ただ美しく……

桐条京介

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第二部

第50話 屈辱

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 これまでずっと働いてきたのだから、たまの休みも悪くはない。そう思っていられてたのは、ほんの僅かな間だけだった。

 事務所の個室に入り、苛立たしさを隠しもせずに床を蹴る。ヒールが折れようとも構わない。とにかく溜まったむしゃくしゃを解消したかった。

「今日は不機嫌そうだね。まあ、君はこれまで頑張ってくれた。少しゆっくりしてもいいんじゃないかな」

 慰めるような声。ソファの正面に座っている社長だ。事務所の責任者であるだけに、私のスケジュールがどうなっているのかも把握している。

 付き人の満から予定がないと言われて三カ月。事前に入っていた仕事のキャンセルが幾つか入り、おかげで空腹が増えた。同時に例のはげ社長との契約を切ったので、その分のCMなども含めた仕事がなくなった。

 その程度は何の問題にもならないはずだった。私は尋常ならざる人気を誇る優綺美麗であり、仕事を依頼したがる者は星の数ほどいるからだ。

 なのに仕事は入らず、今も事務所で待機中だ。明らかに変であり、何者かが私を罠にはめようとしているとしか思えない。

 強く親指の爪を噛んでいると、満が個室へノックと同時に入って来た。

「美麗さん、おはようございます。本日はテレビ局での番組収録と、雑誌の取材が入っております。よろしくお願いします」

 私が反応する前に、同席している社長や、個室の周辺に立っていたお茶くみ専用の少女から安堵した空気が漏れる。

 まさか、心配されていたの? この私が!? 私は業界で頂点に君臨する女帝なのよ!? 女神なのよ!?

 渦巻く怒りを声に乗せ、荒々しくぶつけてはソファを蹴り上げるように立つ。

「私が事務所にいると邪魔みたいね。だったら出て行ってあげるわよ」
「い、いや、違う。どうしてそうなるんだ。うちの事務所が大きくなったのは君のおかげだ。私が優綺美麗を邪魔にするなど、天地がひっくり返ってもありえない」
「そ、そうですよ。美麗さんは、この事務所のエースなんですから」

 必死のおべんちゃらが、ここまで腹立たしいとは思わなかった。私は何も言わず、ただ二人を睨みつけて部屋を出る。すぐ後に満が続き、異変を察知する。

「あら。SPの数が少ないわよ。どうなっているの?」
「……はい。今後は美麗さんの護衛は二人体制になるそうです」

「はあ!? 私はそんなこと聞いていないわよ!」
「も、申し訳ありません。すべて私の力不足です」

 土下座でもしそうな勢いで満は頭を下げ、とにかく私にテレビ局へ急ぐように懇願した。

 素直に従うなど不可能だ。ここまで舐められた真似をされて、黙っていられるわけがない。

 すぐに反転し、個室へ戻るなり社長へ詰め寄る。

「どうして私に相談もなく、警護の数を減らすのよ。
 何かあったらどうするつもり!?」
「す、すまない。しかし、最近は仕事の量も落ち着いてきてるし、その……あ、あとでまた戻すから、今は我慢してくれないか」

