ただ美しく……

桐条京介

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第二部

第60話 新しい人生を

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 優綺美麗が消息不明になったニュースも徐々に報道されなくなり、騒動は下火になった。

 人気絶頂時ならともかく、最近ではテレビに出演する回数も少なくなっていた。メディアとしても報じる有難味はさほどないのだろう。
 一般の感覚であれば酷いと思うかもしれないが、数字がすべての業界では当たり前である。

「ここともお別れだね。なんだか少し寂しいな」

 社長へ山から出ると連絡し、最低必要源のものだけを車のトランクに乗せている満が作業中の手を止めた。
 同じような気持ちを抱いていた私は、彼の隣で賛同する。

「そうね。住めば都という言葉を教えてくれた場所だったわ。いっそ別荘にでもすればいいかもしれないわね。誰の所有物かは知らないけど」

 そうは言ったが、私達が立ち去ればすぐに社長がやってくる。恐らくはこの廃墟を壊すために。誰か人が滞在していたという証拠を残すわけにはいかない。どんな小さな綻びであっても、放置しておくとそこから計画がすべてバレかねないのだ。

 満も十分にわかっているからこそ、最後に目に焼き付けるようにじっと家を見つめているのだろう。

「そろそろ行きましょう」

 代わりにトランクへ荷物を詰め込んだ私に促され、満は現実へ戻って来たように頷いた。

   *

 車を運転するのは満だ。私は助手席でぼんやりと外の風景を眺める。

 人生の終わりを覚悟した際に見た夜の海は不気味だったが、生きて戻る今に見る朝の海はとても神秘的で美しい。
 風景は流れゆけども、広くて大きい海は変わらない。まるで愛みたいだ。そんな乙女チックな感想を抱いたのは、自分だけの秘密である。

「どうしたの。何か考え事?」

 黙って運転していた満が気になったらしく、話しかけてきた。

「海が綺麗だと思っていただけよ」
「そうだね」

「あら。私の方が綺麗だとは言ってくれないの?」
「もちろん、そう思ってるさ」
「フフ。あんまり狼狽えなくなってきたわね。初心だった頃の満はどこへ行ってしまったのかしら」

 からかうと、満は照れ臭そうにする。

「成長すれば人は変わるよ。僕も君もね」
「その通りだわ。私も大学時代とは大違い。幻滅した?」
「僕は君のすべてを受け止めると決めた。優綺美麗の付き人になった頃は、そりゃ、多少は唖然としたけどね」

 私も満が大スターになっていて我儘放題していたら、間違いなくポカンとしていただろう。彼の感想はとても正直だった。

 あまり嘘はつかず、ついたとしても私のためになるものばかり。いつの間にか、私は彼を心から信用するようになっていた。優綺美麗時代に、最後まで見捨てずに付き人をしてくれた印象も手伝っているかもしれない。

   *

 車を走らせることしばらく、ついに山を抜ける。命を預けようとした海が視界から遠ざかり、寂しいような嬉しいような気持ちになる。

 私の実家へ向かう前に、立ち寄らなければならない場所がある。幾度も世話になった整形外科だ。
 街中は一人の女性タレントが消息不明になったことなど忘れたように、いつも通りの光景を見せている。私が山中で過ごす前に見た時と何も変わらない。

 偉そうに振る舞ってはいたが、所詮は業界のトップといえどもその程度の存在でしかない。美しさのみを求めていたはずが、チヤホヤされて調子に乗っていたのだから救いようがなかった。

 だからといって何度も自分で認めてきた通り、後悔はしていなかった。そうした事実を理解してもなお、自ら完璧と言えるほどの美貌を手に入れた頃の記憶は光り輝いている。

 僅かな間だけでも頂点に届いた達成感があるからこそ、記憶の中の私を思い出すだけでも満足できるようになったのかもしれない。そうでなければ今も執拗に美を追い求めていただろう。

 いや、その前に命を絶っていた。
 糸原満という存在がいなければ、今この時間にいる私は存在しなかった。そう考えれば不思議だった。これも運命というのだろうか。

「僕は車で待っていた方がいいかな」
「同席しても構わないわよ」

 整形した事実は知られている。東雲杏里本来の姿も見せようとしている。そんな相手に隠す理由はない。

 一緒に来ることにした満も整形外科の中へ入り、医師の診察を受ける私を見守る。

「経過は順調みたいだな」

 ひとしきり様子を見た医師が安堵する。

「設備の整った車内とはいえ、あんなところで処置するなど前代未聞だよ。君の事情を考慮して、特別に引き受けたがね」
「ご迷惑をおかけしました」
「おや。殊勝な性格に戻っているね。ここへ初めて来た時みたいだよ」

 優綺美麗に相応しい女王様を演じていたつもりだったが、私自身も知らないうちに性格も変化していたのだろう。
 考えてみればいつからか、優綺美麗を演じるなんて意識をしなくなっていた。結局は私そのものも、優綺美麗という存在に取り込まれていたのだ。

「良い男性にも出会えたみたいでホっとしているよ。しかし、もしまた整形手術ができると言われたらどうするかね?」

「受けます」私は即答した。「私に限らず、女性というのは美しくなりたい生物ですから」

「そうだろうな。でなければ私はとっくに廃業だ」

 自分の顔にコンプレックスを抱く女性がいる限り、この病院の客足が途絶えることはないだろう。
 一夜限りの夢だったとしても見たい。少なくとも私はそう思っていた。

「これからどうするのかね」
「彼と一緒に生きていきます。優綺美麗はもう亡くなりましたから」

 本名を隠す必要もなくなった。今後は私が優綺美麗だったことを秘密にしていかなければならない。
 私にとって美しさの象徴である優綺美麗は、永遠に類稀なる容姿を写真や映像の中に残し続ける。それだけで満足だった。

