『龍殺し』の嘘と罪

玄城 克博

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二章 狂信者

2-3 ライカンロープ記念庭園

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「へぇ……近くで見るとやっぱり違うもんだな」
 世界でも十指に入ると称される大庭園、ライカンロープ記念庭園の目玉である周囲を白い花の絨毯が埋め尽くした創作噴水の荘厳な眺めに、しばし息を呑んで見入る。
「綺麗ね……」
 隣に並ぶ少女も、流石にこの光景には感じ入るものがあったのか、いつになく無防備な顔で素朴な感想を零していた。
「気に入ってもらえて良かった」
 昼食を終え、エスの洋服を物色してからしばらく名所巡りのような真似をしてはみたものの、ここまでのエスの反応はどれも、一言で言えば薄かった。回った場所の半分くらいは俺も初見だったため、案内する自分の方が楽しんでいるようで気が引けていたのだが、ここに来てやっと当たりを引けたらしい。
「中に入っても?」
「ああ、そのための小道があるはずだ」
「これがそうね」
 白の花弁に囲まれた通路の中を一歩づつ歩く白髪の少女の姿は、まるで元からその場所の一部であったかのように溶け込んで見える。エス自身は服装には興味がないようで、今身に着けている白のワンピースも俺が勝手に選んだ始末だが、それでも造形としての完成度で言えば、エスという少女は間違いなく俺の見た人間の中では飛び抜けていた。
「あなたは来ないの?」
 目の前に広がる白の風景へと自分が入っていく事に躊躇いを覚えながらも、少女の催促をいい事に花の庭園に足を踏み入れる。白の花々は、遠目に見ている分にはわからなかったが微妙に違ったいくつかの種類の花が入り混じっており、複雑な香りを放つその中を歩いているとどこか夢の中のような浮遊した気分を感じさせた。
「ルイン」
 地に足の付かない感覚は、少女の平坦な声に遮られる。
 見ると、花の通路はすでに終点へと辿り着き、目の前には創作噴水とそれを眺めるための花に囲まれたごく小さな円形の空間。
「……まさか、こんなところであなたに会うとは」
 そして、おそらく俺に対してだろうバツの悪そうな表情を浮かべた一人の女がいた。
「お前は……クロナか?」
「忘れてくれてはいなかったようですね」
「笑える冗談だな。第三者としてなら、だけど」
『神の器』の刺客、クロナ。彼女の事は、ギグアと名乗った洗礼名まではっきりと覚えている。それもそのはず、出会い頭に殺されかけた相手の事を忘れろ、というのは到底無理のある話だ。
 もっとも、あの時とは違って派手、とまではいかないまでも人並みに着飾った格好をした彼女の印象の変わりように、一瞬だけ名前が出て来なかったのも事実だが。
「てっきり、今頃は打ち首にでもなってるものかと思ってたが」
「まさか。どこに私がそんな目に会う理由があるというのですか?」
「はっ、そうだな」
 学舎下の治安維持機関はそれなりに優秀だが、彼らをもってしても目の前の女魔術師をどうこうできるとは思えない。少なくとも、事が起きてからこんな短期間では無理だ。
「それじゃあ、俺を打ち首にする理由の方はどうだ?」
「……今は、それもありません。この場所を荒らしたくない」
「へぇ」
 ここでの出会いこそ偶然だったかもしれないが、営業中の飲食店内でいきなり襲いかかって来た初対面を考えれば、今のクロナはおとなしすぎた。この場所に思い入れがあるとでもいうなら納得もできるが、よりにもよってここは『龍殺し』の一人であるライカンロープの名を冠した庭園だ。
「あなたが報復を望むならやむを得ませんが、そちらも今は都合が悪いでしょう。隣の方は恋人ですか?」
「…………」
「……まぁ、好きに想像してくれ」
 答えを託すようにエスから視線を向けられるが、俺としても彼女との関係性をどう語るべきかわからない。その辺りの設定は、早いところ打ち合わせておくべきか。
「では、その気がないなら私はこれで」
「待て」
 俺達と入れ替わるように立ち去ろうとするクロナを、隣に並んだところで止める。
