連れて食品売り場へと向かって行った。
二人を見送ったあとで、奏は思い出したように言う。
「少し早いがそろそろ休憩を取ったらどうだ。食品売り場で夕食でも買うといいだろう」
姉妹の様子を見る時間をくれたのだと察し、透は言われた通りに休憩を取る。
食品売り場へ移動すると、お菓子コーナーのあたりから聞き覚えのある声がした。
「いいでしょ、お姉ちゃん」
「駄目だってば。無駄遣いはできないの。これはお兄ちゃんのお金なんだから」
「だってチョコたべたいよー」
安い百円以下の板チョコを手に持った奈流が、買ってほしいと我儘を言っている場面に遭遇する。
二人とも透には気づいていないようなので、売り場の陰に隠れて様子を見守る。
「お願いだから、言うことを聞いて。お兄ちゃんが言ってたでしょ、貧乏だって」
「でも……」
奈流が唇を尖らせる。
「奈流の気持ちはわかるけど、私たちは我儘を言える立場じゃないの。お兄ちゃんから追い出されたら、もう行くところがないんだよ……?」
とても悲しげな声だった。
その分だけ姉の心情を理解できたのか、奈流は目に涙を溜めながらも持っていた板チョコを売り場に戻した。
出て行って買ってあげるべきかとも思ったが、同居を始める際にお互いになるべく干渉をしないと決めている。
どうしたらいいのかと悩んでいるうちに、二人の姿はお菓子コーナーの前から消えていた。
透はゆっくりと歩き、板チョコが置いてある前で足を止める。
「晩飯をおにぎりか菓子パンにすれば買えるか」
ミルクチョコレートを手に取り、透は姉妹へ見つからないようにレジへ向かった。
■
帰宅すると姉妹はもう寝ていた。午後十時を過ぎているのだから当然だ。
透の帰りを待つと二人が言い張っても、通う小学校の長である綾乃が許可しない。
居間の食卓の上には、綾乃が作った夕食が並んでいる。
当の綾乃は、神崎律子への支払いは無事に済んだとの報告を残して先ほど帰った。
書類上の手続きは相変わらず綾乃に任せたままなので、何か問題があれば教えてくれる。
ともあれ、これで透は完全に姉妹の保護者になったようなものだ。本当に大丈夫かと不安を覚えても、今さら後戻りはできない。
仏壇の前に行き、手を合わせる。自分はこれで本当に良かったのかと。
仏壇の横にある棚の上に父親の写真があるも、答えてはくれなかった。
「せっかくだから飯を食うか」
夕方過ぎに軽く食べただけなのでお腹が空いていた。誰かの手料理というのはとてもありがたく、惣菜とは違った満腹感を与えてくれる。
用意された分を平らげていると、階段を下りる足音が聞こえた。
里奈かと思ったら、トイレのあとに顔を見せたのは奈流だった。
「やっぱりお兄ちゃんだー」
手の甲で目を擦りながら、奈流は嬉しそうな笑みを見せる。本人の好みなのか、アニメ調の犬がデザインされた淡いピンク色のパジャマだ。
互いにあまり干渉しないとはいえ、共同生活をする上で挨拶や気遣いは必至だ。
その分だけよそよそしさもあるが、それは透と里奈に限った話で奈流にはあまりなかった。
「トイレにいきたくなってお姉ちゃんをおこそうと思ったけど、なんかおとがきこえたからお兄ちゃんがいるとおもってー」
一人ぼっちで真っ暗な家の中を歩くのは怖いが、透が帰宅した影響で一階は明かりがついている。
二階までは届かなくとも、玄関横のトイレ前の廊下には僅かとはいえ光が届く。
漏れた明かりとはいえ、少女の勇気を奮い立たせるには十分な味方となるのだろう。それに怖くなったら一階の透を呼べばいいと思ったのかもしれない。
「そうか。気をつけて戻れよ」
「うんー」
回れ右をして居間を出ようとした奈流が、急に動きを止めた。眠気が吹き飛んだとばかりに見開かれた目が食卓の一点を凝視する。
何だと思って透がそちらを確認すると、休憩時間に購入したミルクチョコレートがあった。冷蔵庫に入れようと思って忘れていたのだ。
「お兄ちゃん、チョコ食べるの?」
Uターンした奈流が、瞳に夜空も顔負けの星を輝かせる。半開きの口からは今にも涎が垂れてきそうだ。
ちょこんと透の隣に腰を下ろし、視線を真っ直ぐに黒い包み紙に覆われたミルクチョコレートに注ぐ。
透が食べるといえば、頂戴とは言わないまでも羨ましそうにして、態度でねだるのはほぼ確実だ。
「食べたいのか?」
口を開きっぱなしの奈流は、言葉を発するのも忘れてコクコクと頷く。とうとう涎がこぼれた。
拭けとティッシュを渡しながら透は考える。
たまにしか食べないチョコレートを購入したのは、奈流と里奈のやりとりを気にしたからである。
