ただ美しく……

桐条京介

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第37話 美貌が冷笑するのは憎む女か過去の自分か

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「アンタ、ここまで言われて、恥ずかしくないの!」

 私に何も言い返せないと判断した女は、彼氏である掛井広大へ怒りの矛先を向けた。けれども、彼女が望むような回答は得られなかった。それもそのはず、最初から私は事実を脚色したりしていない。これまでの出来事の要点をまとめて、相手女性へ教えてあげただけにすぎないのだ。

 下手に言い繕おうとすれば、今度は私による厳しい指摘を受けるはめになる。上手く言い逃れできるかどうかは、掛井広大自身が一番良くわかっているはずだった。

 さらに言い訳がましい発言が原因となって、完全な別れを私に告げられるかもしれない。まだ交際まで発展していなくとも、可能性はおおいにあるのだから、掛井広大にすればそれだけは絶対に避けたいに決まっている。

 そうした心理を利用して、私は着実に憎むべき女を追いつめる。味方は誰も居ないと悟り、やがて相手は諦めの空気を店内へ充満させる。

 ――とばかり思っていたのだけれど、女の反応は違った。むしろ敵意をより露にし、掛井広大へ感情を込めた言葉を送り続ける。

 これはさすがに意外だった。それなりの交際期間を経てきたのだから、相手への情が増しているのは当然の成り行きだ。けれど東雲杏里が知っている彼女の性格から考えれば、すんなりと別れを認める可能性もそれなりに高かった。

 にもかかわらず、話は相当にこじれてきている。理由を推測すれば、比較的簡単に納得する解答を見つけられた。女は他の人間に、自分の男を奪われるのが嫌なのだ。プライドが高いがゆえに、別れの原因にもこだわる。掛井広大の相手が私でなくとも、きっと彼女は全力で口撃していたに違いない。これまた、こちらの目的を達成するには有利な展開だった。

 掛井広大は、どうしようもないくらい私――優綺美麗の虜になっている。それだけは絶対に近い自信があった。前方で座ってる女が、いかに策を講じようと徒労に終わる。

「頼む。俺と……別れてくれ」

 搾り出すように、掛井広大が現在の恋人へ告げた。宣告したというよりかは、頼み込むという表現が当てはまる。確実に私との交際を望んでいる証拠でもあった。

 それがわかるからこそ、女は素直に頷けないのだ。怒りと屈辱で下唇を噛み締めながら、今にも泣きそうになるのを懸命に堪えている。あともうひと押しといったところだけど、相手は私よりも恋愛経験が豊富な女性。迂闊に単調な攻めを行えば、返り討ちを食らう危険性もある。

 いくらスナック勤務で会話能力と対人観察力を磨いてきたとはいえ、恋愛経験数が絶対的に不足してるのは否めない。これまでは美貌でカバーできていたけれど、相手がこと同性となると掛井広大みたいに簡単ではなくなる。

 そこでこちらの余裕を見せつけると同時に、上手くいけば相手のプライドを粉々にできる計略を実行へ移すことに決める。

「ずいぶんと揉めているみたいね。それなら、私は席を外すから、あとはゆっくりと2人で話し合えばいいわ。場所を変えるなり、好きにしてね。まあ、結果は変わらないでしょうけれど」

 それだけ言い残すと、私は2人に背を向けてゆっくりとカフェを出ようとする。背中で感じる視線には、尋常じゃないくらいの殺気が込められている。

 ますます女は私に対して敵意を募らせ、何が何でも彼氏を渡したくなくなっているはずだ。しかし、このままでは掛井広大が自分の側を離れるのは避けられない。それぐらいは、向こうも痛いほどわかっている。

 だからこそ余裕をなくし、短絡的な手法に出る確率が高くなる。その上で掛井広大がどのような決断を下すのか、楽しみでもあった。私の目論見どおりの展開になれば、こちらの勝利は揺るがなくなる。けれどもし予想が覆る結果になったとしたら、戦局は五分に引き戻される。

 いや、もしかしたら私の方が分が悪くなるかもしれない。しかしそうなったらなったで、また新たな手法を用いて掛井広大を篭絡するだけだった。まずは明日の結果を待つことにしましょう。梶原勝を店に残したまま外へ出た私は、タイミングよく通りかかったタクシーを止めて、ひとりでさっさと宿泊しているホテルへ戻る。

