『龍殺し』の嘘と罪

玄城 克博

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五章 災厄

5-4 元統一魔術学舎予備生 アトラス

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「アトラス、これはどういう事なの!?」
 困惑の叫びは、俺でも当然ハルでもなく、ティアのものだった。
「見ての通りだよ。それ以上を話すつもりはないかな」
「そんな……私が言いたいのは、そんな事じゃなくて!」
 ティアの声はいつになく感情的で、どこか聞き覚えのあるものでもあった。
 だが、それは今は少し邪魔だ。少なくとも、俺にとっては。
「エスはどこだ?」
「君といた彼女の事なら、ヒースに引き渡した後の事は知らないよ。学舎にいる可能性が高いと思うけれど、正確にはわからない」
「……くそっ」
 アトラスの言葉はおそらく真実で、つまり事態は振り出しに戻る。むしろ、エスの居場所を確実に知っていたであろうヒースが死んだ事で、エスを探す事だけに限って言えば難易度は上がってすらいた。
「なら、どうしてこうなった?」
 アトラスがエスの居場所を知らないなら、せめてこの事態について知っておきたい。それがエスに繋がるかもしれないし、そうでなくても事によって身の振り方は変わる。
「それは言えないと言ったはずだよ」
「理由じゃなく過程だ。お前はヒースと行動している最中に裏切ったのか、それとも単純に外から襲って殺したのか」
 ヒースが抜け穴に仕掛けられた罠に掛かって死んだ事は一目瞭然だ。おそらく、穴に掛かっていた梯子を落としたのはアトラスなのだろう。棘の罠も、考えてみれば下から上がる者よりも上から飛び降りる者を殺す事に向いた仕掛けをしている。
 ただ、ヒースが罠に掛かるまでの過程は流石に一目でわかるものではない。
「それも言わない方が良さそうだ」
「……話にならないな」
 何を警戒しているのか、アトラスは徹底的に秘密主義を通している。だが、俺はここで無駄な時間を使いたくはない。
「お前に話すつもりがないなら、時間の無駄だ。俺はエスを探しに戻る」
「待った」
 踵を返して去ろうとした寸前で、短くアトラスの制止が飛んでくる。
「なんだ?」
「君の装備品の場所を知りたくはないのかい?」
「知りたくないわけじゃない。ただ、どうせ話さないだろう」
「君をヒースに引き渡す前に、所持品は僕が回収させてもらった。君の指輪や短剣、それにあの発光する遺物の場所については僕だけが知っている」
「交渉でもするつもりか?」
 俺の方にはともかく、アトラスの方には俺の装備についての話をわざわざ切り出す必要はない。あるとすれば交換条件としてか、もしくは時間稼ぎのどちらかだ。
「いや、あれは君のものだ。対価を求めるつもりはないよ」
 そして、おそらくこれは後者だ。
「なら、さっさと場所を教えてくれ」
「そうは言っても、君の装備、特にあの遺物に関しては中々に希少なものだ。もし良ければあれを手に入れた経緯なんかを――」
「もう一度言う。話す気があるなら早くしろ」
 わかっていてアトラスの無駄話に付き合う理由はない。遺物と指輪は惜しいが、アトラスに話すつもりがないならいつまで問答を繰り返しても同じ事だ。
「……そうだね。たしかに、こうしていても無駄だ」
 諦めたように首を振り、アトラスは懐に両手を入れると、右手に指輪と短剣、そして左手に球体を取り出した。
「本当に返してくれるのか?」
「ただ、交渉しないというのは嘘になる」
 前言は撤回されるも、驚きはしない。むしろそれが自然だ。
「僕はこれらを君に返そう。その代わりに、ティアをこちらに寄越してもらう」
 そして、続いた言葉もまったくの予想外ではなかった。
「……どうして、私を?」
 呆然とした様子で、ティアは自らを指差し問う。
「それが、僕の目的だったからだ」
「目的って……そんな、だって私がここに来たのは偶然なのに」
「ああ、だから僕も驚いたよ」
 それは本音だったのだろう。アトラスの表情は、困ったような苦笑いだった。
「君だけならともかく、龍殺しの彼が一緒だったのには肝が冷えた」
「それで、俺にヒースの死体を見せたのか」