「まだ私に何か? 罪を償うつもりになったなら――」
「首飾りはどうした?」
 今のクロナには、何か違和感があった。首飾りはその一つ、『神の器』の信徒の証である二枚の翼を象った首飾りどころか、首にはそれを吊るす紐すら見当たらない。
「何も、あれは常に身に着けているわけではありませんよ。私達が一般にどのように扱われているかくらい、理解していないわけでもないので」
 返って来た答えは、予想の範囲内。そんな理屈はわかった上で、だからこそ違和感は違和感の域を出ないのだ。
「もういいでしょう。このままいつまでも穏やかに会話を続けられるほど、私はあなたに無関心じゃない」
 殺意を暗に示した言葉を最後に、今度こそ去りゆくクロナを止める言葉はない。
「――あれは?」
 やがて、完全にクロナの姿が消えた庭園で、エスは小さく問いを口にした。
「何というか、刺客だ。龍を殺したからって理由で、俺を殺そうとしてる……多分な」
「っ、龍殺しが狙われてるの?」
 何気ない説明に、エスの声色が跳ねたのは意外だった。まさか俺の心配などしてくれるとは思っていなかったし、実際、心配はともかくエスがそれを気に病む筋合はない。
「ああ。だけど、心配はしなくていい。どうせ俺はあの時――っ!?」
 不安を景気良く笑い飛ばしてやろうとした矢先、その声と気分はけたたましく鳴り響く警鐘の音に掻き消された。
「何の音?」
「『殻の異形』だ。『亜人』が十三……多いな」
 それは、いわゆる特別警鐘。『殻の異形』の観測を告げる音だった。
 本物の特別警鐘の音を聞くのはまだ三度目だが、その法則は魔術学舎の講義で嫌というほど叩き込まれた。今の音列は32番警鐘から東に二単位、つまりこのライカンロープ記念公園の周囲に『殻の異形』の一種である亜人が十三体観測された事を意味する。
 龍や羽馬のような飛行能力を持たず、大きさも『殻の異形』の中では比較的小柄である人間大、そして人型で二足歩行ゆえの身体構造の脆弱さや機動性の悪さと、亜人は弱点の多い種ではあるが、それもあくまで『殻の異形』としては、の話だ。
 龍などの特別に強力な種に限らず、『殻の異形』は例外なく全てがヒト種の天敵たりうる力を持っている。『殻』と呼ばれる表皮は種族差こそあれど人間の打撃や斬撃をほぼ無効化する強度、更に詠唱を必要としない疑似魔術を兼ね備え、生物に共通の弱点である脆弱な幼年期も観測されていない。
 また、異形は運動能力でもヒトのそれを遥かに上回る。ヒトと同じ形をした亜人は最もそれがわかりやすく、肉体はヒトのそれより圧倒的に屈強、膂力に機動力も数段上だ。龍殺しとまではいかずとも、相手にできる魔術師は少なく、むしろそんなものが『殻の異形』の中では弱い部類であるという事実が驚異だと言うべきだろう。
「まさか、クロナか? ……いや」
 タイミングの良過ぎる『殻の異形』の襲撃に『神の器』の信徒の女の顔が浮かぶが、断定するには不確定要素が多過ぎる。『神の器』の過激派には『殻の異形』の侵攻を手助けしている者もいるとは噂で聞いたものの、それが真実である保証もなければ、この場所を荒らされたくないと語っていたクロナがここに亜人を誘導するとも思えない。
 もっとも、逆も然り。あり得ないとも断定できず、要するに考えても無駄なのだが。
「なら、行くわ」
「エス!?」
 俺が取るべき行動を決めるよりも、エスが動く方が先だった。
 だが、おそらくはそれが正解だろう。
 市街警護の任についているわけでもない俺達に、『殻の異形』から人々を守る義務などはない。ただ、今の俺は龍殺しだ。亜人の襲来に居合わせた龍殺しの魔術師が何もせずただ傍観していたとなれば、その肩書には疑問符が付きかねない。もしも、それをきっかけに俺とエスの偽りが公にでもなれば、特にエスにとっては望ましい結果にはならないだろう。
「待て、俺も行く」
 エスを追うように白の庭園を早足で抜け、周囲の様子を確認する。公園内にあった少なくない人影はすでに消え、しかし血痕の類は今のところ目に付かない。上手く避難場所に逃げ込んだのか、それとも亜人がこの公園を素通りしていったのかはわからないが、惨劇の跡が残されているよりはマシだろう。
