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第1話 一目惚れ
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一世一代――。
私こと東雲杏里が、その言葉を人生で初めて強く意識したのは高校生になってからだった。
食べるのが大好きで、小学校、中学校と、明らかに同年代の女子よりも食べてきた。そのかいあってと言うべきかどうかはわからないが、私の体重はこれまた他の女子よりも多かった。
一般の若い乙女のように誰々が好みといった話にはとんと興味が湧かず、色恋沙汰とは無縁の日々を送ってきた。
そんな価値観が一変されたのが、他ならぬ今日だった。
田舎と言っても過言ではない県内で、中レベル程度の高等学校に通っている。入学して二年が経過し、今は最上級生になっていた。
親しい友人の数は極端に少なく、クラスでも目立つタイプではなかった。人気者のグループに目をつけられないように、ひっそりとした高校生活を送ってきた。
今時の女子校生では普通になりかけている艶っぽい話はひとつもなく、これまでの人生を文字で表すのなら、地味という言葉に集約される。
「あの人……誰?」
私はクラスで一番仲の良い友人に尋ねた。返ってきたのは「わからない」のひと言だけだった。
類は友を呼ぶと言うべきか、学校で私と親しくしてくれているのは、地味という同じカテゴリーへ分類される女性だった。あまり交友関係が広くもないので、同学年でありながら見た覚えのない学生も結構な数がいた。
私が所属するクラスへ来たばかりの男子生徒もそうなのだろうか。けれど、ひと目で胸がキュンとなるぐらいなのだから、出会っていたら記憶に残っていてもおかしくない。
妙に気になった私は、密かに該当の男性を目で追った。すると名前も知らない男子は、クラスでも可愛いと評判の女子へ会いに来たみたいだった。
CDらしき物を手渡しながら、仲良さげに会話を交わしている。美男美女が織り成す絵に描いたような学校での幸せな日常の光景。普段は何も感じないのに、この日ばかりは何故か胸が痛くなった。
もしかして、これがひと目惚れというやつなのだろうか。人生で初めて味わう特殊なドキドキに、戸惑いを覚える。
一瞬にして私の視線を奪った男子は、笑顔のままで目当ての女性に手を振りながら教室を去って行こうとしていた。
思わず「待って」と叫びそうになった自分自身に驚く。自ら日陰者と言わんばかりに、ひっそりと生きてきた私が、半ば無意識に表舞台へ躍り出ようとしたのだ。
慌てて己を戒めて、男性へ届けようとした声を飲み込む。いきなり話しかけたところで、こちらは見知らぬ人間。加えて、冷静さを取り戻している現在では、体内にあるすべての勇気を振り絞ったところで、呼び止めるだけの度胸に変換するのは難しかった。
去り行く男子生徒の背中を見送ったあとで、親友とも呼べる女性に再び「誰だったんだろうね」と声をかける。机を合わせて、正面に座っている友人が何事か言葉を返してくれたが、私の耳にはほとんど入ってきていなかった。
*
待ちわびた昼食時間。
目の前には大好きなお母さんが作ってくれた、私の大好物ばかりが盛り付けられているお弁当がある。
親友のお弁当箱と比べると少しばかり――いいえ、贔屓目に見てもかなり大きいけれど、私は残さずに平らげるつもりでいた。心ない男子生徒たちに色々と野次られたりするけれど、気にせずに毎日そうしていた。
小学校の頃から、同様の悪口と言ってもいい言葉を何度もぶつけられてきたので、いい加減に慣れっこだった。最近では右から左に聞き流しつつも、内心で何の捻りもないわねと冷笑してやるレベルにまで到達していた。
それぐらい食事が好きなのに、私は結局ほとんど箸をつけなかった。
――いや。正確にはつけられなかったのだ。
口を開けばため息が漏れてきて、食欲など微塵もない。目の前にいる友人の心配げな表情も目に入らなかった。
かけている丸眼鏡が曇るのではないかと心配になるほど、ため息の回数が増える。ふと我に返った時には昼休みは終了しており、午後の授業が始まっていた。
いつ後片付けをしたのかまったく覚えてないが、私は昼食用に動かしていた机を元に戻して、普通に授業を受けていた。
一体私は何をしていたのだろう。本気で悩むほどに、記憶がなかった。どうやって元の世界へ戻ってきたのか状況確認をしてみる。
だけど思考がまとまる前に、教室のあちこちからクスクスという笑いが起こった。どうやら、授業を担当中の教師から注意を受けたみたいだった。
