『龍殺し』の嘘と罪

玄城 克博

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三章 傀儡

3-2 学舎の夜

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 ライカンロープという魔術師は、現在このE-13区画に限らず、世界でも屈指の第一種魔術師として知られている。
 龍殺しの称号を授かる式典の際に目にした容貌は、灰色の髪と髭を奔放に伸ばした強面の老人、といったものだったが、その武勇は年を重ねた今でも衰える事はない。つい先日の区域Hでの朱雀掃討も、功績の大半は彼によるものとの話だ。扱う魔術は長節の広範囲魔術がほとんどで、戦士というよりは砲台の役割が主だが、近接の間合いを苦手としているわけでもなく、奇襲や暗殺を退けた逸話にも事欠かない。
「次だ」
 魔術学舎西棟研究区画、ヤネハの実験室に積まれた資料の大半の出所でもある広大な資料室の中で、俺はライカンロープという個人についての情報を漁っていた。
 学舎に逃げ込んだのは、もちろんこの場所が魔術師の巣窟であり、外から独立した安全地帯であるという理由もあるが、こと魔術関連の事柄を調べるならこの資料室以上の場所が存在しないからという点も大きい。区域E全体でも、ここに無いモノを探すにはE-2にある特別禁止魔術庫か、あるいは他の学舎の資料室を訪ねるくらいしかないだろう。
 本当は『神の器』やアトラスについて調べる方が先決なのだろうが、秘密主義で知られるアトラスはその若さもあって情報が少なく、『神の器』に関してはそもそもからして宗教団体であるため、魔術関連の資料室で調べるには向いていない。
「……ダメだ、これも役に立たない」
 すでに二十はそれらしい冊子を流し見ただろうが、今のところ俺の目当ての情報はそのどれにも記載されていなかった。このまま続ければいずれは見つかると信じたいが、どこかに当たりがある確証はない。更に言えば、資料室にあるライカンロープの資料全てに目を通す事など、根気以前に時間的な問題から到底不可能だ。
「ライカンロープの落とし子、か」
 知りたいのは、アトラスが去り際に残した呟き。彼は、クロナを評してそう零していた。
「教え子の類はなさそうだし、そうなると文字通り実子って事になるのか?」
 適当に口を付いて出た推測は、あり得ない話ではないのだろう。
 ライカンロープに子供がいるという話は聞いた事がないが、だからと言っていないと断言するのは早計だ。統一歴以前ならばともかく、現行の出生制度では親子関係を認識している者は稀で、ライカンロープが自身の子種を残しているか否か、それこそ本人すら知らない可能性すらある。
 もっとも、仮にライカンロープの実子なんてものが存在するとしても、第三者がその事実を確認するのはかなり難しい。そうなると、アトラスが二人の血縁関係を知っていたと考えるよりは、どこぞでの師弟関係の線を辿る方が現実的とも思えるが。
「……ルイン? こんな時間に、何をしている?」
 ライカンロープの近年の活動について書かれた資料に目を通しているところで、背後からの訝しげな声が耳に入った。
「いえ、ただ少し調べ物をしていただけです。ユリエ教職」
 資料からは目を離さず、問いには声だけで答えを返す。
 学舎における俺の担当教職であるユリエとこうして話すのは、宿舎を出る際の手続きで揉めて以来だ。出来れば、特に今は顔を合わせたい相手ではない。
「だとしても、もう日付が変わる時間だ。宿舎に暮らしているならともかく、調べ物をしに出歩くには遅すぎるんじゃないか?」
「少しばかり急ぎの用事なので」
 さり気なく仕込まれた棘には気付かない振りで、簡潔に事実の一部を述べる。ヤネハの部屋を借りる事などは、話してもややこしくなるだけだろう。
「そうか。たしかに、お前なら身を案じる必要もないだろうが」
「まぁ、そういう事です」
 本当は身の危険を感じたからこそ今ここにいるのだが、それも口に出すべき事ではない。
「……まさか、お前が龍殺しになるとは思っていなかった」
 話が終わり、この場を去るかと思われたユリエは、しかしまだ俺に話があるらしい。
「もちろん軽視していたという事ではない。……いや、それも事実ではないか。結局のところ、私よりもお前の自己評価の方が正しかったのだろう」
「……いや、実際、俺もこうなるとは思ってませんでしたから」
 バツが悪そうなユリエの言葉は、少し前だったら尊大に受け入れていたのだろうが、今の俺にとってはむしろ気後れするものでしかなかった。