   *

 翌日になって、私は掛井広大に呼び出された。待ち合わせ場所は、先日の舞台にもなった例のカフェだ。恐らくはなんらかの結論を出したのだろう。

 今度は梶原勝を伴わずにひとりで向かう。タクシーを降りて入店するなり、昨日とは違う空気を覚えた。軽く手を上げた掛井広大の隣には、勝ち誇った顔で座っているひとりの女がいる。横目で姿を確認した私に、早くこちらへ来なさいよと催促しているみたいだった。

 なるほど。心の中で私は頷いた。掛井広大と隣に座っている女の間に、何があったのかはすでに想像できている。正解かどうかは不明だけれど、多分、間違ってはいないはずだ。2人が待っている席まで普段どおりの余裕ある態度で歩いた私は、相手が何かを言うより先に口を開いた。

「私のあげたチャンスを活かせたようで、なによりだわ。よかったわね、身体で恋人を繋ぎとめられて。心から祝福するわ」

 嫌味でも皮肉でもない。単純に思ったままを言葉にした。それだけで女は絶句し、掛井広大は顔を蒼ざめさせる。

 こちらの先制口撃は、想定以上の破壊力を発揮してくれた。何故、知ってるのという顔をする女を尻目に、私は次に硬直している男へ声をかける。

「身体でしか男を引き止められない、安っぽい女性が貴方にはお似合いよ、僕ちゃん。これからは、自分の身の丈にあった恋愛をしなさい」

 座っている相手に対して、私は立ったままだった。言葉どおりの上から目線で、辛辣な言葉を掛井広大へぶつける。本来ならただの負け惜しみととられてもおかしくないのに、掛井広大はまるで雨の中に捨てられた子犬みたいに全身を震えさせる。

 先に我に返ったのは、徹底して私を敵と認識する女性の方だった。睨むように目を細めたあとで「ふざけないで」と吐き捨てる。

「アンタが何て言おうと、掛井が選んだのはこの私なの! 負け犬はさっさと帰りなさいよ!」

 絶対的な勝利を見せびらかすつもりが、気づけば旗色が悪くなっている。場を包む空気の変化を敏感に察知した女は、慌てて私を店から出そうと試みる。

 肉体をフルに使って別れを撤回させたまでは、相手女性の予定通りだったはずだ。実際に私はそうなるのを期待して、2人きりで話し合う時間をプレゼントした。それが昨日の話だ。こちらに吠え面をかかせてやるとばかりに頑張ったのだろう。あれだけ私にメロメロだった掛井広大の心を、一時的にとはいえ取り戻すのに成功した。

 その瞬間に、女性が内心でガッツポーズをしたのは想像に難くなかった。けれど現実はそう甘くない。東雲杏里が痛感させられたみたいに、掛井広大の隣に座っている女も思い知らされる結果になる。

「ええ、そうさせていただくわ。もう二度と会うこともないでしょうけれど、貴方に相応しいそこの女性と幸せにね」

 未練など何もない。背中で語りながら、私は店の出入口へ向けて歩を進めようとする。最初から掛井広大に好意など抱いていないので、実際に名残惜しさみたいな感情は砂粒ほどもなかった。

 私が仕掛けた最後の勝負。果たして結果はどうなるのか。ひとりドキドキしていると、次の瞬間、遠ざかろうとする背中が「待ってくれ!」と誰かの声に引き止められる。振り向くまでもなく、声の主はわかっている。私との別離を決めたはずの掛井広大だった。何度となく似たような展開を繰り返してきただけに、相手男性がこのタイミングで行動を起こすのはわかっていた。

 計算どおりの事態に心の中でほくそ笑みながら、仕方ないわねとばかりに足を止めて、掛井広大たちが座っているテーブルへ身体を向ける。思いつめたような真剣な顔つきの掛井広大を、隣に座っている女が愕然と見つめている。どうして引き止めたの? その顔は明らかにそう言っていた。

 愚かね。やはり心の声で、私は女を罵倒する。その程度もわからないから、いいようにあしらわれるのよ。かつての東雲杏里という女の子みたいにね。

「言いたいことがあるのなら、早くしてもらえるかしら。いつまでも貴方の相手をしているほど、私も暇ではないの」

 常に偉そうな態度で接する私に敵意を剥き出しにする女の横で、すっかり威圧されるのに慣れてしまった男は訓練された飼い犬みたいにおとなしい。最初は横にいる女性を気にしていたけれど、私に急かされて、ついに禁断の言葉を口にする。

