勇者のいない世界で

玄城 克博

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Ⅰ Brave

1-8 好意

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「…………」

 目を開く。瞼はまだ若干重いものの、目を開けていられないというほどではない。そして、今の俺が視覚以外から得られる情報はあまりに少なかった。

「……………………」

 ただ、静寂。わずかに聞こえる音は、由実が本のページをめくる音と、椿が姿勢を直す時に生じる衣擦れの音、それらを除くとあとは俺の心臓の音だけだった。

「……何してんの?」

 俺の声に、由実と椿が一斉にこちらを向く。

「宗耶が起きるのを待っていたんだ」

 由実は本を畳むと、キッチンへと歩いていく。夕食の用意でもしてくれるのだろうか。

「椿さんは?」

「えっと、私も遊馬さんが起きるのを待ってました」

「あ、そう……」

 由実と違い、こちらは本当に何もせずにただ待っていたようだ。

 特にやる事もなく、人の家のものに勝手に触れるのも躊躇われるのだろうが、それにしても何もせず座っているだけというのは退屈に過ぎる。せめてテレビでも見ていれば少しは暇潰しになるだろうに。

 気遣い半分で、床に落ちていたリモコンを拾い、テレビを付ける。本音としては、この空間に漂う重い空気を払拭したいという意図の方が強いのだが。

「パジャマとか持ってるの?」

「パジャマ、ですか。それなら白樺さんに貸してもらう事になってます」

 用意周到な由実によって、あっさりと裸Yシャツの夢は断たれる。

「由実は一回家に帰ったのかな」

「はい、遊馬さんが眠ってからすぐに帰ったみたいです」

 正直言って、俺も椿と話す事はあまり思い浮かばない。やかましいテレビの声が沈黙を誤魔化してくれるのが幸いだ。やはりナイスな判断だったと言えよう。

「宗耶、ガスコンロはどこにある?」

「あー、多分フライパンとかと同じとこだったと思うけど」

 由実の声を救いとばかりに、俺もその場を離れてキッチンへと向かう。

 夕食は、寒い季節にはありがたい事に鍋だった。冷蔵庫にろくなものがあったとは思えないので、食材も買い出しに行ったのだろう。冷めても温めるのが容易な鍋は、いつ目覚めるかわからない俺を待つにも都合が良い。

「由実の母さんは家に泊まるの許してくれたのか?」

「ああ、母さんはお前の事を過剰に信頼し過ぎているからな」

 二人で肩を並べて鍋や食器を運ぶ。ガスコンロも見つかったようで何よりだ。

「二人もまだ食ってないのか?」

 しかし、どう見ても由実の運ぶ食器の数は俺の分だけではなかった。

「だから、待っていた、と言っただろう」

 時計を見ると、既に九時を回っている。変に律義なところのある由実だが、なにも俺を相手にそんなに気を使う事も無いだろうに。

「じゃあ、さっさと食べるか」

 椿を呼び寄せて、三人で食卓につく。

 四人暮らしの頃の配置のままに、二対二で椅子の向き合った食卓。俺と由実が向かい合わせになり、そして椿は俺の横に座った。各々が適当に食前の挨拶を口にし、各々で具材を取って皿や口に運んでいく。

