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一章 龍殺し
1-7 約束
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ヤネハから指輪を受け取った俺は、ある用事を済ませるために魔術学舎、そして学舎下の街を出て東の方角へと歩を進めていた。
「――相変わらず、こっちは露骨に廃れてくるな」
E-13区画の中でも最も栄えた地域の一つである学舎下は、だが地理的には区画の中心部というわけではない。すぐ東側には旧廃墟群、つまり『殻の異形』観測区がある東端の土地であり、そのため学舎の東側に暮らそうとする者は少なく、東に進むにつれて風景は加速度的に寂れたものへと変わっていく。そんな一歩間違えれば危険地帯ともなりうる立地にありながら学舎下があれほどの繁栄を見せているのは、学舎の経済的な影響力と同時にその防衛機構としての信頼度の高さを示す例だった。
「……急ぐか」
危険で人気がないとは言っても、『殻の異形』観測区と学舎との間に全く人がいないというわけではない。
特に、旧廃墟群の一歩手前のこの近辺には、『神の器』の信徒の一部が小さな生活域を築き上げている。それも、自らの身を顧みずこんな場所で過ごせるような信徒は、信仰対象である『殻の異形』の贄となるのであれば本望というとびきりの過激派だ。先日のクロナとまでは行かずとも、俺の顔を見て凶行に走る者がいてもおかしくはない。
「ふぅ……」
幸いにか、それともルートの選択が良かったのか、襲われるどころかすれ違う距離で人影を見かける事もなく、いわゆる旧廃墟群にまで辿り着く事ができた。
旧廃墟群、正式名称は『殻の異形』観測区。
『殻の異形』が頻繁に観測される地域は、実際のところ、現在のヒトの生息圏よりも圧倒的に広大であるとされている。少なくとも、統一政府により統治された26の区域はかつての人間世界のほんの一部であり、その周囲を取り囲むように『殻の異形』観測区、かつてのヒト種の生息圏である旧廃墟群が存在している。
遭遇したヒトを即座に殺しにかかる『殻の異形』が蠢き、統一歴以前の半壊や全壊した建造物だけが残る旧廃墟群なんて場所に暮らす人間は、俺の知る限りでは一人しかいない。
「入るぞ、エス」
記憶が正しければ、小奇麗な廃墟、少なくとも俺の目にはそうとしか見えない外壁の剥がれ尽くした建造物が、わざわざここまで足を運んだ目的地のはずだ。正直、ほとんど周りの廃墟と見分けは付かないが、どうにか扉の役割を果たしている板の右側に、前回の去り際に残しておいた赤色の目印がある。
「どうぞ」
中からの返事を受けて扉を開けると、そこは記憶にあるままの殺風景な空間だった。
内装は外から見た印象ほどは破滅的ではないものの、くすんだ灰色の壁で囲われた空間には全くと言っていいほどモノが無い。娯楽品の類どころか、家具すら椅子と呼べるかどうかすら微妙な木箱一つしかなく、そこが住居の役割を果たしていると示すモノは、他でもない住人ただ一人しか存在していなかった。
無色の空間の住人は、一見してその場所に相応しくない一人の少女。
まだ幼げな容貌ながら、その外見が愛らしさよりも美しさ、それも芸術品のそれに近しい美を纏っているような印象を覚えるのは、完璧なまでに整った顔立ちと肌に瞳、髪に至るまでの徹底した色素の薄さ、そして感情の起伏を一切感じさせない無表情ゆえだろう。薄い布切れ一枚だけの衣服も、彼女には妙に似合って見える。
「来たのね」
「当然。そういう約束だっただろ」
「だとしても、人は必ず約束を守るように作られてはいないから」
平坦で冷たい少女の声は、表情と同じように内面を一切表す事はない。ただ、順当に考えれば、俺が約束を守った事を喜んではいるはずだ。
「それじゃあ、行こうか」
「つまり、場所は用意できたの?」
「もちろん。二人暮らしには広すぎるくらいの家だ」
少女、エスと俺が交わした取り決めの一つは、同じ場所で共に暮らす事。
エスは当初、俺にここに住んでもらうつもりだったらしいが、俺が家を用意するという条件で住処を移す事に同意してもらった。
「荷物はあるか? ……いや、野暮か」
あまりに質素な空間は、人が住むに相応しくないどころかそもそもモノがない。隠し扉でもあれば話は別だが、少なくとも俺の目には荷物と呼べるものは見当たらなかった。
「荷物、というほどのものはないわ。……これだけあれば」
だから、エスが木箱の中に手を入れて何かを取り出したのは意外だった。
小さな手の中に乗っていたのは、そこに収まる程度の大きさの銀色の箱。開け口等があるようには見えないそれは、いわゆる金属塊だと想像できるが、手の平に乗る程度の大きさのそれでは売り払っても大した価格にはならないだろう。思い出の品というにもあまりに無機質で、要するにエスがあえてそれだけを持ち運ぶ理由は思いつかない。
「そうか、それなら行こう」
銀の箱が何なのかは気に掛かるが、エスが自分から語らないそれについて踏み込める関係性かどうかは微妙だ。結果、悩むくらいなら聞かない事を選択。
