『龍殺し』の嘘と罪

玄城 克博

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四章 囚人

4-4 『神の器』密偵 ハル

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『龍殺し』。
 その肩書はそのまま、龍を殺した魔術師に与えられるものだ。
 だから、女の問いは不可解なものであるはずだった。『龍殺し』になる方法など、龍を殺す以外にあるはずはないのに。
「どうも何も、俺は龍を殺したから『龍殺し』と呼ばれてるだけだ」
「なら、どうやって龍を殺したの?」
 俺の答えを予想していたように、女は問いを重ねる。
「そんなの魔術で――」
「具体的な使用魔術は? 先に相手に気付いたのは龍、それとも君? その時の初動は?」
「っ……」
 畳み掛けるような質問責めに押され、まともに答えを返せない。龍を殺した経緯を騙るための一応の用意はしてあるが、一応用意した程度の嘘では目の前の女は騙せないであろうという直感のようなものがあった。
 どこか気軽な口調、橙色の髪をいくつも束にして結んだ独創的な髪型にまだ若く快活そうな顔立ち。更に頬や首元にはペイントだかタトゥーだかで星型を貼り付けた派手な外見をした女は、一見して優れた魔術師や密偵には見えない。ただ、単身『神の器』に潜入し、その信徒六人を纏めて葬り去った手腕を見てからでは、その容貌とのアンバランスさすら不気味で底知れなく感じられる。
「当ててあげる。君は『殻の異形』観測区で過日の遺物を手に入れて、それを使って龍を殺した。違う?」
 予想通り、女の読みは鋭かった。
 俺が過日の遺物を手に入れるため『殻の異形』観測区に足を運んだのも、そこで遺物を手に入れたのも紛れもない事実だ。
 ただ、それらの事実は俺が『龍殺し』となった理由とは直結していないが。
 もっとも、その事で女を責めるのは的外れというものだろう。張本人である俺ですら、あの場で起きた事についてはいまだに信じ難いくらいだ。
「……当たりだが、残念だったな。お前の目的はその遺物なんだろうけど、見ての通り今の俺はそれを持ってない」
 都合良く生じた女の勘違いを肯定し、そのままこちらから話を進める。
「みたいだね。君がここに連れて来られたって事は、大方この信窟の大教主辺りが持ってるんだろうけど……まぁ、私一人で回収を狙うのは厳しいかな」
 俺の嘘を咎めるわけでもなく、女は短剣を持つのと逆の手で頭を掻いた。
「よし、じゃあ逃げよう。君も異論はないよね、ルイン?」
「首に刃物を当てられながら文句を言えるほど、肝は座ってないな」
「あー、ごめんごめん。外すの忘れてた」
 精一杯の皮肉を飛ばしてやると、意外な事に女は短剣を俺の首元から離した。俺の様子を警戒し続けてはいるようだが、それにしてもあまりに拘束を解くのが早い。
「いいのか?」
「ずっとあのままじゃ逃げにくいからね。君が逃げようとしたら、その時に倒せばいいだけだし。あっ、でも運ぶのめんどくさいから、抵抗とかしないでよ?」
 随分と余裕、というより舐められているようだが、それより先に気になる事があった。
「俺をどこに連れていくつもりだ? 今、この信窟はどうなってる? いや、それ以前にそもそもお前は何だ?」
 女の当初の目的は俺の持っている、そう彼女が誤解している『龍を殺す遺物』だったようだが、今の言葉を聞くにひとまずはこの信窟から俺を連れて逃げる方針を選んだらしい。馬鹿正直に全てを答えてくれると期待しているわけではないが、共に向かう目的地があるならその方角くらいは聞けるかもしれない。
「そんなに一気に聞かれても困るなぁ。じゃあ、まずは自己紹介から。私はハル、君にはクロナの仲間って言えばわかりやすいかな?」
 だが、馬鹿正直にハルと名乗った女は、そのまま馬鹿正直に答えを口にした。
「クロナ……か」
 アトラスに葬られた女の名前は、俺にとっては大きいもので。だが、そもそも俺がクロナの所属を知らない以上、ハルについての説明としては不十分だった。
「それで、私達が向かうのはライカンロープのところ。信窟については、『殻の異形』の襲撃を受けてるみたいだね」
「ライカンロープの? それに、『殻の異形』だって!?」
 しかし、ハルについて掘り下げるよりも先に、続いた情報量を処理しきれなくなる。
 クロナがライカンロープの関係者である事はアトラスも匂わせていたが、よりにもよって『神の器』の信窟が信仰の対象である『殻の異形』の襲撃を受けたという現状は随分と皮肉なものだ。
「色々聞きたい事はあるだろうけど、後の話は動きながらにしよっか。ここもあんまり余裕はないみたいだし、君もその方が都合はいいでしょ?」
 混乱する俺を尻目に、ハルは冷静に逃走を提案する。たしかに、最終的にハルについていくかどうかはともかくとして、信窟を出るところまでは俺とハルの利害は一致している。