だからといって丸々渡すと奈流ばかりを依怙贔屓してると思われかねない。
そこで透はミルクチョコレートを手に持って真ん中から二つに折った。
一つを自分で持ち、もう一つを奈流に差し出す。
「明日のおやつにしろ。ただし、里奈と半分こだ」
「うんっ! お兄ちゃん、だいすき!」
受け取った奈流は今すぐにでも食べたそうにしていたが、思い直して食材もあまり入っていない冷蔵庫に入れた。
早くも気持ちは明日に飛んでいるのか、スキップでもするような足取りで居間を後にする。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ」
大好きと言ったり、満面の笑みを見せたり、子供というのは現金なものだ。
透は苦笑しながら、包み紙を剥いでチョコレートをかじる。その味はとても甘かった。
仕事はこれまでと変わらないが、家に帰ればまだ他人な感じのする妹たちとの生活が待っている。
「だいぶ疲れているみたいだな。倒れたりしないでくれよ」
夕方過ぎの売り場で、展示品のテレビ画面を拭く透に奏が声をかけた。
「姉妹と同居をしてから初めての遅番になるが、そのあたりは大丈夫なのか?」
「構いませんよ。普通のパートさんより長時間働かせて貰えて、時給もいいですからね。遅番をするのも当然です」
遅番は午後一時から十時十五分までとなる。
終わりが半端な時間なのは、レジ締めのあと業務報告を店に残っている店長か総務課長にする必要があるからだ。
シフトを十時までにしても、丁度に帰るのは不可能だった。
遅番専門のバイトやパートもいるが、大抵は主任の奏か補佐役の透が閉店間近まで残る。売り場で何か問題が発生した場合に備えてだ。
とはいえ午後九時を過ぎると客の姿はほとんど見えなくなるので、最近ではレジ締めの担当になった時以外は閉店までというシフトは組まれなくなった。
今日は遅番のアルバイト男性が休みなので、透がレジ締めを担当する。
「それに、夜には綾乃さんが家に行ってくれるみたいです。迷惑をかけて申し訳ないです」
「まったくだと言いたいところだが、母はあれで楽しんでいるところもあるからな。気にする必要はないだろう。ただ少し意外ではあるな」
「何がですか?」
「母ではなく立花君さ。あれだけ頑固に姉妹を養うのを決めたのだから、意固地になって誰の力も借りようとしないのではないかと思っていたんだ」
そういう心配をされても仕方ないと、透は苦笑する。そもそも収入の少ないパート社員が、突然現れた姉妹を引き取るのが無謀な話なのだ。
「自分の財力は把握していますよ。意地になっても結局はどこかで破綻をきたすだけ。そうなる前に助けを求めるのは必要なことです。大切なのは俺のプライドより、姉妹の健康な成長ですから。けど好意に甘えるだけでなく、いつか必ず恩返しをするつもりです」
「そうか。立派な心掛けだと言っておこう。困ったことがあれば母に相談するといい」
「はい。それにしても、主任もなんやかんやであの姉妹が心配なんですね」
「フフ。私だって血も涙もある人間だ。君が姉妹を引き取ると決めた以上は、上手くいってほしいと願うさ」
立ち話をしている最中、奏が「おや?」と何かに気づいた。
透も彼女の視線を追いかける。すると見慣れた姉妹がこちら側へ歩いてきている最中だった。
透を見つけるなり、奈流は満面の笑みで手を振る。里奈はその場で立ち止まってぺこりと頭を下げた。
「そういえば今日は買物をすると言っていたな」
独り言のように透は呟く。
綾乃が姉妹の面倒を見てくれるのも夜になってから。その前に食材を購入しておこうということである。いわゆる姉妹版の初めてのおつかいみたいなものだ。
仕事の邪魔をしないように軽めの挨拶だけすると、里奈は手を握る奈流を連れて食品売り場へと向かって行った。
二人を見送ったあとで、奏は思い出したように言う。
「少し早いがそろそろ休憩を取ったらどうだ。食品売り場で夕食でも買うといいだろう」
姉妹の様子を見る時間をくれたのだと察し、透は言われた通りに休憩を取る。
食品売り場へ移動すると、お菓子コーナーのあたりから聞き覚えのある声がした。
「いいでしょ、お姉ちゃん」
「駄目だってば。無駄遣いはできないの。これはお兄ちゃんのお金なんだから」
「だってチョコたべたいよー」
安い百円以下の板チョコを手に持った奈流が、買ってほしいと我儘を言っている場面に遭遇する。
二人とも透には気づいていないようなので、売り場の陰に隠れて様子を見守る。
「お願いだから、言うことを聞いて。お兄ちゃんが言ってたでしょ、貧乏だって」
「でも……」