 つまり、アトラスは俺の事をヒースの傀儡だと疑っていたのだ。実際、俺はエスを人質に取られて駒として扱われる寸前であった以上、疑いは至極真っ当なものだ。だとすれば、アトラスが俺の前でティアとの関係を話したがらなかったのにも納得がいく。
「……もしかして、お前も俺と同じで?」
 そして、俺もその可能性は頭の片隅に置いていた。
 アトラスとティアの間の関係が特別なものである、もしくはあった事はティア本人の口からすでに聞いている。アトラス側の感情まで知る術はなかったとしても、推測するだけなら誰にでもできる。
 つまるところ、アトラスがティアに対して今も特別な感情を抱いていた場合、俺にしたのと同じようにヒースがティアを人質に取りアトラスを動かしていた、と考えるのは然程難しくはない。
 あくまで根拠も何もない可能性の一つに過ぎないため、そこから先を深く考えた事はなかったが、今は先程のアトラスの言葉が裏付けになる。そして、その仮定の上であれば、アトラスがヒースを殺そうとするのも道理だ。
「少し違う。僕はティアを人質に取られないためにヒースに近付いたんだ」
 だが、アトラスの思考は俺の想像を越えていた。
「ティアが学舎にいる限り、ヒースはいつでもティアの身柄を拘束する事ができる。あれが僕を利用しようとしていた事もわかっていたから、その前に自分から近付いて始末するつもりだった」
 その言葉が本当だとすれば、アトラスはあまりにも周到過ぎる。未来が見えているか、それとも異常なほどの疑心暗鬼でもなければ、人質を取られる前に相手に取り入るなんて手段は頭に浮かびすらしない。
「もっとも、実質的にはどちらでも変わらなかっただろうけどね。結局、あれは僕を一切信用しなかった。『殻の異形』がこのタイミングで学舎を襲いに来た機に乗じなければ、今もヒースを殺せてはいなかっただろう」
「なら、この襲撃はヒースかお前が仕組んだものではないのか?」
「僕の知る限りはね。多分これは単なる天災……あるいはそれに似た何かだろう」
「……どうして?」
 直前のアトラスの説明に対して、ではないだろう。ティアが静かに口を開いた。
「だって、あなたは私に何も言わなかった。私のためなら、せめて何か言ってくれれば良かったのに、気付いたらあなたはいなくなっていて――」
「君に言えば反対しただろう。僕を止めるか、学舎を辞めようとするか、それとも他の手段を取ったかはわからない。ただ、どうあっても黙っているよりも良い方向には転がらないと思ったんだ」
 弁明する風でもなく、ただアトラスは自らの考えを口にする。
 そして、それは正しい。少なくとも、俺にはそう感じられた。
「あなたは……そうやって、いつだって! 私を置いて一人で決めて! 私はただ、あなた達に並んでいたかっただけなのに!」
 だが、ティアは違う。だからこそ、アトラスは何も告げずに去ったのだろう。
「ごめん。でも、僕は君の意思よりも安全を尊重したい」
 そう告げると、アトラスは足元に指輪と短剣、そして球体を置いた。
「まず、ティアはこの部屋を出てほしい。その後、僕が後を追う。君達はここに残って装備を回収する、でどうかな?」
「っ、私はまだルイン達と離れるって決めたわけじゃ――」
「僕は龍殺しの彼を信用していないし、もう一人の同行者は尚更だ。ここまで来て、君を手放すわけにはいかない」
「そんな事……勝手にっ!」
 憤りこそ見せているものの、ティアにアトラスの言葉を疑う様子はなかった。
「悪いが、俺だってお前を信用してるわけじゃない。ヒースの死体も何も全てが嘘で、エスの代わりの人質としてティアを奪おうとしてる可能性だってある」
 だが、俺としてはアトラスを信じきるのには不安が残る。明確に嘘と断言できる根拠はないが、逆もまた然り。そしてこれまでの行動と結果だけを見れば、アトラスは信頼できるとは言い難い。
「だろうね。だけど、渡さないなら奪うまでだ」
 もっとも、アトラスの言う通り彼我の力関係は明確だ。いきなり俺を襲わなかったのはティアを敵に回さないためだろうが、話の終わった今、アトラスが強硬手段を取ったとしてもティアが俺に付いて戦えるとは思えない。
「――わかってないね、手札はこっちにあるんだよ」
「え……っ?」
「……ハル」
 交渉を呑まされかけた刹那、動いたのは今まで気配を消していたハルだった。左腕でティアの身体へ抱き着くようにして拘束し、右手には隠し持っていたらしき短剣を首元に突きつけている。
