逃げられるものならお好きにどうぞ。

小花衣いろは

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全部全部、君だから。理由はそれだけで十分で。

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「あ、香月さんいた! あの、お昼休憩中にすみません! ……少しだけいいですか?」
「うん、どうしたの?」
「その、係長から用意しておいてと頼まれた資料なんですが、どこのフォルダに入っているのか忘れてしまって……」
「あー、午後の会議で使うやつだよね? 確かにあれ、分かりにくいもんね」
「す、すみません! 何度も教えてもらっているのに、物覚えが悪くて……!」
「大丈夫だよ、今回できちんと覚えればいいんだから。とりあえずこれ食べ終わったら、会議には準備が間に合うように早めに戻るから。そうしたら教えるね」
「っ、はい! ありがとうございます……!」
「いえいえ。佐々木ちゃんもちゃんとお昼食べてね」
「はい!」

 ぺこぺこと何度も頭を下げた佐々木ちゃんは、小走りで戻っていった。
 彼女は仕事にも前向きでいつも一生懸命であることが伝わってくるんだけど、業務内容を中々覚えられないらしく、毎日のように係長に呼び出されては軽いお小言を頂いているようだった。その度にしょんぼり肩を落としてデスクに戻ってくる。
 私も自分の業務に余裕がある時なんかは、こっそり彼女の手伝いをすることもあるんだけど、最近は月末が近いこともあって片付けなくてはならない書類も多く、ここ最近は私も残業続きの毎日を送っていた。
 黒瀬くんにはその旨を伝えて迎えも断っているから問題はないけど、疲れてバーの方にも全く顔を出せていないから、バレンタインデー以来、黒瀬くんとは顔を合わせてはいない。

 ――でも佐々木ちゃんが此処まで探しにきたってことは、本当に分からなくて、間に合わなかったらどうしようって相当焦ってたんだろうな。

 早く戻って安心させてあげようと、食べるペースを速める。……うん、このオムライスも美味しい。デミグラスソースが最高だ。

「ふーん」
「……何?」

 私たちのやりとりを静観していた三奈が、何だかにやにやとした気持ちの悪い笑みを浮かべている。

「いや、百合子が先輩風ふかしてるところ、はじめて見ちゃった~って思って」
「……その顔、ちょっと気持ち悪いよ」
「ちょっと、気持ち悪いはひどくない!?」

 キレのいい突っ込みを入れながらも、三奈は楽しそうな笑みを絶やさないままに、のんびりとパスタをフォークに巻きつけている。

「でも百合子って、お姉さん気質だもんね。確か彼氏くんも年下でしょ?」
「うん」
「いくつくらい離れてるの?」
「確か……四つ下だったかな」
「へぇ、まぁまぁ離れてんのね。百合子、ちゃんと甘えたりはできてるの?」
「……甘えたり?」
「彼氏くんによ。百合子、自分の方が年上だからーとか、気にしてそうって思って」

 三奈の言葉に短い返事を返しつつ、スプーンを口許に運ぶ手は止めない。あと一口で完食だ。

「ま、話を聞いてる感じだと上手くやれてるみたいだから、別にいいんだけどね」

 存外私のことを心配してくれていたらしい三奈は、呆れたような顔で笑っている。口の中の物を飲みこんでから「うん、ありがとう」と感謝の言葉を伝えれば、三奈はルージュの引かれた口元を持ち上げて満足そうに微笑んだ。

「とりあえず、またゆっくり話そ。今日は先に戻るね」
「そうね。かわいい後輩ちゃんが待ってるもんね」

 「また連絡する」と言ってくれた三奈に手を振って、私はタイミングよく降りてきたエレベーターに乗り込んだ。七のボタンを押して、ふぅ、と一息つく。

 ――甘える、かぁ。

 黒瀬くんと付き合ってから、年の差をそこまで気にしたことはなかったけど、黒瀬くん的にはどう思ってるんだろう。年の差を気にしたりすることってあるんだろうか。……うーん、黒瀬くんは特に気にしたりしなさそうだな。

 黒瀬くんに甘えられているのかと聞かれると、そもそも私自身の性格が素直じゃないっていう自覚が十分にあるから、まぁあれだけど……でも、黒瀬くんに大切にしてもらっているってことは十分すぎるくらいに感じているし、私は今の関係に満足している。そう考えると、私は無意識のうちに、黒瀬くんという存在に甘え切っているのかもしれない。

 ……うん。むしろ私がもっと黒瀬くんを甘やかすことのできる存在になるべきなんじゃないかなって。今、気づいてしまった。

 エレベーターが目的地のある七階に到着した。佐々木ちゃんが待ち構えているであろうデスクに向かいながら、次に黒瀬くんに会う時には、もう少し大人の余裕というか、黒瀬くんが甘えられるような空気作りというか……そういうものを意識してみてもいいかもしれない、なんて。そんなことを考えた。

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