 ただし、俺にはそれ以前に片付けるべき問題があった。
 一つは装備。ハルの葬った魔術師達の死体を漁って使えそうなものを探しながら、二つ目の本題を口にする。
「綺麗な白髪の少女がここにいないか? 俺はあいつを探さないといけない」
「少女? いや、知らないけど。知り合い?」
「恩人だ」
「へぇ……」
 ハルは一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべると、すぐに首を振った。
「私の見た限り、それっぽい子はいなかったかな」
「なら、一緒には行けないな。俺はそいつを探す」
「だったら、私がそっちに付き合うよ」
 止められるだろうと覚悟しての宣言に、なぜかハルは即座に妥協する。
「……いいのか?」
「ただし、上層には行かないし行かせないよ。まぁ、その恩人って子がこの信窟にいるんだとすれば、まずこの階層だろうけど」
 信窟内の上の階層はすでに『殻の異形』の侵入を許したのか、階層越しにもすぐに交戦中とわかる騒音と振動が響いている。
『神の器』の信徒は『殻の異形』を信仰しており、仮にそれらに襲われたとしても天命として受け入れるというのが通説だが、結局のところそれは理想論。
 実際に命の危険に晒されれば抵抗する者も当然出てくるだろうし、ヒースに至っては俺の目には『神の器』を道具として使っているだけのように見える。アトラスと組んでいる事からもそれは明らかで、彼がこの信窟にいたならば間違いなく『殻の異形』を殺してでも逃げるだろう。
 そして、その場合ヒースの逃走はすでに終わっているはずだ。つまり上にエスがいたとしても、すでに運び出されているか、それとも――どちらにしても、たしかに上層に向かうのは愚策だろう。
「わかった、それでいい」
 ハルの言葉を了承し、手当たり次第に近くの部屋へと向かい扉を開けていく。
 一つ、二つ、次々に部屋を確認するも、そのどこにもエスらしき人影はなく、奪われた遺物や指輪も見当たらない。
「それで、結局お前達は何なんだ? 上の抗争とは関係ないのか?」
 エスを見つけられない焦りは押し殺し、探索と並行してハルに問いを投げかける。
「クロナからどこまで聞いてるかわかんないけど、簡単に言うと私達は『龍殺し』ライカンロープの手下みたいなものだよ」
「ライカンロープの手下、か」
 ハルの説明を受けて、思い出したのはアトラスの言葉。たしか、アトラスは亡骸となったクロナの事を『ライカンロープの落とし子』と呼んでいた。
「ライカンロープは体制派と組んでるわけではないのか?」
「そうだね。あの人は統一政府から任命された肩書としての龍殺しじゃなく、一人で龍を殺す力を持った本物の龍殺し。だから、あの人はどこにも属さない。今はね」
 それは、かつてクロナも口にしていた事だ。本物の龍殺しと、それ以外。偽物の龍殺しは俺一人ではなく、むしろ本当に龍を殺した魔術師はたった三人しかいないと。
「統一政府の味方じゃないなら、お前達の目的は何だ?」
「目的、ね。まぁ、簡単に言えば『殻の異形』の殲滅かな」
「『殻の異形』を滅ぼすのが目的なら、統一政府とは協力関係だろう」
 あえて返した素直な言葉に、ハルは小さく首を振った。
「それが少し違うんだよね。統一政府には『殻の異形』を滅ぼすつもりはないし、だからこそ龍殺しなんて偶像を作って『殻の異形』への恐怖心を和らげようとしてる」
 たしかに、統一政府は『殻の異形』に対して防衛策を打ち出しこそすれ、積極的な討伐を行ったという話はあまり聞かない。それが単にコストを考えての損得勘定によるものか、それともヒースの語った統一政府の陰謀と関係があるのかはわからないが、ライカンロープの目的が異形の殲滅だとすればその方針には明確な違いがある。
「なら、アトラスは何だ? クロナはあいつを『神の器』に作られた龍殺しだと言ってた」
「アトラス? ああ、あれも要は同じだよ……っと、もう一通り回ったかな」
 ハルが会話を中断したのは、如何にも角部屋という位置にある物置のような狭い一室だった。それらしい位置の部屋、扉にも鍵が掛かっていたため少し期待していたが、少なくとも一目で白髪の少女はおらず、棚を漁って没収された指輪と遺物が見つかると考えるのも楽観的過ぎるだろう。
「ここで最後なのか?」
「私が知る限りはね。信用できないなら、まだ見回ってもいいけど」
「……いや、いい。多分無駄だ」
 エスを見つけられていない事に未練はあるが、これ以上探しても結果は同じだろう。
「一応聞いておくけど、ヒースの居場所を知らないか?」
「ヒース……って、どのヒース? その名前で私が知ってるのは、魔術学舎の教職長くらいだけど」
「そいつで合ってる」
「……ん? そのヒースがどうしたの? 出席日数でもやばいの?」
「ん?」