「大学受験も近いのに、ボーっとしてるんじゃない。失敗したいのか!」
現在の授業は数学で、担当してるのは三十代半ばぐらいで、露骨なえこひいきをするので有名な先生だ。
クラスで一番の可愛い女の子は贔屓されまくりなのだが、顔もスタイルも並以下の私が何かで優遇してもらった経験は一度もない。だからといって、恨んだりもしていなかった。
美人が優しくされても当たり前のように扱われるが、私の場合は違う。贔屓なんてされた日には陰口どころか、正面きって文句を言われるのは明らかだった。
授業に身が入ってなかった罰として、黒板の前に出て問題を解くように言われる。拒否しても得はないので、私は素直に従う。
席を立って黒板と向かい合うが、チョークで書かれているのは決して成績優秀ではない私の頭脳には難問すぎた。解けずにひとり、チョーク片手に立ち尽くす。当然のごとくザワめきが発生し、やがて野次に変わる。
どれだけ辛辣になってきても、男性教師に止めるつもりはないみたいだった。エスパーでなくとも、雰囲気で私の背後に立ってニヤニヤしてるのがわかる。まさに四面楚歌。窮地に陥っている私を助けてくれるヒーローは、どれだけ待ってもやってこない。
*
「ぼんやりしてるから、この程度の問題ができないんだ!」
間近で怒鳴られ、ビクンと身が竦む。他の生徒ならいざ知らず、私にはか弱い女生徒という認識を持っていない。相手の態度を見てれば、いちいち説明されるまでもなかった。
「もういい! 自分の席へ戻れ!」
これ以上、問題を解かせようとしても時間の無駄だと判断したのだろう。とぼとぼと黒板に背を向けて戻る私に、思いやりの欠片もない言葉が浴びせられる。
それでも注意しようとしない男性教師を、本当に心のある人間なのかと疑いたくなる。再び自分の席へ戻った私へ、同情の視線を送ってくれたのは、お昼を一緒にした親友の女性だけだった。
やがて授業が終了すると、すぐに親友が駆け寄ってきてくれた。
「お昼から、心ここにあらずだったもんね。心配してたんだよ」
「ごめんね、和美」
轟 和美――それが私の唯一無二の親友の名前だった。
小学校から一緒で、二人とも同じような体型をしている。やはり眼鏡をかけていて、私の丸型に対して和美は黒縁だ。
ショートカットの私とは対照的に、髪の毛を伸ばしておさげにしている。人のことはとても言えないが、お世辞にも整っている顔立ちではなかった。
私に隠したりしてなければ、恋人がいた経験はないはずである。二人とも部活には所属しておらず、予定の授業がすべて終了すれば、そそくさと揃って帰宅する。
「何かあったの」
「うん……」
親友に問いかけに、どちらともとれる言葉を返す。それ以外の回答は持っていなかった。お互いに恋愛というものから、かなり遠ざかった位置にいるので、正直に相談しても具体的な解決方法が得られる可能性は低い。どうするべきか悩んでいると、どこからともなく声が飛んできた。
「おデブ姉妹が、今日のおやつの相談か」
声の主は同じクラスの男子生徒のひとりだった。
もちろん私と和美は血が繋がっていない。単純に体型が似てるからという理由だけで、つけられたあだ名だ。
お調子者の男子の発言に、例のクラスで一番の美人が「ヤだー」とクスクス笑う。止めなよと言ったりもするが、建前だけでそんな意思が砂粒ほどもないのは誰の目にも明らかだった。
今では特に気にしなくなっているが、呼ばれだした当初は、二人で一緒に帰りながら泣いたのをはっきり覚えている。
言っている人間には、ひょっとしたら悪意がないのかもしれない。けれど言われている方は、決して悪気のない冗談に受け取れなかった。
現に私の心の奥深くには、現在でも治りきってない傷跡が残っている。トラウマになってもおかしくなく、下手をすれば登校拒否に陥るレベルだった。
けれど人の心に傷をつけたクラスメートたちは、学校にこなくなった人間を、今度は心が弱いと笑うのだ。
可愛い女性は性格が悪くても、顔が良いというだけで許されるケースが存在する。すべてではないが、少なくもなかった。理不尽さを覚えたところで、世の中は何も変わらない。私ひとりが不満を訴えても、本気で聞いてくれる人間など誰もいない。
世界に存在する流れに逆らっても疲弊するだけなので、いつしか無駄な抵抗は試みなくなった。クラスのアイドル的存在の美少女も、一般的に言うなら、勝ち組を構成する一員だった。羨むほどこちらが惨めになる。