「そう。じゃあ、一つ聞くわ」
代わりにエスの気軽に口にした問いはどこまでも重く、そしてそれが俺達の関係性の全てだった。
「あなたは、無事に龍殺しになれた?」
「――相変わらず、こっちは露骨に廃れてくるな」
E-13区画の中でも最も栄えた地域の一つである学舎下は、だが地理的には区画の中心部というわけではない。すぐ東側には旧廃墟群、つまり『殻の異形』観測区がある東端の土地であり、そのため学舎の東側に暮らそうとする者は少なく、東に進むにつれて風景は加速度的に寂れたものへと変わっていく。そんな一歩間違えれば危険地帯ともなりうる立地にありながら学舎下があれほどの繁栄を見せているのは、学舎の経済的な影響力と同時にその防衛機構としての信頼度の高さを示す例だった。
「……急ぐか」
危険で人気がないとは言っても、『殻の異形』観測区と学舎との間に全く人がいないというわけではない。
特に、旧廃墟群の一歩手前のこの近辺には、『神の器』の信徒の一部が小さな生活域を築き上げている。それも、自らの身を顧みずこんな場所で過ごせるような信徒は、信仰対象である『殻の異形』の贄となるのであれば本望というとびきりの過激派だ。先日のクロナとまでは行かずとも、俺の顔を見て凶行に走る者がいてもおかしくはない。
「ふぅ……」
幸いにか、それともルートの選択が良かったのか、襲われるどころかすれ違う距離で人影を見かける事もなく、いわゆる旧廃墟群にまで辿り着く事ができた。
旧廃墟群、正式名称は『殻の異形』観測区。
『殻の異形』が頻繁に観測される地域は、実際のところ、現在のヒトの生息圏よりも圧倒的に広大であるとされている。少なくとも、統一政府により統治された26の区域はかつての人間世界のほんの一部であり、その周囲を取り囲むように『殻の異形』観測区、かつてのヒト種の生息圏である旧廃墟群が存在している。
遭遇したヒトを即座に殺しにかかる『殻の異形』が蠢き、統一歴以前の半壊や全壊した建造物だけが残る旧廃墟群なんて場所に暮らす人間は、俺の知る限りでは一人しかいない。
「入るぞ、エス」
記憶が正しければ、小奇麗な廃墟、少なくとも俺の目にはそうとしか見えない外壁の剥がれ尽くした建造物が、わざわざここまで足を運んだ目的地のはずだ。正直、ほとんど周りの廃墟と見分けは付かないが、どうにか扉の役割を果たしている板の右側に、前回の去り際に残しておいた赤色の目印がある。
「どうぞ」
中からの返事を受けて扉を開けると、そこは記憶にあるままの殺風景な空間だった。
内装は外から見た印象ほどは破滅的ではないものの、くすんだ灰色の壁で囲われた空間には全くと言っていいほどモノが無い。娯楽品の類どころか、家具すら椅子と呼べるかどうかすら微妙な木箱一つしかなく、そこが住居の役割を果たしていると示すモノは、他でもない住人ただ一人しか存在していなかった。
無色の空間の住人は、一見してその場所に相応しくない一人の少女。
まだ幼げな容貌ながら、その外見が愛らしさよりも美しさ、それも芸術品のそれに近しい美を纏っているような印象を覚えるのは、完璧なまでに整った顔立ちと肌に瞳、髪に至るまでの徹底した色素の薄さ、そして感情の起伏を一切感じさせない無表情ゆえだろう。薄い布切れ一枚だけの衣服も、彼女には妙に似合って見える。
「来たのね」
「当然。そういう約束だっただろ」
「だとしても、人は必ず約束を守るように作られてはいないから」
平坦で冷たい少女の声は、表情と同じように内面を一切表す事はない。ただ、順当に考えれば、俺が約束を守った事を喜んではいるはずだ。
「それじゃあ、行こうか」
「つまり、場所は用意できたの?」
「もちろん。二人暮らしには広すぎるくらいの家だ」
少女、エスと俺が交わした取り決めの一つは、同じ場所で共に暮らす事。
エスは当初、俺にここに住んでもらうつもりだったらしいが、俺が家を用意するという条件で住処を移す事に同意してもらった。
「荷物はあるか? ……いや、野暮か」
あまりに質素な空間は、人が住むに相応しくないどころかそもそもモノがない。隠し扉でもあれば話は別だが、少なくとも俺の目には荷物と呼べるものは見当たらなかった。
「荷物、というほどのものはないわ。……これだけあれば」
だから、エスが木箱の中に手を入れて何かを取り出したのは意外だった。
小さな手の中に乗っていたのは、そこに収まる程度の大きさの銀色の箱。開け口等があるようには見えないそれは、いわゆる金属塊だと想像できるが、手の平に乗る程度の大きさのそれでは売り払っても大した価格にはならないだろう。思い出の品というにもあまりに無機質で、要するにエスがあえてそれだけを持ち運ぶ理由は思いつかない。
「そうか、それなら行こう」
銀の箱が何なのかは気に掛かるが、エスが自分から語らないそれについて踏み込める関係性かどうかは微妙だ。結果、悩むくらいなら聞かない事を選択。
「そう。じゃあ、一つ聞くわ」
代わりにエスの気軽に口にした問いはどこまでも重く、そしてそれが俺達の関係性の全てだった。
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