勇者のいない世界で

玄城 克博

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Ⅳ Satan

4-4 魔法使い

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「中も普通に病院だな」

 一同で正面入口から足を踏み入れた建物内部、最初に待っていたのは照明で真白に照らされた病院のエントランスだった。本来、この時間なら照明は消えているはずだが、単に暗くては不便という事か、それとも『俺達の知る病院』を再現しているつもりなのか。どちらにしても、俺はまるであの頃に戻ったような感覚に襲われていた。

「藍沢は、どうしてここまで付いてきたんだ?」

 沈みかねない気を紛らわすため、この病院とは縁の薄いだろう藍沢に話しかける。

「えっ、もしかして、帰れって言われてます?」

「それも間違っちゃいないけど」

「そんなつれない事を。私達、仲間じゃないですか」

 爽やかに親指を立ててみせる藍沢は、何というかひどく場違いに見えた。

 そもそも、生徒会が謳歌と戦うパーティとして成立した過程について、俺は詳しくは知らない。初期、俺と由実だけが謳歌の兵と戦っていた『ゲーム』において、その痕跡を目聡く見つけた副会長、そして彼と由実の話を聞いた役員達が興味を抱いた事、会長を除いて生徒会の全員が偶然にも超常の力を持ち合わせていた事、などを由実を通して聞きはしたものの、それだけでは納得のいかない部分も多い。

「……真面目な話は、あんまりしたくないんですけど」

 俺の表情を見て空気を読んだか、藍沢の声のトーンが一段落ちる。

「先輩のためですよ」

 更に小さく、か細い囁き。

「それは、俺の事か?」

「別に、どっちでもいいですけど」

 そう告げる声は、すでにいつもの軽い調子に戻っていた。

「どうせ、選ばれるのは由実先輩か魔王さまですし。だから私がどう思ってようと、先輩には特に関係ない話で、どうでもいいんですよー」

 軽い口調の中に、予想外の事実が込められていた。

 藍沢は、俺を好いていてくれていたという。そして、俺の目には由実と謳歌しか見えていない事を知りながら、そんな俺のために『ゲーム』に参加する事を決めた。

 それが本当だとしたら、なんと残酷な話なのだろう。叶わない恋ならまだしも、俺は由実と謳歌のためなら、藍沢を含む生徒会をいざという時に犠牲にするつもりでいる。藍沢の言葉を聞いた今ですら、それは変わらないのだから。

「……………………」

「あれっ、もしかしてぇ、騙されちゃいました? 冗談ですよ、冗談! 私が先輩の事なんて好きなわけがないじゃないですか!」

 一転して、嘲笑。

 藍沢雛姫は、演技の上手い少女だった。先程の告白、あるいは今の撤回。どちらが嘘だったとしても、素の俺の目には見破れなかった。

 そして、魔眼は使わない。少しでも可能性があるのなら、それを暴き立てて真実を確定させてしまいたくはなかった。

 結果的には、その判断は失敗だったのだろう。

「っ、せんぱ――」

 魔眼を展開していなかった俺を含め、俺達の中で最初にそれに気付いたのは魔法使いである藍沢だった。

「藍沢!?」

 気付いていながら、藍沢はそれに対してどこまでも無力だった。

 俺の目に映ったのは、色を失った空間とその中に囚われた藍沢の姿。そして、それ以上を観察する暇もないままに、藍沢の姿は無色の空間と共に消え去っていた。

「――――」

 あまりにも唐突で、それでいて呆気ない事態に、誰も言葉を発す事ができない。

 魔眼を通してでない俺の目で見たものは、この場の誰にとっても同じく見えていただろう。空間の消失、藍沢の喪失。それはまさしく他でもない――

「――魔王っ!」

 激昂。

 目の前で行われた魔王事件の小規模な再現に、副会長が弾けたように模造刀を抜く。

「おっと、怖い怖い。いい勘してるね」

 何もない宙へと振るわれたかに見えた刀は、だが姿を消してそこにいた謳歌の身体を軌道に捉えていた。

「ありがとう、わざわざ来てくれて。おかげで、魔法使いちゃんはもうこの世界にはいなくなっちゃったけど」

 副会長の模造刀を黒い光の剣で受け止めながら、謳歌は口元だけで笑う。

「「謳歌ぁっ!!」」

 俺と由実の声が重なった。

 光の矢が三本、副会長から距離を取る謳歌の後を追い、それを黒の壁で防ごうとした隙を俺の突きで抉りに行く。

「いいね、そうでなくっちゃ」

 だが、所詮は素人の棒術。身体能力も並程度の俺の一撃は、後方への退避で軽く躱され魔王には掠りもしない。

「椿、頼む!」

 だが、そんな事は視えていた。俺はあくまで補助、椿が届くまでの時間稼ぎさえできればそれでいい。

 由実の援護射撃を背に、椿は普段の彼女からは想像もできない豪速の拳を振るう。拳は間一髪で受けに回った謳歌の光剣と互いに弾き合うと、崩れた体制のまま、俺の手渡していた棒を強引に謳歌の横腹へと叩き込んだ。

「くっ……」

 やり過ぎだ、との思いが一瞬だけ頭を過ぎる。

 刃などない棒でありながら、椿の一閃は謳歌の腹部を捉えると、その柔肉を軽々と切り裂いていた。傷口から流れ出る朱が、否応無しに謳歌の身を案じさせる。

「なんて、ね!」

 だが、呻き声を上げた謳歌は、次の瞬間には反撃の黒光を椿に浴びせると、負傷を感じさせない跳躍で後方へ距離を取っていた。

「チッ」

 後を追おうとした副会長の前では、宙を舞った血液が不規則に動く弾幕となり進路を塞ぐ。椿の光矢も黒光の盾に防がれ、決定打を与えるには至らない。

「やっぱり、そう簡単にやられてあげるわけにはいかないかな」

 瞬く間に距離を離しながら、謳歌はその姿を消していく。曲がり角に消えるところまでは魔眼で捕捉していたが、そこから先は消耗を抑えるために解除する。去る寸前の謳歌の脇腹、裂けた服の下にあった傷はすでに塞がっていた。

「椿さん、大丈夫!?」

「は、はい……平気で、す」

 対するこちらは、黒光をもろに浴びた椿が無防備に床に転がる。白岡が治癒に回ると身体を起こし、顔色も良くなっていくが、そもそも主な打撃が外傷でなかったため、どの程度まで回復したのかを判断するのは難しい。

「それよりも、藍沢さんが……」

 そして、藍沢だ。事態を把握できていないであろう椿の言葉は、それゆえに単刀直入に本題に切り込んできた。

「藍沢は、消えた」

 声を絞り出したのは、唇から血を流した副会長。

「……それって」

 その形相と重い声色に、椿もそれがどういった意味を持つのか理解したようだった。

 奧光学園生徒会書記、俺の後輩であり直接の好意を告げてくれた藍沢雛姫は、魔王の力により空間ごと消失していた。
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