 そもそも、ハルの元々の目的は遺物の回収だ。『殻の異形』の侵攻を見て避難に方針を転換していたとはいえ、目の前に現れたそれに手を伸ばそうとするのは道理だろう。
「遺物と指輪を私に投げて寄越して。そうすればこの子はあげる」
「その言葉が守られる根拠は?」
「投げられたら拾わないといけないでしょ。ギリギリ届くくらいのところにでも投げてくれれば、この子に構ってる余裕とかなくなると思うよ」
「……わかった」
 ふざけた理屈ではあるが、ティアを人質に取られた現状、アトラスとしては結局ハルに従うしかない。
 かくして、アトラスにより遺物と三つの指輪は高く投げられ、それら全てをハルが器用に空中で拾う間に、ティアは壁を背にするようにハルから距離を取った。
「ふーん、これが……へー、ほーん」
 ハルはどこか場違いなほど呑気に球体を眺め、弄り回す。球体はハルの指先に従い、色や光量を変えて様々に発光し続けていた。
「一応聞いておくけど、これでどうやって龍を殺すの?」
「……それ自体は、あくまでただの光る球体だ。俺は紋様魔術の条件を満たすために使ってただけで、直接龍を殺せる道具ってわけじゃない」
「やっぱり? じゃあ、これがクロナの言ってた絡繰か」
 またも場違いな笑い声をあげると、ハルはあろうことか俺へと球体を投げ、更に少し遅れて指輪を投げた。
「違う。これは、『殻の異形』を呼び寄せた遺物じゃない」
「……どういう事だ?」
「言葉通りの意味だよ。一口に遺物と言っても、全てが同じ性質ってわけじゃない。君のそれは『殻の異形』を、少なくともあれほどの大群を観測区から引き寄せるような力を持った代物には程遠いって事」
 あまりに呆気ない宣言は、ハルにとっての『殻の異形』の侵攻を解決する手段が途絶えた事を告げていた。
「なるほど、僕はまんまと猿芝居に掛かってしまったみたいだね」
 もっとも、事情を知らないアトラスからすれば、俺とハルがただ下手な芝居をうっただけにしか見えていないだろう。
「勘弁してくれ、俺はこんな下らない仕込みはしてない」
「いや、それはどちらでもいい。結局、状況はあまり変わらないからね」
 アトラスの視線は、自身と俺達の間の位置にいるティアへと向いていた。
「ティア、僕の元に来てくれ。僕が君を守る」
 回りくどい交渉も捨て、焦りすら感じさせる率直な言葉を投げかける。位置関係からしてすでに俺がティアを人質として扱うのは難しいと考え、単純な手段に出たのだろう。
「…………」
「好きにしてください。多分、俺よりもティアさんの方が正しく判断できる」
 アトラスと俺に交互に視線を向けるティアに、引き止めはせず選択を託す。
「……私は、ルインに付いていく」
 そして、ティアの下した決断はそうだった。
「ティア!?」
「アトラスを信頼してないわけじゃないわ。でも、魔術師として、この学舎で私一人が守られるわけにはいかないの」
 それは、ティアの紛れもない本音だったのだろう。自分の身を案じてでも、エスを助けるためでもなく、ティアはただ庇護される立場でありたくないという意地のためだけに、俺と行動を共にする事を選んでいた。
「……そうだね、君はいつもそうだった」
 ふと、アトラスの浮かべたのは苦笑。ただ、それはどこか彼に似合って見えた。
「なら、僕も君達に付いて行こう」
 そして、続いた冗談のような言葉には、今度はこちらが苦笑を浮かべる番だった。
「それは……でも」
「言っておくけれど、拒否権はないよ。嫌なら撒くか動きを止めるかだけど、もちろん黙ってされるがままにしておくつもりもない」
「……わかった。もう好きにしてくれ」
 ティアにも言いたい事がありそうだが、このアトラスが口で言って聞くとはとても思えない。それに、アトラスは同行者として見ればこれ以上ない戦力ではある。もちろん、単純に味方と見るのは楽観的すぎるだろうが。
「ハルもまだ付いてくるのか? 遺物は目当てのものとは違ったんだろ」
「当然、あれはあわよくば、ってだけだし。それに、なんかまた面白そうじゃん」
 もちろん、まったく悪びれる事なく頷くハルもまた信用できない。
 それでも、奇妙な連帯にどこか安心感のようなものを感じている自分がいた。
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