幼い頃にからくりに気づいた私は、意識してやっかみの感情を排除した。どちらかと言えば、和美の方が私よりも繊細だ。
結局、短い休み時間では相談しきれず、具体的な話は何もできなかった。本日最後の授業も終了し、私と和美はいつものように一緒に帰宅の途についた。
「もしかして……昼休みにクラスへ来た男子のこと?」
さすがは親友と言うべきか、それとも私の反応がわかりやすすぎたのか。和美はこちらの心配の種を、実にあっさり見破った。
核心を突かれておきながら、嘘をついてもどうにもならない。私は素直に白状する。
「うん……どうしても、気になっちゃって……」
帰り道での会話といえば、どこどこのお店のケーキが美味しいとか、そんなのばかりだった。なのでこうした話題は、初めてと言っていいぐらいの珍しいケースになる。
戸惑ったりせずに、隣を歩いている親友が頷いた。自分の予想に自信があったらしく、やっぱりなという感じのリアクションだ。
「杏里ちゃんの様子が変になったのって、お昼休みからだもんね」
上の空で授業を受けていたりすれば、誰の目にも私の異変は明らかなはずだった。
もっとも、クラスメートの大多数は私なんかに興味などないので、こうして心配してくれるのは親友の轟和美ぐらいである。
「ひと目見た瞬間に、なんだかキュンとなっちゃって……」
正直な胸の内を告白した途端、親友は頬を紅潮させて「きゃー」と興奮気味に短く声を上げた。
「杏里ちゃん、乙女だねー」
からかってるようにもとれる台詞内容だが、そんなつもりがないのは相手の顔を見ればすぐにわかる。
「和美は、こういう経験……ないかな」
先ほどまでの浮かれたような姿はどこへやら。シュンと沈んだ顔の親友が「ごめんね」と謝ってきた。それだけで、経験はないと言ってるようなものだった。
こちらも半ば予想できていただけに、ガックリと肩を落としたりはしなかった。
「そうだよね……。私たち、彼氏なんて作ったことないもんね」
「うん……」
私の言葉に、元気なく和美が同意する。
なにも好きこのんで、彼氏いない歴を更新し続けているわけではない。待ってるだけで勝手に男たちが寄ってくるクラスで一番の美人とは違い、恋愛をするためにはこちらから仕掛ける必要がある。
ならば攻め込めばいいと考えがちだが、事はそう簡単に運ばない。私や和美みたいなタイプが、ターゲットへ向かって行っても、全速力で逃げられるのがオチだ。
私こと東雲杏里が、その言葉を人生で初めて強く意識したのは高校生になってからだった。
食べるのが大好きで、小学校、中学校と、明らかに同年代の女子よりも食べてきた。そのかいあってと言うべきかどうかはわからないが、私の体重はこれまた他の女子よりも多かった。
一般の若い乙女のように誰々が好みといった話にはとんと興味が湧かず、色恋沙汰とは無縁の日々を送ってきた。
そんな価値観が一変されたのが、他ならぬ今日だった。
田舎と言っても過言ではない県内で、中レベル程度の高等学校に通っている。入学して二年が経過し、今は最上級生になっていた。
親しい友人の数は極端に少なく、クラスでも目立つタイプではなかった。人気者のグループに目をつけられないように、ひっそりとした高校生活を送ってきた。
今時の女子校生では普通になりかけている艶っぽい話はひとつもなく、これまでの人生を文字で表すのなら、地味という言葉に集約される。
「あの人……誰?」
私はクラスで一番仲の良い友人に尋ねた。返ってきたのは「わからない」のひと言だけだった。
類は友を呼ぶと言うべきか、学校で私と親しくしてくれているのは、地味という同じカテゴリーへ分類される女性だった。あまり交友関係が広くもないので、同学年でありながら見た覚えのない学生も結構な数がいた。
私が所属するクラスへ来たばかりの男子生徒もそうなのだろうか。けれど、ひと目で胸がキュンとなるぐらいなのだから、出会っていたら記憶に残っていてもおかしくない。
妙に気になった私は、密かに該当の男性を目で追った。すると名前も知らない男子は、クラスでも可愛いと評判の女子へ会いに来たみたいだった。
CDらしき物を手渡しながら、仲良さげに会話を交わしている。美男美女が織り成す絵に描いたような学校での幸せな日常の光景。普段は何も感じないのに、この日ばかりは何故か胸が痛くなった。
もしかして、これがひと目惚れというやつなのだろうか。人生で初めて味わう特殊なドキドキに、戸惑いを覚える。
一瞬にして私の視線を奪った男子は、笑顔のままで目当ての女性に手を振りながら教室を去って行こうとしていた。