奈流が唇を尖らせる。
「奈流の気持ちはわかるけど、私たちは我儘を言える立場じゃないの。お兄ちゃんから追い出されたら、もう行くところがないんだよ……?」
とても悲しげな声だった。
その分だけ姉の心情を理解できたのか、奈流は目に涙を溜めながらも持っていた板チョコを売り場に戻した。
出て行って買ってあげるべきかとも思ったが、同居を始める際にお互いになるべく干渉をしないと決めている。
どうしたらいいのかと悩んでいるうちに、二人の姿はお菓子コーナーの前から消えていた。
透はゆっくりと歩き、板チョコが置いてある前で足を止める。
「晩飯をおにぎりか菓子パンにすれば買えるか」
ミルクチョコレートを手に取り、透は姉妹へ見つからないようにレジへ向かった。
■
帰宅すると姉妹はもう寝ていた。午後十時を過ぎているのだから当然だ。
透の帰りを待つと二人が言い張っても、通う小学校の長である綾乃が許可しない。
居間の食卓の上には、綾乃が作った夕食が並んでいる。
当の綾乃は、神崎律子への支払いは無事に済んだとの報告を残して先ほど帰った。
書類上の手続きは相変わらず綾乃に任せたままなので、何か問題があれば教えてくれる。
ともあれ、これで透は完全に姉妹の保護者になったようなものだ。本当に大丈夫かと不安を覚えても、今さら後戻りはできない。
仏壇の前に行き、手を合わせる。自分はこれで本当に良かったのかと。
仏壇の横にある棚の上に父親の写真があるも、答えてはくれなかった。
「せっかくだから飯を食うか」
夕方過ぎに軽く食べただけなのでお腹が空いていた。誰かの手料理というのはとてもありがたく、惣菜とは違った満腹感を与えてくれる。
用意された分を平らげていると、階段を下りる足音が聞こえた。
里奈かと思ったら、トイレのあとに顔を見せたのは奈流だった。
「やっぱりお兄ちゃんだー」
手の甲で目を擦りながら、奈流は嬉しそうな笑みを見せる。本人の好みなのか、アニメ調の犬がデザインされた淡いピンク色のパジャマだ。
互いにあまり干渉しないとはいえ、共同生活をする上で挨拶や気遣いは必至だ。
その分だけよそよそしさもあるが、それは透と里奈に限った話で奈流にはあまりなかった。
「トイレにいきたくなってお姉ちゃんをおこそうと思ったけど、なんかおとがきこえたからお兄ちゃんがいるとおもってー」
一人ぼっちで真っ暗な家の中を歩くのは怖いが、透が帰宅した影響で一階は明かりがついている。
二階までは届かなくとも、玄関横のトイレ前の廊下には僅かとはいえ光が届く。
漏れた明かりとはいえ、少女の勇気を奮い立たせるには十分な味方となるのだろう。それに怖くなったら一階の透を呼べばいいと思ったのかもしれない。
「そうか。気をつけて戻れよ」
「うんー」
回れ右をして居間を出ようとした奈流が、急に動きを止めた。眠気が吹き飛んだとばかりに見開かれた目が食卓の一点を凝視する。
何だと思って透がそちらを確認すると、休憩時間に購入したミルクチョコレートがあった。冷蔵庫に入れようと思って忘れていたのだ。
「お兄ちゃん、チョコ食べるの?」
Uターンした奈流が、瞳に夜空も顔負けの星を輝かせる。半開きの口からは今にも涎が垂れてきそうだ。
ちょこんと透の隣に腰を下ろし、視線を真っ直ぐに黒い包み紙に覆われたミルクチョコレートに注ぐ。
透が食べるといえば、頂戴とは言わないまでも羨ましそうにして、態度でねだるのはほぼ確実だ。
「食べたいのか?」
口を開きっぱなしの奈流は、言葉を発するのも忘れてコクコクと頷く。とうとう涎がこぼれた。
拭けとティッシュを渡しながら透は考える。
たまにしか食べないチョコレートを購入したのは、奈流と里奈のやりとりを気にしたからである。
だからといって丸々渡すと奈流ばかりを依怙贔屓してると思われかねない。
そこで透はミルクチョコレートを手に持って真ん中から二つに折った。
一つを自分で持ち、もう一つを奈流に差し出す。
「明日のおやつにしろ。ただし、里奈と半分こだ」
「うんっ! お兄ちゃん、だいすき!」
受け取った奈流は今すぐにでも食べたそうにしていたが、思い直して食材もあまり入っていない冷蔵庫に入れた。
早くも気持ちは明日に飛んでいるのか、スキップでもするような足取りで居間を後にする。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ」
大好きと言ったり、満面の笑みを見せたり、子供というのは現金なものだ。
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