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Ⅲ Gift
3-7 惜日
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頭に過ぎるのは、甘い既視感。
噛みしめるのは、自らの歯牙。
アンナ・ホールギスにとって、今この時はかけがえのない、それでいてどこまでも代わりでしかない、そんな瞬間だった。
隣に並ぶのは、痩身の黒の少年。
アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクの名を冠するには物足りなさすら感じさせるその姿を、しかしアンナは豪奢な白の魔術師としての姿よりも多分に好んでいた。
単純な異性の外見としての好みでは、どちらが上か。それを冷静に判断できない自分を自覚しながら、それでも明確に装飾の無い素の姿のアルバトロスを好む。
首元に並んだ二つの黒子、普段は髪に隠れているが、ごくまれに覗くこめかみ横の小さな傷跡。そういった余分なものをこそ、今のアンナは愛するしかないから。
「……ね、次はどこに行こっか」
触れ合いは邪険に払われ、それでもその意味はあの時とは違う。
それが嬉しくもあり、だけれどやはり哀しい。
だから、今だけは何も考えずにいるために、アンナはただ笑い続けていた。
「日も暮れて随分と経つ、そろそろ戻るべきかと思うが」
夕食を済ませ、更に何処へか向かおうとするアンナをアルバトロスが止める。
「えー、子供の門限じゃないんだから。今日が終わるのはまだまだ先だよ」
「闇夜の護衛に難儀するのはお前の方だろうに。それに、俺も襲われたいわけではない」
「あ、そっか。一応、アルバって狙われる立場だっけ」
抜けた言葉を発するアンナには、音のない息が返される。
「そんな顔しないでよ、冗談だから」
「この時代の、というよりもお前の冗談はわかりづらい」
「いやいや、流石の私だって、仕事の最中に仕事内容を忘れたりはしない……よ?」
「そうか、やはり俺自身でも最低限の警戒はしておこう」
何かを思い出したかのように首を傾げるアンナに、今度ははっきりと溜息。
「護衛の役目を思い出したところで、帰るとしよう」
「あー、待って。最後に一つだけ、行っておきたい場所があるんだけど、ダメ?」
「そんな場所があるなら、最初に行っておけば良かったものを」
「そこはほら、何と言うか、色々と思うところが……ね」
説明の足らない言葉に、しかしアルバトロスは軽く頷く。
「わかった、行こうか」
「うん、ありがと。やっぱりアルバも優しいね」
微かに眉をひそめ、アルバトロスはアンナの示す方へと共に歩み始める。
「……ねぇ、アルバ」
歩みの最中、前触れのない呼びかけが夜の闇に溶ける。
「本当に、決闘を受けるつもり?」
「受けるかどうかで言うなら、あの時に既に受けてしまった」
「なら、戦うの?」
無駄なやりとりを排するように、アンナは直線で切り返す。
「そうあって欲しい、というと語弊があるか。勝算が無ければやむなしだが、できる事ならば戦い、そして勝つのが最も望ましい」
「一週間後」
「何の事だ?」
唐突にアンナの口にした言葉に、アルバトロスが首を傾げる。
「決闘、一週間後だって。まだ提示されただけだから、変更はできると思うけど、引き延ばせても多分数日。それまでに、アルバはあれより強くなれると思う?」
「戦いに勝つには、必ずしも相手よりも強い必要は無い」
間を置かず返したアルバトロスに、アンナは口元を歪めて見せる。
「……それは、昔々に一番強かった人の台詞じゃないね」
「俺にだけ控えろと言うのは少しばかり勝手というものだろう」
「うん、そうだね」
言葉少なに、そのまま会話は途切れる。
「着いた、ここだよ」
ようやく再度アンナが口を開いたのは、その歩みが止まるのと同時だった。
「ここは……」
「知らない、わけないよね。いや、あくまで希望的観測なんだけど」
二人の辿り着いたのは、何の変哲もないいわゆる空き地。あえて言うならば、そこは街中、店や民家が所狭しと立ち並ぶ区画にしては、少しばかり過分に空間を余らせているように思えなくもないが、それでもあえて特筆するほど奇特な場所ではない。