「ま、待ってほしい。やっぱり、俺……美麗さんじゃないと駄目なんだ」

 掛井広大の懇願を聞きながら私が眺めていたのは、ゴール目前で転倒して逆転されたマラソンランナーみたいになっている女の顔だった。

 勝利を確信していた顔が一変し、瞬く間に血の気が失せていた。女の動揺しきった瞳が、どうしてこうなったと叫んでるみたいだった。すがるような目を向けてみるけれど、当の掛井広大はもう自分を見てくれない。絶望が彼女の瞳の輝きを失わせる。

「意味がわからないわ」

 私は視線を掛井広大へ戻すと、鼻で笑いながらそう告げた。ほんのわずかでも、相手へ同情するような態度は禁物だった。掛井広大を調子に乗らせても、こちらにメリットはない。損をするばかりだ。ゆえに徹底して、相手を潰しにかかる。

「貴方は恋人を選んだのでしょう? あとは私に遠慮しないで、仲良くやってくれればいいわ」

 こちらの発言を受けて、渡りに船とばかりに、女が恋人である掛井広大へ猛プッシュを開始する。

「そうよ。こんな生意気なだけの女なんて、放っておけばいいじゃない。昨夜の約束を忘れたの!?」

 案の定、女は昨夜に肉体を使って、掛井広大に別れを思いとどまらせていた。カフェに来てからのやりとりで大体はわかっていたけれど、これで確実になった。早く正気を取り戻してとばかりに、彼氏の肩を両手で揺さぶる。けれど掛井広大は、力なく首をカクカクさせるだけだった。

 私が少しでも未練を見せれば、そのまま恋人のもとへ戻っていた可能性もおおいにある。自らの優位性を取り戻し、気分良くこちらとの関係を終わらせられる。しかしまったく興味なさげに、私は掛井広大とのやりとりを終焉させると宣言した。これまで培ってきたものすべてが徒労に終わると実感し、慌てて待ったをかけた。

 恋人への未練はもちろんあるだろうけれど、それ以上に私への執着が勝ったのだ。これで、こちらの完全勝利の道が見えた。逃げる女ほど追いたくなる。それが男というものなのだと、スナック勤務の経験から学んだ。お金のためにと嫌々働いていたのが、よもやここまで役立つとは、まさに予想外だった。

「そうよ。放っておきなさい。でなければ、彼女がかわいそうだわ。美貌で勝てないから、懸命に身体まで使ったのよ。それなのに、手も繋がせていない私に負けるなんて、プライドが傷つくどころの話ではないわ」

 女は何も言えない。ただ悔しそうに唇を噛んでいる。あくる日の東雲杏里の姿を、特等席で見せられているような気分だった。

 あの時の東雲杏里は、もっと辛い思いをしたわ。この世は因果関係で成り立っている。加害者である貴方は、報いを受けなければならないの。

 どんなに大音量で叫んでも、心の声は決して相手に届いたりしない。表面上はこれまでと変わらない私を演じつつ、何かを決意した掛井広大を見下ろす。

「せっかく勝利を確信して、意気揚々と私をカフェへ呼びつけたのに、改めて敗北して別れを告げられる彼女の気分になってみなさい。他にもお客さんがいる店内で、こんな惨めな目にあわされたら、とてもじゃないけれど立ち直れなくなるわよ」

 女性のフォローをしているようにも聞こえるけれど、実際は逆に追いつめているだけだった。ここで掛井広大に振られるのが、いかに惨めなのかを強調しているだけにすぎないのだから。

 しかもわざわざ、カフェで軽食などをとっている周りのお客さんにも聞こえるように話している。必然的に注目度は上昇し、何事かと私たちがいるテーブルへ視線が集まってくる。ここで私の言葉どおりの展開になったとしたら、かく恥の量は膨大になる。それこそ、プライドなど粉々に破壊される。

 一生懸命情に訴えたいところだろうけれど、ここまで人目が集まると過剰な手法に出るのは難しい。痛々しい女と周囲に思われるからだ。それでも彼氏を奪われるよりはと考えたのか、女性が最後の勝負に出る。

「お願いだから、私を選んで。そうすれば、何でもしてあげる。どんなことでもよ。こんなに良い条件はないでしょう?」

 確かに好条件なのは間違いない。けれど彼女は決定的な勘違いをしている。掛井広大が欲しいのは、そのような特典ではないのだ。これまで男性に追いかけてもらってばかりで、自分で追いかけた経験が欠落してるのだろう。だからこそ、このような愚かな状況を招いてしまった。

