勇者のいない世界で

玄城 克博

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Ⅲ Archer

3-1 決定

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「宗耶さん、宗耶さん! 朝ですよ!」

 二日連続の椿の目覚ましの声が、はっきりと布団の中の俺の耳に届く。

「うん、知ってるし起きてる。ついでにこれから寝る」

 牛丼屋を出て家に戻ったのが四時過ぎ、そこから風呂に入っていろいろあって五時半くらい。そこからさらに考え事をしていたら、もうすっかり朝になっていた。

「寝ちゃ駄目ですよ! もう七時半を過ぎてます!」

 昨日と違い時間が本当にぎりぎりな事もあり、流石の椿にもあまり遠慮がない。悪意がなくとも単純にうるさいので、耳を塞いで布団にくるまる。

「いいんだよ、今日は土曜日なんだから」

「えっ、じゃあ、学校はお休みなんですか?」

「いや、今週は休みではないけど」

 少し迷うが、本当の事を言う。それどころか今日はまさに終業式だが、休んだところで何があるわけでもない。

「駄目じゃないですか!」

「大丈夫、今日も授業なんか無いし。それに、昨日の疲れが残ってて動けないんだ」

 これは嘘である。深夜に牛丼を食べに行くだけの体力があれば、学校までの往復など大した運動ではない。

「そういう事だから、俺のテストは代わりに受け取ってくれると嬉しいな」

 椿なら、テストの点数をこっそり見たりはしないだろう。見られたところで別にどうという事も無いのだが。

「じゃあ、そういう事で」

「え、ちょっと、宗耶さん! えっと、どうすれば……」

 布団を被って顔を隠すと、椿はあたふたしながらも最後には鞄を持って部屋を出ていった。由実だったらこう簡単にはいかなかっただろう。よかったよかった。

「じゃあ、寝るか」

 太陽の光が凄まじく鬱陶しいので、開け放たれたカーテンをシャーッ。それでも漏れる日差しはもう諦めるしかない。目を閉じればなんとかなるだろう。



「――宗耶、おい、宗耶、起きろ」

 しかし、いつの間に部屋まで来たのか、今度は由実の声に起床を促された。

「なんだ、由実か? 俺は今日は学校を休むんだ。休むったら休むんだ」

「お前が休んだのは知ってるし、それを責めに来たわけでもない。いいから起きろ」

 どうも話が噛み合っていない気がする。重い瞼を開けるなり視界に飛び込んで来た由実の顔は、たしかに怒っては見えなかった。そして、なぜか顔が赤い。いや、紅い。

「えっ、もう夕方? おかしくない? さっき目閉じたばっかなんだけど」

「? 何を言ってるのかわからないが、今は4時27分、夕方と言えば夕方だな」

 それはおかしい。だってついさっき寝たばかりだもの。椿が出て行って目を閉じて、それですぐ由実で夕方だもの。

「寝惚けているのなら顔でも洗ってくるか?」

「いや、大丈夫。頭は多分いつも通りまともだから」

 信じられない事態だが、信じざるを得ない。俺は朝、昼を感覚的には一瞬の間に寝たままで過ごしてしまったらしい。

「それなら、本題に入るが。まず、謳歌からの連絡があった」

 そんな俺の内心の動揺を知らずか、由実がポケットから四つ折りの紙片を取り出す。

 謳歌からの連絡はこの形で伝えられる事が多い。これまで気にした事は無かったが、謳歌はいつもどのようにして由実にこの紙を渡しているのだろうか。

「この紙によると、24日、いや、25日になるのか? とにかく明後日の深夜、24日から25日になる12時ちょうどに侵攻してくるらしい」

 昨日の謳歌の言葉はどうやら本気だったらしい。困ったものだ、これでは何のために副会長と戦ったのかわからない。

「それと、今回は謳歌本人が攻め込んで来る、と書かれている」

 由実の投げた紙片は、ベッドの上の俺へ届く事なく空気抵抗を受けて床へ落ちた。由実にしては珍しい凡ミスは、内心の動揺によるものだろうか。

「なるほど、確かにそうみたいだな」

 ベッドから体を乗り出し、拾った紙片にあったのは『クリスマスイブの12時、私』と簡潔ながら書き手の雑さの伝わる一文。午前か午後かくらい書けよ、わかるけど。

 ついでに由実のスカートを覗き込むと、履き手の清廉さを示す純白が俺の心の薄汚さを糾弾してくる。ここまで無防備なのは、珍しいを通り越してまずいかもしれない。

「他のメンバーも全員来るのか?」

「ああ、副会長の提案にも特に反対意見は出なかったくらいだ。会長も見物に来るらしい」

 傍目には、というより、最も由実に近いであろう俺から見ても、その振舞いは普段と変わりない。だが俺にはそれが、逆にとても危うく見えた。

 一昨日の朝でさえ、由実は目に見えるほど苛立っていたのだ。

 由実自身は気付いていなかったかもしれないが、あれは葛藤だったのだろう。由実にとって絶対だったはずの謳歌への殺意、それが実際に成就されるかもしれない事態になって初めて感じた幼馴染を殺す事への躊躇い。それが由実を乱していたのだと信じたい。