「これは……」
 そして、次に見つけたものは更に事態を好転させる。
 青緑の液体の上に、横たわる異形の人型。輪郭こそヒトのそれと大差がないものの、全身を覆う表皮は硬質の黒色をしており、奇妙に濁った青緑色の血液が流れ続ける腕の断面も明らかに人間のそれとは大きく異なる。
 警鐘からまだ数分の短時間で、頑強を誇る『殻の異形』の一種、亜人の死体がすでにそこには転がっていた。更に、交戦したであろう魔術師側の被害の跡はない。
「警備隊か、早いな」
 学舎や辺境警備に守られているとは言え、『殻の異形』観測区の隣に位置する学舎下の街には異形による危険が常に付き纏う。それに対処する為の組織として存在するのが、対異形専門警備隊だ。二等以上の魔術師だけで構成された精鋭部隊だとは聞いていたが、実際の働きを見た事がなかったため、それほど信頼はしていなかった。ここまで手際良くやってくれるのなら、評価を改める必要があるだろう。
「……っ、шаф」
 安堵の隙を狙って、というつもりがあったのかはわからないが、視界の右端で跳ねた人影を撃ち落とすべく反射的に口が詠唱を紡ぐ。発生した魔術現象は、風。
「――― ―― ―」
 透明な空気の弾丸が人型の首と両眼球に着弾するも、黒の人型は頭部を僅かに後ろに逸らせただけで、身体はまるでそれを気にも留めない勢いで接近を続けてくる。
『殻の異形』は痛覚が極端に鈍い、あるいはそれを無視する闘争本能があり、その上、負傷にもほとんど動きを緩めずに戦い続ける強靭さを持ち合わせている。倒すには身体の構造的に動けなくなるまで損傷を加えるか、生命を維持するための器官を破壊して絶命させるしかない。
「шаффоф」
 舌は詠唱に追われ、愚痴を吐く暇もない。指輪と詠唱の二重で放たれた風の刃は、交差するように重なり亜人へと着弾。
「―――― ――」
 しかし、二重の風の刃を受けてすら、亜人の疾走はその分僅かに速度を落としただけで着実に俺への距離を詰めてくる。
 半ば予想通りではあるが、心の中で舌打ち。
 亜人に限らず、『殻の異形』の多くはその名の由来となった『殻』とまで評される表皮を初めとした強固な身体を持ち、その闘争に対する姿勢も合わさり無力化は非常に困難を極める。辛うじて弱点と呼べるのは放雷系魔術くらいであり、表皮の隙間を狙うなり切り開くなりして放雷を体内器官に撃ち込めば、その威力に応じて大なり小なり動きを鈍らせる事ができる……のだが。
「кк」
 俺の紡いだ詠唱は水弾。質量で強引に突進の勢いを殺し、辛うじて弾丸と化した亜人の身体を回避するのが精一杯だった。
 よりにもよって、俺の声質は数ある魔術系統の中でも絶望的に放雷系魔術の詠唱に適性がない。最も単純な単節魔術ですら、再現率は9割前後と低く効果範囲はごく僅か、直接殴れる距離にでも近付かなければ『殻の異形』に通用するような威力は到底望めない。
 つまるところ、俺が『殻の異形』を倒す場合、基本的には異常に頑丈な身体を動かなくなるまで破壊し尽くすという効率の悪い手段を選ぶ事になるわけだ。
「тилла――ッ」
 方向転換した亜人の再度の突進を魔術の追撃で止めようとした刹那、視界の右端、時計台の影から飛び出してきた影に警戒が引き上がる。
「エス、右を!」
「ええ」
 声を指示に使った代償に途絶えた詠唱は、左手の指輪で代替。跳躍で亜人の腕の一撃をくぐる最中、交差の瞬間に首元に空気の刃を叩き込む。
「――кк……熱っ」
 視界外の至近から構造的弱点を狙った一撃は、背中越しに不自然に持ち上がった腕に阻まれ、その表皮に浅い傷を付けるに留まる。逆に、遠ざかる俺を追い落とすべく亜人の放った火炎は、咄嗟に展開した水の壁を熱蒸気に変え、なおも俺の身を炙っていた。
「くっ――шафф, ора」
 体勢を立て直す間もなく詰め寄って来た亜人から、空気の刃と爆発を牽制にどうにか距離を取る。
 わかってはいたが、やはり俺では『殻の異形』に対して絶望的なまでに相性が悪い。