「ああ、知っている。もっとも、正確な名称まではわからないが」
「だろうね。そもそも、そんなのあるかどうかも微妙なとこだし」
だが、二人は空き地についての知識を共有するように語り合う。
「じゃあ、この場所は私にとってどんな場所?」
一人は自らの思い出から、その場所を特別として。
「アンナ・ホールギスとアーチライト・コルア・ウィットランドが初めて顔を合わせた場所、と言わせたいのだろうな」
そして、もう一人、アルバトロスは、二度目の生を受けた瞬間から頭の中にあった記憶を基に、アンナの望むであろう答えを導き出した。
「そっか、覚えててくれたんだ」
「どうやら、そうらしい」
柔らかな笑みを浮かべるアンナに対し、アルバトロスは無表情で宙を見る。
「だが、俺はアルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクだ。この場所に感慨はなく、依代がお前に抱いていた感情とも切り離されている」
「あはは、バッサリ言うね」
「濁しても仕方がないだろう。俺に依代を演じるつもりはない」
「だよねー、アルバはアーチライトとは違う。顔も声も性格も、まるっきり別人だよ」
薄く、アンナの笑みが消えていく。
「だけど、どうやったって私は……私達はアルバとアーチライトを切り離せない」
アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクとアーチライト・コルア・ウィットランドの関係性は、後者が前者を作るための素材、それ以上のものではない。アーチライトの肉体はアルバトロスを作る際に再構築され、面影と呼べるものはほとんど残っていない。あるとすれば精々、素材に残っていた傷や跡くらいのものだ。
そうであっても、すでに原型を留めていないとしても、アーチライトがアルバトロスの依代である事実に変わりはない。その事実だけで、かつてのアーチライトを知る者はアルバトロスに彼を投影してしまう。
「だから……お願い、一つだけ教えて」
アンナの瞳が映すのは、黒髪の青年。だが、その言葉は彼に向けられてはいなかった。
「あなたは、私の事をどう思ってた?」
噛みしめるのは、自らの歯牙。
アンナ・ホールギスにとって、今この時はかけがえのない、それでいてどこまでも代わりでしかない、そんな瞬間だった。
隣に並ぶのは、痩身の黒の少年。
アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクの名を冠するには物足りなさすら感じさせるその姿を、しかしアンナは豪奢な白の魔術師としての姿よりも多分に好んでいた。
単純な異性の外見としての好みでは、どちらが上か。それを冷静に判断できない自分を自覚しながら、それでも明確に装飾の無い素の姿のアルバトロスを好む。
首元に並んだ二つの黒子、普段は髪に隠れているが、ごくまれに覗くこめかみ横の小さな傷跡。そういった余分なものをこそ、今のアンナは愛するしかないから。
「……ね、次はどこに行こっか」
触れ合いは邪険に払われ、それでもその意味はあの時とは違う。
それが嬉しくもあり、だけれどやはり哀しい。
だから、今だけは何も考えずにいるために、アンナはただ笑い続けていた。
「日も暮れて随分と経つ、そろそろ戻るべきかと思うが」
夕食を済ませ、更に何処へか向かおうとするアンナをアルバトロスが止める。
「えー、子供の門限じゃないんだから。今日が終わるのはまだまだ先だよ」
「闇夜の護衛に難儀するのはお前の方だろうに。それに、俺も襲われたいわけではない」
「あ、そっか。一応、アルバって狙われる立場だっけ」
抜けた言葉を発するアンナには、音のない息が返される。
「そんな顔しないでよ、冗談だから」
「この時代の、というよりもお前の冗談はわかりづらい」
「いやいや、流石の私だって、仕事の最中に仕事内容を忘れたりはしない……よ?」
「そうか、やはり俺自身でも最低限の警戒はしておこう」
何かを思い出したかのように首を傾げるアンナに、今度ははっきりと溜息。
「護衛の役目を思い出したところで、帰るとしよう」
「あー、待って。最後に一つだけ、行っておきたい場所があるんだけど、ダメ?」