「お断りよ。不愉快だわ。糸原、今日の仕事はすべてキャンセルよ」
「み、美麗君っ!」

 悲鳴に近い叫びが社長の口から放たれた。
 だからといって決断を覆したりはしない。女帝らしくソファに腰を下ろし、決定を再度満に告げる。

「しかし、美麗さん。本日の仕事は大城様とご一緒ですし……」
「だから何? 私の決定に不服があるの? なら覚悟して意見しなさい。貴方を解雇するくらい容易いのよ」

「……申し訳ありませんでした。本日の仕事はすべてキャンセルと致します」
「わかればいいのよ。それで社長はまだ何か私に話でも?」

「……いや。美麗君は事務所の看板だからね。好きにしてくれればいいよ」

 仕事の処理をするために退室した満に続き、社長も力ない足取りで出て行った。
 一人になった私は部屋の外で待機していた少女に「お茶」と強い口調で注文する。

「は、はいっ! すぐに持ってきますね」

 駆け出す少女の背に向けられる幾つもの同情の視線。何とも言えない事務所内の微妙な空気。それらすべてが私をイラつかせた。

   *

 さらに二ヶ月が経過した。事務所に入るのも億劫なので、しばらくは自宅で一人過ごしていた。食料は頼めば付き人の満が用意してくれる。

 部屋にはあがろうとせず、玄関で受け渡しをして終わりだ。冗談半分で胸元を露わにして誘ってみたが、かなり前に試した時同様に真面目な顔つきで断られた。

 ――私はただ、美麗さんのそばにいられるだけで満足なんです。

 それだけ言い残して、彼は事務所へ戻っていった。以来、誘うような真似はしていない。

 そんなやりとりもいつの話だったか。どうでもいいというより、簡単に思い出せないくらい時間の感覚がなくなっていた。

 スマホが鳴る。枕元に引っ張ってきて、ベッドでうつ伏せになって応じる。

「何?」
「おはようございます、美麗さん。糸原です。本日はテレビ番組の収録となっておりますので、五分後にお迎えに参ります」
「そうだったわね。わかったわ」

 ネグリジェを脱ぎ、切ったスマホをサイドテーブルに置いて軽く化粧をする。一日に三度はシャワーを浴びているので、今から体を清める必要はない。

 高級ブランドのワンピースを身に着け、のんびりと準備をする。とっくに五分は経過しており、満はマンション前で待っているはずだった。私の許可がない限り部屋まで来るのは禁止しているためだ。

 美の女神である私は時間に追われたりしない。いつでも優雅に、そして艶やかに振る舞っていればいい。

 一時間以上を使ってから玄関へ移動し、満の用意した車を見て目を丸くする。そこにあったのはいつもの高級リムジンではなかった。

「これは……何?」
「はい。本日より、私が運転手も務めさせていただくことになりました」

 確かに国産の高級車ではあるが、優綺美麗には相応しくない。
 怒りで目がつり上がりそうになるのを堪えつつ、社長の指示なのかを確認する。

「はい。費用対効果もあり、今後はこの形にしたいと」
「ずいぶんとふざけてくれるじゃない……!」

「ですが急なキャンセルも多く、移動も頻繁ではなくなったために、運転手との契約も難しくなり解除したとのことです」
「そんな問題じゃないわ! 私にお金をかけたくないってことなの!? 許せない。すぐに事務所へ行くわよ」

「わかりました。ですがその前に収録を――」
「私に指図するつもり?」
「……申し訳ありませんでした。すぐに事務所へ向かいます」

   *

 事務所で社長とのやりとりを経て、不機嫌さをさらに増した私は足取りに感情をぶつけながらテレビ局内を歩く。

 スタジオに入るも、ADの一人が「美麗さん、入られます」と言っただけ。出迎えはない。

 この私がわざわざ出演してあげるというのに、この待遇は何なの?