「そうしなさい。長年交際してきた恋人でしょう。人前で恥をかかせては駄目よ。貴方の評判も悪くなるわ」

 もう勝敗は決している。けれど、あえて私はここで駄目押しをした。決断を迫られた男性――掛井広大は肩を震わせながら、最後の選択をする。

「ごめん。やっぱり……俺と別れてほしい」

 店内の他のお客さんも注目している状況下で、死刑宣告にも等しい台詞を掛井広大が恋人の女性へ差し出した。

 すんなり「わかりました」と受け取れるはずもなく、女は膝上に置いた手を強く握ったまま瞳を潤ませる。悪気なく人の彼氏を奪えても、自分の恋人になれば話は別なのだろう。憎しみに満ちた相手女性の視線が、私を真っ直ぐに捉えた。

「アンタは一体何なのよ! 人道に反する真似をして、恥ずかしいとは思わないの!?」

 人道――。女の口から飛び出てきた単語に、私は思わず吹き出しそうになる。因果応報だというのに、彼女はあくまでも自分に責任がないと言い放ってきた。

 もしかしたら、東雲杏里という女性から恋人を奪った事実さえ、忘れているのかもしれない。所詮この女にとって、その程度の存在でしかなかったのだ。それなのに大事な友達ができたと浮かれ、何でも相談していた憐れな女性の姿を思い浮かべ、危うく私も涙を流しそうになる。

「八つ当たりは止めてもらえないかしら。私は彼に、貴女とヨリを戻すように言ってあげたのよ? それでも振られたのだから、人を恨む前に自分の魅力のなさを嘆きなさい」

 一刀両断にも等しいこちらの物言いに、女が絶句する。カフェの店内から非難の声は出ない。それどころか、私をじーっと見つめてくる男性客が何人もいた。自分でも認識しているとおり、やはり優綺美麗の容姿は超がつくぐらいに端麗なのだ。ますます自信を深めている間に、掛井広大は何度も恋人の女性へ謝罪していた。

「そんなに未練があるのなら、別れなければいいでしょう。私はそれで構わないと言っているのよ?」

 別に無理して、恋人と別れてもらう必要はない。改めてそう告げてあげても、掛井広大の意思は変わらないみたいだった。

 一連の展開を目撃していた店内のお客さんのひとりが「壮絶な修羅場だな」と呟いた。

 誰かが話し始めると、あっという間にあちこちのテーブルで私たちの状況が話題になる。中には、はっきりと別れを告げられた女を「惨めだ」と評する言葉もあった。まさに針のむしろだ。私を悪者にできず、振られるという被害を受けた女性が笑い者も同然になっている。

 実際には誰も笑っていないのだけれど、弱りきった心が嘲笑を浴びていると当人に錯覚させるのだ。他ならぬ私にも経験があるので、相手女性の心境は痛いくらいによく理解できた。

「……駄目なんだ。俺……どうしても美麗さんがいいんだよ!」

 ここで決定的な発言が、掛井広大の口から発せられた。別に私が強要したわけじゃない。彼が勝手に言い出した。

 衝撃的な台詞は恋人女性の心を深く傷つけ、まるでピエロのような印象を抱かせる。最終手段である肉体をフルに使ってまで引きとめようとしたのに、結果は見事なまでの敗北に終わった。

 彼女が徹底して掛井広大との交際継続にこだわったのは、彼を心の底から愛しているからではない。私という女に負けるのが、同性として気に食わなかっただけだ。なまじ容姿が整っているだけにプライドも高く、いつでも勝者でありたいと願う。ゆえに他者を貶めて敗者にしても、当人は何とも思ってないどころか、快感さえ覚える。

 同じことを私がしたとして、一体誰が責められるだろう。むしろ、応援してくれる人間の方が多いのではないか。天罰とまで言うつもりはないけれど、相手女性は少なからず精神的ダメージを被らなければならない行いをしてきた。それだけは確かだった。

「困ったわね。私としては、奪うつもりなんてないのだけれど……彼女のもとへ帰ってあげなさいよ」

 改めて復縁を促してみるけれど、掛井広大は頑として首を縦に振らなかった。どうしても恋人と別れ、私と交際したいと考えているみたいだった。それでもなお、復縁するつもりはないのか尋ねてみる。すると掛井広大より先に、恋人である女が口を開いた。

「もう、いいわよ! もう……やめてよ……。わかったから……もう……わかったから……う、うう……」

 気丈な面しか見たことのない女性が泣いている。悲しみに支配された感情を制御しきれず、小刻みに肩を震わせる。

 そこにいたのは、いつかの東雲杏里だった。トラウマを払拭できて、新たな人生を歩めるようになるはずなのに、何故か私の胸にはズキズキとした痛みが走っていた。
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