思わず「待って」と叫びそうになった自分自身に驚く。自ら日陰者と言わんばかりに、ひっそりと生きてきた私が、半ば無意識に表舞台へ躍り出ようとしたのだ。
慌てて己を戒めて、男性へ届けようとした声を飲み込む。いきなり話しかけたところで、こちらは見知らぬ人間。加えて、冷静さを取り戻している現在では、体内にあるすべての勇気を振り絞ったところで、呼び止めるだけの度胸に変換するのは難しかった。
去り行く男子生徒の背中を見送ったあとで、親友とも呼べる女性に再び「誰だったんだろうね」と声をかける。机を合わせて、正面に座っている友人が何事か言葉を返してくれたが、私の耳にはほとんど入ってきていなかった。
*
待ちわびた昼食時間。
目の前には大好きなお母さんが作ってくれた、私の大好物ばかりが盛り付けられているお弁当がある。
親友のお弁当箱と比べると少しばかり――いいえ、贔屓目に見てもかなり大きいけれど、私は残さずに平らげるつもりでいた。心ない男子生徒たちに色々と野次られたりするけれど、気にせずに毎日そうしていた。
小学校の頃から、同様の悪口と言ってもいい言葉を何度もぶつけられてきたので、いい加減に慣れっこだった。最近では右から左に聞き流しつつも、内心で何の捻りもないわねと冷笑してやるレベルにまで到達していた。
それぐらい食事が好きなのに、私は結局ほとんど箸をつけなかった。
――いや。正確にはつけられなかったのだ。
口を開けばため息が漏れてきて、食欲など微塵もない。目の前にいる友人の心配げな表情も目に入らなかった。
かけている丸眼鏡が曇るのではないかと心配になるほど、ため息の回数が増える。ふと我に返った時には昼休みは終了しており、午後の授業が始まっていた。
いつ後片付けをしたのかまったく覚えてないが、私は昼食用に動かしていた机を元に戻して、普通に授業を受けていた。
一体私は何をしていたのだろう。本気で悩むほどに、記憶がなかった。どうやって元の世界へ戻ってきたのか状況確認をしてみる。
だけど思考がまとまる前に、教室のあちこちからクスクスという笑いが起こった。どうやら、授業を担当中の教師から注意を受けたみたいだった。
「大学受験も近いのに、ボーっとしてるんじゃない。失敗したいのか!」
現在の授業は数学で、担当してるのは三十代半ばぐらいで、露骨なえこひいきをするので有名な先生だ。
クラスで一番の可愛い女の子は贔屓されまくりなのだが、顔もスタイルも並以下の私が何かで優遇してもらった経験は一度もない。だからといって、恨んだりもしていなかった。
美人が優しくされても当たり前のように扱われるが、私の場合は違う。贔屓なんてされた日には陰口どころか、正面きって文句を言われるのは明らかだった。
授業に身が入ってなかった罰として、黒板の前に出て問題を解くように言われる。拒否しても得はないので、私は素直に従う。
席を立って黒板と向かい合うが、チョークで書かれているのは決して成績優秀ではない私の頭脳には難問すぎた。解けずにひとり、チョーク片手に立ち尽くす。当然のごとくザワめきが発生し、やがて野次に変わる。
どれだけ辛辣になってきても、男性教師に止めるつもりはないみたいだった。エスパーでなくとも、雰囲気で私の背後に立ってニヤニヤしてるのがわかる。まさに四面楚歌。窮地に陥っている私を助けてくれるヒーローは、どれだけ待ってもやってこない。
*
「ぼんやりしてるから、この程度の問題ができないんだ!」
間近で怒鳴られ、ビクンと身が竦む。他の生徒ならいざ知らず、私にはか弱い女生徒という認識を持っていない。相手の態度を見てれば、いちいち説明されるまでもなかった。
「もういい! 自分の席へ戻れ!」
これ以上、問題を解かせようとしても時間の無駄だと判断したのだろう。とぼとぼと黒板に背を向けて戻る私に、思いやりの欠片もない言葉が浴びせられる。
それでも注意しようとしない男性教師を、本当に心のある人間なのかと疑いたくなる。再び自分の席へ戻った私へ、同情の視線を送ってくれたのは、お昼を一緒にした親友の女性だけだった。
やがて授業が終了すると、すぐに親友が駆け寄ってきてくれた。
「お昼から、心ここにあらずだったもんね。心配してたんだよ」
「ごめんね、和美」
轟 和美――それが私の唯一無二の親友の名前だった。
小学校から一緒で、二人とも同じような体型をしている。やはり眼鏡をかけていて、私の丸型に対して和美は黒縁だ。
ショートカットの私とは対照的に、髪の毛を伸ばしておさげにしている。人のことはとても言えないが、お世辞にも整っている顔立ちではなかった。