 堪えようのない不満が爆発し、ADの若い男性を怒鳴りつけようとした時、スタジオで収録を待つ大城の姿が目に入った。

 最近は会っていなかったが、ビジネスパートナーである。挨拶程度はしておくべきだろう。

 気を取り直して歩を進めようとして、すぐに足を止める。大城の隣に見慣れない女が立っていたからだ。

「あれは……確か……」
「うちの事務所からデビューしたモデルの里亜砂さんです」

 そばにいた満が耳打ちをするように情報を伝えた。

「ああ、そうだったわね」

 以前に一度だけ挨拶をされたことがある。初めてテレビで見た通りの印象で、裏表がない純粋な少女だった。

 しかしこの世界に飛び込んで来た以上、野心がまったくないとは思えない。狡猾に本来の性格を隠しているのだろう。

「お久しぶりです、大城さん」

 近づいて声をかけると、大城は顔をこちらに向けた。

「やあ、美麗君。ずいぶんな重役出勤だね。
 だがおかげでようやく収録が始められる」

 表情一つ変えずに言うと、大城は私に背を向けた。再び隣の里亜砂を見つめ、そして親しげな笑顔を作る。

「……不愉快だわ。糸原、帰るわよ」

 私の声を聞いても誰も止めには来ず、ザワついたりもしない。ため息だけが場を支配する。
 そんな中で耳障りな女の声が聞こえる。

「もしかして、私が何か失礼なことをしたのでしょうか」
「君は何も気にしなくていい。彼女は放っておくしかない。本来の冷静さを取り戻すまでね」

 のたうち回りたいほどの屈辱を、頭からぶちまけられた。一分一秒たりともこの場にいたくなくなり、足早にスタジオを出る。

「では、事前の説明通り、美麗さん抜きで収録を始めます」

 そんなプロデューサーの声が聞こえてきても、私は一切後ろを振り返らなかった。

   *

 若々しい色気と可愛らしさで、里亜砂は瞬く間に人気者となった。知名度の高まりを受けて、事務所も本格的に彼女の売り出しに力を入れる。

 業界人からの受けも良く、私が縁を切った大城の新たなビジネスパートナーにもなったみたいだった。

「美麗さん、本日の予定ですが――」
「全部キャンセルよ」
「……わかりました」

 丁寧に頭を下げて、事務所の個室から付き人の満は出ていく。残ったのは私と社長、それにお茶汲みの少女の三人だ。

「なあ、美麗君」社長が口を開いた。「糸原君が懸命に取ってきた仕事の何が気に入らないんだい?」
「すべてよ。私が受けるべき仕事ではないもの」

 満が持ってきたのはグルメレポーターや学園祭など、女神である優綺美麗には相応しくない依頼ばかりだった。

 少しでも気に入らない仕事を、無理にする必要はない。今までだってしてこなかったのだから。

「美麗君の気持ちはわかるが、少し考えてくれないか。君くらいの実績があれば、将来的には事務所の幹部にもなれたはずなんだ」
「それはどういう意味かしら?」

「正直に言おう。君の人気は低下している。
 絶頂時と同様の態度では、これまでのような仕事を得るのは無理だ。独断で切ったクライアントも良い話をしないだろうしね」
「だから新人に力を入れてるのね。好きにするといいわ」
「……事務所としては、新たな稼ぎ頭の育成は急務だ。理解してくれ」

 社長が席を立つと、普段は美味しい紅茶を入れてくれる少女も所在なさげに個室を後にした。最近では、里亜砂と仲が良いようだ。

 若さでは敵わないが、里亜砂にはない色気が私にはある。簡単に負けるとは思えなかった。

 確かに媚びれば仕事は増えるだろう。けれど折れた女帝に、いつまでも興味を示す者はいない。夜の誘いが多くなり、やがては自らが追いやった北川希と同じ運命を辿るはめになる。

 ――そんなの絶対に嫌よ!

 心の中で強く叫ぶ。
 私は挫折と屈辱にまみれながらも、努力を重ねて美貌と立場を手に入れた。生まれた時から良質な顔を持っている女に、どうして奪われなければならないのか。

 今さら頭を下げて回っても私の魅力は薄れる。何一つ変えずに崩れかけた足元を直してこそ賞賛される。そのために必要なのは、やはり圧倒的な美しさだ。

 年齢を重ねた影響でかつてほどではなくなりつつあるが、まだ他の追随を許さない自信はある。それにまた大きく整形手術をしてもいい。

「私は優綺美麗なのよ。美しさでは、絶対に誰にも負けない……!」

 付き人の満にも告げずに事務所を出る。
 呼んだタクシーで私が向かったのは、自宅ではなくお世話になっている整形外科だった。
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