 だが、謳歌との決戦、謳歌曰くの聖戦がいよいよ具体的に日付まで決定した現実となった今、由実は表面上穏やかに過ぎる。

 そんなわけがないのだ。表に出ていない分、内では昨日の比ではないくらいに葛藤しているに違いない。そして、その葛藤が終わってしまってからでは遅い。

「なあ、由実」

 だから、俺は視る事に決めた。由実の心を、感情を。何だって視る事のできるこの目で。

「なんだ、宗耶……」

 俺の呼び掛けに反応した由実と目が合う。頭一つも離れていないこの距離なら、他でもない由実が相手なら、それだけで十分。

「……視たな」

 そして、俺の表情の変化もまた、由実が状況を察するには十分だった。

「由実、お前はやっぱり謳歌を……」

 殺す。

 ごく短い瞬間に読み取れたのはそれだけ。それはつまり、それだけしか読み取れないほど今の由実の頭の中の謳歌への殺意が固まってしまっていたという事で。

 なんて事はない。由実の中ではとっくに結論は出ていたのだ。この数年の間悩んで出した結論、それが一昨日の時点でほんの少し揺らぎ、そして収まったに過ぎない。

 ならば、今日再び同じような問題に直面したところで、もはや由実は揺らがない。

 もしも俺が由実を説得しようとすれば、それは今ではなく一昨日のあの時、あるいは昨日の時点でも、もしかしたらチャンスはあったかもしれない。呑気に椿や副会長などに構っている場合ではなかったのだ。

「いい機会だ。わかっていたとは、そしてわかったとは思うが言っておく。私は謳歌を殺す。そして、それは謳歌が危険だからでも、ましてそういう『ゲーム』だからでもない」

 そう、由実は謳歌を――

「ただ、憎いから殺すんだ」

 ――あの時からずっと、少しも褪せる事無く憎んでいたのだから。

「なぁ、宗耶」

 由実は問う。

「お前は、謳歌を恨んではいないのか?」

 なぜあの事件の後も、俺が昔と同じように謳歌と接する事ができるのか。それが由実には理解できない。きっとそれは、あの時、あの場所で謳歌を直接視た俺と、あの場にいなかった由実との間に生まれた認識の違い。

 魔王事件の当日、由実だけは用事があり謳歌の見舞いに行く事ができなかった。その用事がなんだったのか、当事者の由実はともかく俺は覚えていないが、あの場に居合わせなかったのはむしろ幸運だったのかもしれない。

「恨みはしなかったな。ただ、悲しかっただけだ」

 ただ、その為かは定かではないが、由実の中で出た結論は俺のそれとは違った。

「そうだな。だが、私は恨んだ。そして、憎んでしまった。だから、私は謳歌を殺す」

 きっと、由実もわかっている。今になって謳歌を殺したところで、何も満たされはしない事を。むしろ、幼馴染をまた一人失い、俺達の穴は更に広がるだけだ。

「なぁ、宗耶」

 だが、違うのだ。由実にとって謳歌は、おそらくもう勇奈と同格の幼馴染ではない。いや、そもそもからしてそうではなかったのかもしれない。

「お前は、死んだのが謳歌の方だったら、同じように冷静でいられたのか?」

 それは、冷徹な比較。友人二人を天秤にかけ、由実は勇奈を謳歌よりも大切な友人であり、そして前者の復讐のために後者を殺すと決めた。

 その格付けが決定的になったのは間違いなくあの日、あの事件によってだろうが、そうでなくても謳歌と勇奈が全く同じ人間でない以上、二人の間に違いはある。その違いの一つ、出会った時期だけを比べれば、由実にとっての勇奈は、俺にとっては由実でも勇奈でもなく謳歌である事は否定しようがない。

「冷静かどうかはわからないけど、俺は幼馴染の復讐のために幼馴染は殺せない」

 ただ、由実の言う通りに謳歌が最も大切だったのだとしても、俺にとってその格付けは絶対的に遵守するようなものではない。失ってしまった者ならば尚更だ。

「……そうだろうな。多分、お前の考え方の方が良い」

 だが――

「だが、私には耐えられない。割り切れないんだ。勝手だが……」

 いかに幼馴染であろうと、絶対的に俺達は他者だった。お互いの考えている事すら理解できたとしても、それはあくまで理解できるだけでしかない。

「だから、せめてお前にも私と同じ天秤を味わってもらう」

 ふと、由実の手から放たれた一撃は、怠慢に過ぎた。

 構えの動作からして遅く、放たれた光矢は後反応でも避けられるほどの遅速。だが、その狙いだけは鳥肌が立つほど正確に先程までの俺の眉間の位置へと放たれた。

「勇奈の代わりに私だ。私と謳歌、どちらを選ぶか見せてもらおう」

 追撃に備えベッドから転がり体勢を立て直すも、由実はすでに俺を見てはいなかった。

「今夜十二時、学校で待つ。それまで精々考えているといい」

 そしてその言葉を最後に、由実はこちらを振り返る事なく部屋の扉から姿を消した。

「……ったく、どいつもこいつも」

 なかなか思い通りにはいかないものだ。各々が自分の望むように事を進めたがり、そのどれが正しいとも言えない。いっその事全てが正しい勇者でもいてくれれば話は早いのだろうが、残念ながら勇者はもうこの世界にはいない。

「まぁ、いい機会かもな」

 由実の謳歌への殺意はずっと前から知っていた。ただ、それに触れる勇気が無かっただけだ。時間的にも限界の今この時、例えもう由実の決断を変えられないのだとしても、向き合う機会ができたのは悪い事ばかりではない。

「謳歌の皿に俺まで乗せて、それでも勇奈の方に傾くかどうか」

 ただ同時に、それは向き合わずに済むのならそのままで済ませたい事柄でもあった。
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