私に隠したりしてなければ、恋人がいた経験はないはずである。二人とも部活には所属しておらず、予定の授業がすべて終了すれば、そそくさと揃って帰宅する。
「何かあったの」
「うん……」
親友に問いかけに、どちらともとれる言葉を返す。それ以外の回答は持っていなかった。お互いに恋愛というものから、かなり遠ざかった位置にいるので、正直に相談しても具体的な解決方法が得られる可能性は低い。どうするべきか悩んでいると、どこからともなく声が飛んできた。
「おデブ姉妹が、今日のおやつの相談か」
声の主は同じクラスの男子生徒のひとりだった。
もちろん私と和美は血が繋がっていない。単純に体型が似てるからという理由だけで、つけられたあだ名だ。
お調子者の男子の発言に、例のクラスで一番の美人が「ヤだー」とクスクス笑う。止めなよと言ったりもするが、建前だけでそんな意思が砂粒ほどもないのは誰の目にも明らかだった。
今では特に気にしなくなっているが、呼ばれだした当初は、二人で一緒に帰りながら泣いたのをはっきり覚えている。
言っている人間には、ひょっとしたら悪意がないのかもしれない。けれど言われている方は、決して悪気のない冗談に受け取れなかった。
現に私の心の奥深くには、現在でも治りきってない傷跡が残っている。トラウマになってもおかしくなく、下手をすれば登校拒否に陥るレベルだった。
けれど人の心に傷をつけたクラスメートたちは、学校にこなくなった人間を、今度は心が弱いと笑うのだ。
可愛い女性は性格が悪くても、顔が良いというだけで許されるケースが存在する。すべてではないが、少なくもなかった。理不尽さを覚えたところで、世の中は何も変わらない。私ひとりが不満を訴えても、本気で聞いてくれる人間など誰もいない。
世界に存在する流れに逆らっても疲弊するだけなので、いつしか無駄な抵抗は試みなくなった。クラスのアイドル的存在の美少女も、一般的に言うなら、勝ち組を構成する一員だった。羨むほどこちらが惨めになる。
幼い頃にからくりに気づいた私は、意識してやっかみの感情を排除した。どちらかと言えば、和美の方が私よりも繊細だ。
結局、短い休み時間では相談しきれず、具体的な話は何もできなかった。本日最後の授業も終了し、私と和美はいつものように一緒に帰宅の途についた。
「もしかして……昼休みにクラスへ来た男子のこと?」
さすがは親友と言うべきか、それとも私の反応がわかりやすすぎたのか。和美はこちらの心配の種を、実にあっさり見破った。
核心を突かれておきながら、嘘をついてもどうにもならない。私は素直に白状する。
「うん……どうしても、気になっちゃって……」
帰り道での会話といえば、どこどこのお店のケーキが美味しいとか、そんなのばかりだった。なのでこうした話題は、初めてと言っていいぐらいの珍しいケースになる。
戸惑ったりせずに、隣を歩いている親友が頷いた。自分の予想に自信があったらしく、やっぱりなという感じのリアクションだ。
「杏里ちゃんの様子が変になったのって、お昼休みからだもんね」
上の空で授業を受けていたりすれば、誰の目にも私の異変は明らかなはずだった。
もっとも、クラスメートの大多数は私なんかに興味などないので、こうして心配してくれるのは親友の轟和美ぐらいである。
「ひと目見た瞬間に、なんだかキュンとなっちゃって……」
正直な胸の内を告白した途端、親友は頬を紅潮させて「きゃー」と興奮気味に短く声を上げた。
「杏里ちゃん、乙女だねー」
からかってるようにもとれる台詞内容だが、そんなつもりがないのは相手の顔を見ればすぐにわかる。
「和美は、こういう経験……ないかな」
先ほどまでの浮かれたような姿はどこへやら。シュンと沈んだ顔の親友が「ごめんね」と謝ってきた。それだけで、経験はないと言ってるようなものだった。
こちらも半ば予想できていただけに、ガックリと肩を落としたりはしなかった。
「そうだよね……。私たち、彼氏なんて作ったことないもんね」
「うん……」
私の言葉に、元気なく和美が同意する。
なにも好きこのんで、彼氏いない歴を更新し続けているわけではない。待ってるだけで勝手に男たちが寄ってくるクラスで一番の美人とは違い、恋愛をするためにはこちらから仕掛ける必要がある。
ならば攻め込めばいいと考えがちだが、事はそう簡単に運ばない。私や和美みたいなタイプが、ターゲットへ向かって行っても、全速力で逃げられるのがオチだ。
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