 トップまで上り詰め、そこから転落したことによって憑き物が落ちたのかもしれない。だからこそ今後の人生を、優綺美麗の頃からずっと支えてくれた糸原満に捧げてもいいと思った。

 今度は私が糸原満という男性の付き人として生きていく。それが妻という形であれ、愛人という形であれ構わない。

「嘘をついてまで、私を生かした責任を取ってもらわないといけませんので」
「はっはっは。君も怖い女性を好きになったものだね」

「まったくです」医師に同意した満は頷きつつも、口元を楽しげに歪めた。「でも僕にとっては最高の女性です」

「相変わらず歯の浮くような台詞は得意ね。まんまと騙される私も私だわ」

 わざとらしく不機嫌そうに肩をすくめる。全員が冗談だと理解しているので、険悪な空気にはならない。

「何にせよ、今後は大丈夫だろう。少しでも維持したいと考えれば、またお金はかかるだろうが」
「これ以上、手を入れるつもりはありません」

 私は断言した。業界で栄光を得ただけに、ご近所の奥様方のカリスマリーダーになっても空しくなるだけだろう。

 それなら金銭的に無理をしてまで現状のレベルを保つ必要はない。優綺美麗でいられるなら話は別だが、どんなにお金を積んでも二度と戻れないのは理解している。
 優綺美麗は私にとっても美の女神になった。今後は一ファンとして、彼女の軌跡を辿ってみるのもいいかもしれない。

 色々とあったが、最終的には従来の東雲杏里よりは綺麗なままで終わった。今後崩れていくとしても、ここでよしとするのが利口な選択である。

「それがいいと思う。何かあったら電話で連絡なりしてくれるといい。近くの病院を紹介したりくらいはできるからな」
「ありがとうございます」

 丁寧にお礼を言ってから席を立つ。よほどのことがない限り、もうこの病室へ入ることはないだろう。

   *

 病院を出たのは医師の診察を受けた二時間後だった。その間何をしていたかといえば、受付の女性に髪の毛を切ってもらっていたのである。

 後で適当な美容院でやり直してもらうからと告げ、とにかく短めにしてもらった。
 ショートヘアにするだけでも、長めのヘアスタイルが多かった優綺美麗とは印象が大きく変わる。

 優綺美麗が女王様だったなら、今の貴女はお姫様ね。頼みを聞いてくれた受付の女性は、仕上がりを見ながら悪戯っぽく言った。

 綺麗系から可愛い系に変化したらしい。元の顔に戻ることは二度とないけれど、新しい自分と考えれば悪くはない容姿だった。

 これで私は完全に優綺美麗ではなくなった。東雲杏里と名乗るが、当時よりも顔はかなり変わったままなので、昔の知り合いに会っても身元がバレたりはしないはずである。そう考えれば、今の私は東雲杏里でもないのかもしれない。

 まあ、いいわ。
 軽く考えて笑う。ころころと自分の存在が変わる人生も悪くはない。

 外へ出て昼下がりの少し強めの日光を浴びながら、街中を満と二人で歩く。車は共用の駐車場へ置いてきた。

 日焼けに気を遣う必要もなくなった。サングラスだけをかけ、Tシャツにホットパンツという露出度の高い服装に変わっている。これはついさっき、病院を出てすぐに立ち寄ったお店で購入したものだった。

 誰も私が優綺美麗だとは気づかない。幾人かが通り過ぎる際に振り返ったりするが、有名人というより多少いい女がいたから見たという感じだった。

「これからどうするんだい?」

 尋ねられた私は、普通にデートがしたいと告げた。

「また映画館にでも行きましょうか。その前にファミレスで昼食をとるのもいいかもしれないわね」
「最近はレトルト食品ばっかりだったもんね。まずは食事にしようか」

   *

 適当なファミレスで一般客として食事をする。向かい合って座る満とくだらない会話をしては笑う。
 優綺美麗になってからは失われた生活を取り戻し、新鮮さすら覚えた。

 今後は逆に時折スポットライトの当たる舞台が懐かしくなっていくのだろうが、そばに満がいてくれればあまり気にしなくても済みそうだった。

 食事を終えれば映画館に行き、そのあとは二人でカラオケボックスに入る。大学生時代に戻ったように、一緒になってはしゃいだ。

 そして最後は私の希望で旅館へ入った。
 温泉にゆっくり浸かってから、夕食を堪能する。

 心も体もリフレッシュできて大満足だった。実家に戻ったあと私の真実を目にした満が姿を消しても、今日の思い出だけで生きていけるほどに。
 もう一度温泉に入って部屋へ戻ると、部屋に二組の布団が敷かれていた。最初から一部屋しか頼んでいないので当然である。

 戻って来た部屋に満はいない。布団の一つに腰を下ろし、ふうと息を吐く。
 直後に人の気配が生じた。不意をついて背後から抱きついてくる。相手が誰なのかを確認はしなかった。

「そういうのが好みなの? 本気で抵抗すればいいかしら」
「……もっと慌ててくれるかと思ったのにな」

 残念そうな声を出したのは、私と結婚したいと本気で願ってくれた満だった。

「満は意外と悪戯好きだったのね」
「杏里と一緒だからかな。ずっと我慢していた反動が出ているのかも」

 優綺美麗の付き人だった頃はしっかりと一線を引き、どのような誘いにも応じなかった。
 最初からこうなるのを予想していたわけではなく、恋仲になれなくとも最後まで私のそばにいられるだけでよかったのだと、例の山中で満は教えてくれた。

「それならもう我慢する必要はないわ。私もね」

 悪戯精神なら負けてはいない。目を光らせた私は、振り向くと同時に彼の脇腹へ指を這わせた。
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