 放雷魔術の適性の低さもそうだが、それ以上に問題なのは戦闘法。対人戦用、詠唱を吐かせる間もなく至近距離で押し潰すのが俺の基本戦術だが、接近戦では異形の運動能力が十二分に発揮されてしまう。その上、亜人を含む『殻の異形』の扱う疑似魔術は詠唱や動作を必要としない、少なくともヒトには予備動作を読み取れない即時発動であり、こちらの狙いも全く意味を成さない。
 更に言えば、形こそ人間に似ているが、亜人はその知覚器官も身体構造も人のそれとは異なるため、死角や関節可動域等、対人の隙を突いたところで効果は薄い。むしろ予想外の挙動から反撃を喰らうリスクの方が大きいくらいだ。
「こっちは終わったけど」
 俺が防戦に四苦八苦しているところで、エスの控え目な言葉が耳へと届いた。努めて期待せず視線を向けた先にあったのは、傷どころか息一つ乱してすらいない少女と、その足元で動かなくなった亜人の姿。
 エスの動きはそれとなく視界に捉えていたつもりだったが、彼女が如何にして亜人を斃したのかについては、その瞬間を全く確認できてはいなかった。
 魔術詠唱を紡いだ様子もなければ、第二種魔術具を携帯していた素振りもない。だとすれば、そのどちらにも属さない第三種魔術、『殻の異形』の擬似魔術や過日の遺物の一部もそこに分類される例外魔術と呼ばれる類の体系化されていない魔術を使ったか、あるいは純粋に肉弾戦で押し切ったかの異常な二択のどちらかという事になるのだろうか。
「こっちも頼む!」
 もっとも、手段はどうあれ、結果を見ればエスの『殻の異形』を殺す能力が俺の比でなく優れているのは間違いない。思考より見栄より、今は実利が優先だ。
「わかった。少し耐えてて」
「わかってる――っ」
 亜人の疑似魔術により放たれた弾丸を空気の弾丸で相殺しつつ、向かいの人工林区画へと走る。亜人を倒すには俺の火力は足りていないが、相手の方にも絶対的な決め手があるわけではない。時間を稼ぐくらいなら、それほど難しくはないはずだ。
 空気の刃の連発で足を止めつつ、人工林の木々の中に飛び込む。亜人の知覚はヒトよりも鋭く、等間隔に生えた木程度では身を隠すには不足だが、気休めの盾くらいにはなる。
 そして、そうこうしている内に、亜人の背へとエスが距離を詰めている。魔術師の中では近接戦闘に長けた俺でも単純な機動力では足元にも及ばない亜人、それよりもエスは更に数段速かった。
 思えば、俺はまだエスの力についてほとんど知らない。龍を殺した時も、先程の亜人の時も、エスの攻撃手段については目の当たりにできていないのだ。
 だから、その瞬間を見たいと欲を掻いてしまったのだろう。
「――ルイン、後ろ!」
 自らが身を隠すために選んだ木々の中、背後に潜んでいた存在に気付くのが遅れた。
 亜人は、ヒトの言語こそ話せないものの、独自の魔術体系とヒトを殺すという明確な目的意識を保持している。不意打ち程度の行為はもちろん、近辺にいた亜人と連携して俺をこの場所まで追い込むくらいの策を立てる知能があっても何もおかしくはなかった。
「くっ――」
 背後で熱が膨れ上がるのを肌で感じる。今からでは到底詠唱など間に合うはずもない。
 だが、まだ終わってはいない。あの時ほど、龍の口孔に射竦められた時ほど状況は絶望的ではない。
 暴発覚悟で全ての指輪の紋様を照らし、爆発、放水、風圧の魔術現象を同時に喚起しようと試みる。反動で身体を飛ばしながら水の盾を張れば、火炎の直撃だけは避けながら距離を取る事ができるかもしれない。
 自爆紛いの魔術展開の直前、奇妙な魔術詠唱が聞こえた。瞬間、硬質の破壊音と共に背後の熱が掻き消えていく。
「お前は――」
 指輪の魔術を寸前で不発に留めて振り返った先、そこには一つの人影と一つの亡骸があった。四肢と首を断ち切られ六つに分かれた亜人の骸の奥、柵の裏からこちらに向かって歩み寄るのは見知った顔の女。
「そう睨まないでください。一応、命の恩人という事になるんですから」
 亜人を殺し俺を救った人物は、よりにもよって『神の器』の刺客を名乗り俺を殺そうとしていたはずの女、クロナだった。
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