 あの日、エスに命を救われ偽の龍殺しになった時、俺は自身への評価が高すぎた事に気付いてしまった。
 学舎の対人訓練では負け知らずだった俺は、それゆえに自身を図抜けて優秀な魔術師だと勘違いしていた。学舎の講義を受けるのは卒業資格を得るためだけ、本来ならすでに市街警備や反体制派制圧の仕事をこなすだけの力はあると。
 だが、いくら対人専門、『殻の異形』への対策をロクに立てていなかったとは言え、龍に手も足も出ずに殺される魔術師などが優秀なわけがない。そして、クロナやアトラスといった魔術師達との遭遇により、その危惧は限りなく現実のものとなった。
「お前に学舎を出てもいい、と言った事を覚えているか?」
「流石に、まだ忘れてませんよ」
 ユリエに学舎を出るよう促され、それを断ったのはまだ数日前の事だ。
 以前の俺だったら、龍殺しとまではいかずとも、学舎卒業程度の資格を得たならばすぐに学舎を辞めていたかもしれない。だが、今はまだ学舎で学ぶ事があると感じている。龍殺しなんて称号を騙り通すつもりならば、尚更だ。
「正直、な。私には、龍殺しなんて称号を持つ魔術師を教える自信はないんだ」
 だから、ふと零れた弱音には困ってしまった。そう演じる必要はあるとは言え、実際の俺は龍殺しなどではなく、教職にそのつもりで扱われる事は望ましくはない。
「やけに弱気ですね。特別扱いする気はないんじゃなかったんですか?」
「もちろん、その気はない。だが、扱いなど超越したところに特別が存在するのも事実だ」
 細く響いた言葉は俺ではなく、何か別の誰かを指しているように聞こえた。
「ルインは知らないかもしれないが、私が龍殺しの担当教職になるのはこれが二度目だ」
「……アトラス?」
「そうだ。もっとも、彼はわずか一年ほどで学舎を去ってしまったがな」
 ユリエがアトラスの担当であったという話は、これが初耳だった。
 しかし、考えてみれば一年弱とはいえこの学舎に所属していた以上、その間アトラスを受け持った担当教職がいたというのは至極当然の事だ。
「アトラスは、学舎入学当初から明らかに飛び抜けていた。それでも私は当時からこの調子でな、できる限り普通の学生と同じように接しようとしていた」
「はぁ」
 ユリエの言わんとしている事がわからず、それに加えて思考が別方向で動き出していたため、口から出たのは自分でも呆れるくらいの空返事だった。
「間違っていたとは思わない。ただ、結果としてアトラスは学舎に見切りをつけ、今では妙な噂も囁かれるくらいだ」
「それが、教職のせいだと?」
「事実はわからん。だが、そう言われて否定できるわけでもない」
 おおよそ学生に見せるには相応しくない弱々しい笑みに、ようやくユリエの内心が少しわかった気がした。
 要するに、ユリエは龍殺しの名がトラウマなのだ。アトラスの件で色々と責任問題になったのかもしれないし、別にそうではないのかもしれないが、ユリエ自身が龍殺しの担当となる事に苦手意識を抱えているのは間違いない。
「とりあえず、俺に愚痴を吐かれても困ります」
 しかし、それを俺にどうこうしろと言われても無理な話だ。
「なっ! ……お前は、容赦がないな」
「知ってて愚痴ったんじゃないんですか?」
「いや、知らなかった。そして、知ったからにはもう二度と口を滑らせない」
 率直な指摘を受けて我に返ったのか、ユリエは失言を恥じるように頬をわずかに赤くして歯を強く噛み締める。元々、学生に愚痴を零すような性格でないユリエにとって、この場での発言は冷静になれば失敗も失敗だろう。
「大体、俺は学舎に残るって言ってるんだから、別にいいじゃないですか。むしろ、俺まで辞めてた方が教職の立場的にまずいと思うんですけど」
「それはそうだが……いや、それより、さっきの話は忘れてくれ」
「自分から勝手に話しておいて、忘れろってのは無理がありませんか?」
「無理でも何でも良い。あれはただの一夜の過ちで、それ以上でも以下でもない」
 ユリエは努めて失態を取り戻そうと平静を装ってはいるものの、やはり動揺を殺しきれたわけではないのか言葉の内容が少しズレていた。
 とは言え、沈んだ表情と気分でいられるよりはこちらの方がずっとマシだ。問題の解決になど欠片もならず、一時凌ぎもいいところだが、俺の用件を済ませるには十分。
「じゃあ、忘れますけど、その前に一ついいですか?」
「……なんだ? 脅しても何も出ないぞ」
 冗談か本気か判断に困る声色のユリエの言葉は一旦無視して、率直に本題を切り出す。
「アトラスについて、知ってる事を聞かせてください」
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