「相変わらず、由実は意外に料理が上手いな」

「そうか? 鍋なんてそれほど難しくないだろう」

 なぜだろうか、由実は一人暮らしの俺よりも料理が上手い。俺が真面目に料理に取り組んでいないのもあるのだろうが、それにしても目の前の鍋は普通に美味かった。

「いや、本当に。嫁に欲しいくらいだ」

「お前は夫じゃなくヒモにしかならないだろうから嫌だな」

 気心が知れ過ぎていて、ほんの少しも照れない。幼馴染とは難儀なものだ。

 一方、お互いの距離が遠過ぎるというのは更に問題だ。仕方ないのだろうが、椿は俺と由実の会話に一向に口を挟もうとはしない。

「椿さんは料理とかできるの?」

「そうですね、簡単なものなら少しくらいは……」

 ゆえに、会話に入れようとすればこちらから話を振るしかないのだが、俺の振りが下手なのか、椿が消極的なのか、それともその両方か、なかなか話は上手く転がらない。

「今の内に誰がどこで寝るかを決めておいた方がいいだろうか」

 そして、由実はこちらのフォローをする気はないようだ。こうなるだろうとは思っていたが、やはり由実は椿にあまり良い感情を抱いていない。

「俺は自分のベッドを譲るつもりは無いぞ」

 だからと言って、俺にも無理に二人を仲良くさせるつもりはない。誰しも嫌いなものは嫌いで、駄目なものは駄目なのだ。

「私だってお前のベッドなんかで寝るつもりはない。たしか客用の布団があっただろう?」

「ああ、物置に入ってるけど、それにしても敷く場所がなぁ……ベッドも二つあるし、由実と椿さんは親の部屋で寝るのが一番楽ではあるか」

 両親が仕事の都合で住居を移した後も、寝室は特に手を付けず放置したままだ。どうせ俺の使っていた部屋でもないわけで、今では実質空き部屋同然になっている。

「まぁ、その辺りが妥当だな」

 意外にも、由実は大して悩む様子も無く俺の提案を受け入れる。由実としては椿と同じ部屋で寝る事になるが、そこに抵抗する気はないらしい。

「じゃあ、まぁそういう事でいいかな」

 椿への問い掛けの意図も含んだ言葉は、返事が無かった事でただ結論の言葉となった。

「それでは、私は先に風呂に入ってくる」

 手早く食事を終えた由実は、食器を片付けてそのまま風呂場へと向かっていく。食事は俺を待っていたのに、一番風呂は譲るつもりが無いらしい。

「先に、ってことは後から入って来いって事か?」

「どこをどう聞いたらそう聞こえるんだ」

 溜息を一つ吐くと、由実は振り返りもせずそのまま風呂場へと入って行った。

「ん? よく考えれば否定はされなかったな」

「……やっぱり、付き合ってるんですよね?」

 完全に独り言のつもりで口にした言葉が、椿の控え目な声に拾われてしまう。

「由実曰く、過去にも未来にも俺と由実が付き合うという事はないらしい」

「でも、二人はすごく仲が良さそうに見えます」

 さて、一体何を見てそう判断したのだろう。少なくともまだ、椿の前では由実には冷たくあしらわれている姿しか見せていないような気がする。それでも仲が良く見えるとしたら、それはもう幼馴染だからという事になるのだろう。

「まぁ、そこらの即席クリスマスカップルよりは長い付き合いだからね」

 どうでもいい一言をきっかけに、クリスマスが目の前に迫ってきている事を思い出してしまった。家族とも離れての俺のクリスマスは、さぞ寂しいものになるだろう。

「という事で、俺と即席クリスマス専用カップルにならない?」

 由実が風呂に入った今、椿を口説く、もとい親睦を深めるチャンスはここしかない。

「えっ!? それは、その……まず、専用ってなんですか?」

「ああ、それは……ただの冗談だよ」

「まったく冗談に聞こえません!」

 保険に混ぜたおふざけが仇となり、口説く事には失敗する。しかし椿の口も幾分か緩んだようで、結果的には悪くはない。それに、いくつかわかった事もあった。

「まぁ、クリスマスまではまだ一週間くらいあるし、考えといてよ」

「そう、ですね……じゃあ一応、考えておきます」

 一つには、やはり椿は俺に対して好意を抱いている。それも、おそらくは恋愛感情の類だろう。出会ってからこれまで一つしか好かれるような真似はしておらず、その一つも手応えがなかった事から見るに、おそらく椿は俺に一目惚れでもしたのだろう。

 と、順当に考えるのであればそうなる。

「……由実が気になる?」

 そして、それが関係するのかはわからないが、椿もまた由実に対してあまり良くない印象を抱いているように見えた。

「えっと、どういう事ですか?」

「由実がいた時はほとんど喋らなかったから、何かあるのかと思って」

 実際のところ、今の状況は、俺が話しかけているから椿がそれに答えているだけに過ぎないとも言える。先程までのようにこちらから話を振らなければ、由実がいようがいまいが椿が口を開く事はなかったのかもしれない。

 だが、同じようにこちらから話しかけた時の対応でも、俺には由実のいた先程と今では椿の様子が若干違って見えた。

「……そう見えますか?」

 そして、椿自身がそれを否定しない事で、推測は確信へと変わる。

「やっぱり、そうなんだ」

「別に、嫌いだとかそういう事じゃないんです。ただ、なんだか少し怖くて……」

 俺の前で由実を嫌いだとは言い難いだろうが、椿の言葉は嘘には聞こえなかった。椿自身も、由実から良く思われていない事をどこかで感じてしまっているのだろう。

「口調はあんな感じだけど、そんなに怖い奴でもないし、慣れれば大丈夫だとは思うけど」

 一応フォローだけは入れておくが、そこまで効果があるとも思えず。

「はい、悪い人ではないというのはわかるんですけど……」

「まぁ、それも考えておいてもらえるといいかな」

 そして、由実にこの話を聞かれるわけにもいかない。

 会話を中途半端に切り上げたせいか、二人の間には再び微妙な沈黙が漂ってしまった。
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