 どうにも話が通じていない様子のハルに、一つの疑問が頭に浮かぶ。
「待て、お前はどこまで知ってる? どうして俺がここにいるとわかった?」
「どこまでって、どこまで?  私達が君について知ってる事は、過日の遺物を使って龍を殺した事と、『神の器』の一部勢力に嵌められて魔術学舎への『殻の異形』侵入援助の罪を被せられた事。君がここにいるとわかったのは、ただ予想が当たっただけだよ。いくつか君が連れ込まれそうな場所、もしくは避難しそうな場所に人を配置しておいて、私の担当がここだったってだけ」
「なるほど、な」
 考えてみれば当然だが、ハルの持つ情報は完全というには程遠いものだった。かの大魔術師ライカンロープをもってしても、状況を全て理解できているわけではないらしい。
「それより、ここから出る策はあるのか?」
 エスも見つからない、ヒースの場所もわからないとなれば逃げるしかないが、信窟の唯一の出口に繋がる上層には『神の器』の信徒に加えて『殻の異形』まで侵入してきている。混乱に乗じて抜け出そうと試みる事もできるが、ハルに策があるならそれに頼る方が楽だ。
「まぁ、一応ね。ダメだったら強行突破する事になるけど」
「なんだそりゃ」
「うん、でもまぁ大丈夫でしょ。жигар」
 信頼できない言葉と共に、ハルは部屋の端の物のない一角まで歩み寄ると、聞き覚えのない詠唱を口走る。
 思わず身構えた俺の目の前で、起きたのは壁の融解。戸棚裏に面していた壁が溶け去った後には、人間が通れるサイズの抜け穴が空いていた。
「ひとまず、見張りはいないみたいだね」
「これは?」
「見ての通り、隠し通路。行き先はいくつかあるけど、これから向かうのは図書館横の空き家に繋がる出口かな」
「単なる非常用経路、って規模ではないな」
『神の器』の拠点、信窟が地下にある以上、非常事態のため表向きの出入口以外に脱出口を作っておくというのは考えられる話だ。
 ただ、この隠し通路は明らかにそういった用途のものには見えない。単なる脱出経路であればこれほど広く整備されてはいないだろうし、何より分かれ道など用意する必要はない。
「だから、隠し通路だよ。公に『神の器』の信窟に足を運ぶ事のできない連中、例えば統一政府の使いなんかが通るために、信徒の中でも一部以外には隠された通路。私もここの信徒としてじゃなく、別口で知っただけなんだけどね」
「統一政府の人間が『神の器』の信窟に? ……いや、逆か?」
 ハルの話に、ヒースの例もあり統一政府内部での裏切りを思い浮かべるが、同時に正反対の可能性にも思い当たる。
「最初から、『神の器』と統一政府は組んでたのか?」
「あー、知らなかった? 正確には大分前に、統一政府が上層部の連中を始末して乗っ取ってからは、『神の器』は体制派が危険思想の持ち主を管理して制御するための見せかけだけの宗教団体だよ。過激派や上の目の届かない末端集団が暴走する事はあるけど、基本的には統一政府の傀儡みたいなもの、って言えばいいかな」
 ハルの言葉が正しければ、統一政府の統治は現状でほぼ完璧だ。不安要素があるとすれば『殻の異形』にハル達ライカンロープの一派、あるいはヒースとアトラスだろう。
『神の器』の主流派がどうあれ、ヒースが統一政府に反する思想を持っている事は間違いない。だとすれば、少なくとも俺のいた『神の器』の信窟、その中の信徒の一部はハルの言う統一政府の目の届かない末端組織と化していたという事だろう。
「だから、君の持ってた遺物もいずれ統一政府の手に渡る事になるだろうね。回収できなかったのは残念だけど、そのために統一政府を真っ向から相手取るのはやり過ぎだし」
 そして、ここまでの様子を見る限りではハルはまだヒースと『神の器』の繋がり、彼らの目的を知らない。俺を取り巻く状況も、統一政府が『神の器』を使い遺物を回収しようとした程度に思っているのだろう。
 統一政府の統治を守るためには、ハルにヒースの目的を伝えるべきなのだろう。ライカンロープは必ずしも統一政府と同じ方針で動いてはいないようだが、話を聞く限りでは反体制派というわけでもない。ヒースの素性を知れば、それなりの対応を取るはずだ。
「ハル、魔術学舎への道はどれだ?」
 だが、俺の取るべき行動はそれではない。
「学舎? いや、魔術学舎はまずいよ。君は表では『殻の異形』の侵入を手引きした張本人だって事になってるから、顔が割れてる学舎なんかに出たら一発で取り囲まれる」
「まぁ、そうだろうな」
 ハルの目的は、俺をライカンロープの元まで連れて行く事だ。寄り道を、それも統一魔術学舎に足を運ぶ事などを許してくれるはずがない。
「なら、無理矢理にでも聞き出させてもらう」
 だとしても、俺は一刻も早く統一魔術学舎に向かう必要があった。
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