「そんな場所があるなら、最初に行っておけば良かったものを」
「そこはほら、何と言うか、色々と思うところが……ね」
説明の足らない言葉に、しかしアルバトロスは軽く頷く。
「わかった、行こうか」
「うん、ありがと。やっぱりアルバも優しいね」
微かに眉をひそめ、アルバトロスはアンナの示す方へと共に歩み始める。
「……ねぇ、アルバ」
歩みの最中、前触れのない呼びかけが夜の闇に溶ける。
「本当に、決闘を受けるつもり?」
「受けるかどうかで言うなら、あの時に既に受けてしまった」
「なら、戦うの?」
無駄なやりとりを排するように、アンナは直線で切り返す。
「そうあって欲しい、というと語弊があるか。勝算が無ければやむなしだが、できる事ならば戦い、そして勝つのが最も望ましい」
「一週間後」
「何の事だ?」
唐突にアンナの口にした言葉に、アルバトロスが首を傾げる。
「決闘、一週間後だって。まだ提示されただけだから、変更はできると思うけど、引き延ばせても多分数日。それまでに、アルバはあれより強くなれると思う?」
「戦いに勝つには、必ずしも相手よりも強い必要は無い」
間を置かず返したアルバトロスに、アンナは口元を歪めて見せる。
「……それは、昔々に一番強かった人の台詞じゃないね」
「俺にだけ控えろと言うのは少しばかり勝手というものだろう」
「うん、そうだね」
言葉少なに、そのまま会話は途切れる。
「着いた、ここだよ」
ようやく再度アンナが口を開いたのは、その歩みが止まるのと同時だった。
「ここは……」
「知らない、わけないよね。いや、あくまで希望的観測なんだけど」
二人の辿り着いたのは、何の変哲もないいわゆる空き地。あえて言うならば、そこは街中、店や民家が所狭しと立ち並ぶ区画にしては、少しばかり過分に空間を余らせているように思えなくもないが、それでもあえて特筆するほど奇特な場所ではない。
「ああ、知っている。もっとも、正確な名称まではわからないが」
「だろうね。そもそも、そんなのあるかどうかも微妙なとこだし」
だが、二人は空き地についての知識を共有するように語り合う。
「じゃあ、この場所は私にとってどんな場所?」
一人は自らの思い出から、その場所を特別として。
「アンナ・ホールギスとアーチライト・コルア・ウィットランドが初めて顔を合わせた場所、と言わせたいのだろうな」
そして、もう一人、アルバトロスは、二度目の生を受けた瞬間から頭の中にあった記憶を基に、アンナの望むであろう答えを導き出した。
「そっか、覚えててくれたんだ」
「どうやら、そうらしい」
柔らかな笑みを浮かべるアンナに対し、アルバトロスは無表情で宙を見る。
「だが、俺はアルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクだ。この場所に感慨はなく、依代がお前に抱いていた感情とも切り離されている」
「あはは、バッサリ言うね」
「濁しても仕方がないだろう。俺に依代を演じるつもりはない」
「だよねー、アルバはアーチライトとは違う。顔も声も性格も、まるっきり別人だよ」
薄く、アンナの笑みが消えていく。
「だけど、どうやったって私は……私達はアルバとアーチライトを切り離せない」
アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクとアーチライト・コルア・ウィットランドの関係性は、後者が前者を作るための素材、それ以上のものではない。アーチライトの肉体はアルバトロスを作る際に再構築され、面影と呼べるものはほとんど残っていない。あるとすれば精々、素材に残っていた傷や跡くらいのものだ。
そうであっても、すでに原型を留めていないとしても、アーチライトがアルバトロスの依代である事実に変わりはない。その事実だけで、かつてのアーチライトを知る者はアルバトロスに彼を投影してしまう。
「だから……お願い、一つだけ教えて」
アンナの瞳が映すのは、黒髪の青年。だが、その言葉は彼に向けられてはいなかった。
「あなたは、私の事をどう思ってた?」
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